MMT(現代貨幣理論)の死角【9】
まずは、前回の投稿からの経済情勢を振り返り、課題の分析をしながら私見や解決策を述べる。続いて、これを踏まえてMMT(Modern Monetary Theory)を考える。
■最近の経済情勢
▢はじめに
2024年は波乱の幕開けとなった。各社報道によると、元日に発生した能登半島地震は最大震度7、マグニチュード7.6を観測し、倒壊家屋や津波被害の犠牲者といった「直接死」の多さでは1995年の阪神淡路大震災以降3番目の大きさ、国内での震度7は18年の北海道地震以来とされた。
被災状況とその背景
本稿執筆中(3月17日現在)の死者は241人、安否不明者(確認中)、負傷者1,188人、住家被害の合計は8万629棟である(3月12日14時現在 石川県
発表)。
震災直後から、厳冬期の救助活動の難航や避難所での低体温症なとどいった災害関連死、感染症被害も確認され始めた。土砂災害による道路の寸断で、初動の救助が遅れるなどしたため、被害を大きくした。中小企業の被害も甚大で伝統工芸や観光業への打撃が大きく、数千億円規模に上る可能性があるという。
翌2日に羽田空港で起こった日本航空516便と海上保安庁の衝突事故は、能登半島地震の対応における支援物資搬送中の出来事であり、海保機乗員5名の命が失われた。海保側の焦りを指摘する専門家もおり、非常時の連鎖的な被害とも言えそうである。
一方、東日本大震災のような原発被害は確認されていない。石川県志賀町にある志賀原子力発電所が、2011年の東京電力福島第一原発事故を受けて運転を停止し、新しい規制基準への対応を求められたため、地震発生時も停止中だった影響が大きいようだ(1月22日付NHK)。
震源になった断層は、政府の有識者検討会が2014年に公表した活断層だったとの見方が有力になった。政府の地震調査委員会が切迫度などを調べる「長期評価」をしておらず、広く周知されていなかったという。そのため、福祉避難所が想定の2割にとどまったり、2次避難が進まなかったりするなどして、感染症などの災害関連死のリスクが高まる流れができてしまった(1月15日付東京新聞 以下、適時省略)。
政府の地震調査本部はこれを受け、全ての評価が終わるのを待たず、早期公表する方針を決めた(2月21日付)。
住宅の耐震化が遅れたことによる被害額も甚大で、政府は石川、富山、新潟の3県で推計1兆1,000億円~2兆6,000億円程度に上ると推計している(1月26日付)。同紙の取材によると、昨年5月の震度6強の地震でも被害を受けた「二重被災」の住宅が3,000棟超に上る可能性があるという(2月18日付)。盛り土崩れによる家屋被害も表面化してきた。行政が存在を把握していたかったことに原因がありそうだ(2月23日付参照)。
地震予測に偏りがあったことも分かってきた。同紙によると、国の地震調査委員会の「全国地震予測地図」では、2020年から30年間に震度6弱以上の地震が起きる確率は大部分で「0.1%~3%未満」とされており、石川県はこの予測を企業PRに活用していた(1月10日付)。
同紙の小沢慧一記者によると、危険度を比べる指標の評価が一律ではないという。南海トラフ地震は防災予算獲得などの理由から特別な計算式で「水増し」された。石川県が大部分が「0.1%~3%未満」という確率だったのは、そうした事情が背景にあるようだ(2月14日付)。
こうしたことから、被災地の地域インフラや家屋・建物の脆弱さだでなく、政府の自然災害へのリスクマネジメント不足が被災を拡大させたとも言えそうだ。地震発生から2ヵ月半が経過し、インフラ復旧作業が続く。学校が再開したり地域経済の復興の芽が見えてきた。
その一方で、石川県の確認とともに住宅被害棟が増え、仮設住宅の建設は途上。多くが避難生活を送っている。被災地はがれきが手つかずのまま残る地域も目立つ。生活再建には一般ボランティアの支援受け入れが求められそうな状況である(3月1日付)。地域医療や介護の担い手が被災の影響から離職だけでなく、一般住民の被災に伴う転居も相次いでいるようだ(2月21日・26日付、3月4日付 参照)。
地震による財政負担の問題
財政は逼迫している。政府は16日、能登半島地震の復旧・復興に備え、2024年度予算案の予備費を1兆円に倍増する変更を閣議決定した。コロナ禍を契機に国会の議決を経ずに使い道を決める傾向が急拡大しているという(1月17日付)。
非常時とは言え、債務が膨張しているにもかかわらず、復興支援の財政支出をせざるを得ない。その一方で、この期に及んで大阪万博を中止しようとしない。どこに基準を置いているのかが見えてこない。この時点ですでに、次のような支援が立て続けに公表された。
16日以降も支出が止まらない。本来、政策的経費が圧迫されていなければ、緊急性の高い支出として当然のことながら対応しないとならない。しかし、23年度分とは言え、必要性を疑いたくなるような内容が散見されるようになってきた。
後述するが、債務残高の国際比較では、対GDP比で日本だけ突出して多く、すでに250%を超えてしまっている。MMT積極財政派の主張によると、インフレ率からバランスシートの膨張がどこまで許容されるのかという議論になる。この理論的課題も後ほど検討する。
事実関係だけ述べると、今回の通常国会で、野党が自民党派閥の政治資金パーティー裏金事件だけでなく、少子化対策の支援金制度を巡って追及を強めているが、この背景には債務膨張の問題がある。本来、政策的経費として社会保障財源として使える歳出が、近年の特例国債(赤字国債)の乱発によって圧迫されている。その結果、「医療・介護分野の歳出増を抑える」という、基本的人権にかかわる分野の歳出をカットをしようとしている構図が浮き彫りになるのである。この点も後述しよう。
能登半島地震の経済への影響
今回の地震に対して、マーケットは敏感に反応した。年末までのドル円相場は、円高ドル安傾向だった。FRBが24年度に3回の利下げを見込み、早ければ1月下旬の金融政策決定会合で日銀がマイナス金利解除に踏み切るとの観測がなされていたからである。ところが、今回の震災で1月2日のドル円相場は日本時間2日午後に一時1ドル=141円67銭まで下落した(1月2日付Bloomberg)。
東日本大震災時のようなサプライチェーンへの影響が比較的少なく、原発被害も無いことから経済的な被害は一時的なものにとどまりそうであるが、被災者救済・復興支援の状況を見守りつつ、今年予想される金融政策正常化や為替相場の状況に注意を払いたい。
日本経済の「見当識」
言うまでもなく日本経済は現在、重要な岐路に立たされている。去年の10月24日、日本の経済力低下を突き付けられるようなニュースが飛び込んできた。世界第3位だった日本の名目GDPが4位に転落するかもしれないという予測である(同日付日本経済新聞電子版)。これは2月15日の内閣府発表で確実となった。円安の影響でドル建てで目減りしたことや、ドイツのインフレ率の高さが要因とされる(2月15日付日本経済新聞電子版)。
国際通貨基金(IMF)は、インドの名目GDPが26年に日本を上回り、27年にはドイツを抜くと予測している。しかし、第一生命経済研究所の熊野英生氏は「(日本は)低成長と円安が続くと来年、インドに抜かれて5位に転落するリスクがある」と早まる可能性を指摘しているという(2月16日付東京新聞)。国際的な発言力が低下する事態である。
この原因については円安だけでなく、四半期(23年10~11月)の実質GDPが2期連続のマイナス成長で、物価高の長期化による個人消費の低迷などが考えられる(2月16日付東京新聞 参照)。
1人当たりの名目GDPは、22年の時点ですでに先進7ヵ国(G7)最下位に転落していた。内閣府が公表しているOECD加盟国の比較によると、アベノミクスによる円安などで13年から18~20位に沈下。この時から既にドイツに抜かれていた。今回の4位確定で、1人当たりGDPでも順位が低下する恐れがある(2月16日付東京新聞 参照)。
こうなる見通しは、有識者からも指摘されていた。経営コンサルタントの大前研一氏はその著書『『日本の論点 2024~2025』』で、23年中にドイツに抜かれるだけでなく、2年以内にはインドにも抜かれて第5位に転落へ転落する見込みがあるとまで書いていた。
長期的な予測は38年になっても4位に留まるとの見通しもある(23年12月26日付Bloomberg)。中国に抜かれて第3位になったのが2010年である。42年間第2位の地位を維持していたことを考えると、低下速度が増しており、危機感を禁じ得ない。
今年に入ってからも第4位が確定するまで、このテーマは継続的に報じられていた。参考までに引用しておく。
GDP転落の根本原因
今回の4位転落は、より本質的には、平成不況やデフレ経済の後遺症が原因として考えることができる。例えば、経済アナリスト・森永卓郎氏は『中流危機』(NHKスペシャル取材班・著/講談社現代新書)の解説を通して転落の原因を分析しているが、中流(中間層)が衰退して可処分所得が減少したからだとしている。非正規社員を増やして人的資本が失われた。社員を大切にしなくなったことが真の原因として、人材投資の重要性を主張している(23年11月25日配信 マネーポストWEB)。
人口動態が最も予測可能な経済指標であると同時に、人的資本がファンダメンタルズに与える影響の強さは疑いようがないだろう。
この原因についてさらに淵源を遡ると、バブル崩壊後の総需要喚起策の対応の遅さにあったと考えてもよさそうである。日本経済は90年代後半から約20年余にわたってデフレに苦しめられてきたが、第一生命経済研究所首席エコノミストの永濱利廣氏は、積極的な財政金融政策を直ちに行っていれば、不良債権処理がよりスムーズに行われて、デフレを放置し続けることもなかった可能性を指摘している(23年10月2日配信 THE GOLD ONLINE)。
ちなみに同氏は、欧米と比べたときのリーマン・ショックへの対応の遅さが異常な円高・株安を招き、生産拠点の海外移転とそれに伴う地方経済の破壊が「産業空洞化」という形で地方経済を疲弊させたことを批判している。米国と比べたとき、コロナ・ショック後の対応も遅かったという(同日配信 THE GOLD ONLINE)。
政策の失敗によって「平成不況」を招いたかのかどうか。私たちは昨今の情勢変化から、「失われた30年」の検証が必要な状況に直面しているようである。
続けよう。1996年1月11日に発足した橋本龍太郎政権は、同年11月7日に発足した第2次橋本内閣から経済構造改革などの「6つの改革」を実行し、2001年4月26日に発足した小泉内純一郎政権は、06年までの間に「聖域なき構造改革」を推し進めたが、元来、第一次石油危機以降のコストプッシュ・インフレ期に有効だった新自由主義的政策を、デフレ期に断行したのが誤りだったのではないか。
しかも、橋本政権は財政健全化の一環として、97年4月に消費税率を5%に引き上げたが、景気減速を招き、政権崩壊の一因となった。3党合意の法律を成立させた野田政権の判断、それに基づき14年4月に8%、19年10月に10%と引き上げた安倍政権の増税のタイミングも今後、検証されるべきだろう。
どこから道を誤ったのか、政策を振り返る
ところで、よく知られているように、ミルトン・フリードマンらが提唱したマネタリズムが注目を集めたのは、1970年代のスタグフレーション(不況下のインフレ)が伝統的なケインズ経済学による総需要管理政策では対処不能となったからである。マネタリズムの新自由主義的政策は「小さな政府」を志向し、イギリスのサッチャー政権、アメリカのレーガン政権で政策として取り入れられた。
日本の場合は、企業経営の効率化・財政支出の拡大・金融の自由化・経済の国際化によってこの時期の経済環境に適応していった。そして1985年のプラザ合意後、急激な円高不況に見舞われた。
当時の中曽根康弘政権は英米にならって「小さな政府」を志向したが、同年の日本専売公社・日本電信電話公社の民営化に成功したのは、Jカーブ効果の影響(短期的には、価格上昇後も長期契約などの影響で輸出量の変更がない)に加えて、生産年齢人口が多くて相対的に若い人も多かったこと、「分厚い中間層」が存在していたことが関係していたと思われる。
その後、バブル景気に向かうが、ジャーナリスト・岡本勉氏によると、「86年、87年は、まず、政府が景気対策を打ち、次に、日銀が金融緩和を繰り返し実施した」ことが契機になったことがうかがえる(2018年2月27日付東洋経済オンライン)。国際投資アナリスト・大原浩氏によると、「86年から5回の利下げを実施。それだけではなく、政府も内需拡大を目的とする公共投資拡大などの積極財政を採用した」ことが原因との指摘を紹介している(23年12月26日付マネー現代)。
この時期の中曽根政権は、「小さな政府」でありながら「大きな政府」でもあった。87年の国鉄民営化は、こうした総需要の底堅さがあったから奏功したのではないか。その他の構造改革も同様に考えることができる。85年以降の総需要のファンダメンタルズに労働力の底堅さがあり、86年以降の金融緩和・積極財政に支えられる形で総供給の構造改革が奏功したのではないか。
ところが、橋本政権も小泉政権も、バブル崩壊後の平成不況において、デフレ経済に直面しているにもかかわらず構造改革を実行したので、サプライサイドが不適切に効率化されて超過供給を助長し、デフレ・スパイラルに陥ったと言える。すでに始まりつつあった中間層の衰退が動因になっていた可能性は言うまでもない。
当時の市場原理主義と自己責任論の喧伝は、構造改革を都合よく推し進めるための一種のプロパガンダだったのではなかろうか。とりわけ、非正規雇用を増やしたことは、結婚適齢期だった団塊ジュニア世代を直撃し、未婚率の増加や出生数の低下を促す結果になったことは想像に難くない。前出の永濱氏は「デフレを放置したことで、就職氷河期やロスト・ジェネレーションと呼ばれる世代を作ってしまったことが少子化につながっているので、経済政策の失敗が、少子化の遠因になっている」と、その可能性を指摘している(23年11月20日配信 THE GOLD ONLINE)。
将来不安やブラック労働の蔓延、社会進出した女性の意識変化、生活困窮世帯の増加、子育てと仕事の両立の難しさといった問題などと相まって、第3次ベビーブームが起こらなかったことの証左と言えるのではないか。
他方、この傾向に拍車をかけてきたとも言えるのが、社会保障費と税制の問題である。社会保障費については言うまでもないだろう。少子高齢化の進展にともない、給付を減らして負担を増やすといった傾向が年々顕著になっている。他方、約30年来行われてきた法人税減税・消費税増税は、それぞれ国内経済活性化・国際競争力強化、社会保障財源といった目的の違いがあったにせよ、富裕層に有利、低所得者や中間層に厳しい税制へと変化していった側面は否定できないだろう。
中間層の衰退を促すような保険料負担増と増税──。人口動態の衰退局面に追い討ちをかけるようにして、ますます可処分所得が奪われ、底流ではデフレ体質を定着させつつ格差を生み出していったのではないか。
社会学者・宮台真司氏はこの点について、「従来なら退場を迫られる重厚長大産業の正社員の地位を守るため、若年層から非正規化をしていった。既得権益を動かせないから産業構造改革ができない。所得の健全な分配が行われないので国内市場は縮小した」と指摘している(23年5月19日配信 NewsPicks /ニューズピックス)。
正鵠を射ている。アベノミクス以降の異次元金融緩和が奏功しなかった要因は、表層的には2014年4月の消費増税率8%引上げに起因するのかもしれないが、本質的には、人口動態の衰退局面における経済環境に適応できなかった結果だろう。長期均衡へ向けた需給調整プロセスにおいて、従来の産業構造のままだとでデフレ圧力が加わる状況なのに、総需要の増加を伴う産業構造改革が実現しなかった。第1の矢(大胆な金融政策)で滞ってしまい、第2の矢(機動的な財政出動)、第3の矢(民間投資を喚起する成長戦略)が思うような成果を生まなかった。
80年代とは状況が違っていたのである。人口動態の衰退局面を打開する需要喚起がないのだから、実体経済の資金需要が増えず、民間銀行の貸出が低迷するのは当然である。マネーストックが滞り、信用乗数が不安定化したのはそのためではないのか。したがって、ディマンドプル要因を起点とした産業構造改革こそが、次世代の成長軌道を実現する唯一の道ではないのか。
本稿はこうした問題意識に貫かれている。
ただし、税制改正の目的を財政再建と考える向きは、MMTの観点から議論が必要な論点である。プライマリーバランス(基礎的財政収支)健全化が必ずしも必要ではないとの見方があるからである。この点は後述する。
一つの仮説だが、こう考えることができる。安い労働力に依存する形で総供給を増やしたということは、総需要の中心的担い手を弱体化させて減らすことにもなった。その結果、超過供給が広がり、実質賃金の下押し圧力が強まり続けた。この約20年余り続いたデフレは、マイナスのインフレ期待と相まって、その後の出生数低下、すなわち、現在進行中の労働投入の減少と国内需給の縮小均衡に与えた影響は甚大である、と。
前出の森永氏の解説によると「全世帯の所得分布(可処分所得)の中央値は1994年の505万円から2019年には374万円に減少」した(23年11月25日配信 マネーポストWEB)。少子高齢化・人口減少が進展して経済の担い手が衰弱し続けているので、消費や投資が減り、生産や分配の減少、すなわち、GDPが低下したという構図が読み取れる。各種動向を概観しながら、どういったことが言えるのか。より詳細に検証していこう。
▢前回投稿以降のGDPの推移
こうした発表物の基礎的事実関係は、記者クラブを経由して報道されることが多いので、基本的に報道各社で内容が変わることはない。本稿では主に、東京新聞(共同通信社配信含む)から引用・参照しながら議論を展開する。同紙は、昨年7~9月期のGDPの落ち込み具合をこのように報じた。
この状況について「全体の5割超を占める個人消費は、自動車販売や食料品が落ち込んで前期比0.04%減、設備投資は半導体製造装置に対する投資の減少が響いて0.6%減だった。住宅投資や公共投資もマイナスで、国内需要は総崩れだった(23年11月15日付 東京新聞電子版)」「輸出は自動車が増えた一方、輸出に区分されるインバウンド消費が振るわず、0.5%増にとどまった。輸入は著作権使用料の増加などで1.0%増えた(同日付 電子版)」としており、総需要が低迷している状況を浮き彫りにしている。
ただし、一方で、「自動車関連、商社、旅行、小売りなど大手企業は今年度に入り軒並み好決算を記録」しており、「円安の強烈な追い風が輸出事業やインバウンド(訪日客)関連事業の利益を大幅に押し上げ好決算につながった(11月22日付同紙)」との指摘もあり、マイナスの中でも一定程度の需要押上効果はあったことがうかがえる。
2020年4~6月期が年率換算で27.8%のマイナス(第2次世界大戦以降で事実上最大の落ち込み 2020年8月17日付ロイター電子版)だったことを考えると、金融緩和政策の継続に加えて新型コロナ感染症対策の財政出動が奏功したとも言えるが、2022年2月24日から始まったロシアによるウクライナ侵攻、日米金利差に伴う円安傾向がコストプッシュ圧力を高めている。
23年7~9月期のGDP速報値はその後、下方修正された(23年12月8日付 日本経済新聞電子版)。23年10~12月期の実質GDPは前期比マイナス0.1%(年率マイナス0.4%)と2四半期連続のマイナス成長になった(2月15日付 ニッセイ基礎研究所 斎藤太郎氏)とされたが、内閣府が3月11日発表した改定値で上方修正された。東京新聞の報道を引いておく。
ところで、引用でも指摘されていた能登半島地震の影響だが、当初、被害総額が8,163億円、年間名目GDPの約0.15%の規模と推計された(1月5日付 野村総合研究所 木村登英氏)。
政府は1月26日、24年度の経済見通しを閣議決定。実質国内総生産(GDP)成長率は1.3%と予測した。23年度見込みの1.6%よりは鈍化。実質GDPの金額は568兆円で、過去最高を更新する見通し。名目GDPは成長率が3.0%で615兆円となり、初めて600兆円を突破すると予測した(1月26日付 共同通信電子版)。
▢消費者物価指数
11月24日付日本経済新聞電子版によると「総務省が24日発表した10月の消費者物価指数(CPI、2020年=100)は変動の大きい生鮮食品を除く総合指数が106.4となり、前年同月比で2.9%上昇した。伸び率は4カ月ぶりに拡大した。政府の電気・ガス料金の補助が10月から半減し、エネルギー価格が物価を下げる効果が弱まった」。「前年同月比でプラスとなるのは26ヵ月連続」であるという。
日銀は、この消費者物価指数が前年比でどれだけ上昇をしたのかを見ている。賃上げを伴って「物価上昇率2.0%」が安定的に推移すれば目標達成という形になる。消費者物価指数だけを見れば、すでに達成をしているが、前回の投稿でも指摘しているように、ディマンドプル要因でないと持続的な経済成長は期待できない。賃上げありきの政策論は弥縫策でしかない。持続的な底堅さがあってはじめて、物価上昇とそれを上回る名目賃金上昇の好循環、すなわち実質賃金の自然増を見通すことができる。
言うまでもなく現下の消費者物価指数の上昇は、先述の通りロシアのウクライナ侵攻に起因するコストプッシュ要因に円安が重なったものである。さらに言えば、生鮮食品及びエネルギーを除く総合指数(コアコアCPI)は前年同月比で4.0%増(23年11月26日配信 THE GOLD ONLINE編集部)となっており、「下げる効果が弱まった」と言えども、政府のエネルギー価格抑制策があるから低く抑えられているともいえる。しかし、こうした泥縄式の対処は本質的な解決にはならないだろう。
他方で、原油価格自体は22年夏にピークアウトしているが、23年10月7日に勃発したパレスチナ・イスラエル戦争によって、中東地域が地政学的リスクの中心になってきた。最新の動向は以下の通り。
こうした物価高が低所得世帯を直撃している。23年の生活保護申請が最多の25万件だったことが厚生労働省の統計で分かった。以下は3月7日付日本経済新聞電子版の報道から。
▢賃上げ状況
昨今の情勢は賃上げムード一色である。岸田政権が大企業を中心に「賃上げや投資の好循環」を推し進めているせいだが、マスコミ各社も連日のように報じている。引き続き引用しよう。
先述の通り賃上げは本来、経済成長に伴う結果論である。岸田首相は中小企業の賃上げ税制の拡充や価格転嫁支援を打ち出しているが、現状においては、円安で追い風の輸出型製造業を中心に、分配原資のある大企業が好調、中小企業は苦しいなか対応しているといった状況だろう。「大手食品メーカーなどを中心に2022年以降、価格転嫁が進んだ一方で、依然転嫁しきれていない業種や中小零細企業も多い。転嫁できなかったことが理由の企業倒産も増えている」という(23年10月25日付東京新聞電子版)。
日本政策金融公庫によれば、全企業(事業所)の99%以上を中小企業が占め、全従業者の70%以上が中小企業に勤務する。経済に与える影響が大きいのだ。賃上げ率の数字だけを見れば僅差だが、誘因を分析しなければ本末転倒の正体が見えてこない。
これに関して、円安で原材料の仕入れ値が高騰しているにもかかわらず、発注元の大企業が価格転嫁に圧力を加えているとの指摘がある。中小企業にとっては、取引を停止される恐怖心があるという。加えて人手不足に伴う人件費上昇分を価格転嫁できず、離職に伴う人手不足倒産が増えている(23年11月8日付東京新聞電子版)。「特に建設業と物流業」が多いとの指摘がある(23年11月20日付共同通信電子版)。
表層的には取引コストの問題として捉えることができるが、本質的には分配原資が足りないことが問題である。結果として、マークアップ原理が成り立たない状況に陥っている。
日本商工会議所の2023年5月調査結果によると、賃上げをした中小企業は62.3%だが、「約7割の企業が『業績の改善がみられないが賃上げを実施(防衛的な賃上げ)』をしていることや、5割超の企業が『物価上昇』を賃金引き上げの理由としていること等から、コストプッシュ型の賃上げの色合いが強く、価格転嫁は一定進捗しているものの(2023年4月調査)、賃金を引き上げる主たる誘因となるまでには至っていないことがうかがえる」としている。
ただし、昨年末の12月に入って植田日銀総裁の「チャレンジング発言」やFRBの利下げ観測の影響などから一時的に円高傾向となり、賃上げに明るい兆しが出てきた。23年12月24日付東京新聞は、「来年の春闘で労使交渉が本格化する前に、大手企業による大幅な賃上げ表明が相次いでいる。物価高への生活支援のために早めに方針を明らかにするとともに、若手への配分が目立つ。人手不足が深刻な中小企業は警戒を強めており、人材獲得で格差が広がる恐れもある」と報じていた。
しかし、年明け元日の能登半島地震の影響や日銀による金融緩和先送りの観測、FRBの利下げ見送りの状況から、再び140円台後半の円安傾向が続いている。こうした状況下、今年の春闘が始まった。日経平均株価がバブル期以降、34年ぶりの最高値を更新する中、大企業が賃上げ原資を獲得して昨年比増の賃上げを発表する一方で、被雇用者の約7割を占める中小企業は勢いを欠く。依然として取引先の大企業が価格転嫁に応じなかったり、コロナ禍対応のゼロゼロ融資の返済、人手不足による倒産が響いている。
