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猫(前編)

拾った猫が腎不全で亡くなるまでのエッセイです。

 今から十五年前。
 私はぴちぴちの四十八歳、息子が小学校二年生だった。私は息子とその友だちを連れて、瀬戸の海上(かいしょ)の森へ遊びに行った。その休憩所に猫がいたのだった。
 息子たちは猫としばし遊んでいて、さあ、帰るよと歩き出したら猫がついてくる。
 うちは犬がいるので飼えないよ、置いておいでと言って置いてくるのだが、全力で走って追いかけてくる。
 小さい小さい猫だった。二度置いてきた。その都度全力で走ってついてくる。このままでは道路に出てしまう。どうしよう。
 ということで、猫はうちの子になったのでした。

 猫は目が大きくて、とにかくかわいい顔をしていた。あまりにもかわいいものだから、道行く人を呼び止めて、うちにかわいい猫が
いるよ、見る? と言いたいくらいのものだった。動物病院では、「アメリカンショートヘアですか」と言われた。白黒のしま模様でそう言われたのかもしれないが、いやむしろそれ以外ないのだが、私は顔がかわいいからそう言われたと信じている。

 さてこのかわいい猫、とんだ食わせ者で、抱っこしても秒で逃げていく、膝には決して乗らない、布団にももちろん入ってこない。甘えるということを一切しない猫だった。
 何かで猫が膝に乗った写真なんかを見ると、うちは絶対乗らないと思うし、夜は猫と一緒に寝てあったかいなんて言うのを聞くと、ありえない、布団になんか入ってこないと思う。猫を抱いた写真? 撮れるかい、そんなものと思っていた。
 ただ何年も暮らすうちに、うちの猫にもかわいらしいところがあることがわかってきた。まず膝には乗ってこないが、必ず半径一メートル以内の所にいる。彼の(オスなので)精一杯の甘えた感情が半径一メートルなのだろう。

 猫は相当大きくなってから、多分十歳くらいになってから、初めて膝に乗ることを覚えた。こたつカバーの上から膝に乗ったのだが、そのときのうれしさといったらなかった。めったに乗らないので、息子なども猫が膝に乗ってきたときは、おおーっとなって絶対立ち上がらなかった。
 寝る時も布団には入らないが、いつも足元にいた。横を向いて寝る膝の後ろにいることもあり、ふくらはぎあたりに感じる猫の重みで私は震えるほど(誇張ではなく本当に)うれしかったのだ。

       *
 猫は、食欲と好奇心、いたずら心、そして野生でできていると思う。性欲は、タマを取ったときに失っている。(去勢手術の後、タマを見ますかと聞かれた時は驚いた。五人目の子を流産した時、胎児を見ますかと聞かれたときぐらい驚いた)
 食欲の話だ。
 猫の食欲はすごいのだ。どうすごいのかというと、甘えたふりをしてくるという高度な技術を使うのだ。
 猫はお腹がすくと、ご飯ちょうだいと言って甘えてくる。すごく甘える。とてもかわいい。それでご飯をあげると、手のひらを返したように甘えが止まり、どこかへ行ってしまう。見事なものだ。ご飯さえもらえりゃいいのだ。
 猫が甘えてくるときはご飯が欲しい時。
 これ真理。
 
   *
 さて、うちの猫はよく脱走をした。目を離したすきに、ほんの0コンマ1秒のスキに網戸を開けて外へ出てしまう。誰も出るところを見ていない。あれは外で暮らしていた野生の名残か、はたまたいたずら心か。最初のうちは野生の心があったかもしれないが、大人になってからは完全にいたずらではないかと思う。人の目を盗んでというところがおもしろいのだ。ゲームだ。いなくなって大騒ぎになるのを楽しんでいるのだ。
 猫は外に出ても遠くへ行ったりはしない。家の周りに潜んでいる。追うと逃げる。完全に遊んでいる。飽きると自分で家に入っている。

 野生かいたずら心かといえば、この困った猫は大変なところでうんちをするのが習慣化してしまったことがある。
 ある日、義姉の「りんさーん、りんさーん」
と呼ぶ声がする。行ってみると、二世帯住宅の義父の家、義父のベッドの上に猫のうんちがある。
「すみません」と平謝りで片づける羽目になる。
 いつ入った。いつやった。
 あれは完全に遊びだ。周りが大騒ぎになるのを楽しんでいる。トイレ以外で便をしてはいけないなんて分かっているはずだ。確かそんなに赤ちゃんでもなかったし。
 人が見ていないスキにこっそり義父の家に入るスリル。ベッドでうんちをする背徳感。猫はそういうの好き。絶対好き。
 結局五回ほどおやりになりました。よほど楽しかったんでしょうね。

