ピザの写真を見ながら永遠の命について考えてみた
こんにちは。
見出し画像は少し前にレストランで食べたピザです。一人前ですが、結構量がありました。
皆さんは、家での食事と外食では、どちらの方が多く食べられますか。
これは意見が別れる質問かもしれませんが、私の場合は後者です。
外食の方が「今ここでしか食べられない」という意識が働いて、ついつい沢山食べてしまうんですよね。
実際、外食する機会が減ったこの半年間で、体重が約4キロ落ちました。
「今ここでしか食べられない」とか「今ここでしか手に入らない」などの文句が客寄せのために使われる常套句だということなんて分かりきっているはずなのに、いざ目の前に珍しいメニューや商品を出されると、食欲・物欲のアンテナがピクピク動いてしまいます。
アンテナの向かう先は物体だけじゃありません。「ここでしか味わえない体験を」「これを知らなきゃ損をする」といった言葉は、私たちの「体験」や「知識」への意欲をかきたてるためのものです。
意識して見てみると、世の中はそのような文句で本当に溢れかえっています。おそらくそれらによって、「できるだけ価値あるものを得たい」「与えられたチャンスを無駄にしたくない」という人間の欲望を刺激できるからでしょう。大抵の人間は、自分の欲望を叶えるためなら金と時間を使いますからね。
そのような欲望はもしかしたら、人間にとって本能的なものだと言えるかもしれません。
どれだけおとなしい人でも、自分の存在や人生を価値あるものにしたいという思いは少なからず持っているはずです。
じゃあ、もし、永遠に生きられるとしたら?
人生に強制的な終わりが来ないとしたら?
生きたいと思う限り、200年でも1万年でも、永遠に健康なまま、この世に存在できるとしたら?
私たちは、目の前のチャンスを、是が非でも掴みたいと思うのでしょうか。
私は、おそらくそれは違うのではないかなと思います。
人生に終わりがあるからこそ、そして人々がそのことを頭のどこかで分かっているからこそ、私たちは生きることに対する意欲を持つことができるではないかと。
永遠に死なないなら、「今しかできないこと」がなくなります。
そうなったら、すべてを後回しにした結果、永遠に何もしない人生を送ることになるかもしれない。
そんな人生、耐えられますか。
できるだけ、美味しいものを沢山食べたい。
できるだけ、沢山のことを知りたい。
できるだけ、色んな場所に行ってみたい。
できるだけ、愛する人と一緒にいたい。
できるだけ、幸せを感じたい。
それらは全部、いつかは終わりがくるという意識があって初めて湧いてくる願いなのかもしれません。
辛いマラソンもゴールがあるから走りきれるように、終わりは頑張る人たちにとって、希望なのかもしれない。
何をやってもうまくいかないときには、なぜ自分はいつか死ぬのに頑張らなきゃいけないのか、と思うことがあります。でも、逆に、死ぬ未来があるから今を頑張れるんだ、とも考えられるんじゃないでしょうか。
自分が「完成した」と思って満足して死んでいく人は、実際にはほとんどいないかもしれない。大半の人は未完成のまま人生を終えるかもしれない。それでも私は、永遠を得る代わりに望みを失った世界では生きられる気がしません。
勝手に産み落とされて、社会に投げ出されて、辛い思いをしなきゃならないなんて理不尽だ!!と思ったときには、まぁ、いつか死ぬんだから、それまでにやりたいことをやらなきゃもったいないぞ!と思うようにしています。
辛い世の中ですが、頑張りましょう。
ピザおいしかったな、また食べに行こう。
今日はここまで。
読んでくださりありがとうございました。
ではまた次回。
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