非正規雇用の賃上げも課題となっている。平成不況後のデフレ経済において、経営側にとって安い労働力であり、雇用調整に都合が良い調整弁として増やしてきたとされるが、ここにきて賃上げ(デフレ体質からの脱却・実質賃金増)の足を引っ張る形になってしまっている。
今年に入ってからの関連記事を引いておく。
こうして概観すると、賃上げありきの景気対策は、大企業と中小企業の格差を増幅させ、「分厚い中間層」の復活どころか、社会の分断を煽る結果になりかねないと思えてくる。
非正規雇用の低い賃金が、実質賃金を押し下げる要因になっていることも見えてきた。日本ではパートら非正規労働者の賃金が正規と比べて低く抑えられており、労働組合組織率は1割に満たないという(2月19日付東京新聞)。
皮肉なことに、長年、非正規雇用を増やしてきたツケが回ってきている状態である。非正規雇用者の賃上げは当然必要なのだろうが、ディマンドプル要因の成長過程に乗っていない現状においては、それも所詮、短期的な弥縫策に過ぎない。
こうした中、今春闘の集中回答日を迎えた。予測通り、大手企業が満額回答、価格転嫁の進まない中小企業や団体交渉に乏しい非正規労働者は不透明な展開となった。円安を追い風にした輸出型産業の賃上げが目立っている。3月14日付東京新聞によると、中小企業はこれから交渉が本格化する。連合による最終集計は7月頃だが、集計には労働組合がない大半の中小企業は含まれない。厚生労働省が労組のない企業も含めた結果を公表するのは、例年11月頃となる。同日付の報道を引用しておこう。
非正規労働者について、明るい材料がないわけではない。
こうした中、公正取引委員会が価格転嫁の要請に応じず、価格を据え置いたとして、計10社を公表した。自動車業界では日産自動車の「下請法違反」が発覚したばかりだった(3月7日付公正取引委員会 資料 参照)。以下は3月16日付日本経新聞電子版の報道。
連合は15日、中間集計を発表。賃上げ率は5.28%となり、日銀がマイナス金利の解除に踏み切る見通しとなった。東京新聞の報道を引用する。
▢実質賃金動向
厚生労働省が11月7日に発表した9月分の毎月勤労統計調査(速報)によると、前年同月より2.4%減少した。前年を下回ったのは18ヵ月連続となる(23年11月7日付朝日新聞電子版)。物価上昇のスピードに賃上げが追い付いていないのだ。ロシアのウクライナ侵攻以降、消費者物価指数と実質賃金の差は広がる一方である(23年11月10日配信 ABEMA Prime 図を参照)。
調査会社の帝国データバンクによると、23年の食品値上げは3万2,395品目に上る一方、厚生労働省の毎月勤労統計調査では実質賃金は10月まで前年同月比19ヵ月連続のマイナス。賃上げが物価高に追いついていない状況が続く(23年12月16日東京新聞)。1月5日付読売新聞オンラインが、当時の推移をグラフで紹介していた。
翌11月もマイナスを更新した。
23年の毎月勤労統計調査(厚労省2月6日発表)によると、実質賃金は前年比2.5%減。2年連続のマイナスで、下げ幅は消費税増税の影響で2.8%減だった14年以来、9年ぶりの大きさとなった。
長期的には約30年来、G7の中で日本だけが横ばいの状態が続いている(令和4年版 厚生労働省 労働経済の分析 コラム1-3-①図 G7各国の賃金(名目・実質)の推移 参照)。日本の大企業は労働組合と経営側が馴れ合いのような状態になっていることが多く、アメリカのような賃上げ交渉が成り立ちにくいという事情がある。中小企業は組合自体がないケースが多く、2022年の「推定組織率」がは16.5%という厚生労働省の調査結果がある。
こうした背景からか、日本国民は長年にわたって実質賃金が伸びない状況に問題意識を抱かず、デフレ経済による低価格・低賃金に適応してしまっている節がある。アベノミクスによる大規模な金融緩和では、消費税8%導入以降、物価上昇率が低迷した。10年近く2%目標を未達成のまま大規模緩和を続けてきたことへの批判はあまり見られなかった。
そこへ追い打ちをかけたのが、ロシアによるウクライナ侵攻である。22年4月以降の2%達成は、ウクライナ情勢に伴うコストプッシュ要因による影響が強い。結果的に実質賃金の下落が止まらない状況を招いてしまっている。金融正常化やディマンドプル要因への転換が求められる。
これに対してアメリカの場合、実質賃金が比較的高いのはなぜなのか。おそらく、一定程度移民が流入したり、転職によるキャリアップが一般的だったりするので、労働市場の新陳代謝が活発になり、景気を下支えする要因となっていることが考えられる。権利意識が高いという文化的背景の違いから、労使交渉が活発という事情も関係しているのかもしれない。アベノミクスほどの大規模緩和を実施しておらず、今回の世界的なインフレで消費の底堅さが示され、労働需給の逼迫から高い賃上げ率を達成している。参考になりそうな記事をピックアップしておく。
経営コンサルタントの大前研一氏はその著書『日本の論点 2024~2025』の中で、国際的な人材獲得競争の観点から、日本の給与水準の低さについて言及している。「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングが世界標準に近づくため、昨年3月から新入社員の初任給を25万5,000円から30万円に、入社1~2年目で就任する新人店長は月収29万円を39万円に引き上げたという。
一方、2017年に中国の通信機器大手の華為技術の日本法人が「初任給40万円」の条件で採用活動したら日本人エンジニアが殺到したが、本社がある深圳では初任給が約80万円だという。
国際競争力強化のためにも、実質賃金を増やす政策が必要である。こうした賃上げは持続的な成長軌道によって可能となるのであり、今回の春闘で賃上げをしたからといって実質賃金が上向くほど生易しいものではない。あらためて後述するが、ディマンドプル要因の好循環、実体経済の持続的な底上げが必要となってくる。
▢日経平均株価
1)長期的な動向
1970年代の石油危機以降上がり続け、バブル経済期の1989年12月29日、史上最高の最高値をつけた。
バブル崩壊後の平成不況に入ると、1999年~2000年のITバブル時に若干盛り返しつつ、2001年9月11日の同時多発テロ、2008年9月15日のリーマン・ショック、2011年3月11日の東日本大震災の影響で下落し、2012年12月26日に成立した第2次安倍政権によるアベノミクスで上昇傾向に転じた。
2019年12月初旬に中国の武漢市で発生した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的な流行で一時的に下落局面を迎えつつ、金融緩和政策の継続と思い切った財政出動によって再び上昇傾向を維持してきた(2021年2月15日配信 時事エクイティ 図を参照)。
2)最近の動向
2023年に入っても、日銀の金融緩和状況やFRBの金利動向を見ながら、この傾向を基調とした値動きを見せている(以下引用)。
といった具合である。
23年12月30日付東京新聞は、労働分配率に言及していた。「業績好調な大企業は株式市場をけん引した半面、稼ぎを人件費に回す割合『労働分配率』は4割ほどと過去最低の水準だ。識者は『大企業は賃金に回せる余裕がある』と指摘する」。
経済指標として重要なので、同記事を掲載しておく。
推移については、西日本新聞がバブル経済期との比較が分かりやすかった。
年明け2日までは、4万円突破もあり得るとの楽観的な見解を紹介する報道さえあった。
やがて、この予測通りの展開となるわけだが、今年最初の取引となる大発会を迎えた4日の東京株式市場は、日経平均株価が続落した。大発会での値下がりは2年連続。年明け1日に発生した能登半島地震の影響により売り注文が優勢となり「前年末終値比175円88銭安の3万3,288円29銭」となった(1月4日付共同通信)。
その後の値動きの報道を追っていく。反転して高騰していった。その勢いは止まらず、やがてバブル経済期の最高値を更新。3月に入ると史上初の4万円台を突破。中旬に入ると急落した。
3)動向から読み取れること
こうした値動きに楽観的な見解(23年11月29日配信 マネー現代 大原浩氏など)があり、確かに短期的にはインフレ基調が続いても、半導体関連株など業績好調な輸出型製造業を中心に、買われる流れが続く可能性はある。少子高齢化・人口減とは言っても、地政学的リスクや上場企業の高収益、ファンダメンタルズの総合評価として、比較的安全な資産と見られるからである。
短期的には、コストプッシュ要因のインフレ転換で現金の価値が低下し、投資に向かう動きが期待できたり、経済安全保障としての半導体需要の回復などを見れば、設備投資の国内回帰も一部期待はできそうだ。今年から始まった新NISAが株価上昇の後押し要因になっているとの指摘(1月10日付産経新聞電子版 矢嶋康次氏)は一見もっともらしい。
しかし、円安基調で海外収益が多い現状では、株価の実質的な価値は低いことが推察される。円安なので輸出関連企業株が伸び、海外投資家が買いやすいということだ。設備投資や新NISAの投資先も海外が多いというのが実態だろう。半導体関連株の伸びは、アメリカの態度が一昔前の日本潰しから一転し、対中政策の必要性から戦略物資として扱われているという事情が見え隠れしている。
輸出型製造業を中心とした利益拡大が価格転嫁に転じた経路から株価上昇を説明はできるが、国内の消費者物価へ波及した結果、実質賃金の下落が続いたとも言えそうである。何より、下請けの中小企業を圧迫している状況や、株主利益を重んじる近年の企業体質がある。内部留保を投資に回さない傾向もある。かつてのバブル経済期と違って生活実感が伴っていないのは、こうしたことが要因として考えられる。
長期的には、金融正常化によって円高傾向に戻れば、今回の株高の前提が崩れる。輸出関連製造業の利益が減るだろうし、投機的動機による売り注文が続出するだろう。戦略物資の半導体は日米協働の対中戦略の位置づけでしかなく、需要サイドを起点としていないという意味において、そこから派生する経済効果を保証するものではない。バブル経済期の日本で、世界的に売れていた商品を思い返すとよい。円高でも売れていたのは、ソニーのウォークマンに代表されるような研究開発投資の成果が、円高を補って余りある評価をされていたからであり、株高の恩恵も内需に還流される流れがあった。内需を支える「分厚い中間層」も健在だった。
今後の日米安保や日本を取り巻く地政学的リスクの情勢次第では、安全資産としての相対評価が続くとも限らない。主要国の中でも異常な債務膨張を放置したままだと、格付け機関から国債の評価が下げられて、円の価値が転落するリスクもある。相対的に、旧産業に留まる衰退国家としての側面が、株式市場でも目立ってくるだろう。
したがって、より根本的には、ディマンドプル要因のインフレへ転換する産業構造改革が不可欠になるが、これの先延ばしを続けると、時価総額ランキングで上位に食い込むGAFAMやテスラをはじめ、ChatGPTなどの情報産業の先をいく米国勢や、EV(電気自動車)シフトでテスラと接戦を繰り広げる中国の自動車メーカー大手のBYD(23年9月10日配信 東洋経済オンライン)などといった海外有力企業と水をあけられる状態が続く可能性が高まる。
悪循環である。相対的に少子高齢化・人口減を主因としたファンダメンタルズのリスクが目立つようになるので、ますます日本株は売られていく可能性が高まる恐れがある。どうすれば好循環になるのか、あらためて後述する。
その一方で、日銀が上場投資信託(ETF)を買い支えていることに懸念の声が上がり始めている。経済学者・中谷巌氏はその著書(『入門 マクロ経済学 第6版』)のなかで、株式市場の歪みを生じさせ、一種のバブルに陥っている可能性を指摘している。
また、日銀はYCC(イールドカーブ・コントロール)の長期金利の上限柔軟化を7月・10月と実施してきたが、これに伴い国債価格が下落して含み損が生じてる。仮に物価高対策で金融引き締め策に転じた場合、含み損を抱えた国債を売却することになるが、価格低下の損失をETFの売却で補おうとすると、株価急落を招く恐れがあるとの指摘がある(11月30日配信 THE GOLD ONLINE編集部)。MMTでは新規国債発行で補えばよいと考えるのだろうが、この点もあらためて後述する。
▢ジニ係数・貧困率
所得格差がどの程度かを数値で表す指標として、「ジニ係数」を呼ばれるものがある。0から1の範囲で格差が小さいほど0に近づき、大きいほど1に近づく。日本はバブル崩壊後、当初所得では拡大傾向が続く一方、税金や社会保障の再分配後は0.3台で維持してきた。推移については令和2年版厚生労働白書 図表を参照されたい。
1)最新の動向
同省が今年8月22日に公表した21年調査結果によると「再分配前の当初所得で前回17年度調査から0.0106ポイント悪化に転じて0.5700、格差が過去最大だった14年とほぼ同水準となった。調査対象は新型コロナウイルス禍で初の緊急事態宣言が出るなどした20年の所得。非正規雇用労働者らの雇用が打撃を受けた結果、格差が広がったとみられる。再配分後は0.3813で0.0092ポイント悪化。当初所得のジニ係数と比較すると33.1%改善した」という(23年8月22日付時事通信電子版・23日付東京新聞より再構成)。
2021年3月5日公表の日本総研調査(3頁)によると、先進国の所得格差はアメリカが顕著だが、格差が小さいとさる北欧諸国においてもみられる傾向だという。G7にスウェーデンを加えたジニ係数では、日本はアメリカに次ぐ水準で推移している。2015年8月28日 みずほ総合研究所『日本の格差に関する現状』(8頁)) によると「OECD加盟平均をやや上回り、先進国の中では所得格差が大きい」。
2)相対的貧困率について
他方、格差を検証するうえで欠かせない指標が「相対的貧困率」と呼ばれるものである。可処分所得を他者と比べてみたとき、中央値の半分未満の人の割合のことをいう。
この長期的な推移については厚生労働省「2022(令和4)年 国民生活基礎調査の概況」14頁 が分かりやすい。これによると、1985年以降、10~15%程度の割合で、なだらかなカーブを描きながら上昇傾向にある。この要因として、高齢化率の上昇が関係している可能性がある。一般的に、年金生活者は現役世帯と比べて可処分所得が減少すると推察されるからである。国際比較では「G7の中で米国に次いで高い」とされる(前出 みずほ総合研究所『日本の格差に関する現状』10頁 参照)。
ちなみに、平成不況に入って急増したのが「子どもがいる現役世帯のうち大人が一人の世帯の貧困率」である。いわゆるシングルマザーと呼ばれるようなひとり親世帯・母子家庭のことと思われる。97年頃の63.1%をピークに減少傾向にあるが、直近の21年で44.5%となっており、相対的貧困率より高い水準となっている。単身・非正規雇用女性の貧困化も深刻だ(23年11月21日付毎日新聞電子版 政治プレミア)。
3)その他指標
それでは、所得と貧困率の推移はどうか。23年9月3付日東京新聞電子版によると、「問題は所得の低下と貧困率の高止まり傾向」「直近では改善が見られるものの、中間層の所得はやせ細り、それは国民の意識にも表れている」という。前出の永濱氏は、日本も欧米と同じく格差が広がっていることを認めつつ、経済成長が停滞しているので全体的に貧困化していると指摘している(23年11月27日配信 THE GOLD ONLINE)。
貧困状況を考えるうえで、「エンゲル係数」も参考になる。家計の消費支出に占める食糧費比率のことだが、比較可能な2000年以降右肩上がりで上昇し、特に2015年頃から急激に上昇している(23年10月11日配信 第一生命経済研究所 熊野英生氏「エンゲル係数が過去43年間で最高域」図表1参照)。総務省調査では、1~9月の月平均が26%を超え、比較可能な過去の平均を上回ったという(23年11月22日付東京新聞)。
「ジニ係数」「相対的貧困率」それぞれの定義については、やや古い資料だが、平成29年版 厚生労働白書(58頁)に比較的分かりやすい資料が掲載されていたので、詳しくはそちらを参照されたい。
▢完全失業率・有効求人倍率
完全失業率は、新型コロナウイルス感染症の流行・政府の対応と歩調を合わせるように昇降している。具体的には、緊急事態宣言が発出された2020年4月頃から上昇し、同年10月に3.1%でピークとなった(総務省労働力調査 2020年10月分)。外出自粛に加え、飲食店など特定業種の休業要請や時短営業に伴い、非正規社員を中心に解雇されたことが影響していると推察される。
他方、2020年平均の有効求人倍率は1.18倍で11年ぶりの悪化、45年ぶりの下げ幅を記録している(2021年1月29日付日本経済新聞電子版)。また、同年「8月、9月の1.03倍を底に上昇を始めた」(2023年8月4日配信 日本経済研究センター 第図4参照)。
その後、両者ともに回復傾向にあったが、23年に入って完全失業率が急上昇する局面があった。有効求人倍率は低下傾向にある(同上)。
8月30日付東京新聞によると「総務省が発表した7月の完全失業率は、前月比0.2ポイント上昇の2.7%。物価高による生活苦や企業の賃上げを背景に、新たに仕事を探す女性が増えたものの、まだ職に就けていない人が多いことが要因。有効求人倍率は前月を0.01ポイント下回る1.29倍だった。3ヵ月連続で低下した。厚労省は求人数が横ばいだったのに対して有効求職者数が0.9%増えたことが要因とした。物価高で勤務先が倒産したり、人手不足による長時間労働を嫌って離職したりして仕事を探す動きがある」。
結局、厚生労働省の年明け1月30日の発表によると、23年の有効求人倍率は1.31倍と前年から0.03ポイントの伸び。上昇は2年連続だったが、新型コロナウイルス禍から雇用環境が回復したものの、伸び率は前年より鈍化。完全失業率は2.6%と横ばいの結果となった(1月30日付 日本経済新聞電子版)。
長期的な傾向を見ると、リーマン・ショック後の悪化状況から回復傾向にあると言えるが、リーマン・ショック後ほどではないにせよ、新型コロナウイルス禍の影響で再び悪化して持ち直しつつある状況である(厚生労働省 令和4年版 労働経済の分析)。
▢倒産状況
2020年の新型コロナウイルス流行以降、発生累計件数は右肩上がりの状況が続いている(23年9月29日付帝国データバンク)。月次では2020年3月に始まった実質無利子・無担保融資(ゼロゼロ融資)の影響で一時的に減少したが、以後増加・小康状態を経て、22年から増加傾向にある。特に今年に入ってから、ゼロゼロ融資の返済が本格化(国の利子負担3年間の期限切れによる)しており、物価高や人件費増を価格転嫁できない中小企業を中心に目立ってきている(23年11月9日 商工リサーチ 全国企業倒産状況)。一部で「賃上げ倒産」が指摘されている(23年12月3日付夕刊フジ電子版)。
今年に入ってからも倒産に関する報道が続いている。
▢上場企業の利益拡大
円安基調や新型コロナウイルス禍の収束を背景に、自動車などの輸出型製造業を中心に業績が好調である。
▢消費の低迷
消費は経済全体の約6割を占める。1980年代以降、消費水準は低下基調で推移しており、80年代半ば以降、限界消費性向は低下した(平成24年 厚生労働省 「分厚い中間層の復活に向けた課題」第2節 160頁)。先述の通り内需(GDPの約7割)に占める個人消費の割合は半数以上となっており、景気への影響が大きい。
内閣府が公表した2023年4~6月期のGDP速報値によると前期比0.5%減、7~9月期の速報値によると0.04%減、総務省が発表した7月の消費支出は、前年同月比の実質で5.0%減(5ヵ月連続の減少、2年5ヵ月ぶりの下落率)となっている。
推移について、毎日新聞の記事を掲載しておく。
中小企業の従事者(雇用者の70%以上)を中心として、物価高に伴う実質賃金の低下や社会保障費の増加、年間相対比の税負担が増えることによって可処分所得が減少していることが原因と考えられるが、先述のエンゲル係数の上昇は低所得者を中心に限界消費性向が増加しつつ、下級財へ切り替えながら基礎的消費への依存度が高まっていることが推察される。
その後の直近のデータを報道から引いておく。
▢貯蓄動向
資本蓄積を通して、経済成長の源泉となり得る指標である。
前出の中谷氏の前掲著によると、家計貯蓄率の長期的な傾向は、高度成長期に消費を上回るスピードで所得が伸びたため、その分、貯蓄に回ったとされる。そのため1970年代の貯蓄率は毎年20%を超えていたが、第1次石油危機後の74年以降低下した。その理由として「①経済成長率が低下すると所得から消費に回す割合が増える。②ライフサイクル仮説によると若年層より老年層の貯蓄率が低いので、高齢化が進んで低下する。③金融制度の拡充。④ダイナスティ仮説の非現実化」を指摘している。
その後、80年代から2010年代にかけて低下基調だったが、2014年にマイナスを記録して反転。上昇傾向となった。日本経済研究センターの齋藤潤氏は「①消費税率引上げの影響 ②変動所得の比重増加の影響 ③財政や社会保障の先行き懸念」をその理由として挙げている(2022年2月1日配信 日本経済研究センター 「齋藤潤の経済バーズアイ」)。20年度は前年度の3.7%から13.1%への急上昇している。政府が給付した特別定額給付金の影響が考えられる(同上)。
その後反転したものの、20年4月~22年3月までの貯蓄率は比較的高い水準で推移しており、物価高に直面したとき、将来への支出に備えて貯蓄を増やすという日本の家計行動が指摘されている(2022年8月30日配信 第一生命経済研究所 熊野英生氏「消費に回らない強制貯蓄70兆円」)。最近では若い世代が将来不安から貯蓄を増やしているとの指摘(23年11月25日付日刊ゲンダイ電子版)があるが、この行動を裏付けている。
若い世代の貯蓄行動については、内閣府が2018年に行った調査からも推察される。老後の生活設計については早くから考えており、その理由は「老後の生活が不安だから」が若い世代ほど多い結果となっている。前出の大前氏の前掲著(『日本の論点2024-2025』)によれば、「日本人が貯蓄好きなのは終戦後の教育の影響が大きい」という。
元日銀局長・田辺昌徳氏によると「日本でも第2次大戦時には政府は国債を日銀に直接引き受けさせて得たお金で軍備を増強、敗戦時も同じ仕組みで旧軍人への退職金などを払った。お金が一気に大量に刷られたため終戦後はインフレになり、これを抑えようと人々は強制的に預金させられた(23年11月19日付東京新聞)」。政策的な意図で貯蓄が奨励されていたことがうかがえる。
他方、家計(個人)の金融資産も増加傾向であり、資金循環統計(23年1-3月期)では2,043兆円、その後(23年4-6月期)は2,115兆円、(23年7-9月期)は2,121兆円と過去最高を更新している。前出の大前氏はその著書『シニアエコノミー: 「老後不安」を乗り越える 』で、「個人金融資産の6割超を60歳以上が保有」しており、ほとんど使わず「平均3000万円ほどの資産を持ったまま墓場に行く」と指摘している。
最後に企業の内部留保だが、財務省の法人企業統計によると、近年右肩上がりで積み増している。経常利益はリーマン・ショック、新型コロナウイルス感染症の時期に一時的な落ち込みを見せたが、上昇傾向にある(23年9月1日付読売新聞電子版)。内部留保(利益剰余金)はP/L(損益計算書)では当期純利益として、B/S(貸借対照表)では純資産として計上されるため、利益を出し続ければ年々積みあがっていく仕組みになっている。
後述する民間投資の低調ぶりから、企業は将来的な見通しに明るい材料を見出せず、一定程度内部留保をすることでリスクを回避しようとしていることが推察される。
▢国民負担率
序論で述べたように、保険料負担増・増税によって可処分所得が減少してる可能性がある。東京新聞は23年12月30日の社説で「所得に占める税や社会保険料の負担割合を示す国民負担率は、70代が30代だった時代には約3割でしたが、今は5割に迫り、実質的に賃金の半分しか手にできていないのが現状です」と指摘している。財務省発表の「国民負担率(対国民所得比)の推移」を参照されたい。
▢国際収支の動向・世界経済の見通し
最新の状況を振り返る前に、その内訳や定義、近年の推移を確認してみよう。
1)国際収支の定義を振り返る
中谷氏の前掲著によると、国際収支は経常収支・資本移転等収支・金融収支に分類される。経常収支の定義は、
という関係になっている。
2)近年の国際収支
さて、財務省の「令和4年中 国際収支状況(速報)の概要」から、近年の国際収支の推移を振り返ってみよう。
1996年以降、貿易収支は黒字だったが、2011年の東日本大震災で赤字になった。企業の海外展開や現地生産の進展によって輸出の増加ペースが鈍化していることや、原子力発電所の停止によって鉱物性燃料の輸入が増えたこと、原油価格の上昇などが影響していると考えられる。16年から僅かながら黒字計上をしつつあったが、22年は大幅な赤字転落となっている(「令和5年10月中 国際収支状況(速報)の概要」参照)。ロシアのウクライナ侵攻に伴う物価高や円安の影響が考えられる。23年に入り縮小傾向にあるが、今後の推移が注目される。