        *
 猫が四、五歳の頃の話。
「お母さん! お母さん!」と悲鳴のような息子の声がする。声は廊下から玄関に移動しながら、「お母さん」とか、「ミューが」とか、「すずめ」とか言っている。
 見に行くと猫がすずめをくわえて下駄箱の下ですごんでいた。首根っこをくわえていたようで、すずめのからだがぷらんぷらんしていたことを今でもはっきり思い出せる。
 猫は下駄箱の奥の方でこちらを見ている。
「ミュー、離しなさい」
 私がすずめを取ろうとすると、くわえた口にいっそう力を入れて、絶対取られまいとしているのがわかる。すずめはぷらんぷらんと猫の口元で揺れ放題だ。
猫を捕まえようと下駄箱の下に入ると、猫はシャーっと声を出して威嚇してくる。いつ外へ出たのかもわからない。多分すずめを捕まえて、大いばりで見せに来たのだ。そんなものをいちいち見せに来なくてもいいのだ。もう、なんなんだ。
泣きたい思いで猫を捕まえてすずめを口から離した。(すずめはたぶん息子が庭に埋めた)
すずめを捕まえたのは後にも先にもその時一回きりだったが、私はちょっと思ったのだ。
すごいな、すずめ捕まえるなんて、と。

       *
息子が小学校六年の時。だから猫は四歳かそこら。息子は学校の勉強はできないがカナヘビを捕まえるのは学校一うまい子どもだった。名古屋のマンション街のどこにそんなにいるんだと思うが、しょっちゅうカナヘビを捕まえてきて虫かごいっぱいにカナヘビを飼っていた。
私と遠出をする時は、大滝渓谷など日本トカゲ(本人談)のいそうなところを選び、それも捕まえては飼っていた。日本トカゲは大きな漬物樽に土をいっぱい入れてシャワー室に隠し、猫がいたずらしないようにしていた。
ある日私は、夜中にトイレに起きた。
トイレは寝室の前にあるので、電気をつけなくても五歩で行ける。
廊下を歩く。
一歩、二歩、三歩。
ぐにゅっという感覚が足裏にした。
何かを踏んだ。     
何かを踏んだ。     
何かを踏んだ。     
 最初はわけが分からなかった。ゴキブリかとも思ったが、ぬめっとしか感触確かにあった。かかとで歩きながら廊下の電気をつける。
 ああ、トカゲが。そこにはトカゲが。
 半殺しのトカゲが。
 猫に違いない。猫が半殺しにしたのだ。散々いたぶったあげく、廊下に捨てたんだ。
 私は泣きそうになりながら、トカゲをつかんで漬物樽に戻しておいた。多分息子が庭に埋めるだろう。シャワー室は猫が体当たりで開けてしまっていた。
 あろうことかその後二度、合計三匹のトカゲを私は踏んづけることになる。決まって夜中、寝室とトイレの中間あたりに、それは半殺しで捨ててある。
 三度踏みましたよ、私は。
 夏の夜の、怖すぎる話でした。

       *
 病気の話をしよう。
 時は戻る。拾ってきて間もなくだ。数か月後だったと思う。猫のトイレに血がついているのを発見した。病院へ行くと、何やらの感染症か何からしい。薬をもらって帰ってきた。
 この薬を飲ますのが大変だった。
 別室でスポイトに粉薬を溶かして、そうして飲ませようと部屋に戻るといない。どこを探してもいない。呼んでも出てこない。隠れやがった。
 探して出して、二人がかりで飲ませようとしても喉にふたをしてしまっているかのように飲み込まず、激しく首を振って薬を全部出してしまう。
 そのうちに薬を飲ませようと立ち上がると気配を察して逃げるようになり、ついには薬を飲ませようと思っただけで逃げていくようになった。
 本当の話だ。野生の勘だろうか。

 それで結局薬を飲ませたのかよく分からないうちに、猫の血尿は治ってしまった。そしてそのまま、尿路に不具合があったことはすっかり忘れてしまった。
 もう少し気をつけていればと今は思う。最低限、年を取ってからは健康診断を受けさせるべきだった。
 腎臓の病気が見つかったときは、猫は手遅れになっていたのだから。

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