それに対して、インバウンドが注目されるサービス収支はコロナ禍前の19年頃まではマイナス幅を縮めていたが、以後、振り戻しの傾向にある。
一貫して増加傾向にあるのが、第一次所得収支である。対外資産が経常収支の黒字の累積で積みあがっており、そこから得られる投資収益の増加によるものとされる。経常収支の大部分は第一次所得収支が稼いでいるといった状況になっている(中谷氏 前掲著から一部引用して考察)。
GDPを考えるうえでは、貿易・サービス収支の「純輸出」が関係してくる。内閣府が公表している最新データは2021年度「国民経済計算」だが、「国内総生産(支出側)・名目・年度」によると、国内総生産は約551兆円、財貨・サービスの輸出は約104兆円となっており、輸出の占める割合が約19%となっている。輸入を控除した純輸出は、約7兆円の赤字である。22年度は未公表だが、貿易収支の赤字幅を考えると、純輸出の赤字幅は膨張していることが推察される。
3)国際収支の近況
財務省が発表した23年6月中の国際収支速報によると、今年は経常収支が伸びており、貿易収支は、22年から一転して3287億円の黒字となっている。21年10月以来、1年8ヵ月ぶりという(23年8月8日付ロイター電子版)。「原油高の一服で輸入額が減った一方、半導体不足の緩和で輸出が伸びた(23年8月9日付東京新聞)」。「(貿易収支の)内訳は輸出が0.5%増の8兆6302億円、原油価格が円ベースで25.0%下落したことなどから輸入は14.3%減の8兆3016億円となり、輸入の大幅減が収支改善の主因となった(同上)」。
ただし、サービス収支は3582億円の赤字で、貿易・サービス収支合計で295億円の赤字、すなわち純輸出が同額の赤字となっている。ただし、「訪日客が増えて、旅行収支の黒字額は前年同月比約11倍の2948億円。比較可能な1996年以降で最大だった20年1月(2962億円)に次ぐ大きさで、新型コロナウイルス禍が本格化する前の水準に戻った(同)」のは「水際対策緩和による訪日客増を反映(同)」してのものとされる。
第一次所得収支は1兆6,825億円の黒字だが、前年同月比1,670億円のマイナスである。
・同23年度上半期(4~9月)の国際収支速報によると、経常収支が継続して伸びており、12兆7,064円の黒字。前年同期の3.0倍で、比較可能な85年度以降、年度の半期ベースで最大(23年11月10日付東京新聞)。貿易・サービス収支の赤字は継続(貿易収支の赤字幅は縮小)しているが、旅行収支の黒字幅拡大が継続してサービス収支の赤字幅が縮小。黒字額1兆6,497円は比較可能な96年度以降で最大。前年同期の15.0倍となった。コロナウィルスの水際対策緩和で訪日客が急増したことが指摘されている(同)。
第一次所得収支は18兆3,768億円の黒字。前年同期比6,942億円プラスで黒字幅拡大。比較可能な85年以降最大を更新(同)している。
・同23年10月中の国際収支速報によると、経常収支は2兆5,828億円で黒字を継続。貿易・サービス収支は1,290億円の赤字継続(前年同月比2兆4,538億円プラスで赤字幅縮小)。ただし、サービス収支自体は旅行収支の黒字幅拡大などにより、3,438億円の黒字(前年同月比1兆480億円のプラスで黒字転化)。第一次所得収支は3兆508億円の黒字(前年同月比3,244億円プラスで黒字幅拡大)である。
・「財務省が24日発表した2023年の貿易統計速報(通関ベース)によると、輸出額から輸入額を差し引いた貿易収支は9兆2,914億円の赤字となった。赤字は3年連続だが、赤字幅は前年の20兆3,295億円から半減した。資源高が一服したことで輸入額が減った一方、輸出額は過去最大となった。(1月24日付時事通信電子版)」
・同23年(令和5年中)の国際収支速報によると、経常収支は20兆6,295億円の黒字で、前年比92.5%増となりほぼ倍増。2年ぶりの拡大となった。
貿易・サービス収支は9兆8,316億円の赤字だが、前年比11兆4,407億円のプラスで赤字幅縮小。貿易収支は6兆6,290億円の赤字だが、前年比9兆1,146億円のプラスで赤字幅縮小(57.9%減)。輸出は1.5%増の100兆2,743億円で、初めて100兆円を超えた。半導体不足の緩和を受け自動車が伸びた。輸入は資源高が一服。原油や石炭が減少し、6.6%減の106兆9,032億円。
サービス収支全体は3兆2,026億円の赤字だが、前年比2兆3,261億円のプラスで赤字幅縮小。訪日客が日本で使った消費額が増えて、旅行収支の黒字額が比較可能な1996年以降で最大(前年比で約5.5倍の3兆4,037億円)を記録した。第一次所得収支は34兆5,573億円の黒字(前年比0.3%増で952億円のプラス)。比較可能な85年以降で最大。海外の金利上昇や、円安により円換算した時の受け取りが膨らんだことが要因とされる。
SMBC日興証券の宮前耕也シニアエコノミストは24年の見通しについて、原油価格下落や訪日客の消費拡大が続くとして「経常黒字は23兆円前後に拡大する」と話す(2月9日付 東京新聞 参照)。
4)世界経済の見通し
東京都立大学教授の宮本弘曉氏によると「国際通貨基金(IMF)は2022年7〜9月期に世界の総合インフレ率はピークに達したとの見解」を示しており、「完全な形で金融引き締めによるインフレ鎮静化は、2024年までは見られないと予測」しているという(23年11月月17日配信 THE GOLD ONLINE)。各機関の予測は以下の通りである。
どれも共通して挙げているのが、中国経済の減速が世界経済に与える下押し圧力である。各種報道によると、4-6月期のGDPは前年同期比で6.3%増加したものの、コロナウイルス対策で上海が都市封鎖され、昨年同期に0.4%増と下落したことへの反動が大きい。7月の消費者物価指数が前年同期比で0.3%下落しており、デフレ懸念から中国人民銀行(中央銀行)は利下げを始めている。
こうした状況下、アメリカは中国からの輸入を減らして、輸入先首位から3位となった。「中国は低価格とサプライチェーン(供給網)の集積を武器に国際貿易で地位を高め」ていたが、トランプ政権以降の制裁関税を続けていることが関係しているという(23年7月14日付日本経済新聞電子版)。
その一方で、少子高齢化に伴う人口減少、不動産バブルの崩壊が日本と似ているとの指摘がある(23年8月月18日付東京新聞電子版)。浙商銀行の殷剣峰・首席エコノミストは東京新聞のインタビューで、基本的にはその認識を認めつつ、高度経済成長時代の日本と異なり内陸部では発展の余地がある可能性や、かつての日米貿易摩擦と異なり、デジタル経済や新エネルギーで米国に屈することなく世界をリードしていく可能性を指摘している(同電子版)。
23年後半に入ると、中国の不動産不況や原発処理水への対抗措置の影響が目立ってきた。今年に入って、アメリカは比較的堅調な状態を保っている。両国ともに日本にとって主要な貿易相手国だが、とりわけ主要な輸出先である中国の景気動向は、内需縮小を補う観点から注意が必要である。
しかし、次のような報道は、中国当局のお手盛りとして、割り引いて受け取るのが賢明だろう。
中国はこうした中、経済成長率を上回る勢いで国防費を増やしている。台湾を巡る地政学的リスクが高まりを見せている。以下は3月5日付ロイター電子版から。
世界経済については、1月5日付読売新聞電子版が、国連の24年見通しを報じている。世界の経済成長率が推定2.4%で、23年の2.7%を下回ると予測。米国が個人消費や労働市場などの低迷で23年の推定2.5%から1.4%に低下。日本は23年の1.7%から1.2%に減速、中国は23年の5.3%から4.7%に低下。インドはほぼ横ばいの6.2%と予測している。
その後の報道をフォローしておく。
5)インバウンド(訪日旅行客)
ところで、日本のインバウンド(訪日旅行客)がコロナ禍前の水準に回復してきたと言われるが、具体的な状況を見てみよう。
まず、財務省が昨年12月6日に発表した国際収支速報によると、旅行収支は3207億円の黒字で、前年同月の786億円から大きく伸びている(23年12月8日付東京新聞電子版)。
一方、「国土交通省の外局である観光庁の調査では、7~9月期の訪日客による消費額は約1兆3900億円と3カ月ベースで過去最高を記録」し、通年では19年の約4兆8000億円を上回る可能外があるという(23年10月22日付同紙電子版社説)。自動車(約12兆円)、化学製品(約8兆7000億円)に次ぐ規模で、半導体関連の電子部品(約4兆円)、鉄鋼(約3兆1千億円)なども上回る規模であるという(同社説)。
この点について前出の大前氏はその著書(『日本の論点 2024~2025』)で、7~9月期の訪日客がコロナ禍前の19年同期の17.7%増であることを指摘したうえで、3割~4割を占めていた中国人訪日客が戻り、観光資源を活かして観光客が増えれば、19年の旅行市場規模全体の27.9兆円を超え、50兆円に届くと主張している。日本のGDPの約10%に相当し、大きな経済効果を期待できるという。
ただし、訪日宿泊者のの7割が三大首都圏に集中していることや、オーバーツーリズム、一部のマナーの悪さなどといった課題もある(前掲社説)。大前氏は同著で、空き家の活用やワーキングホリデー人材の利用を提案している。
インバウンドの好調ぶりはこの後も続いている。
▢人口動態(少子高齢化・人口減少)の状況
よく知られているように、少子高齢化の影響で2008年をピークに国内人口が減り始め、高齢化率が上昇するとともに若年人口が減り続けている。
厚生労働省が6月2日に公表した2022年の人口動態統計によると、出生数は統計を取り始めた1899年以降初めて80万人を割り、合計特殊出生率は1.26で05年と並んで過去最低となった(23年6月2日付毎日新聞電子版)。その後の調査によると、子育て世帯は2割を下回った(23年7月4日配信 NHK)。
厚生労働省が昨年11月24日に公表した人口動態推計の速報値によると、23年1~9月期の出生数は前年同期比5.0%減で、このペースで進めば23年通年で70万人台半ばとなり、過去最少を更新する可能性があるとされた(23年11月24日付産経新聞電子版)。その後厚生労働省は速報値を更新(1月23日)し、同年1~11月の出生数が前年同期比5.3%減の69万6,886人だったことを公表した(1月23日付 共同通信電子版)。12月も同じペースなら「70万人台半ば」で、「過去最少となる可能性」がさらに高まったことになる。
※この後、この見通しの出生数は上振れしたものの、過去最少の更新は確定した。東京新聞の報道から引いてみよう(2月28日追記)。
こうした中、いわゆるZ世代の6割が「一生独身でも気にならない」、5割が「将来子どもはほしくない」との民間調査さえ出てきた(23年12月31日付まいどなニュース)。
他方、65歳以上の高齢者人口も増加の歯止めがかからない。総務省が9月17日に公表した人口推計によると、総人口に占める割合(高齢化率)が29.1%で過去最高を更新して世界トップ、80歳以上も初めて1割を超えた(23年9月17日付朝日新聞電子版)。
将来推計について厚生労働省が公表している推計によると、合計特殊出生率がやや楽観的な1.33~1.36を程度見積もられており、2040年の総人口は1億1,284万人、生産年齢人口(15歳~64歳)は約55%、高齢化率は約35%、
2070年の総人口は8,700万人、生産年齢人口は52.1%、高齢化率は38.7%となっている。注釈に書かれているが、2025年以降は2017年以来の推計となった厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所が発表した「日本の将来推計人口」令和5年推計の推計が出所となっている。
東京大学教授の宇野重規氏はこの「将来推計人口」について、推計の変化の要因として、合計特殊出生率がほとんど変化していないので、外国人の割合が増えた結果になっていることに疑問を呈している(6月11日付東京新聞)。2020年時点で2.2%だった割合が、70年に10.8%も占める計算になるが、それだけ来てくれるのか、というのだ。
早急な受け入れ体制の整備が必要とするが、確かに移民に関する議論が不完全な段階で、人口動態に影響を及ぼす要因として推計に組み込んでしまうのは、早計の感をぬぐえない。
全体として人口減少・少子高齢化が深刻化していく中、東京一極集中の一方で、地方衰退の傾向が止まらない状況も深刻である。
国立社会保障・人口問題研究所が昨年12月22日に公表した「地域別将来推計人口」によると、2050年には東京都以外の46都道府県で75歳以上の総人口が20%を超えて高齢化が加速。その一方で「生産年齢人口」が半減する自治体が4割を超え、存続が危ぶまれる自治体も生まれるという(23年12月22日付 朝日新聞電子版)。2月11日には20年と50年との比較が公表され、共同通信の分析が同様の予測を示している(2月12日付東京新聞 参照)。
23年実績で、すでにこの傾向が現在進行中であることを確認できる。総務省が1月30日に公表した23年の人口移動報告によると、東京都は転入者が転出者を上回る「転入超過」が6万8,285人となり、前年の80%増、新型コロナウイルス感染拡大前の19年(8万2,982人)に近づいたという。東京圏(埼玉、千葉、東京、神奈川)も転入超過が27%増の12万6,515人だった(1月31日付東京新聞)。
こうした傾向が続くと、地域経済が縮小するだけでなく、自治体や警察・消防などの行政サービスも存続が難しくなる恐れがある。その他、出生数の減少は一時的なものかどうか検討が必要としているが、一極集中の件と合わせて、この点は解決策で考察しよう。
▢労働投入の状況
経済成長をするためには、労働投入量の増加が必要である。一般的には生産年齢人口(15歳~64歳)の内、労働力人口から完全失業者を除いた就業者数を見るが、先述の通り、この人口が減少していくことが推計されている。
作家でジャーナリストの河合雅司氏はその著書『未来の年表 業界大変化』で、「人口の未来は予測ではない。『過去』の出生状況の投影である」とし、人口減少がビジネスや公共サービスに与える影響に警鐘を鳴らしている。新規学卒者が減り続ける未来は出生数から推測可能だが、人事計画が実勢の減少スピードに追い付かず、年功序列や終身雇用を続けると閉塞感が広がる可能性があるという。
相対的に若者が減り、高齢者が増える状況になりつつあるなか、どのようにして生産年齢人口の減少分を補うのかが日本経済の死活問題となっているのだ。とりわけ、若年層の減少が深刻で各産業を侵食し始めており、多くの企業が争奪戦を展開し始めている。同著によれば、物流などの分野で後継者不足の問題もある。
一般的に労働市場への参加が期待されるのは、高齢者、女性、外国人、障がい者だろう。順番に参加状況を見てみよう。
1)高齢者
政府は先述の状況を鑑み、高年齢者雇用安定法を施行して就業機会の拡充を進めてきた。2021年4月から施行された改正高年齢者雇用安定法では、70歳までの就業確保を企業の努力義務として対象年齢の引き上げを図っている。
こうした規制緩和を背景として、高齢化率と比例するように高齢就業数も右肩上がりで推移している。総務省統計局が23年9月17日に公表した資料によると、2012年が596万人だったのに対し、2022年には912万人である。10年間で実に約53%も増加している。全就業者数に占める割合で見ると、9.5%から13.6%の増加である。この間、男性が女性をやや上回る割合で約6割~5割弱で推移している。
同じく22年のデータで内訳を見ると、「役員(12.1%)」「自営業主・家族従事者(29.2%)」以外の「役員を除く雇用者(58.7%)」が生産年齢人口減で期待される属性となるが、雇用形態は非正規が76.4%となっている。産業別では「医療,福祉」が10年前の約2.7倍に増加していることが特徴的である。
2)女性
総務省が今年の21日公表した2022年の就業構造基本調査によると、働く女性は3,035万4,000人で過去最高となった(23年7月21日付共同通信電子版)。65歳以上は高齢者として概観したので、ここでは生産年齢人口(15歳~64歳)における女性の参加状況を見てみる。
「男女共同参画白書 令和4年版」によると、1981年・2001年・2021年を比較した場合、M字カーブが浅くなってきていることを確認できる。中間層の衰退に伴う共稼ぎ世帯の増加、子育て支援体制が整備されてきたことが考えられる。就業率は2005年の58.1%から、2021年は71.3%まで増加している。雇用形態は非正規雇用が男性と比べて高い傾向がある。
厚生労働省の2020年資料によると、産業別では「医療,福祉」従事者が最も多く、次いで「卸売業,小売業」となっている。やはり、「医療,福祉」のほか、「公務(他に分類されるものを除く)」の増加者数が多い。
また、同年7月19日発表の「女性活躍に関する基礎データ」によると、管理職相当の女性割合は増加傾向にあるが、諸外国が概ね30%以上となっているのに対して、21年は13.2%となっている。
一方、厚生労働省が1月30日に公表した集計結果よると、従業員300人超の企業に勤める女性の平均賃金が男性の69.5%にとどまる(1月31日付東京新聞)。
3)障害者
健常者との雇用機会を均等にする観点から、民間企業には法定雇用率以上を雇用することが義務付けられている。令和3年版 障害者白書によると、2012年までは1.8%、2013年以降2017年までは2.0%、2018年4月以降は2.2%、23年現在は2.3%と徐々に引き上げられていった。厚生労働省は24年に2.5%、26年に2.7%と今後も段階的に引き上げる方針を発表している。
以前は身体・知的障害者だけだったが、2018年の法改正により精神障害者も算定対象に加わった。2020年の法改正で、「障がい者雇用に関する優良な中小事業主認定制度の創設」「短時間労働者の特例給付金制度」が打ち出された。
ただし、法定雇用率を達成した企業の割合は2022年で48.3%であり、増加傾向であるものの、約半数が未達成というのが現状である。また、こうした状況から非正規雇用が多く給与水準が低い傾向があり、単純に健常者と同一に扱えない。業務内容については、障害特性に応じた支援を行うために「特例子会社」と呼ばれる会社があるが、グループ内の定型業務を親会社から受託している。健常者並みに能力を活かせる働き方ができるのは、ごく一部というのが実情である。
また、離職が多いという問題もあり、就労移行支援事業者と連携しながら定着率を上げる取り組みがなされている。
そのため、労働人口への寄与度をどのように考えればよいのか難しい側面があるが、2022年厚生労働省資料によると、就業率は2004年の1.46から21年の2.20と右肩上がりで増えている。2017年公表の厚生労働省資料によると、産業別では、ここでも「医療,福祉」が頭一つ抜けており、次いで「生活関連サービス業,娯楽業」などとなっている。
なお、東京新聞の報道によると、法定雇用率が4月から、現在の2.3%から2.5%に引き上げられる(2月12日付)。
4)外国人
以上、概観した通り、高齢者・女性・障害者雇用は増加傾向にあり、総務省の2018年の白書によると、高齢者・女性については世界的にも高い水準に近づきつつある。
しかし、生産年齢人口の減少分をこれら属性でどれだけ補えるのか、この増加傾向を以て大きなインパクトを期待することはできない。先述の引用データが示す通り、国内は今後も相対的に若者が減って高齢者が増え、全体の人口が減少しながら生産年齢人口がやせ細っていくので、これら属性の就業者数を増やしたとしても、この範囲でしか影響を及ぼすことができないからである。
そこで期待されるのが外国人労働力であるが、現状では参入障壁や雇用規制の問題、経済的にも魅力がなくなりつつあるといった課題がある。安易な移民政策が招く問題を指摘する声も根強い。1月5日付産経新聞電子版は、「文化や宗教、言葉の違いから、取り戻せないほどの治安悪化に苦しみ、ようやく移民政策の失敗を認めた欧米から学ぶことはないのか」としたうえで、青山学院大学大学院・福井義高教授の「安易な移民推進は自国民の所得を下げるだけで、企業努力を妨げる」との指摘を紹介している。
他方、外国人労働者数は近年、右肩上がりで増えてきた。厚生労働省が今年1月に公表した22年10月末現在の「外国人雇用状況」によると、2007年に届出が義務化されて以降、10年連続で過去最高を更新している。2008年では48万6000人だったのが、2022年は182万3000人となっている。累積総数は右肩上がりだが、対前年増加率では2012年にマイナス、その後2016年までプラスだったがその後マイナスが続き、21年に下げ止まってプラスに転じている。
2012年は東日本大震災の影響が推察される。2016年以降のマイナスは、雇用政策が実勢ニーズとの間にギャップが生じてきたことが考えられる。21年からの反転増加は、コロナ・ショックの反動だろう。
今後の寄与率を考えるうえで重要となってくるのが、雇用の内訳である。まず、「資格外活動」が一定数認められるが、不法就労リスクは排除しないとならないので論外である。技能実習生の割合も多いが、安い労働力として利用され、人権侵害が問題となっているので是正が必要である。期間が限定されているので安定性もない。
近年、看護師・介護福祉士候補者で注目されている経済連携協定は期間限定の就労・研修であり、国家資格取得後の滞在・就労が認められているものの、定着率は未知数である。ワーキング・ホリデーなどと並んで「特定活動」として数えられるが、現状、不安定と言わざるを得ない。
比較的期待できそうなのが、「身分に基づく在留資格(22年で32.6%)」、「専門的・技術分野の在留資格(同26.3%)」である。前者は結婚や長期滞在に伴う就労、後者は即戦力を買われての就労となっており、今後はこれらの割合を増やしていく必要がある。
従事している産業は、製造業に次いでサービス業が多い。
▢労働生産性
労働投入と同時に重要な指標となるのが、労働生産性である。
中谷氏の前掲著によると、新古典派成長理論では、労働力の伸び率に労働生産性を加えたものを「自然成長率」と呼び、財市場を均衡させる「保証成長率」と一致していく。このことを「均斉成長」と言う。
詳細は解決策の考察で後述するが、ここでは、マクロ経済理論においても、労働生産性が経済成長の要因の一つになることを押さえておきたい。
日本は先進国の中で労働生産性が低いと指摘されている。23年12月24日付読売新聞電子版によると、「(22年度の国際ランキングでは)経済協力開発機構(OECD)に加盟する38ヵ国中30位で、比較可能な1970年以降で最低だった」という。アメリカのIT企業誘致の遅れや「人への投資」を怠ってきたことが指摘されている。
先述の通り、日本はバブル崩壊後の平成不況・デフレ経済において、企業にとって都合がよく、安い雇用調整役として非正規雇用を増やしてきた。ITバブルが起こったが、初動の段階でデジタル投資を促す総需要管理政策を行っていれば不良債権処理はより早期に解決できていた可能性があったわけだし、製造業中心の産業構造から情報産業中心の産業構造への移行が比較的スムーズに行われ、長年にわたるデフレ経済に苦しむことも、時価総額ランキングで米国のようなデジタル産業と水をあけられる状況も回避できていたかもしれない。
新自由主義的な構造改革で総供給の非正規化を推し進めていった結果、総需要の中心的担い手が衰弱して中間層が減り、デフレの悪循環に陥った──。本稿での中心をなすこの問題意識は、産業構造の側面ではデジタル産業移行の失敗からくる景気後退の要因分析になるだろうし、労働生産性の側面では、DX投資の立ち遅れからくるGDP低下の要因分析になるだろう。
DX投資が遅れているのは、AI(人工知能)やRPA(ロボットによる業務自動化)も含まれる。例えば、次のような報道がある。
人的投資が進まなかったのは、デフレ経済における企業のマイナス期待の影響も考えられる。バブル崩壊後、お金を借りることが大変だったことのトラウマが内部留保を是とする流れができてしまい、経営者を通じて継承されていった。その結果、国内への投資が停滞したとの指摘がある(PIVOT公式チャンネル・新浪剛史氏)。
その他、1990年代から2000年代にかけて、成果主義が模索された時期があったが、十分に定着したとは言い難い。精神的負荷の高まりや他者と協調する企業風土の劣化がその理由として指摘されている(2月6日付 現代ビジネス電子版)。日本の場合、「和を以て貴しと為す」の文化的・社会的な伝統があり、気質に反する部分があったのではないのか。
この意味では、高度経済成長期を支えた新卒一括採用、終身雇用・年功序列、護送船団方式、株の持ち合いに代表される「日本的経営」は、気質に合っていたのかもしれない。先述の通り、中間層が形成されいったのは、これが上手く機能していた時代だった。長期雇用を前提に人的投資をして、回収してくことができた。若い社員は安い給料で雇用し、40代・50代と給与を増やして扶養家族への生活基盤を提供していくシステムだった。
しかし、デフレ経済、少子高齢化・生産年齢人口の減少による国内需要の低迷、国際競争力の低下に伴う低成長が顕著となり、企業もかつての余力がなくなった。代替手段としての成果主義だったが、期待通りにはいかなかった。内部留保や非正規雇用を増やして、長期雇用を前提にした人的投資をしなくなっていった。
「メンバーシップ雇用」で成果主義を採用すると、ライバルを増やすことになるから若手社員を教育しづらくなるとの指摘もある。「近年ではGoogle、マイクロソフト、アクセンチュア、GAPといったアメリカの大企業でも成果主義を排し、人物評価に切り替えて」おり、「成果だけを社員に求めるような経営では、会社を強くできないのが現実」なのだという(23年9月6日付 ダイヤモンド・オンライン)。
結果的に「均斉成長」が低い状態のままであることが考えられる。
▢技術進歩
技術進歩も経済成長の要因の一つである。よく知られているように、シュンペーターは、資本主義経済を発展させる動因が、大胆な企業家精神による技術革新にあることを指摘した。一般に、技術進歩があるとGDPが増加する傾向にある。技術革新の結果、労働生産性が上昇すると考えるのが代表的な考え方である。いくつかの実証研究で、技術進歩が経済成長の大きな役割を果たしていることが検証されている。
日本の場合、潜在成長率を資本、労働、TFP:全要素生産性(技術進歩・生産の効率化など)で分けた場合、バブル経済の崩壊までは潜在成長率が上昇し、資本投入やTFPの割合が増えつつ労働投入が減っていったが、その後、成長率は急激に低下し、労働投入がマイナス傾向、資本投入が急減、TFPは相対的に高い割合を維持しつつ、全体としては減少しながら推移している(ニッセイ基礎研究所資料参照)。
また、先述の通り、22年の労働生産性の国際ランキングでは経済協力開発機構(OECD)に加盟する38ヵ国中30位だったが、21年の27位から順位を落とした(22年12月19日付 共同通信電子版 参照)。労働・資本の投入量を増やすことはもとより、TFPを上昇させるためには、技術進歩だけでなく、低い労働生産性を向上させる必要がある。
バブル崩壊後のデジタル産業の立ち遅れについては、労働生産性の節で言及した通りである。中谷氏の前掲著によれば、1992年以降、日本の潜在成長率は低下した状態が続いている一方、アメリカは日本を上回ることが多くなった。その理由として、「情報技術の革新によって、産業構造が変化したため」として、GAGAMなどのIT・ネット関連企業の隆盛や、シリコンバレーの存在を挙げている。
この傾向は時価総額ランキングにも表れている。あらためて後述する。
▢財政政策の動向
近年の情勢を振り返って、最近の情勢を概観してから課題を考察する(引き続き中谷氏の前掲著を参考)。
1)財政状況
財務省公表の最新資料から、まずは破綻寸前と言われる財政状況を見てみよう。一般会計税収、歳出総額及び公債発行額の推移によると、歳出が税収を上回り、その差を公債(建設公債・特例公債)で賄っている状況が分かる。バブル崩壊以降は、この差が広がり続け、その分、公債発行数が増え続けている状況である。
この資料で「公債」というのは、いわゆる「国債」のことである(従って以下では「国債」と表現する)。「建設国債」は財政法第4条第1項のただし書きにもとづいて発行される国債のことを言う。同項では「国の歳出は原則として国債又は借入金以外の歳入をもって賄うこと」と規定されているが、MMT論者(積極財政派の三橋貴明氏や、最近では前出の森永氏ら)はこの均衡財政主義を批判している。財務省資料にもあるように、穴埋めの公債を「借金」と表現していることも議論が必要である。
この議論は後述の論点で取り上げる(財政収支の国際比較(対GDP比)参照)ので、ひとまず先に進もう。
「建設国債」は公共事業などの社会資本形成のために発行されるが、将来世代の便益につながるので、その返済の合理性が認められている。それに対して「特例国債」は、建設国債を発行してもなお歳入が不足することが見込まれる場合、公共事業費以外の歳出に充てることを目的に発行される。そのためマスコミ報道では「赤字国債」と呼ばれることが多い。近年は高齢化に伴う社会保障関係費の増大やコロナ関係支出などで、特例国債が増加傾向にある。
2)近年の動向とMMT
長期的な推移としては、戦後初のマイナス成長を記録した1974年以降、特例国債が増加傾向となり、税収も増加傾向が続いた。1980年代の緊縮財政の結果、バブル経済期に特例国債の発行がなくなったが、バブルが崩壊した1990年代に入ると、税収の不足分を補う形で再び増加しはじめ、建設国債を大幅に上回る状態が慢性化している。「財務省資料「公債債依存度の推移」」を見ると、歳入に占める国債の割合がいかに大きいかが分かる。この結果、国債残高は右肩上がりで累積している。
ここでMMTとの関係で問題となるのが、
・債務残高の国際比較(対GDP比)
・日本の主体別資金過不足推移
である。
日本の財政規律が緩んで債務(国債発行)残高が膨張しているとよく言われるが、ある意味で的を射た表現である。債務残高の国際比較で明らかなように日本だけが突出して多く、この数年で250%を超えている。この背景には、先述の社会保障関係費の増大をはじめ、財政支出の財源を特例国債の発行で賄い続けているという事情がある。
この状況は、第2次安倍内閣の発足以降の異次元緩和策で、中央銀行が民間の銀行から長期国債を大量に買い入れてきたことが関係している。よく知られているように、日本の財政法第5条では、原則として国債の中央銀行引受による発行を禁じている。そのため異次元緩和以降、新規国債を民間銀行経由で日銀が買い取っている状況が続いているが、間接的に日銀が買い支えているとも言うことができるので、事実上の財政ファイナンスではないか、との批判がある。
米国は債務借入残高の上限が停止される見通しとなったが、大前研一氏の『日本の論点 2024~2025』によれば、法定上限を120%としていたようだ。規制のない先進国もほぼ同程度の対GDP比であることを考えると、こうした特殊事情が上振れ要因になっていると考えるのが自然だろう。
金融緩和政策の詳細は後述するが、ここでは第2次安倍政権以降の日銀買入れがどれだけ甚大かを押さえておこう。
23年2月1日の時事通信電子版によれば、「日銀は1日、1月の国債買い入れ額が月間で過去最大の23兆6,902億円だったと発表した」。
そして1年後。年明け1月4日付東京新聞電子版によると、「日銀は4日、2023年に市場で買い入れた長期国債が113兆9,380億円だったと発表した。過去最大だった14年の119兆2,416憶円に次ぐ過去2番目の高水準となった。市場で長期金利に上昇圧力がかかる中、大規模な金融緩和策の一環で続けた金利抑制のための買い入れが膨らんだ」。
ところで、マスコミ報道では度々、累積する債務超過の状況を「(赤字国債という)借金が膨張して、将来世代へツケを回すことになる」と表現されることがある。MMT論者が問題にしているのはこの点である。日本の主体別資金過不足推移の表で確認できるように、B/S(貸借対照表)で考えると、政府純債務に企業純債務・海外純債務を加えた累計と比例して、ほぼ同額の家計純資産が発生していることが分かるからである。この問題もあらためて後述する。
3)2023年度の歳出・歳入
情勢の振り返りを続ける。23年度の一般会計歳出・歳入の構成で財政状況の内訳を確認してみよう。
歳入については、約3割が国債からの収入になっていることが分かる。ここでも特例国債の多さが際立っていることを確認できる。税収は増加傾向だが、物価高に伴う消費税の影響が大きい。
歳出については約2割の国債費に注意が必要である。内訳の債務償還費・利払い費について、「将来世代の借金(税収)で賄うことになるからツケを回す」と捉えるか、「新規国債の発行でいくらでも賄える」と捉えるか、という議論がある。MMTは後者の立場をとる。議論が必要な論点である。
4)近年の財政課題とMMT
この国債費は近年高い水準で推移しており、国債費を除いた政策的経費を圧迫している。財政が硬直化して、弾力的な財政運営を阻害する要因になっていると言われる所以である。地方交付税交付金等への支出も際立っているが、約3割を占める社会保障費をはじめとした諸経費の機動性を確保しないとならない。
他方、MMTの議論で問題となるのが、プライマリーバランス(基礎的財政収支)についてである。政策的経費を税収で比較したものだが、税収で賄えるかどうかで黒字か赤字になる。今年度の税収は69.4兆円、政策的経費は89.5兆円なので、約20兆円の赤字である。1993年以降、赤字が続いている。
90年代後半以降のデフレ経済期において、本来コストプッシュ・インフレ期に有効な総供給側の構造改革を推し進めてしまい、その結果デフレ・スパイラルを招き、GDP減少の遠因になったことが推察されることは先述の通りである。小泉政権の構造改革で一時的に景気回復傾向となったが、総需要サイドでは少子高齢化・人口減少に伴う内需縮小の問題、総供給サイドでは産業構造改革が先送りされ続けたので、実質賃金の減少やGDPの低下といった現状を招いていると考えられる。
本来は、デフレ期に総需要喚起策を行い、景気が上向いたところで供給サイドの産業構造改革を行う政策が適切だったのではないか。
しかし、橋本政権で実際に取られた政策は、真逆と言ってもよいものだった。本来、デフレを解消すべく需要を喚起してから産業構造改革を行うべきところを、緊縮財政を実施して需要を萎縮させ、構造改革(「6つの改革」)によって総供給を増やした。先述で「不適切」と表現したのは、適度なディマンプル・インフレの状態ではなかっただけでなく、産業構造改革でもなかったからである。総需要の減少局面だったことを考えれば、財源不足との判断があったとも言える。
小泉政権も、基本的にこの路線を踏襲し、90年代から拡大した財政赤字を、供給サイドの構造改革(郵政民営化や道路公団民営化など)によって対処した。この効果については議論の余地が残るものの、2002年頃から財政収支が改善し始め、2006年度にはプライマリーバランスを黒字化するという目標を掲げた。第2次安倍政権のアベノミクスも、黒田日銀総裁による異次元緩和への傾斜が強く、実体経済面への財政出動や成長戦略が奏功しなかった。そのため、実質的な円安誘導策となり、産業構造改革が先送りになった。後に安倍氏は積極財政に転じたが、デフレ期において、一貫して緊縮を続けた。
なお、「小泉政権時代、派遣労働を増やして格差が広がった」という俗説が散見されるが、実際は1985年の中曽根政権時代に労働者派遣法が成立し、翌年に施行。96年の橋本政権時代に派遣労働の対象業務を26業務に拡大。99年の小渕政権時代に原則自由化。2004年の小泉政権時代、製造派遣が解禁された。また、総務省による21年度「労働力調査」によると、全雇用者に占める派遣社員の割合は2.5%に過ぎない(一般社団法人 日本人材派遣協会 資料 参照)。
後述するが、この間行われた1999年2月以降の金融緩和政策は、総需要を持続的に喚起するほどの効果はなかったと言える。短期的には、流動性の罠に陥っていた可能性や、投資が利子率に対して弾力性ゼロに近づいていた(企業が低金利でも収益が見込めないと悲観し、積極的に融資を受けて投資をしなかった)可能性が考えられる。後述するが、第2次安倍政権以降の異次元緩和では、マネタリーベースを増やしてもマネーストックが思うように増えないといった傾向が顕著になった。
こうした中、MMTの積極財政派は、プライマリーバランス黒字化こそが財務省の悪しき方針であり、日本経済を悪化させている一因になっていることを批判している。政府の「骨太方針」では、昨年から「黒字化」目標が削除されたままだが、達成困難な情勢を踏まえてのものなのか、積極財政派を意識してのものなのか、その意図は不明である。ただし、今もって岸田政権は、黒字化目標への姿勢は変えていない。この点もあらためて整理する。
5)23年度歳出の特徴
債務超過の拡大・プライマリーバランスの赤字が続いている状況だが、今年に入ってからの情勢を概観し、どのような方向になりそうかを探ってみたい。
再び、一般会計歳出の内訳を見てみよう。「新型コロナ及び原油価格・物価高騰対策予備費(3.5%)」、「ウクライナ情勢・経済緊急対応予備費(0.9%)」が23年度ならではの特徴だろう。共同通信の独自調査によると、「20年~22年度の支出額に23年度見通しを合わせると、コロナ、物価高対策が約68兆5,000億円に上ることが分かった(8月20日付東京新聞)」という。
財源は「借金」として特例国債が充てられている。「防衛関係費(5.9%)」「防衛力強化資金繰入れ(3.0%)」も今後要注意である。
23年6月16日の参院本会議で、防衛費を関連予算を含めてGDP比2%程度に倍増する防衛財源確保特別措置法が成立したが、税収不足による国債発行や決算剰余金への依存が懸念される。
6)前回投稿以降の情勢を振り返る
新聞報道を引用・要約しなから時系列に情勢を概観し、そこから見えてくる課題を考察する。まずは情勢から。
6)-1:【骨太方針】
6)-2:【経済対策】
なお、ガソリン補助は5月以降も継続される見通しである。
6)-3:【補正予算】
6)-4:【無駄遣い是正】
6)-5:【防衛費】
6)-6:【社会保障分野】
前出の森永氏は「税金や社会保険料の負担増で、家計の可処分所得は、この30年で20%も減少している(23年11月25日配信 マネーポストWEB)」と指摘しているが、23年度歳出の一般会計予算では32.3%を占めており、少子高齢化の進展に伴い、今後も増加が見込まれる。一方で財政圧迫の主因の一つであることから、近年、負担増・給付減を巡って財務省・厚労省間の駆け引きが展開されている。引き続き引用する。
6)-7:【少子化対策】
2023年後半は、少子化対策の財源を巡って議論が交わされた。社会保障分野と密接不可分の様相を呈している。社会保障の歳出削減で社会保険料の伸びを抑制し、実質的な追加負担がない状態で子育て財源の「支援金」を上乗せ、子ども3人以上世帯へ、所得制限なしで「大学無償化」の是非が問われている。
引き続き引用しながら振り返る。
6)-8:【税制大綱】
その後、年明けの通常国会で、「中堅企業」の新区分創設へ向けた法改正案が提出された。
6)-9:【万博関係費】
財政負担の観点から取り上げられることが増えた。経済効果も気になる。
引き続き引用してみよう。
元日に能登半島地震が発生したこともあり、今年に入ってからも必要性の有無が議論されている。結局、岸田首相は1月22日、資材調達に関し、能登半島地震の被災地復興に支障がないよう進めることを斎藤健経済産業相に指示した(1月23日付東京新聞)。
6)-10:【国債費】
その後も膨張を知らせる報道が続く。
・日銀の国債保有割合、過去最大=9月末54%、買い入れ継続(23年12月20日付時事通信電子版)
・日銀、去年の国債購入113兆円 過去2番目の高水準(1月4日付共同通信電子版)
・27年度、国債費7.2兆円増 借金膨張と金利上昇、財務省試算(2月2日付共同通信電子版)
6)-11:【臨時国会閉会に伴う政策課題】
昨年の臨時国会は12月13日に閉会したが、財政に関して「議論がヤマ場を迎えた政策課題」を挙げる。
6)-12:【24年度当初予算案】
事実上の歳出増となった。
年明け1日、能登半島地震が発生。復興支援に伴う財政支出の経過は冒頭で概観した通りである。24年度予算案からは、予備費を5,000憶円から1兆円に倍増させて復旧・復興に充て、財源は新規国債発行を増やす内容で閣議決定されて通常国会に提出されていた。
今年の通常国会は、自民党派閥の政治資金パーティー裏金事件を巡る追及で紛糾した。衆院予算委員会では大幅な時間をこの問題に割いていたという印象がある。こうしたなか、衆院予算委員会の小野寺五典委員長(自民党)が2月29日の理事会で、24年度予算案を3月1日に採決する日程を職権で決めた。これを受け、衆院議員運営委員会の山口俊一委員長(同)も予算案採決のための本会議を1日に開くと職権で採決した(3月1日付東京新聞)。
これに対して野党側は審議時間がたりないとして4日の採決を求めたが、自民党が2日の採決を譲らず、与野党の攻防は1日深夜まで続いた。事態打開のため自民、立憲の両党幹部が水面下で接触、2日の予算案採決で大筋合意した。予算委員会の審議、採決が土曜に開催される異例の展開となった(3月2日付朝日新聞電子版)。
衆院通過の様子を3月3日付東京新聞は、次にように報じた。
予備費倍増、財源として新規国債の追加発行を除けば、当初予算案とほぼ変わらないようだ。
7)前回投稿以降の情勢における課題
さて、前回投稿以降の情勢を振り返ってみたが、そこからどのような課題が考えられるのか。筆者の私見を述べてみたい。
7)-1:【国債費という難題】
24年度の一般会計予算案が閣議決定されたが、実質的に前年比増ということで、補正予算と並んで膨張傾向にある。財政の問題を考えるにあたって、年々深刻になっているのが対GDP比の債務残高である。24年度の一般会計案では1.9%減とされたが、先述の通り先進国の中でも突出しており、近年では250%を超えているといった状況をどう捉えるのか、といった問題がある。
その内訳も特例国債(赤字国債)が多い状態が常態化しているのは、制度から言って異常である。依然として政策的経費を圧迫している。内閣府は22日、2025年度の国と地方の基礎的財政収支(プライマリーバランス、PB)が1.1兆円の赤字になるとの試算を公表した(1月22日付日本経済新聞電子版)。今後も国債費が政策的経費を圧迫している状態を放置すれば、プライマリーバランスは赤字であり続けるだろう。7月・10月の金融政策修正によってYCC(イールドカーブ・コントロール)が柔軟化されたが、その影響も利払い費増という形で表れ始めている。
7)-2:【債務膨張から見える課題】
MMTの積極財政派はこの問題について、同額の民間資産が発生しており、自国通貨建て国債だから、過度なインフレにならない限りいくらでも賄える、と主張するのだが、金融緩和策を正常化すれば当然、含み損を抱えている状態で売戻すというオペレーションが発生する可能性が高まるわけである。FRBの利下げ観測が高まるなか、コストプッシュ圧力を鎮静化するには円高誘導によるソフトランディングが求められるが、その損失を埋め合わせるためにETFを売却した場合のリスクは先述の通りである。
この点に関して1月4日付AERAdot.が、ふくおかフィナンシャルグループでチーフ・ストラテジストを務める佐々木融氏への興味深いインタビュー記事を掲載している。佐々木氏は日銀が金利を引き上げるのは難しい状況にあるとしたうえで、「さらに要注意なのは、格付け会社が日本国債を格下げするリスク」であるという。23年は米国や中国の国債が格下げされたが、「日本は多額の政府債務残高を抱え、予算も膨らみ続けていますから、いつ格下げがあってもおかしくはありません」というのだ。「日本国債が格下げされれば、その国の金融機関の格付けも下がるので、従来のように外貨を調達できなくなる」とその怖さを指摘している。
詳細はMMTの論点として後述するが、ここでは課題を二点挙げる。
一つ目は、官僚の思考回路である。二つ目はバランスシート正常化の問題である。
7)-3:【一向に是正されない税金の無駄遣い】
まず一つ目。民間企業の従業員と違って中央省庁の役人というのは、生産性に対する考え方がまるで異なるらしい。民間企業は倒産のリスクがあるので、雇用を守るうえでも営業利益を出し続けないとならない。そのために業務を効率化して生産性を向上させようとするのだが、役人は、そんなことをすると予算を減らされて自分たちの権益が損なわれるので、非効率なままにしておけばよい、と考えるようだ。その結果、自治体ごとにシステムが独自なものだったり、マイナンバーカードが煩雑になったり、いまだにファクシミリを使ったり文書管理が紙中心だったりという「税金の無駄遣い」を発生させてしまっている。
公務員は公僕(public servant)であるにもかかわらず、バブル崩壊後の行政改革・省庁再編でも既得権益が温存され、今となっては、民間よりむしろ、公務員の方が所得が高く、今のご時世、「最も安定して儲かる職業の一つ」になってしまっている。長期的には自分たちの首が絞まるのに、外部環境の厳しさから近視眼的になってしまい、公益よりも私利私欲を追求する傾向が目立ってきているのではないか。実際、「働き方改革」を推し進める当時者が長時間残業を強要したりパワハラをしたりで転職されてしまったり、東大法学部卒までが国家公務員試験自体を敬遠してしまっている状況は皮肉としか言いようがない。
これは筆者の錯覚だろうか。本来、少子高齢化で人口が減少し、外部環境の厳しさが増すなか、国家公務員こそがノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)の精神でリーダーシップを発揮して、税金の無駄遣いを身をもって是正して民間に示す義務があるのではないか。それが結果として新卒応募者増という形で還ってきて、彼ら彼女らの大好きな「保身」につながることをもっと真剣に考えた方がよいだろう。
しかし、昨今喧しい政治資金パーティー券の不正還流疑惑を見ても明らかなように、いつからか国を引っ張る政府部門のリーダーは、再び公益よりも私利私欲を求める傾向が強くなっているようだ。
もちろん、公共サービスを単純に民間の財やサービスと同列に扱うことはできないといった問題はあるが、民主党政権時代の事業仕分けが一つのエポックメーキングな出来事だったと言ってよい。公益と私益を均衡させるような予算編成、「選択と集中」の発想を取り入れた財政運営が今後ますます必要となるだろう。今回の補正予算や一般会計予算案は、この観点からバラマキか否かを厳しくチェックされるべきである。
7)-4:【バランスシート膨張のパラドックス】
二つ目は、国債増発によって膨張したバランスシートの正常化である。一つ目の結果論とも言えるが、金利や為替要因で含み損を抱えるリスクがある以上、日銀が買い支え続けるのは、かえって金融政策の足枷になりうるのではなかろうか。MMTの論点として後述するが、インフレ率を碇(anchor)とした際限なき膨張というのはどこか不自然である。
バランシート膨張の是認は、民間資産が増えると同時に、省益拡大という形での公的部門の肥大化、すなわち「税金の無駄遣い」というパラドックスを生み出していることに私たちは気づかねばならない。よく知られているように、財政支出がクラウディング・アウトを引き起こすといった問題もある。したがって、本当の「出口」は、民間貸出を促すための、金融政策と一体的な取り組みであるはずである。そのためには民間の産業構造改革・雇用規制緩和を推進し、民間銀行が貸し出せるだけの実体経済の底上げ、すなわち長期的な成長戦略が必要であることは言うまでもない。
それが結果として、国債に依存しない税収増、膨張したバランスシートや肥大した公的部門の適正化にもつながるのではないか。私たちがこのやっかいな「パラドックス」から抜け出る道はそれしかない。
7)-5:【今般の財政課題】
さて、ここからは各論である。順番に見ていこう。
①国債費
課題のアウトラインは先述の通りである。今後の方向性を要約すると、インフレ率や内外金利差・為替レートを考えながら、含み損を抱えず、いかにバランスシートを縮小していくかが課題となるだろう。
②定額減税・給付金
当初、岸田首相が何を目指しているのかが分からならいといった批判があった。
いまだに終身雇用を前提としていることが異様だが、最初から言動の首尾一貫性が問われるような波乱含みの展開だった。
結論から言えば、所得税・住民税非課税世帯への7万円給付金だけで充分ではないかと思われる。理由は、コストプッシュ圧力の緩和予測や今年の春闘による賃上げ予測とのバランスからそれが適切だと考えるからである。
コストプッシュ・インフレはウクライナ情勢の影響で、22年以降、圧力の高まりを見せたものの、原油価格は22年夏にピークアウトしているという見方が有力である(23年7月6日付 野村総合研究所 木内登英氏)。
米国の景気は比較的堅調で利下げ観測がなされている。中東情勢を考えると原油高のリスクは今後も予想されるが、マイナス金利解除のタイミング如何によっては緩やかな円高が見込まれるので、コストプッシュ圧力による物価高も幾分か鎮静化される可能性がある。
かえって、タイムラグを承知で定額減税を実施してしまったら、生煮えになるリスクの方が高まるのではないか。今年6月までに潮目が変わる可能性は十分考えられるのである。タイミングを逃したらコストプッシュ圧力を助長して金融政策正常化がしづらくなる場合が考えられる。あるいは、1回限りというアナウンスメント効果が貯蓄行動に走らせる、というリスクも考えられる。
前出の木内氏は定額減税に関して、「国民負担となる3.6兆円という巨額の資金を使いながら、1年間の景気浮揚効果は+0.12%とかなり限定的であり、費用対効果の低い政策と映る。効果が小さいのは、時限措置としたことで、減税のうち貯蓄に回る分が大きくなるためだ」と述べている(23年12月14日付)。
いずれにしても、スタグフレーションに近い状況から抜け出すことにはなりにくい。そうであれば、ローリスクをとって給付金のみ実施という選択が賢明だと思われるのである。2020年のコロナ禍対策として給付された定額給付金のときを思い出していただきたい。「(同年)4~6月に家計が所得を貯蓄に回した割合は23.1%と1994年以降で最高を記録した」という記録があるくらいなのである。
2回目以降の定額減税に含みを残しているが、財源の見通しが不透明であることも気になる。年収2,000万円超を対象から除外したことは評価できる。今年の春闘の賃上げにもかかわるが、私たちが直面しているのは、あくまで外的要因のインフレなので、コントローラビリティの度合いが低いといった問題もある。ウクライナ情勢が収まり円高基調に戻ればインフレ率は低下していく可能性があるが、コントロール可能なのは、政策金利であるマイナス金利やゼロ金利だけである(厳密には長期金利も含まれるが、23年の柔軟化で市場に任せる本来の姿に近づいた。裁量的な財政政策は短期的な視野に留まり、先述の通りMMTの議論や債務膨張のリスクの観点から課題があるので、ここでは除外した)。
したがって長期的には、ディマンドプル要因に基づく実質賃金増が正しい方向性である。
③社会保障費
24年度の一般会計予算案でも歳出に占める割合が最も多くなっている。全般的に低所得者への負担減、高所得者への負担増といった方向性で、所得の再分配やビルトイン・スタビライザーへの配慮も感じられる内容となっているが、23年度から目立ってきたのは、むしろ、高齢世帯を含めた負担増・給付減という基本的な方向性に加えて、少子化対策の財源といった問題である。
以下、ポイントを箇条書きで列挙する。
・介護保険の2割負担対象者の拡大見送り、少額だが介護報酬を増やす見通しであることは評価できる。少子化対策の財源として要介護認定を受けている高齢者に負担を求めるというのは、道理にかなっていない。
・児童手当の控除縮小が問題視されているが、給付でどこまで補うことができるのか、もう少し冷静な議論がなされるべきではないか。財源は無限ではないのである。医療費や介護費用の歳出をカットして捻出するというが、現役世代並みに働いたり収入を得たりすることができない高齢者や障害者へしわ寄せが行っても平然としていられるのだろうか。
・子ども3人以上の多子世帯への大学(高等教育)無償化は意義を感じられない。対象者が少ない、憲法上義務ではない、子どもを産みたい動機につながりづらいからである。
対象者が少ないというのはイメージがつきやすいだろう。すでに子育て世帯が2割を下回ったことが明らかになっているが、そのなかでも多子世帯は少ない。厚生労働省の「国民生活基礎調査」によると、22年時点で「3人以上」は12.7%である。その層を対象にする意味はいったい何なのか。
憲法上、義務教育の対象外であることも違和感がある。憲法で「教育を受ける権利」が保障されているのは中学までの義務教育までであり、無償の対象もここまでだろう(詳しくは、23年12月20日配信 現代ビジネスに掲載された大原浩氏『政府の「大学無償化」は学歴バブルの下支え、少子化対策を大義名分にした現役世代の虐待だ』を参照されたい)。
最後に政府は直接的には言及していないが、出生率増加へのインセンティブを期待している節がある。これが本当なら全くナンセンスである。将来的に大学を含めた高等教育を受けるかどうかは、まずもって子どもの意思を尊重しなければならない。親の見栄で強制させるだけでも問題なのに、産まれる前の子供に無償だからと期待する親がいるのか。そもそも、2人目を産むのが難しく、結婚さえままならないのが現状ではないのか。
ここに興味深いデータがある。例によって東京新聞からだが引用しておこう。
共同通信社の配信記事だが、同紙のグラフつきの記事をネットから引用できなかった。引用できた富山新聞の記事を掲載しておく。
先述した筆者の見解とも一致するが、地方自治体の首長も無駄のある公的部門にこそ負担させればよいと考えており、社会保険料への上乗せには反対している様子が垣間見える。
この点は私見があるので掘り下げておこう。
③‐1:少子化問題を「共同連帯」にする不可解さ
そもそも、少子化対策の財源として「共同連帯」の理念を大義名分として持ち出すこと自体がおかしいのである。後述するが、保険料負担を減らすために歳出減をすること自体違和感があるのだが、減らした分を「支援金制度」に充てるので負担は変わらないというレトリックは信用できるのだろうか。しかも、政府はこの支援金制度を、「子育て世帯を支える、新しい分かち合い・連帯の仕組み」と言い出した。現在、「共同連帯」の理念が制度上明文化されているのは、介護保険と後期高齢者医療保険の二つである。制度の確認をしておこう。
介護保険は現役世代に関わりがある。第2号被保険者として医療保険の一部として支払うからである。40歳~64歳が対象となっているのは、要介護リスクが高くなると同時に肉親の要介護リスクも高くなるため、助け合う仕組みになっているのである。65歳以上の第1号被保険者は年金からの天引きが基本となるが、自身の要介護リスクが高まるからである。介護保険法第1条で「国民の共同連帯の理念に基づき介護保険制度を設け」ることが明文化されているのはそのためである。50%を保険料でまかない、残り50%を公費でまかなう仕組みになっているのはその意味で妥当である。
同じく明文化されているのが後期高齢者医療保険である。根拠法の高齢者医療確保法で「国民の共同連帯の理念」が明文化されている。この意義も、誰しも75歳以上になれば相応の医療費負担が予想されるわけで、当事者意識として納得のいくものである。給付対象は原則75歳以上の後期高齢者だが、約1割を被保険者の保険料で賄っているものの、残り9割のうち公費が5割、現役世代からの支援金(国民健康保険や被用者保険等からの負担)が4割という納得がいくものとなっている。
しかし、少子化対策に「共同連帯」を求めることができるのか。確かに、出生数低下に伴う人口減、少子高齢化に伴う若年者減、現役世代の社会保障費負担増、生産年齢人口の減少、深刻な人手不足による国内産業の衰退、といった状況は危機的である。日本国民共通の課題と言ってもよい。
だが、現在の状況を招いたのは政府の怠慢と言ってもよい。合計特殊出生率が初めて2.0を割り込み1.91にまで低下したのは1975年である。より正確には、国連は先進諸国の人口置換水準(人口が安定的に維持される合計特殊出生率)を2.1と推計しているが、74年の合計特殊出生率が2.05となり、そこから一貫して減少傾向だった。それにも関わらず、49年間も問題を先送りし続けたのは政府の怠慢以外の何物でもない。
最後のチャンスは、団塊ジュニア世代が結婚適齢期だった1990年代後半から2000年代だった。しかし、時の政府は対策を打つどころか、それとはほとんど真逆なことを行った。デフレ経済なのに新自由主義的政策を実施。非正規雇用を増やして格差を助長し、「勝ち組」「負け組」などと市場原理主義や自己責任論を喧伝した。その結果、第3次ベビーブームを起こすことができなかったのは政府の失策ではなかったのか。
もっとも、こうした状況を放置し続けた我々国民にも責任があるのだが、それを今更、「全世代型社会保障」という美名のもと保険料に上乗せという形で国民に押し付けようとするのは虫が良すぎる。
そもそも結婚は、憲法24条1項で「婚姻は両性の合意のみに基いて成立する」と規定されているように自由意志である。そのうえ必要以上に出産圧力をかければかけるほど、自己決定権が毀損されることになるのではないか。
根本的には、背景にある社会保障の負担増・給付減という考え方が放漫財政の上に成り立っているのが不当なのだが、23年の少子化対策で、いよいよ基本的人権を侵しかねない領域にまで足を踏み入れ始めているといった印象が強い。医療・介護の歳出削減は、露骨に言えば、社会的弱者である要介護高齢者の負担増・給付減につながりかねない。これはとりもなおさず、生存権の存立基盤を危うくすることにつながる。
③‐2:医療・介護の歳出削減や報酬増は適切か
医療サービスは、情報の非対称性という性質が問題を見えにくくしている。元東京都知事で作家の猪瀬直樹氏の『日本国・不安の研究』によると、国民医療費や薬局調剤医療費は削減の余地がありそうだが、介護保険はこの著書で取り上げられているような、総合事業で成功している自治体はごく一部というのが実情である。厚労省が掲げている「ボランティア、NPO、民間企業、協同組合等の多様な主体が生活支援・介護予防サービスを提供」はもはや絵に描いた餅のようなもので、地域資源の活用ができないから介護保険の既存事業者に頼っている。
介護保険制度は破綻寸前である。いわゆる「2025年問題」が差し迫っている。人口の多い団塊の世代が後期高齢者となるが、需要に対して約38万人の介護人材不足(厚労省調べ)が生じると言われる。これは筆者が調べる限り、全国の警察官と消防士を動員してカバーできる規模感である(警察庁・消防庁 資料参照)。
何より深刻なのは居宅サービスや要支援の総合事業である。国は在宅シフトを推し進めようとしているが、その要ともなる訪問介護が壊滅的である。ヘルパーの低賃金や移動時の給与不払いが問題となっている。担い手の高齢化で引退していく一方で、待遇の低さから跡継ぎとなる人材が集まらず、利用者の希望するケアプランを組めないという事例が出始めている。その結果、すでに「介護離職」や「介護難民」が問題になり始めている。
介護事業所全般に言えることだが、業務負荷のわりには業界平均よりも低い賃金や待遇を現場従業員に強いているのが実情である。介護報酬自体が少ないので、今回の物価高で、比較的安定している特別養護老人ホームも固定費が圧迫されて赤字経営が続出している。処遇改善加算も一般の民間企業の賃上げと比較して低すぎる。
そのため、慢性的な人手不足の状態が続いているが、求人費に報酬を奪われてしまう流れが常態化しており、減価償却をしながら備品や車両等のメンテナンスや買い替えが進まない、設備投資の余裕がない、賃金に還元しづらいという構造的な問題を抱えている。結果的に従業員への負担が増えて顧客満足を追求できず、応募者が減り、離職率が高止まりしている。悪循環である。
一般のサービス業と違って、価格競争によって競合他社との差別化やサービスの質の向上が起こりづらいことも課題である。決められた介護報酬のなかで利益を出さないとならないので、結局は低い報酬のなか、規制された上限枠(「支給限度額」という)の中で決められた加算を取る程度のことしかできないのである。これが診療報酬などと比べて著しく少ないのである。
これでは、2000年の制度設立当初、国が思い描いていた「競争による質の向上」など望むべくもない。民間企業を参入させたにもかかわらず、制度運営上役所文化が流れ込んで規制されているので、業界標準のIT化さえままならない。地域包括ケアシステム・地方自治体・厚生労働省単位のシステム構築と標準化、相互連携、文書管理のデータ化がDX推進の必須条件である。報酬に一定程度幅を持たせるなど価格競争の余地を作る必要がある。「サービスの質の向上」や「高付加価値による商品差別化」、「従業員への利益還元」は、一定程度の価格競争が不可欠だからである。
従業員の負担は働き方にも表れている。マネジメント職を中心に休憩時間がとれない、休日に会議が入るなど、自己犠牲を強いるものとなっている。少ない報酬の関係で、給与と職務内容が連動したキャリアパスが制度化されている事業者がごく一部であることから、ライフステージに応じたキャリアアップや経済的な見通しが立てづらい。目標を持った動機づけが作用しづらいので、現場介護職は希望を見出しにくい。そのため、若い人材ほど転職していく流れができてしまっている。低い報酬に縛られて教育投資まで手が回らないので、他業界で通用する社会人教育がしづらいという事情もある。
人材不足を外国人で補う方向も、行き詰まりを見せ始めている。技能実習生や経済連携協定の外国人労働者も円安の影響などで一時期の勢いはなく、介護福祉士の養成校への入学者が23年4月まで3年連続で減少した。新型コロナ禍の影響が指摘されるが、すでに応募が少なく閉鎖した養成校が続出していた。英語が通じない、文化の壁が高い、などといった日本独自の影響も考えられる。
こうした状況にさすがに国も危機意識を抱いたからか、今年度の2割負担拡大の見送りや介護保険報酬微増・賃上げ、介護ロボットなどの導入へのインセンティブは評価できる。だが、主要企業の平均賃上げ率3.6%に及ばないし、先述の構造上の問題から、どれだけ実効性があるのか不透明である。
特に、訪問介護サービスの基本報酬引き下げは愚の骨頂だろう。厚労省は利益率が高いこと理由としているが、ヘルパーの退職率が高いから人件費が押し下げられたり、サービス付き高齢者住宅と一体化した訪問介護事業所が生き残っていることなどが推察される。22年度調査で訪問介護事業所の36.7%が赤字経営だったことが分かったが、これを集計した厚労省は、この状況をどう説明するのだろうか。集計を求めた野党は追及しないとならないし、厚労省も説明責任がある。赤字経営なのに利益率が高い。十分な黒字を出しているとして引き下げをしたのに、無視できない割合の赤字が判明した。筆者には整合性が取れていないと思えてならない。
そもそも、利益率が高いという論拠も理解に苦しむ。利益率が高いサービス付き高齢者住宅の事業所と、割に合わない利用者を押し付けられた中小事業所の平均をとっても実態は反映されない。赤字経営は中小事業所の方が多いだろうし、そうした事業所ほどヘルパー不足で少ない人数で運営しているだろうからである。また、そうした事業所ほど新陳代謝が悪く、高齢化したヘルパーが引退したら後に続く人材がいないという状況になりがちになることも推察される。事実、昨年の訪問介護事業者の倒産は過去最高で、小規模事業者が8割超を占めるとの調査結果がある(東京商工リサーチ調べ)。
業態の優位性から利益率が高いサービス付き高齢者住宅の事業所と、深刻な人材不足に苦しむ小規模事業所の人件費の低さを平均しても、本当の意味での利益率を把握できないし、人材需要の高さに応えることはできるとは思えない。
すでにヘルパー不足で、「介護離職」や「介護難民」が生じつつある。利用者や家族が希望しても、訪問介護事業者のヘルパーが不足しているので、希望通りのケアプランを作成できないという事態が生じている。今回の引き下げはますますヘルパー不足を招き、すでに問題となっている「介護離職」や「介護難民」の問題を悪化させるリスクが極めて高いと言わざるを得ない。
第一、介護予防や在宅シフトを掲げていながら、それとは真逆な分配をするのは、従来の政策理念から完全に倒錯している。医師会や看護師協会などと比べて政治的発言力が弱いことが要因として考えられるが、縮小均衡における利害調整の犠牲になっているのである。こうしたことを考えても、ディマンドプル要因の成長軌道を可能とする産業構造改革によって全体のパイを増やし、税収の自然増を実現することが必要不可欠であると思えてならない。
DXについては医療が盛り込まれたが、これも同様の文脈から介護こそ必要である。来年の診療報酬改定も増加が決まったが、日本医師会の政治力だろう。医師も超過勤務や過労死の問題があるが、職能と公平性を均衡させる観点から、適切な資源配分と言えるのか疑問である。
④賃上げ支援
今年の春闘へ向けた賃上げ期待や意気込みが報じられているが、基本的に円安で利益率の高い大企業・輸出型製造業の威勢が良い。岸田首相が頼み込んでいる面もあるが、首相肝煎りの半導体の底上げが関係しているのだろう。
税制大綱で賃上げした中小企業へ減税と比較し、大企業の賃上げ税制を厳格化を打ち出したことは所得の再分配の観点から評価できる。利益率に対する投資余力や労働分配率・労働生産性に課題があるからだ。
しかし、これらも短期的な弥縫策に過ぎない。繰り返しになるが、長期的には、産業構造改革・雇用規制緩和で実体経済の活性化を推し進めることが必要不可欠である。公的部門の肥大化を是正しつつ、限られた資源の「選択と集中」によって戦略的な財政支出をすることである。その際、クラウディングアウトを引き起こさないよう配慮することは言うまでもない。
金融政策正常化の過程で緩やかな円高基調が期待されるが、その先に見据えるべきは、実体経済がディマンドプル圧力にけん引される形で実質賃金増の好循環に入っていくといった姿である。こうして総需要・総供給が上昇均衡しながら、銀行貸出が増えて経済成長率が向上していく、という世界を目指すべきである。
さて、それでは具体的に政府はどのような分野で成長戦略を政府が思い描いているのかだが、政策的経費が圧迫されているとは言え、お題目だけで抜本的な改革の可能性を感じさせない。23年度補正予算案から関係がありそうな項目を列挙してみる(カッコ内は予算)。
DXを推進するうえで欠かせない自治体システムの標準化、雇用規制緩和に欠かせないリスキリング支援、観光資源の有効活用の可能性を感じさせるインバウンドの拡大支援などは評価できるが、中途半端である。唐突な宇宙戦略基金は、軍事的な意図を感じさせる内容である。
半導体支援は戦略物資として理解はできるが、ここまでェイトを置くだけの費用対効果が見込めるのか。今からキャッチアップできるのか、そこまで時間と費用をかける意味があるのか疑問である。
どちらかと言えば、既得権益を保持したい大企業製造業の意向を反映したものではないのか。経済安全保障の名目で、中国から製造拠点を移転させる動きが加速しているが(1月3日付 文春オンライン 参照)、再び円高基調に戻ればコストアップ要因にならないのか。過去に知財漏洩が問題になったが、同じ轍を踏まないのか。脱工業化の観点から、長期的にはフェードアウトさせる分野ではないのか。疑問が尽きない。
スタートアップは趣旨からすれば、経営コンサルタントの大前研一氏が主張しているように、ユニコーン企業を多く生み出すような経済特区、グローバルな経済拠点(メガリージョン)を目指すべきだろう。成長産業の項で再考する。
⑤防衛費増
23年12月11日付日本経済新聞電子版によると、増税は「26年以降にずれ込む公算が大きい」とあるが、物価高が収まらないなか、国民感情としてこれ以上の増税が受け入れ難いから反発され、「政治屋」としての打算も働いたからこうなった側面が強いものと思われる。政治資金パーティーを巡る問題への追及の影響も大きい。そもそも、政策的経費の機動性が確保されていれば、こんなことをせずに済んだのではないか。それでも将来的に所得税・法人税・たばこ税の増税で補填するなら、所得税・法人税は当然、所得再分配やビルトイン・スタビライザーを組み込んだものでなければならない。
戦後78年経過した今、日本を取り巻く安全保障環境はかつてないほどリスクが高い状況である。台湾有事や北朝鮮の軍事力増強や国際法違反のミサイル実験、極東地域のロシアの動向といった地政学的リスクが増す中、外交・安全保障政策の変更が迫られている。とりわけ中国は、国力が衰える前に台湾武力統一の勝負に出てくるのでないかといった観測まで出始めている(1月3日付 文春オンライン参照)。
この点に関しても私見があるので掘り下げておく。
⑤‐1:防衛費を巡る客観情勢と今後の方向性
地政学的リスクが高まり、米国の国際的な影響力が低下するなか、一定程度の防衛費増額はやむを得ないというのが筆者の立場である。今年のアメリカ大統領選挙でトランプ氏が再選したとしたら、再び保護主義的な政策を取り、在日米軍の撤退をちらつかせながら駐留経費負担の増額を迫ってくる可能性が高い。世界の防衛費が過去最高となったのはウクライナ情勢や中東情勢によるものである。日本も台湾有事のリスクや北朝鮮の強硬姿勢への転換などを考えると、対岸の火事ではない。
日本独自の歴史と伝統をを引き継ぎ、将来にわたってプレゼンスを発揮しうる立場はただ一つ、孤高を恐れず、如何にして人類崇高な叡智としての平和主義を護持しつつ、近年高まる地政学的リスクを管理していくかといった、均衡状態への絶えざる努力、すなわちリベラルな保守に他らない。
⑤‐2:時代に適応した「戦略ある戦術」へ
護憲派の専守防衛論はもはや、地政学的リスクがアメリカ一強時代に抑えられていた時代の負の遺産である。日本にとって1945年の敗戦までの道のりは、ある意味では必然であった。大本営が「戦略なき戦術」で突き進んだ結果、破滅的な結末を迎えるに至ったが、その犠牲がなければ、戦後の経済的繁栄などあり得なかったとも言える。
世界情勢は刻一刻と変化している。米中は新冷戦時代へと突入しつつあり、民主主義と権威主義、国際協調と保護主義の間で揺れ動きながら、薄氷を踏むかのような際どい選択が迫られている。プロイセンの軍事理論家・クラウゼヴィッツの言葉を借りれば、政治の延長が戦争になるか否か、外交で収まるか否かの「戦略ある戦術」が求められているのである。
端的に言えば、中国や北朝鮮から在日米軍基地や原発を狙われたらどうするのか。北朝鮮が崩壊して難民が押し寄せてきたらどうするのか。習近平国家主席が在任中の執念で、台湾併合へと軍事的行為に訴えてきたらどうするのか。護憲派の専守防衛論者は、こうしたリスクへの現実的な解を持ち合わせていない。丸腰で座して死を待てとでも言うのか。
戦争体験者から惨禍の実体験を傾聴したり、歴史に学んだりするのは当然である。が、問題はその先である。私たちは戦後長らく植え付けられてきた「敗戦のトラウマ」や「情緒的な平和主義」から脱皮して、「失敗の本質」の教訓を胸に、冷徹かつプラクティカルな情勢分析とリスク管理が不可避な段階に直面している。こうした意味では防衛費増税や増額はむしろ、「戦略ある戦術」という条件を満たしているならば、かの敗戦で経験した破滅的な結末の再発防止をするための、次善の策であることを知らないとならない。
⑥ガソリン補助
政府は原油価格高騰に伴い補助金でガソリン価格を抑えてきたが、23年6月から段階的に補助を縮小してきた(23年5月26日付日本経済新聞電子版)。このことが響き、ガソリン価格が再び高騰した。そこで政府は9月7日から「ガソリンを1リットル当たり175円程度にする価格抑制策を拡充する」ことになった(23年9月6日付東京新聞)。
しかし、「専門家の試算によると、この抑制策が始まった2022年1月から直近までの価格上昇分のうち、円安による輸入コスト増が原因の8割近くを占めた」という(同日付同紙)。今後の金融政策正常化のプロセスで緩やかな円高が基調路線となれば、中東情勢の不確実性があるものの、補助自体が不要となる可能性も考えられる。そもそも原油価格自体が22年夏にピークアウトしているとする分析もある(23年7月6日付 野村総合研究所 木内登英氏)。
トリガー条項凍結解除の議論は、費用対効果の比較が見えない。補助をどこまで続けるのか、今後は原油価格と為替レートの動向を見極めながらの判断が求められるだろう。
⑦万博関係費
25年開催予定の大阪・関西万博運営費が膨張、上振れしている。万博の起源を遡ると、古代ローマ時代、戦利品などを民衆に披露するなどして、当時の権力者が権勢を誇示するために開催したとの説がある。現代の価値観からすれば決して是認できるものではないが、「地球規模のさまざまな課題に取り組むために、世界各地から英知が集まる場」というお題目は、本来の趣旨や外部環境の厳しさから言って、ほとんど死文化している。むしろ、古代ローマ時代に先祖返りしてしまって、時の為政者が権力を誇示したいがための自己満足でしかないのではないかと疑いたくなる。
開催の意義と、費用対効果が見通せないのだ。23年12月24日付東京新聞が、神戸女学院大学名誉教授・内田樹氏の辛辣な論評を掲載している。興味深いので引用しておこう。
経営コンサルタントの大前研一氏は、「大阪維新の会が大阪経済の起爆剤にしたい」だけで、今開催しても人々は、「ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに足を運ぶだろう」と完全に切り捨てている(前掲著(『日本の論点 2024~2025』参照)。1月6日付東京新聞は、経済同友会の新浪剛史代表幹事が5日、能登半島地震が起きたことに絡み、万博延期の可能性に言及したと報じている。
同じく1月10日の東京新聞が経団連の十倉雅和会長の会見(1月9日)の様子を報じているが、新浪氏とは対照的である。能登半島地震の被害が拡大する中、延期すべきとの指摘に対して「どうして(万博開催と震災復興が)二項対立のように考えるのかわからない」と述べたり、震災復興の足かせになるとの懸念に対して「万博も復興も両方ともやる」と繰り返すのみといった態度は既視感がある。
最近では、コロナ禍で1年延期になった東京五輪を巡る汚職事件、リニア新幹線工事を巡る談合事件。これらは強引に推し進めた背景に利権が絡んでいたことが明るみになった。利権優先で推し進めた結果、五輪は1年延期してまで酷暑で開催する意義が疑問視され、リニア新幹線は大井川の水源問題や南アルプスの観光保全を理由に工事を認めない静岡県、工事を始めたいJR東海とが対立している。いずれも利権優先で強行したが故のトラブルだろう。辺野古基地建設を巡る沖縄県と国の争いや、神宮外苑再開発の問題も利権がらみである。
組織論で言えば、戦前の軍部の猪突猛進ぶりと似ている。当時の客観情勢では米英に負けると分かっていながら、大本営連絡会議における軍部の強硬論を東條英機首相は抑えることができなかった。ほとんど戦略なき戦術としか言いようのない拡張路線(特に石原莞爾らによる満州事変以降、インドシナ進駐など)の結果、アメリカから石油やくず鉄を禁輸され、人造石油という苦し紛れのプロジェクトが頓挫し、後戻りができない状況(燃料が足りない一方でABCD包囲網のリスク)を承知のうえでインドネシアへ石油を獲りにいかざるを得なくなった。
こうして大本営の主戦論に押されて真珠湾攻撃に至ったわけだが、アメリカに戦争の口実を作らされたと言われる。当時のルーズベルト大統領の「日本をbabyする(あやす)時期は終わった」という言葉が残されている(猪瀬直樹著『昭和16年夏の敗戦』参照)。国際連盟を脱退する契機となった満州事変辺りからおかしくなりはじめ、植民地や石油の利権拡大を強硬に推し進ようとした結果後戻りできなくなり、西側諸国の戦略的優位といった客観情勢を知りつつ精神論で乗り切ろうとしたが、やがて破滅的な結末を迎えた。
こうした背景から十倉会長の強弁を考えると、その裏には、巨大な利権と後戻りができなくなった「失敗の本質」が隠されていると思えてならない。
▢金融政策の動向
財政と同じように近年の情勢を振り返って、最近の情勢を概観してから課題を考察する。引き続き中谷氏の前掲著から、議論を整理しながら引用する。
1)近年の金融政策
概要は以下の通りである。
2)近年の金融政策における理論的な課題とMMT
以上の議論で中谷氏は「グローバル化した世界経済のなかで、一国の金融政策をいかにかじ取りしていくのか、非常に複雑な問題を抱えていることだけは間違いない」と総括している。では、理論的にはどのような課題があるのか。MMTとの関連でどのようなことが言えるのか。引き続き議論を整理して引用する。
2)‐1:理論的対立と現実性の問題
2)‐2:異次元緩和における行き詰まりの問題
リフレ派の誤算とも言えるが、マネーストックが増えないという現象が生じている。理論的に、どのような背景でそうなったのかを見てみよう。
結論から言えば「信用乗数が不安定化」しているからなのだが、まずは前提知識として、信用乗数とは何かを整理する。
次に、信用乗数がどのように不安定になってきたかを見てみよう。
では、なぜ信用乗数は大きく変動してしまったのかを見てみよう。
この後、現金預金比率、準備率共に、近年安定していないことを指摘している。
結論から言えば、「現金預金比率は1990年代前半から徐々に上昇し、準備率は、2001年2月のゼロ金利政策再開や同年3月の量的緩和政策の開始で上昇していたが、2006年7月のゼロ金利政策の解除で一時的に低下した。しかし、2013年4月の量的・質的金融緩和や2016年1月のマイナス金利付き量的・質的金融緩和、同年9月の長短金利操作付き量的・質的金融緩和が開始してから急激に上昇している」という。
この後、現金預金比率・準備率ともに安定的に推移しないので、信用乗数も安定しないことを指摘している。
エビデンスに関してネットから適切なデータを引用できなかったので、ご興味のある方は同著を参照されたい。
2)‐3:内生的貨幣供給論とMMT
さて、それでは、日銀が「マネタリーベースのコントロールを通じてマネーストックの量をコントロールすることが難しく」なるなら、「貨幣、主として預金通貨の供給量を決めるものは何か」ということになる。
これを内生的貨幣供給論というが、「中央銀行はまったく影響を与えないというのも正しくない。銀行の与信行動へのコントロールを通じて景気をコントロールする政策を金融政策と呼ぶ」としている。MMTとの関連でより詳細な議論が展開される。
そして、伝統的なケインズ派の限界と、今後の方向性が示唆される。
3)前回投稿以降の情勢を振り返る
財政政策同様、時系列に引用しながら、事実関係を振り返る。引用・要約しなから情勢を概観し、そこから見えてくる課題を考察する。まずは情勢から。
3)‐1:日本銀行の方針
16日の植田氏の発言に関して26日社説で同紙は、「物価問題を軽視するような姿勢を看過することができない」と批判している。「日本と米欧の金利差が開く中、今回のような発言をすれば、日本の金融当局は物価対策に消極的と受け止められ、円売りが加速するのは当然だ」とし、「実際、為替市場では一時1ドル143円台に達するなど円安が進行した」という。
「円安が輸入物価高騰に拍車をかけ、物価全体を押し上げる。進行する状況を見る限り、植田氏の発言は配慮を欠くのではないか(同日付)」。
当時の状況は、「生鮮食品を除く食料が前年同月比9.2%増と47年7ヵ月ぶりの上げ幅」であり、「実質賃金は前年比3%減と13ヵ月連続の低下(同日付)」だった。
「これらの統計は物価高の勢いが依然、春闘の賃上げ効果をはるかに上回ることを裏付けている(同日付)」といった状況だった。
日銀は23年の7月、10月とYCC(イールドカーブ・コントロール)の柔軟化を実施した。1回目の状況を見てみよう。
このとき、23年度の物価上昇率の見通しが上方修正された。
この時の修正に関する同紙の解説は以下の通りである。
このときの修正変更の影響はすぐに表れた。
読売新聞が電子版で、この頃の長期金利と円相場の推移のグラフを配信していたので掲載しておく。
この後の9月22日の金融政策決定会合でも、大規模な金融緩和策の維持が決められた。
同時に、「家計が円安などに伴う物価高について行けない厳しい状況」を報じている。
日銀は大規模緩和の再修正を決めて、2回目のYCC(イールドカーブ・コントロール)の柔軟化を容認した。
このときも、物価見通しが上方修正された。
この日の同紙社説では、「物価高を封じ込めるには、力不足」であることや、「円安を抑える効果があるか否かは不透明」であると批判している。
継続するFRBの利上げ観測があり、「その規模やペースも日銀の政策修正をはるかに上回る」ので、「今回程の修正では日米金利差は縮まらず、金利の高いドル買いがさらに進むことも想定できる」と懸念を示している。
「長期金利の上昇は、企業の設備投資意欲の減退や住宅ローン金利の引き上げにつながる可能性も否定できないが、現在の円安は、こうした負の側面を覆い尽くすほどの水準の物価高となって、私たちの暮らしを痛め続けている」。
金融政策を正常化して利上げをした場合の側面、緩和維持を続けた場合の負の側面。どちらが不景気につながるか、といえば、後者の方が前者を上回っていると指摘している。確かに、そうした側面はあるのかもしれない。
また、IMFが「日本のGDPが23年ドイツに抜かれて4位に落ちるとの見通しを出した」ことを取り上げ、「アベノミクスを起点とした緩和策が過度な通貨安を引き起こし、その影響は国の衰退さえ招いたことも指摘したい」とした。昨今、有識者から「円高を抑えるための円安誘導政策だったのではないか」との問題提起がなされており、的を得た指摘である。
他方で、先述の通り含み損の問題もある。国債価格が低下した状態で売却し、その損失をETFの売却で補おうとすれば、株価急落を招く恐れがあるとの指摘がある。アベノミクス以降の異次元緩和で、金利を上げたくでも上げられない状態に陥っているのである。
「長期金利上昇は国債の利払い増加にもつながる。アベノミクス以来の国債頼みの膨張予算も金融政策変更の足かせになっている」と批判しているが、これはMMTの核心的な論点になるので、あらためて後述する。
この頃の長期金利と円相場の推移について、時事通信社が分かりやすい記事を配信していたので掲載しておく。
続けよう。11月に入り、物価目標の確度について前向きな発言が相次いだ。大規模緩和からの出口が見え始める。
こうしたなか、金融・財政政策の行き詰まりに関して、ハイパーインフレを懸念する声が根強い。
田辺氏はこのときのインタビューにこう答えている。
本論の趣旨から外れるが、いくつか注意すべき点を指摘しておく。
・確かにハイパーインフレが生じたことがあったのだろうが、戦時中や戦後間もない頃と今は状況が違う。先述の通り、日本の財政法第5条では、原則として国債の中央銀行引受による発行を禁じている。田辺氏も「日銀によるサポート」を認識しておられご存知のはずだが、1947年3月に成立して以降、原則として市中銀行からの引き受けしかできないので、過度なインフレが起こりにくい。
・確かに近年、特例国債(赤字国債)が増加傾向にあり、債務残高の対GDP比も突出して高い状態だが、MMT論者が指摘するように財政破綻はしていない。同額の民間資産を生んでおり、円建て債務なので物価上昇率を見ながら新規発行で補えばよいというのだが、このバランスシート膨張論が物価上昇率との兼ね合いでどこまで許容されるのかは議論が必要な論点だ。あらためて後述する。
・MMTとの関連では貨幣観も論点になりそうだ。制度を制御するところを信用創造の根拠にしているからだ。先述の通り、「内生的貨幣供給論」では貸出と同時に預金が生まれると考える。こうした信用創造で生み出される貨幣は「信用貨幣」と呼ばれ、「商品貨幣」と区別される。これも後述しよう。
・そもそも、コストプッシュ・インフレの状況で実質賃金が上がらず、消費を中心に内需が低迷しているといったスタグフレーションに近い状況である。人口動態の影響で国内経済が縮小均衡しつつある。産業構造も旧態依然としたままである。
すると、GDPの約3割を占める外需がどこまでディマンドプル要因として影響するかも見ていく必要もあるが、不安定なので予測が難しい。為替や地政学リスク、中国の不動産不況、22年2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻、23年10月7日にハマスによるイスラエル攻撃から始まったイスラエル・ハマス間の戦争といった不確実性に左右されるからである。
将来不安からの貯蓄率も高い。自然災害や戦争に巻き込まれ、国家機能が麻痺した場合は可能性として考えられるが、昨今の状況から財政支出がきっかけに消費に向かって、急激なインフレになると考えるのは理解に苦しむ。
・どちらかと言えば、長期的な視点から意見を述べられているといった印象である。安易に消費に向かう可能性に言及しているだけでなく、財政支出を「貨幣の量」から制御することの必要性を主張されているからである。基本的に、マネタリストや新しい古典派に近い発想だろう。
・しかし、これは理論的に破綻している。古典派の貨幣数量説では貨幣供給は物価にしか影響を与えない。「貨幣の中立性」の原則から、ケインズ派のように裁量的に財政支出を管理するようなことはできないからである。委員会の提案は日銀の職域を越えてしまうことにならないのか。
・事実とも乖離している。先述の通りマネーストック(貨幣供給)が思うように増えないといった状況に陥っているからである。信用乗数が不安定化しているので、日銀当預(準備預金)が積みあがるだけといった状況なので、流通量自体が多いと誤解されやすい。
・円安を招いたのはアベノミクスによる異次元緩和がきっかけであることは確かだが、信用乗数が低下してきているので、マネーストックが増えて円安になったのではない。どちらかと言えば、量が多いから円安になっているというよりも、欧米との金利差で円安基調になっている。むしろ懸念すべきは、今後欧米の利下げが始まり、日銀が緩和解除したときの金利差縮小による円高である。国債価格が低下して日銀は含み損を抱えることになるからである。
さて、続けよう。
その後、今年に入って、日銀のマイナス金利解除は、春闘の賃上げ状況を見定めて3月から4月になるのではないかという見方が有力となった。筆者も中小企業の状況を見定めると、早くても4月が有力ではないかと考えていた。ところが、今月18日、19日の金融政策決定会合で、マイナス金利の解除を決める見通しであることが報じられた。
短期的にはコストプッシュ要因の鎮静化を確実なものにして、日米金利差に伴う円安と物価高の悪循環を断ち切るために不可欠な措置だろう。しかし、中小企業への賃上げの底堅さや持続的な実質賃金の上昇が不透明な状況において、やや時期尚早な印象である。長期的には、ディマンドプル要因の実質賃金上昇が見通せる状況になってから、更なる正常化を目指すのが望ましい。
他方、後述するが、NAIRU(インフレを加速しない失業率)を参考に、ビハインド・ザ・カーブを取り入れた判断が重要との見方もある。その意味では、国債買い入れで緩和的な金融環境を維持するのは、必要悪として受け入れざるを得ないところがある。上場投資信託(ETF)の新規買入れ停止は賢明な措置と言えよう。
3)‐2:為替市場の動向
時系列で近況を振り返る前に、近年までの推移を振り返る。中谷氏の前掲著によると、「名目」為替レートは報道などで見聞きする通常の為替レート。「実質」為替レートとは、それを両国の物価水準の変動によって調整したもののことを言う。理論的な説明はここでは割愛する。ご興味のある方は同著を参照されたい。
SBI証券が分かりやすいグラフを配信していた。2018年2月23日配信 「米ドル対円相場と実質実効為替レート(1980年1月から2018年1月)」を見ながら、引き続き中谷氏前掲著から引用しながら整理しよう。
第2次安倍政権の前まで円高傾向だったので、アベノミクスによって円安誘導していった状況が見て取れる。
それでは、この半年余りの情勢を時系列に見ていこう。
7月のYCC(イールドカーブ・コントロール)柔軟化後も円安が進んだ。
この後も円安が進んだ。
この後も円安が続く。
10月5日付同紙社説では一時「1ドル150円から147円の間で激しく乱高下した」ことを取り上げ、「賃上げの機運さえ奪いかねない。円安は物価高に拍車をかけ、家計は苦しさを増している」とし、金融政策の変更を求めている。この値動きについて円買いドル売り介入の憶測が流れた。そうしたなか介入の「新基準」の解釈が見えてきたという。
危機的な状況はさらに進んだ。
この膠着した状態がいつまで続くのか。家計負担はどれくらいになるのか。同紙は見通しを立て始めた。
ところが、12月に入り、潮目が変わり始めた。先述の通り、植田和男総裁が7日の参院財政金融委員会で「年末から来年にかけてチャレンジグな状況になる」と発言し、正常化の観測から同日の「為替市場で1ドル146円台前半まで一気に円高が進んだ(23年12月7日配信 野村総合研究所 エグゼクティブ・エコノミスト 木村登英氏)」。
この後も円高が進んだ。
しかし、先述の通り、19日の金融政策決定会合で「緩和策の維持が伝わると、円相場は対ドルで大幅下落し、一時1ドル144円台後半を付けた」。
この半年余りの為替レートを振り返ると、危機的な円安に振れて再び円高に戻っていったが、根本的にはアベノミクス以前の円高時代、生産拠点を海外へ移転してしまったという問題がある。日米金利差を考えるうえで足枷のような状態になってしまっている。
そして、年明け1日に発生したの能登半島地震の影響で、2日午後に一時1ドル141円67銭まで下落(連休前の23年12月29日のニューヨーク市場の141円ちょうど近辺から円安水準で推移。同日のロンドン市場では一時142円台を付けた。2日付Bloomberg )。
3日の外国為替市場では、円相場は円売り・ドル買いが進み、一時、1ドル=143円台を付けた(米長期金利の上昇と地震によるマイナス金利解除観測後退の影響。(4日付読売新聞電子版))。
4日の東京外国為替市場の円相場は一時1ドル143円86銭を付けた(23年12月29日と比べて2円以上の円安ドル高水準)。「日銀のマイナス金利政策解除の時期が遅れる」との観測から円ドル買いが強まったからだが、再び円安に振れている状況は財政への影響と共に、金融政策正常化の判断を難しくさせている。今月22日・23日に予定されている金融政策決定会合が注目される展開になった。
同日付共同通信の記事を引用しておく。
この後も円安傾向が続いた。
・「5日円下落、一時145円98銭 3週間ぶり円安ドル高水準(米の労働市場堅調でFRBの利下げ観測後退。能登半島地震によりマイナス金利解除が困難との見方。1月6日付東京新聞電子版)。」
・投機筋の同様の見方は他方面からも報じられた(1月5日付Bloomberg)。
・「NY円、144円台後半=米統計受け乱高下(1月6日付時事通信社電子版)」
・「輸出企業の業績を押し上げる円安基調も好感。9日の東京外国為替市場の円相場は午後5時、前日(午後5時)に比べて68銭円安・ドル高の1ドル=149円39~40銭で大方の取引を終えた。149円台をつけるのは、昨年11月下旬以来、約2ヵ月半ぶり(2月10日付 読売新聞電子版)。」
この後、しばらく1ドル=150円程度の円安が続いていたが、日銀が3月の金融政策決定会合で政策の正常化に動くとの観測から、1ドル=146円台の円高水準を付けた(3月12日付 東京新聞)
3)‐3:連邦準備制度理事会(FRB)の動向
円安圧力を加え続ける米ドル相場。FRBの利上げ動向を振り返る。
この後、再び利上げに転じる。
ちなみに同日付同紙は「欧州中銀(ECB)も0.25%利上げ」したことを報じている。この後、再び金利を据え置いた。
同日付同紙は、「英中銀も据え置き」と報じている。
据え置きは続いた。
今年に入って利下げが注視されているが、鎮静化しつつも2%水準を超えるインフレ率が続いてる一方、堅調な景気に支えられる形で、金利据え置きが続きそうな様相を呈している。
3)‐4:その他
日銀が国債買い入れを続けてもマネーストックが増えづらい状況、続けることによる金融政策正常化へのリスク、バランスシート膨張のパラドックスについては先述の通りである。
1月5日付ロイター電子版によると、「日銀が同日発表した23年12月のマネタリーベースの平均残高は、前年比7.8%増。伸び率は前月を下回った。前年同月に比べ国債買い入れ額が減ったことが要因」「キャッシュレスの進展や個人消費の緩やかな増加を反映し、紙幣は2010年1月以来のマイナス転換」と報じている。
同日付時事通信社電子版は、同じ日の日銀発表として、「マネタリーベース(資金供給量)の残高が、23年末時点で前年末比6.4%増の673兆470億円だった」「2年ぶりに前年末の水準を上回り、年末ベースで過去最高を更新した」と報じている。
4)前回投稿以降の情勢における課題
1)~3)を踏まえて言えることは何か。何が課題かを考察する。重要となってくるポイントは、次の6つと思われる。
①:FRBの利下げがいつになるのか。
②:日銀による金融政策正常化のタイミング。マイナス金利解除だけでなく、ゼロ金利解除や、YCCの更なる柔軟化や正常化を含む。唯一コントロール可能な指標。今春闘の賃上げや物価が実質賃金に与える状況、自民党の政治的混乱(派閥によるパーティー券収入の還流・収支報告書不記載問題)、貿易相手国の影響(中国の不動産不況)の影響にもよる。
③:②の正常化が適切に行われれば、国内金利の上昇に伴いコストプッシュ状況下の物価を抑える効果を期待できるが、中小企業融資・住宅ローン金利増・円高による輸出型製造業の収益減少といったデメリットにどう対応するのか(消費や投資減への対策)。
④:内閣府発表のデフレギャップの扱い。
⑤:投機取引を上回る実需取引圧力の影響への対応。21年下期から22年にかけて、貿易収支は赤字で推移してきたが、23年は縮小傾向にある。主にウクライナ情勢によるものだが、原油高が沈静化した23年も貿易赤字が続いた。中東情勢(パレスチナ戦争)によって原油高が再来すれば、再び拡大に転じるリスクがある。今後、貿易収支が赤字傾向か黒字傾向かによって次の二つの展開が考えられる。
・<ケース1>赤字傾向の場合:実需では円安圧力が働く。FRBの利下げ(マイナス金利解除等)で日米金利差が縮小し、投機取引で円買い・ドル売りになったとしても、実需取引が円売り・ドル買いが低調なまま推移する可能性が高いからである(1月1日付Wedge ONLINE 唐鎌大輔氏 参照)。
・<ケース2>黒字傾向の場合:ケース1と逆の状況になりやすくなる。結果、緩やかな円高基調となる可能性が高くなる。
キャッシュフローの貿易収支は<ケース1>と<ケース2>の中間辺りの可能性が高い。同様に、第一次所得収支黒字をキャッシュフローで見ると、さほど円買いが発生していない(同日付 唐鎌氏 参照)。昔と異なり、事業会社の現地法人の利益が中心なので、実際の資金は現地に溜め込まれる場合が多く、実際のドル需給に影響を与えない結果、円高要因になりにくいとの指摘もある(1月10日付 文春オンライン 早川英男氏 参照)。
その他、米国の賃金上昇ペースや、日米の潜在成長率の差も影響する。
⑥:短期的には金融政策正常化、長期的には民間銀行の貸出を増やすことによるマネーストック(日銀当預)正常化・信用乗数安定化の見通し。日銀保有の国債の平均残存期間が6年を超えるため、正常化後も緩和効果が一定期間残ることも考慮(1月10日付 文春オンライン 後藤逸郎氏 参照)。
アウトラインはこのようになるだろう。基調判断として、①のタイミングの見極めが重要となってくる。今年に入り、現在のFRB金利水準のままでも米国経済の底堅さが指摘され始めている(1月9日付 野村総合研究所 木内登英氏など)。そのため後ろ倒しになる可能性が出てきた。他方、①との兼ね合いで②の判断をどこで行うのかが重要である。マイナス金利解除は能登半島地震の影響もあり、春闘後の賃上げや実質賃金の状況を確認する必要から、4月下旬、27、28日の金融政策決定会合が有力視されてきた(1月11日付 Bloomberg 桜井氏など)。しかし、先述の通り、今月の解除が現実味を帯びてきた。
結局は、①の状況を見ながら、まずは日米金利差を緩やかに縮小することを目標として、②の正常化を段階的に行っていくことが政策ターゲットとなってくるだろう。
急激に金利が上がると③への打撃が強いだけでなく、膨張した国債価格の含み損・利払い費増のリスクが高まる。ただし、短期的には企業の設備投資を促し、賃上げ→可処分所得増という経路で消費拡大が期待できるといった側面がある(1月11日付 ニューズウィーク日本版 加谷氏)。
逆に正常化が緩慢過ぎると、アベノミクス以降の構造的円安、効果薄のマネーストック推移、民間貸出不振、リスク含みの債務膨張路線を継続させるだけで長期的な解決にはつながらない。新型コロナウイルス感染症・ウクライナ情勢・中東情勢(パレスチナ戦争)の外的リスクが続く限り、国内人口動態(少子高齢化・人口減少)・内需依存・格差拡大と相まって、根本的なデフレ体質に外的要因のコストプッシュ・インフレが重なってくるという、スタグフレーションとも言える状況から抜け出しづらくなるだろう。
その結果、筆者が想定するディマンドプル局面(長期的な総供給サイドの産業構造改革など、次世代内需・外需に適応した規制緩和、成長戦略の実現、これと連動した総需要喚起策、実質賃金・税収の自然増)への転換機会を掴み損ねる可能性が高くなる。
短期的には、通常国会の状況次第では政治的混乱が正常化を遅らせるリスクも考えられる(前出 加谷氏)。逆に緩和支持の安倍派への打撃から「追い風」になるとの見解もある(前出 桜井氏)。中国経済のデフレ懸念は⑤の<ケース1>への傾斜を強め、正常化を遅らせる要因になりえる。
また、④について、内閣府発表のデフレギャップが少なく見積もられているとの指摘(1月10日付ニッポン放送 高橋氏)があり、4月下旬以降も緩和継続が妥当との見方もできる。
筆者はこの指摘はディマンドプル局面に有効と考えている。先述の信用乗数が不安定でマネーストックが思うように増えないという問題もあることから懐疑的である。政策として⑥を目指さないとならない。
総じて⑤を考慮すると、今年の為替相場はおそらく、年初水準1ドル140円台前半の円安から130円台円高への緩やかな上振れの範囲が理想的な展開になるだろう。
アウトラインから具体的にはどのようなことが言えるだろうか。まず①は、昨年末から利下げ観測が濃厚になってきた。今年3回利下げするとの観測が広がった(23年12月14日配信 テレ東BIZ 参照)。物価上昇減速傾向を受けての3会合連続で利上げの見送りとなるが、米国経済の底堅さが垣間見える。
「物価の安定」を最優先してきたスタンスから、「雇用の最大化」と「物価の安定」をイコールで重視していくという本来のスタンスに戻るとの見方もある(23年12月16日配信 TBS NEWS DIG 東短リサーチ代表取締役 チーフエコノミスト 加藤 出氏)。加藤氏によると、インフレ率が順調に下がっていくのを見ながら、景気後退にならないようにバランスをとっていく局面に入ったという。5月辺りから利下げが始まるとの見通しとしている。②については、4月まで引っ張ると難しくなり、その後の利上げ可能性も相当低下してしまうとの見方を紹介している。この点については、年明けの能登半島地震の影響や春闘の賃上げが中小企業へ波及する状況の見極めから、4月以降にならざる得ないだろう。
時事通信社は23年12月18日の配信記事で、米連邦公開市場委員会(FOMC)の「経済・政策金利見通し」を紹介。「2024年年末までに0.25%の利下げに換算して少なくとも3回の利下げが実施されることが予想される」とする一方で、「インフレが目標水準に向けて低下していく中、米国経済は2024年には減速すると予想されることから、利下げ開始は、2024年年央もしくはそれより少し前倒しとなる公算」が高まってきたとしている。
②の内、マイナス金利解除は昨年末までは1月の金融政策決定会合が重要なタイミングとの見方があったが、先述の通り、年明けの能登半島地震の影響で後ろ倒しになる可能性が濃厚となり、大方の予想通り1月23日の日銀政策決定会合では大規模緩和の維持が決定された(1月23日付 日本経済新聞電子版)。昨年末まで今年の春闘の「賃上げと物価の好循環」を見極めてからだと金融政策正常化が難しくなるとの見方もあったが、4月の金融政策決定会合が有力視されてきた。
ただし、FRBの利下げが「5月辺りから始まるとの見通し」「2024年年央もしくはそれより少し前倒しとなる公算」との見解もあることから、マイナス金利解除をはじめとした正常化がさらに後ろ倒しになる可能性もある。この点について、興味深い論考があったので掲載しておく。
一つ目は、野村総合研究所・木内登英氏の見解。1月9日付配信記事で、FRBの利下げが一巡するのを待ってからマイナス金利政策解除に動く可能性を指摘していた。FMOC内の予想は24年中に3回程度の利下げだが、その場合、日銀は今年10月の会合でマイナス金利政策解除に動くことが可能。金融市場は24年中に6回程度の利下げを予想しているが、その場合、25年に先送りされるとしている。
結論から言うと予測通りになりそうもないが、FRBとの関係から言っても、時期尚早の判断になる可能性はある。
もう一つは、数量政策学者・高橋洋一氏の見解である。前出1月月9日のニッポン放送でNAIRU(Non-Accelerating Inflation Rate of Unemployment)という概念を紹介している。「インフレを加速しない失業率」と翻訳。日本は「失業率2.5%を少し切るくらい」を目指して景気対策や金融緩和を行えばよいと解説。現状を「失業率の下限」に達すれば賃上げだけだが、到達手前で躊躇している状況と分析している。現在のインフレ率2%程度だと「何もしてはけいない」とし、アメリカのように4~5%くらいになってからブレーキをかけ始めればよいという。「ビハインド・ザ・カーブ」の考え方から「遅れて金融政策を行う」というのが鉄則としたうえで、性急な利上げや正常化を批判している。
他方、今年の春闘で雇用者の約7割を占める中小企業の賃上げが進まなければ、実質賃金が上がらない、弱含みの消費が振るわないという状況から確実に抜け出せるという確証がない。今月、マイナス金利を解除したとしても、ゼロ金利の解除や長期金利の正常化は難しい判断が求められるだろう。
③については、輸出型製造業への打撃は、短期的にはJカーブ効果が見込まれ影響が少ないと考えることができる。賃上げによる実質賃金の推移や住民税非課税世帯への給付金、6月から実施予定の定額減税の効果も見定めたい。ここでの需要増のプラス効果が利上げのマイナス効果を上回ればデメリットの影響は解消していくだろう。
あらためて後述するが、アウトラインを具体的に述べると、長期的には「選択と集中」による内需増、DXや人的投資による労働生産性の向上や雇用規制緩和、旧産業に囚われない産業構造改革による外需取り込みを実施することにより、どこまで国内外の好循環を実現し、総需要の底上げを図ることができるかどうかが課題だろう。適切なディマンドプル要因の実質賃金増を実現できれば、80年代の日本がそうだったように、多少円高に振れてもブレない底堅さが確保できるはずである。
⑤と⑥も同じである。短期的には賃上げや戦略的な財政支出による裁量的な総需要の底上げ、長期的には総供給サイドの構造改革(繰り返し述べているように、産業構造改革・雇用規制緩和)による成長産業の創出や技術革新、DXや人的投資による労働生産性向上、大企業を中心とした労働分配率の向上、超長期的にはそれらによる経済成長の実現が課題となってくる。
⑤は内需縮小を補う外需(輸出)産業を創出することで貿易黒字が期待できるし、⑥は実体経済が活性化して資金需要が増えることで、民間銀行の融資が活発になり、なおかつ、需要の底堅さから民間銀行にとっても利益を見込んだ融資、民間企業や家計にとっては投資が活発になるだろうからである。米国の賃金上昇ペースや日米の潜在成長率の差の影響は、先述の通り長期的な課題への対応によるだろう。
詳細は先述の通りだが、今後の課題を考えるにあたり、パンデミック前から直近までの関係指標の振り返りをしておこう。
・パンデミック前~パンデミック発生直後(2020年5月まで)の米国金利と円の為替レート
FRBが金利を下げはじめた19年8月のタイミングで一時的に円高・ドル安になったが、すぐに円安・ドル高に戻った。パンデミック後、FRBはゼロ金利まで下げたが、為替レートは乱高下しつつ、円高・ドル安にはなっていない。後述の構造的な問題(日本の貿易赤字)が関係している。引用元(1月1日付Wedge ONLINE)図表①参照。
その後、米長期金利の上昇と共に、円安・ドル高が相関しながら進んでいった。22年2月以降の急上昇はウクライナ情勢の影響だろう。
・パンデミック後(2022年まで)の主要国の政策金利
日本以外、引き上げている。ウクライナ戦争に伴う物価高対策を講じることができない日銀の異様さが目立つ(内閣府「日本経済2022-2023」資料9頁 「第1-1-3図 主要国の物価上昇に対する財政金融政策」参照)。
23年9月16日付東京新聞によると、米欧の中央銀行はコロナ禍の経済下支えのために進めた金融緩和から引き締めにかじを切る中、金融機関の経営環境は激変したという。米国では中堅銀3行が相次いで破綻したことは記憶に新しい。こうした状況を背景にノンバンクによる融資が拡大しているという。中国の不動産不況と合わせてリーマン級のリスク要因を懸念する見方は、後遺症として注視していく必要がある。
・去年から(2023年~)
FRB金利:23年10月13日付時事通信社配信記事によると、22年にインフレのピークが過ぎたが、23年も引き締めを続けてきた。
長期金利:先述の通り、日銀の23年7月・10月にYCC(イールドカーブ・コントロール)柔軟化をした影響を注視する必要がある。
7月31日の利回り(長期金利の指標となる新発10年債)が一時0.605%に上昇(2014年6月以来の高水準。8月1日付東京新聞)。
9月11日、日銀の植田和男総裁がマイナス金利解除の可能性に言及したことを受けて0.75%の高水準(2014年1月以来)を付けた(9月12日付東京新聞)。
10月4日、日銀緩和修正を反映して、財務省が3日、10月に発行する10年物国債の「表面利率」を9月までの年0.4%から年0.8%に引上げた(10月4日付東京新聞)。推移は以下の23年12月1日付時事通信の記事を参照。
日米金利差:コロナ禍以降の傾向を見るとドル円相場と日米金利差はほぼ連動しているが、中長期的に見ると連動していない局面もある(図表1・2参照)。引用元(23年8月1日付 みずほリサーチ&テクノロジーズ 調査部 総括・市場調査チーム エコノミスト 東深澤武史)は「金利差以外の為替相場の変動要因としては、物価動向や国際収支、景気動向、株価、政治動向などが挙げられる」としている。
為替レート:すでに振り返ったように、日米金利差や日銀の金融緩和継続を見越して円安・ドル高が進んだ。しかし、12月に入り、日銀の金融政策正常化や日米金利差縮小の観測から円高・ドル安に転じた。年明け1日、能登半島地震が起こると、マイナス金利解除が後退し、米長期金利の上昇するとの観測から再び円安・ドル高に転じた。
▢民間投資
投資は経済全体の約2割を占める。消費を合わせると約8割となり、総需要に与える影響が大きい。先述の通り、消費は減少傾向にあるが、投資は企業の将来予測にもとづいて行われるため、消費と比べて景気の先行きに左右される。資本蓄積を通じて経済成長の源泉ともなりえる指標である。
かつての日本の高度成長を支えたのは旺盛な設備投資であるが、GDPに占める割合から減価償却分を控除したネット(純投資)で見たとき、バブル崩壊後から低下し、21世紀以降5%未満の低水準で推移してきた。リーマン・ショック後はマイナスになったという(中谷氏 前掲著より)。
近年のGDPに占める金額ベースで民間設備投資の推移を見てみると、名目・実質ともに2009年頃から増加傾向にある(22年8月9日付 第一生命経済研究所 永濱利廣氏 『今年度の設備投資計画が旺盛な訳』 図「民間企業設備の推移」参照)。
その後の推移は新型コロナ感染症の時に落ち込みが見られ、その後、持ち直している(21年8月9日付読売新聞電子版・23年9月12日付工場計画情報 参照)。23年の状況について報道から引いてみる。
微増だが、持ち直しの傾向が続いている。
さて、こうした状況は理論的にどのような状態であると言えるだろうか。再び、中谷氏の前掲著を参照すると、
しかし、これでは理論とは言えない。この点で現段階の投資理論は不十分だという。技術革新(最近ではコンピューターや半導体、インターネット、AIの発明)といった外生的要因によって投資が大きく左右されることを指摘したうえで、ケインズ派の「投資の限界効率」という理論を紹介している。
初歩的な部分をごく単純化して言うと以下のようになる。詳細は同著を参照されたい。
ネットから適当なグラフを引用できなかった。とりあえず、比較的よくできているものを掲載しておくが、詳細は同著を参照されたい。
ところで、この理論はケインズ経済学の裁量的な総需要管理政策における導入部分に位置づけられるもので、その限りにおいて、あくまで短期が想定されている。投資理論ではその他、「加速度原理」、「ストック調整モデル」、「調整費用モデル」、「トービンのq理論」などがある。また、民間投資には設備投資の他、在庫投資や住宅投資を含めるのが一般的である。ご興味のある方は同著などのマクロ経済学の理論書を紐解かれることをお薦めしたい。
さて、現実の経済に視点を戻す。近年の傾向として金融緩和策が推し進められ、マイナス金利を取り入れるまでして期待インフレ率を高め、実体経済への貸出圧力を高めようとした。言わばリフレ派の主張に基づき、アベノミクス以降も基本的にこの路線で大規模緩和を続けてきた。先述の「外生的貨幣供給論」である。しかし、実際には貸出は思うように伸びず、準備率が過剰になり、日銀当預金が積みあがる傾向にあるので、マネーストックが伸び悩んできたことも先述の通りである。
この状況を「投資の限界効率」の観点から言うと、どのようなことが言えるだろうか。一橋大学名誉教授の野口悠紀雄氏は23年11月23日付DIAMOND Onlineで、低金利が続いたため限界効率の低いプロジェクトへの投資が慢性化したため、収益率が低い投資で企業の生産性が低下してしまっていることを指摘している。
民間投資が思うように伸びないのは、信用乗数が不安定化しており、マネーストックが思うように伸びないていない可能性については述べた。マイナス金利まで実施しても貸出が伸びないのは、実体経済の将来性に明るい材料を見出しにくいからだろう。短期的には、流動性の罠に陥っている可能性や投資が利子率に対して弾力性がゼロに近づいている可能性が考えられる。
野口氏の考察は、それだけでなく、投資ができたとしても生産性が低下している可能性があるというのだ。今後、検証をしながらマイナス金利解除後の世界を模索していく必要がある。
最後に研究開発投資の必要性を指摘しておきたい。1990年代初頭のバブル崩壊以降、日本経済の国際競争力は低下していったが、再び競争力を強化するために欠かせないのが、成長産業や技術革新に欠かせない研究開発投資である。ところが23年3月発表の経済産業省資料によると、主要国のなかでも日本だけが低迷しているといった状況である。
1月4日配信のTBS電子版のよると、日銀の植田和男総裁は「賃金と物価の好循環が実現すれば、企業は設備投資や研究開発投資に前向きに取り組むことができるようになると強調した」そうだ。今後インフレが進み、金利が上昇すれば現金保有が損失となることから、企業は設備投資拡大に踏み切らざるを得ず、景気拡大の呼び水になるとの指摘がある。同時に積極的な賃上げを実施すれば、家計の可処分所得が増え、消費の拡大が期待できるという(前出 加谷氏)。長期的なディマンドプル要因の実質賃金増、経済成長への誘因として期待したい。
▢成長産業への対応(産業構造改革・雇用政策・技術革新)
一国の経済成長は理論的に外生的・内生的要因で決定されると考えられるが、労働投入量がその時々の人口動態に影響されるのと同じように、貯蓄・投資による資本ストックも時代の影響を大きく受ける。労働力は旧産業から次世代産業(例えば農業から工業)へと移動してきたし、技術進歩はまさにその時代の技術革新(例えば、農業革命や産業革命)によって条件づけられてきた。そのため、どの分野で生産要素を投入するのかは、その国の経済成長の命運を決定づけると言ってよい。
すでに述べてきたように、昨今の日本経済は、約20年余り続いてきた構造的なデフレ体質を基調としており、とりわけ、ウクライナ戦争で顕著になったコストプッシュ・インフレが重なっている状態だと筆者は考えている。結果的に、景気が後退しながら物価が上がるというスタグフレーションに近い状況に陥っていると見ている。
解決策の方向性はあらためて後述するが、政策の短期目標は金融政策正常化によるコストプッシュ要因の鎮静化、大企業を中心とした賃上げ・設備投資・可処分所得増による消費刺激、中小企業支援策(投資・賃上げ)、減税が有効だろう。すでに税制政策の振り返りで見てきたように、昨年の補正予算・税制改正大綱・一般会計予算案ではこれらをカバーする方向で財政支出がなされており、財源に課題があるにせよ、大枠では適切である。
ただし、あくまで短期的なものとして捉える必要があり、政策効果としては非課税世帯への給付金や定額減税が貯蓄に回される可能性があったり、逆に比較的所得が高い層が消費することでインフレを助長する可能性がある。定額減税の実施は今年の6月を予定しているが、この間、金融政策が正常化されて金利が上昇すれば貯蓄に回す可能性が高まるだろうし、緩和が継続され低金利が続いて実質賃金が低調なままなら貯蓄へ、物価高が顕著なら所得が高い層を中心に投資へという流れが予想される。言うまでもなく、投資に向かうこともインフレを助長する側面がある。
財政出動の内容については、必要性に疑問符が付くものが紛れ込んでいるなど、全体的に中途半端であることは指摘した。これも述べた通り、政策的経費を圧迫しながらの財政支出でありながら、大学無償化など省益拡大としか思えない政策が入っていることや、特例国債を増発しながらの財政出動は、公共部門の肥大化を招く結果になりやすい。政権の人気取り、中央省庁の権益拡大というバイアス(bias)が政策決定に歪みを生じさせる側面は否定できない。
財政支出の「選択と集中」がなされているか、クラウディングアウトを引き起こさない程度の内容か。私たち国民一人ひとりが厳しくチェックする必要がある所以である。
長期的な方向性は繰り返し述べてきたが、この延長線上で、金融政策正常化によりコストプッシュ要因を鎮静化しながら、ディマンドプル要因の実質賃金・税収の自然増を実現するための実体経済の刷新、すなわち、産業構造改革・労働規制緩和・成長産業への労働力移動・労働生産性向上による総供給増を目指すことが有効だろう。総需要は、大企業を中心とした労働分配率増・今後の内需縮小への対応や外需取り込み策が必要となってくるだろう。
こうして実体経済が活性化していけば、総需要・総供給が上昇均衡しながら実質賃金も上向き、民間銀行の貸出が増え、経済成長率が上向いていく姿が見通せるのである。
MMTの積極財政派の主張の課題はあらためて後述するが、「この局面で、戦略的に実施すれば」という条件付きで有効かもしれない。
財政政策の節で、現在の政府がどのような取り組みをしているかを考えたが、ここでは、次の方向性から検討したい。
①:今後の総供給・総需要(内需・外需)の方向性
②:①から長期的に必要とされる成長産業との比較
③:国際競争力の回復
まず①は、前回の投稿でも言及したように、次世代に適応した総供給の刷新と総需要(内需・外需)の創出に政策ターゲットを定めるということである。
前出の河合氏はその著書『未来の年表 業界大変化』で、人口減少への対策として「戦略的に縮むための『未来のトリセツ』(10のステップ)」を提唱しているが、同氏が日本企業に求められるとする方向性、すなわち「(1)国内マーケットの変化に合わせてビジネスモデルを変える、(2)海外マーケットに本格進出するための準備を整える──という二正面作戦」は政策の方向性として参考になるだろう。国内の縮小均衡に見合った戦略的な総供給の刷新、総需要(内需・外需)の創出及び取り込み策が必要不可欠ということである。
②についてはどうか。経営コンサルタント・大前研一氏はその著書『第4の波: 大前流「21世紀型経済理論」』で、日本の産業はいまだに第2の波である工業化社会の段階に留まっており、第4の波であるサイバー社会への刷新を主張しているが、第3の波である情報技術革命に乗り遅れたことは大前氏に限らず、海外の有識者からも指摘されている(23年8月18日付 東京新聞電子版 殷剣峰・首席エコノミスト 参照)。
近年の産業従事者の割合の推移を振り返ると、昭和は「農業国から、工業化へ」構造変化の時代、平成は「ITに代表される知識産業の到来」と総括することができる(大正大学 地域構想研究所 主任研究員 『この15年で日本の産業構造はどう変わったのか?』)。時代とともに第1次産業から第2次産業、第3次産業へと労働力が移動してきた。
しかし、これを時価総額ランキングを見ると、実際の企業の規模が反映されるので景色が違って見えてくる。日本経済がバブル景気で沸いていた1989年当時、世界ランキング上位に日本企業が多数入っていたが、2023年のランキングを見ると一つも入っていない。代わりにランキングされているのはGAFAMなどの米国を中心とした海外勢だ(23年9月6日付 THE GOLD ONLINE 鈴木健二郎氏)。
昨年3月末時点では、トヨタ自動車が上位100社以内で唯一、39位に入ったとの報道があった(23年5月26日付 東京新聞電子版)が、12月31日付の時価総額ランキングを見ると、この傾向は続いている。世界のGDPに占める日本の割合は、1989年当時15.5%だったのが、22年は4.2%に低下している(2月17日付 東京新聞電子版)。
これは何を意味するのか。大前氏は同著で、「工業化社会で活躍する人材からサイバー社会で活躍する人材」への観点から、「学習指導要領に沿った答えのある教育、均質的な人材」から「考える教育、人間にしかできない、構想力のある人材」への転換を主張している。記憶や計算などはAI(人工知能)が得意とするところで、人間は敵わないので任せる。その代わり、介護で必要となるような細かな神経を使う仕事や、見えないものを見る力、すなわち構想力が求められる仕事は人間にしかできないので、そういったところを今後伸ばせばよいとしている。
ところが、国内企業だけに絞った場合の時価総額ランキングを見てみると、製造業や重厚長大産業、総合商社を中心とした既得権益を保持する産業が中心となっており、世界ランキングで上位に入るようなサイバー社会に適応できそうな企業があまりないといった印象である(1月8日付 東洋経済オンライン 参照)。
こうしたギャップは他のデータからも裏付けることができる。
23年6月30日付日本経済新聞電子版は、「Apple時価総額、終値で3兆ドル突破 世界で初めて」と報じた。同年7月2日付東京新聞によると、「トヨタ自動車の約11倍」。「『アップル経済圏』の拡大による成長は続く見込みで、専門家からはさらなる株価の上昇を予想する声が出ている」としている。ネットから同記事配信のグラフを引いておく。
だが、アップルも安住していられない。1月23日付 Bloombergは、時価総額でマイクロソフトがアップルを抜いたと報じた。
こうしたデジタル産業の隆盛はiPhoneなどの国内消費にも影響を及ぼしているわけだが、23年7~9月期のGDPが3期ぶりのマイナスになったときに注目されたのが、海外の動画配信サービスの堅調さである。23年11月16日付東京新聞は「実質0.5%増の輸出に対して、1.0%増の輸入の伸びが強く、全体のマイナス成長に影響した」とし、「輸入が増えている一因は、海外の動画配信など日本からのデジタル消費の堅調さだ」と結論づけている。
コロナ禍から始まった巣ごもり需要を端緒に、海外動画配信サービスがしのぎを削りながら国内市場シェアを伸ばしている(23年3月31日付 時事通信社電子版)。この結果がマイナス成長に影響した格好だ。
しかし、国内のデジタル産業は不振である。スイスの国際経営開発研究所(IMD)が発表した2023年の「世界デジタル競争力ランキング」によると、日本は32位に下落したという(23年12月7日付産経新聞電子版など)。
大前氏が指摘するように、「サイバー社会」から立ち遅れている様子を見て取れる。
こうした状況に対して、昨年度の補正予算以降の財政政策メニューに上がってこないのはなぜだろうか。
筆者が確認する限り、今年度の一般会計予算案に医療のDX推進が言及されている程度である。理念としては、23年6月16日に閣議決定された「新しい資本主義実行計画 2023改訂版」や、23年10月11日に初会合が開かれた「デジタル行財政改革会議」があるが、掛け声だけの理想論に留まっているといった印象である。「新しい資本主義実行計画 2023改訂版)」については後述するが、後者について、その当時の報道を載せておく。
さて、ここまで、成長途上のデジタル産業と国内のギャップを見てきたが、成長が見込まれるのはデジタル産業に限らない。DXは労働生産性向上の手段として設備投資の対象と扱われることを考えると、言ってみればこれからの時代の必須項目であり、これを契機に大前氏の主張する「ケア(care)」や「構想力」といった人間にしかできない仕事に特化していくといった方向性が有力になるのかもしれない。
同氏はこの他、『シニアエコノミー: 「老後不安」を乗り越える』で、個人金融資産の6割以上を保有するシニア世代に向けたサービスが今後有望であることや、『日本の論点 2024~2025』では、「観光立国」を目指すべきだと主張している。コロナ禍前の水準を上回ってきたインバウンドに留まらず、観光資源がフランスやスペインに劣らないので、フル活用すれば外国人旅行者で世界トップクラスに並ぶポテンシャルがあるという。
一橋大学名誉教授・野口悠紀雄氏は、近著『プア・ジャパン 気がつけば「貧困大国」』で2040年の就業者数・産業別GDPの推計を試みているが、就業者の伸び率から「医療・介護」が最大の産業となり、その規模は製造業の2倍を超えるという。産業別GDPでも「専門科学技術」と共に右肩上がりで推移し、40年時点では「卸売り小売業」と肩を並べる水準になるという。生産性が現在よりも低下するという課題が残るものの、成長産業として推計されている。
前出の中谷氏は前掲著で、今後、製造業に代わる「リーディング・インダストリー」として挙げているのは、「情報産業、バイオ産業、環境関連産業、医療産業など」である。これらが現れないかぎり、成長力が低下する可能性が高いとしている。
③は、①②の「理想と現実のギャップ」から必要な政策を実施ていくことが有効だろう。まず、私たちが受け止めるべきは、かつてのバブル景気の時代と異なり、日本の国際競争力が右肩下がりで低下しているという事実である。
例えば、23年10月24日付三菱総合研究所の配信記事によると、IMD「世界競争力年鑑」2023年版が、日本の競争力総合順位は35位と過去最低を更新したとしている。この記事の分析では、「ビジネス効率性」の低下が顕著で、経営層の「新ビジネスの育成」や「ビジネス推進の環境」に課題があるとしている。企業内投資との関連では「研究開発力」が中期的には低下傾向にあるとみられるという。
一応、こうした成長産業への認識は政府にもあるようである。掛け声だけの理想論に終始している傾向があると先述したが、このうち、後述するとした「新しい資本主義実行計画 2023改訂版」を見てみたい。ネットで調べると『新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画 2023年改訂版』という資料で閣議決定された実行計画を確認できる。
目次を概観すると、先ほど取り上げた有識者が提唱する成長分野と重なる部分はあるものの、第一印象としては、半導体といった知財漏洩や投資の遅れ、競争優位性の低下が問題になっている既存産業への傾斜や、医療・介護分野が手薄であることが気なる。理念や目標を外形的に方向づけるものという性質上やむを得ない部分があるが、この壮大なプランを実行するための財源の裏付けがよく分からない。実現可能性を検証するには今現在の財政・金融政策の状況から推測するしかないのだが、振り返りで述べたように、短期的な政策目標をこなすだけでも厳しい判断が迫られている状況である。現時点ではやはり、掛け声だけに終始していると言わざるを得ない。
この「実行計画 2023改訂版」は、成立過程から問題点が指摘されていた。23年6月7日の経済財政諮問会議。そこで示された「骨太方針案の骨子」に「『新しい資本主義』の実現に向け、労働市場改革やスタートアップ支援を実施。半導体や脱炭素、デジタル化への投資を加速」とある(23年6月8日付 東京新聞 参照)。
これは同6日に公表された「新しい資本主義実行計画」の改定案を反映させたものだが、この改定案自体は「労働市場改革による構造的賃上げや、スタートアップ(新興企業)育成など産業構造の転換に引き続き重点を置き、半導体などを中心とした国内投資の促進も新たに明記した(23年6月7日付東京新聞)」とあるように、半導体への違和感はあるもの、大まかな方向性は筆者の議論とも一致していると言えそうである。
ただ、これが出た当時、専門家から問題点も指摘されていた。欧州と異なり、「労働移動」に伴う安全網が不十分ではないかといった懸念や、海外勢が先行する生成AI(人工知能)分野で勝てるのかという疑問である(同6月7日付東京新聞 参照)。
では閣議決定された「実行計画 2023改訂版(先述資料)」はどうか。成長分野の方向性や実効性は妥当と言えるのか。目次の所感は先述の通りだが、内容を概観して気になる点を列挙しておく。
・改訂の考え方
「分厚い中間層の復活」を基本理念としており、本稿における筆者の問題意識と方向性は重なる。しかし、方法論については違和感がある。
・資本主義の方向性についての考え方
新自由主義的政策から官民連携による政策で課題解決をしていく段階と位置付けているが、経済理論で言えば、マネタリズムからケインズ派への弁証法的発展と言うことができる。あえて言えば、ニューケインジアンかポストケインジアンかの間でウェイト付けを行いながら政策決定をしていくということになるのかもしれない。
官民連携を国家主導で推進していくとなれば、ポストケインジアンに近くなる。基本的に少子高齢化・人口減少に伴う国内市場の戦略的縮小の政策は、市場に任せると地域格差・所得格差が広がるばかりで全体最適が難しくなるだろう。他方で、内需縮小を補う外需取り込み策の観点から国内市場活性化やグローバル市場の取り込み策を想定していることから、規制を緩和し、市場経済に比重を置かざるを得ない。この意味で、ニューケインジアンに近い政策も想定しておく必要がある。
しかし、いくら両者のバランスに注意を向けても、理論的には長期・超長期を想定しておかないとグランドデザインとは言い難い。
ここでMMTとポストケインジアンとの親和性が高いとする指摘が、一つの方向性を示唆している(ジョブテイル著 『MMTで解ける財政問題』 参照)。中谷氏も前掲著で、ケインジアンとMMTとの親和性に関して、「失業が存在している状況においてはインフレも起こりにくいので、そのかぎりにおいては両者の主張はほとんど同じ」といっても差し支えないと指摘している。
そのうえで中谷氏は、MMT論者は短期的な完全雇用の実現だけでなく、長期的な社会改革を視野に入れいているとも指摘しており、ケインジアンが射程とする期間について、理論的限界を超える可能性を示唆している。
しかしその反面、MMTはポストケインジアンからも批判されているとの指摘があることにも注意が必要である。「1940年代のケインズ経済学」へ先祖返りをしている点、財政支出をとにかく増やせば経済成長するというロジックの因果関係が、本来の経済の在り方から逆転している点への批判である(柿埜真吾著『本当に役立つ経済学全史』 参照)。
したがって、今後は理論的検証を行いながら、実効性のある政策決定をしていくことが、マクロ経済理論の新機軸を打ち出すといった意味でも重要になってくると考えられる。
・労働市場改革の考え方
人的投資が実質賃金低迷の主因との問題意識は同意できる。終身雇用・年功序列を念頭に置いた「メンバーシップ型雇用」から、主体的にキャリアを選択・構築するための「ジョブ型雇用」への転換、成長産業への労働力移動を促すための「リ・スキリング」の制度化は、北欧の成功事例から今後の日本企業にも求められる方向性なのだろう。
しかし疑問に感じるのは、これで本当の意味での人的投資ができるのか、今後必要なスキル習得や成長産業への労働力移動ができるのか、といった点である。
人的投資については言うまでもないだろう。かつての長期雇用を前提とした雇用慣行は時代の要請に応えられなくなっていく半面、OJTを入り口としたジョブローテーションで経験を積ませることにより、従業員の実践的なスキル向上や強い組織づくりに資する面とがあった。机上の勉強をしただけで、実践的なスキルが習得できるわけがない。
長期的には、一民間企業の枠を超えた労働力移動の問題なのだから、離職や失業を前提としたリカレント教育とワンセットで制度設計されるべきである。今後ますます長期雇用が難しくなってくるから雇用の流動化の必要性が指摘されているわけだし、こうした国家全体を俯瞰した労働市場の制度設計は、やはり国家主導で行われるべき問題である。今後ますます、民間企業に縮小均衡時代の利害調整や、企業・国家を超えた労働力移動を期待できるわけがない。いくら投資を促しても限界がある。ここを民間に期待しているのなら、産業革命以降の工業化社会で世界的に伝搬した、市場が拡大していく時代のレセ・フェール(自由放任主義)の発想だろう。
北欧が労働力移動に成功していると言われるのは、やはりリカレント教育が充実しているからである。ALMP(Active Labor Market Policy)と言うが、企業には助成金が支給されたり、職業訓練や再教育プログラムが充実しているだけでなく、失業した場合の社会保障が比較的充実しているので、失業者が安定した生計を維持しながら再教育や職業訓練に取り組むことができると言われている。
果たして、日本の雇用保険や生活保護がこうした意味で機能するのかと言えば、疑問を抱かざるを得ない。雇用調整助成金の見直しへの言及はあるものの、実効性が疑わしい。再教育中の雇用や生活の保障が不十分であるため、今の制度のまま「リ・スキリング」を促すと、無責任に失業を促す結果となり、職業紹介会社や求人紹介会社を儲けさせるだけである。
職業訓練に至っては多少言及はあるが、これも実現できるのか疑わしい。ハローワークが勧める内容を見ると、既得権益を儲けさせるだけで、お世辞にも成長産業への労働力移動を想定しているものとは言えない。教える側が実務に精通していないとならない問題や、訓練後の再雇用が可能かといった問題もある。相当程度、労働移動を柔軟化させる雇用慣行の刷新や浸透が必要となるだろう。ハローワークのキャリアコンサルティング機能の強化も同様で、民間企業の実態に相当精通していないと官民協働の施策にはならない。
・労働生産性に対する考え方
中小企業への支援策ばかりが強調されているが、大企業こそ改善の余地があるだろう。株価が最高値を更新するなか、DXやリスキリングへの投資余力は大企業こそあるはずである。もはや、内部留保を正当化できないはずであり、低い労働分配率に改善の余地があるのは、むしろ大企業の方である。これを促し、下請け企業への値下げ圧力へのペナルティーをつける施策こそが価格転嫁を促すといった意味で、中小企業へのへの支援策にもなる。民間余力を還流させることになるので、こちらの方が財政支出を抑えることができるはずである。
・戦略分野の考え方
「半導体、蓄電池、バイオものづくり、データセンター等」としているが、半導体や蓄電池には違和感がある。医療・介護が明記されていないことも先述の通り気になる。前出の野口氏が前掲著で推計されているように、この分野こそが今後需要の実勢から供給面を補うことで将来有望な産業になるはずなのに、なぜ戦略分野に位置づけられないのか。特に高齢者介護は、放漫財政の逃げ口上として芽を摘んでしまい、すでに社会問題化しつつある「介護離職」や「介護難民」を悪化させるだけになるのではないか。
介護のDXについては、医療のおまけのように軽く触れられている程度である。2025年までの地域包括ケアシステムの完成や介護ロボット・ICT機器の開発や導入は、既定路線として当然実現しないとならない。
半導体は経済安全保障上の戦略分野とは言え、台湾企業の誘致にどれだけの経済的インパクトがあるのか。知財漏洩や投資の遅れ、競争優位性が低下している状況からのキャッチアップ・コストを回収できるだけの収益が見込めるのか。
工業化段階に留まる既得権益を保護しているといった印象で、結果的に今後、投資や労働力移動をしていく必要性のある成長分野の足を引っ張ることにつながらないか疑問である。投資回収に一定の期間が必要であることは理解できる。EVシフトを見据えた蓄電池への注力も同様である。なお、リチウムイオン電池の優位性を強調しているが、原料採掘の実態を考えれば、環境問題の根本的解決にはつながらない施策である。
・高度外国人材の呼び込みの考え方
アベノミクス以降の円安傾向、英語が公用語でない、前出の大前氏がその著書『経済参謀』で指摘するような、アメリカのシリコンバレーや中国の深圳などに匹敵する「メガリージョン」が存在していない……。思いつくだけでこれだけの参入障壁があるのに、どのようにして呼び込むというのか。必要性は筆者も認めるところで、後述の通り国もプランは思い描いているようだが、財源の裏付けや長期的プランの理論的射程が不明確な状態での掛け声は、噴飯ものである。
・GXの考え方
洋上風力・太陽光ともに実効性があるとは言い難い。洋上風力は湾岸のどこに設置するというのか。海上交通の制度的問題や環境負荷が気になる。太陽光は中国のように広大な国土があって面積を確保できれば可能性はあるのだろうが、国土が狭く、急峻な山岳地帯の多い日本国内のどこにそんな面積を確保できるというのか。森林伐採や産業廃棄物処理などの点で環境問題を引き起こす問題もある。
原子力は根絶した方がよい。昨年4月15日、ドイツは最後の原発3基を停止。「脱原発」を実現した(23年4月16日 NHK 参照)。半導体や蓄電池と同じで、既得権益を保護しているだけではないのか。投資コストよりも高リスクが引き起こすコストの方が高くなる可能性がある。
まず、自然災害時のリスクである。CO₂を排出しないといった意味ではクリーンエネルギーに違いはないが、東日本大震災時の放射能汚染で検証されたように、自然災害の二次的リスクが大きい。発電から廃棄に至る一連の流れが、自然のエコシステムの循環に入っていかない。放射性廃棄物処理の問題がいつまで経っても解決の兆しが見えないのは、本質的にこの点に尽きると言ってよい。
防衛の観点からもリスクが高い。有事の際、在日米軍だけでなく、原子力発電所もターゲットとなりやすい。昨年4月13日朝、防衛相が北朝鮮の発射ミサイルが落下するとみられると発表。全国瞬時警報システム(Jアラート)で避難を呼びかけをしたが、結局落下はせず、その精度が疑問視されたことがあった(23年4月13日付 朝日新聞電子版 参照)。防衛・迎撃態勢の脆弱さが露呈した格好となったが、同時に原発リスクを浮かび上がらせる結果ともなった。
水素エネルギーは言及あるが、こちらの方が将来性を感じる。その他、水力発電、バイオマスなどは多少将来性を感じるが、どこにも記載がないのはどういうわけだろうか。
・食料安全保障の考え方
農林水産省は昨年8月7日、22年度のカロリーベースの食料自給率が前年度と同じ38%、生産額ベースの自給率は5ポイント低下の58%となり、比較可能な1965年度以降で最低を更新した(23年8月7日付 日本経済新聞 電子版)。このため輸入に頼らざるを得ない現状から問題意識は共有するが、「国内生産の増大を基本」とするにあたり、従事者の確保、スマート農業の推進への具体的な方向性が見えない。従事者の施策に関しては一言も記載がない。
農業就業者の高齢化に伴う引退者の増加、新規就農者の減少、その結果としての就業人口の減少をどうするのかといった問題がある。米国のように機械やAIを活用した「生産性の向上」はこうした観点から重要となってくる。温暖化に伴う栽培適地への対策も必要だ(前出・河合氏『未来の年表 業界大変化』参照 )。「スマート農林水産業」以外は、方向性すら見えない。
・DXについての考え方
AIについては個人情報の不適切な利用、機密情報漏洩、著作権侵害、セキュリティなどといったリスク対応やガイドラインの協議は、普及と同時に今後も当然、必要になってくるだろう。先述の通り、2023年の「世界デジタル競争力ランキング」によると、日本は32位に下落してしまっており、民間サービスの生産性向上、行政サービスの効率化、国際競争力といった点からDX投資・実装は喫緊の課題と言ってよい。大前氏が前掲『第4の波』などで主張している「AI・スマホ革命」「サイバー社会」への適応である。
そのためには、DXに精通したエンジニアの育成が急務となるが、大前氏もその著書『経済参謀』などで度々指摘しているように、国内のシステムは省庁ごとの縦割り行政の弊害を反映してしまっており、自治体ごとにITゼネコンが別々のシステムを作ってしまっているのが問題である。それがマイナンバーカードの煩雑な手続きの要因になっている。金融機関のシステム障害の原因もほぼ同様の構図となっている。
つまり、個別のシステムを運用する人材はいるが、全体最適を構想し、企画からシステム構築・実装への流れを確保しないとならないのだが、それができる人材がいないのと、既得権益の利害が阻むのと、2つの課題がある。これを解決するためには相当ドラスティックな改革が必要となるだろう。大前氏も似たようなことを主張しているが、ITに強いインドから高度なエンジニアを招聘して予算を与えて企画段階から任せるとか、個別の既存システムをゼロベースで作り直すなどといった改革である。
しかし、今回の資料を読む限り、そうした可能性を感じさせない。
・大学ファンドによる支援の考え方
世界に伍する研究大学を作ることを目的としているが、前出の大前氏は『日本の論点 2024~2025』で、基礎研究に10兆円規模の資金を投じることを批判している。大学ランキングの順位を上げてノーベル賞受賞を目指すよりも、アメリカのスタンフォード大学やケンブリッジ大学のように、起業を促す「出会いの場」を作ることが有効としている。これと近いことをご自身の学校運営で行っており、年間1億円の投資だけでも16社をIPO(新規株式公開)に導くことができたと主張している。
その後、「留学生派遣・受け入れ」「博士課程学生・若手研究者等への支援」と続くが、国際競争力をつけて世界標準に近づくために必要性は同意する。しかし、高度外国人材の呼び込みと同じく、言葉の問題などの参入障壁や規制改革といった制度面の刷新が必要になってくるだろう。受け入れ側の民間企業の意識改革も欠かせない。目標は掲げてあるが、どのようにして実現するのかが見えてこない。
・産業構造の転換・スタートアップの考え方
産業構造の転換は、時代の役割を終えつつある産業から成長分野への意向を促すものであるはずが、企業の参入率・退出率の活性化や起業を促す議論に終始している。「GX・DX等の産業構造転換」をするために、「スタートアップ育成5か年計画」を推進していくという。比較的短期だが、繰り返し述べているように、財源や理論的裏付けが不明なので、実効性が疑わしい。最終的に「10兆円規模」を投じるというが、どのような算定根拠や投資回収の見通しなのか。
スタートアップ支援は、大前氏の主張するような産学交流の「出会いの場」の環境整備と共に、積極的に投資支援するベンチャーキャピタルやエンジェル投資家を増やすことが必要だろう。ユニコーン企業を輩出するための経済特区(メガリージョン)を設ける必要もある。米国・シリコンバレーや中国・深圳などと伍していくには、世界からヒト・モノ・カネが集まる魅力的な場の創造が必要となってくる。
そのためには産学「出会いの場」・投資支援・規制緩和(参入障壁の緩和・英語公用語化・高い報酬など)が有機的に作用しないとならない。今回の資料でも個別の言及はあるものの、互いに創発する発想が希薄である。また、誘致に重点を置いているが、その先には市場参加者主体の自発性が確保されないとならない。
・「デジタル田園都市国家構想」の考え方
「田園都市」の起源を調べると、もともとは産業革命期のイギリスで、都市部への人口集中やそのれに伴う住環境の悪化、工業化に伴う環境汚染を解消しようと、地方への分散化の運動が始まったことが始まりとされる。
日本の場合、故・大平正芳元総理の「田園都市国家の構想」で導入された。1979年1月以降に設置された研究グループの一つとして着手され、大平元総理の死後、1980年7月にまとめられたとされる(財団法人日本開発構想研究所 橋本武)。しかし、「均衡のとれた多彩な国土を形成するための究極的理念」とあるように、その理念は、高度経済成長期以降の「国土の均衡ある発展」の延長線上に位置づけられている。都市と地方の人口格差が顕在化していない時代の発想と言える。
これに対して現在は、人口動態の変化に伴う人口の偏在が本質的な課題である。
少子高齢化・人口減少局面が、東京首都圏一極集中、三大都市圏(東京・大阪・名古屋)への人口集中を促し続け、地方都市の衰退を引き起こしている。この問題を解決しない限り、「地方活性化を加速する」ためのデジタル支援をしても効果薄だろう。
前出の大前氏が前掲著(『シニアエコノミー』)で指摘するように、地域インフラとしてWiFiや5G(第5世代移動通信システム)を整えるというのは
地域格差を解消するといった観点から当然必要になってくると思われる。
しかし、経済活性化の観点から言えば、デジタル化は手段に過ぎない。同氏が他の著作(『『日本の論点 2024~2025』』)で主張するような、地方の観光資源を有効活用するなどの地域経済活性化策が目標として位置づけられるべきだろう。人口や地域経済の衰退傾向を解決するための内需・外需喚起策の効果測定をしながら、その効果を向上させるための手段としてデジタル化は位置づけられ、実効性のある政策を実行していくことこそが重要ではないのか。
今後の実効性や本来あるべき姿を指摘した。「実行計画 2023改訂版(先述資料)」公表後、刻一刻と現実の経済は動いている。いくつか関連記事を引用しておく。
▢インフレ期待
マクロ経済理論では、長期的には実際のインフレ率が期待インフレ率に近づき、総需要・総供給が完全雇用水準で均衡しながら期待インフレ率と実際のインフレ率が一致することを教える(中谷氏前掲著など参照)。本稿は理論的背景を詳述することが目的ではないので、ここではインフレーション理論と現実の経済との関係で次の二点を指摘し、約半年の情勢からどのような課題が見えてくるかを考察する。
理論との関係一つ目。アベノミクスの効果である。すでに振り返ったように、「第一の矢」と位置付けられた「異次元緩和」策はリフレ派の主張、すなわち、インフレ期待に働きかければ実際のインフレ率が上昇し、2%の目標が達成されるとされたが、思うような成果が無かった(20年9月1日付 東洋経済オンライン リチャード・カッツ)。先述の通り信用乗数が不安定化していることが主因と考えられるが、言うまでもなく、黒田日銀総裁が在任中、この大規模な金融緩和を続けてきたのはリフレ派のためである。その結果、マネーストックや民間銀行からの貸出が思うように増えず、実体経済への効果が小さかったことは、今までの議論からも明らかだろう。
なぜ、このようなことが生じるのだろうか。おそらく、前提としている理論とのギャップがあるのである。期待を調整する形での動学的総供給曲線・動学的総需要曲線の均衡が成り立たない。それは、動学的総供給曲線と本質的には同じことを意味するフィリップス曲線が、理論通り右下がりではなくなっているからであると思われる(独立行政法人経済産業研究所 青山秀明 参照)。ちなみに、現在のインフレ率2%超えの状況は、新型コロナウイルス感染症やロシアのウクライナ侵攻に起因するコストプッシュ要因であることは繰り返し述べてきた通りである。
理論との関係二つ目。合理的期待形成理論の可能性である。インフレ期待の形成理論の中で最も画期的と言われるこの理論は、財政金融政策などのインフレに関するすべての情報を知りえた人々が合理的な予測をするので、財政金融政策は無意味であることを説明するものであるが、現実的に政策当局当時者ではない民間がそこまで情報を収集できない問題や、多大な情報処理のコスト面から批判されてきた(中谷氏前掲著参照)。
ところが、昨今広がりを見せている人工知能(AI)は、一定程度この問題を解決する可能性があるのではないか。期待インフレ率の精度が上がるので、マネタリズムや新しい古典派に近い政策の可能性が高まるといった一つの仮説である。
以上を踏まえ、この約半年の情勢からどのような課題が見えてくるだろうか。理論的は課題はあるとして、インフレ率(その時々の期待インフレ率)に関係がありそうな調査・報道を引用しておこう。昨年の記事は、元日の能登半島地震のダメージを割り引いておく必要はあるだろう。
今後のインフレ率の見通しについて、補足説明をしておく。
短期的には財政金融政策が影響してくる。財政は過剰債務が引き起こす円高・利上げによる含み損、信任低下のリスクがある。この結果、需要管理政策が十分機能しなくなれば、適度な期待インフレ率から乖離した、過剰なインフレ率になる危険性がある。逆に、金融政策が正常化した場合、コストプッシュ要因のインフレ率が低下していく可能性がある。こうした意味で、今年の春闘の賃上げ率や、その結果としての実質賃金の見通しが重要となってくるだろう。
長期・超長期的には、適度なディマンドプル・インフレが期待できる政策転換が不可欠となる。その際、人口問題がネックとなってくる。内需縮小の影響が強いと見られれば期待インフレ率はマイナスになるだろうし、内需縮小を補って余りある外需取り込み策や経済成長が見通せれば、期待インフレ率はプラスに働くだろう。
▢スタグフレーション再考
前回や今回の投稿では、昨今の日本経済がスタグフレーションか、それに近い状況であることを前提に議論をしてきた。今後の政策を考えるうえで重要となってくるので、この現状認識の妥当性をあらためて考察したい。
まずその定義だが、「景気が後退していく中でインフレーション(インフレ、物価上昇)が同時進行する現象のこと」をいう。景気停滞を意味する「スタグネーション(Stagnation)」と「インフレーション(Inflation)」を組み合わせた合成語として「スタグフレーション(Stagflation)」という用語が定着するようになった(SMBC日通証券 参照)。
この言葉は、イギリスの政治家イアイン・マクラウドが、1965年の下院のスピーチで初めて使った(23年7月20日付 MONEY INSIDER)。高い失業率と物価上昇が同時に起こるといった状況は、前項で理論的破綻の可能性を指摘したフィリップス曲線が、経験的にも成り立たないことを意味する。
こうした状況はすでに1960年代後半から表面化し始め、70年代に入ると急速に悪化した。一般的に、73年の第一次石油危機で原油価格が高騰し、コストプッシュ・インフレがきっかけに広がったと言われることが多い。日本は74年の狂乱物価によってスタグフレーション度が25%を超えるところまで急騰したが、その後急速に改善して79年上期では4.9%と国際的に見ても低い水準になった(昭和54年 年次世界経済報告書 経済企画庁 参照)。
通常、景気の停滞は需要を落ち込ませるのでデフレ要因になる。この点については、この約20余年にわたってきた日本経済の状況を見れば明らかだろう。あらためてこの背景を整理すると、人口動態の変化(少子高齢化・人口減少)を主因とする中間層の衰退、内需縮小の問題、相対的な若年層減に伴う消費の低迷、生産性の低下、将来を悲観した企業の投資減、デフレ下におけるサプライサイドの構造改革、大規模な金融緩和策の不振などが考えられる。こうした状況に新型コロナウイルス感染症や、ロシアのウクライナ侵攻で顕著となったコストプッシュインフレが重なり、スタグフレーションに近い状況になっているのではないか、というのが筆者の仮説だった。
各指標を見ても、この仮説はほぼ裏付けられると言ってもよさそうである。詳細は先述の議論に譲るが、景気後退の観点から言えば、消費が低迷している。民間投資も好調とは言えない。完全失業率は新型コロナウイルス感染拡大期より回復傾向にあるが、23年平均は前年から横ばい。有効求人倍率は拡大前の19年水準に達していない(1月30日付 日本経済新聞電子版 参照)。
一方、23年の消費者物価指数はここところ鈍化している。ウクライナ情勢による原油高が、22年夏にピークアウトした影響が大きい。23年12月の企業物価指数の伸び率は0.0%で12ヵ月連続で鈍化(1月16日付 NHK)。予測通り、12月の消費者物価指数は2ヵ月連続で縮小した。これは1年半ぶりの低水準だと言う(1月19日付 Bloomberg 伊藤純夫)。しかしながら、去年1年間の消費者物価指数は前年比3.1%と41年ぶりに高い伸びを示していて、日銀の物価目標2%を大きく上回っている(1月22日配信 テレ朝ニュース)。第2次石油危機以来、41年ぶりの伸び率である(1月19日付 朝日新聞電子版)。1月26日の政府発表によると、消費者物価指数の23年度実績が3.0%上昇と見込んでいる(1月26日付 共同通信電子版)。
今後はパレスチナ戦争の広がりが地政学的リスクとして考えられ、情勢次第では、再び原油高という形でコストプッシュ圧力が高まる可能性が予想される。実質賃金が下がり続けるなか、今年の春闘が注目される。
政府も根本的にはデフレ体質であることを認めている。内閣府が公表しているGDPギャップ推移を確認すると、近年、デフレ基調であることを確認できる。20年の新型コロナ感染症の拡大時に大幅な落ち込みを見せた(内閣府 白書等 日本経済2020-2021 第1-2-1図 GDPギャップの推移 参照)。その後徐々に改善へ向かい、23年4~6月期はプラス0.1%と3年9ヵ月ぶりのプラスとなった(23年9月22日付 時事通信社電子版)。しかし、7~9月期は再びマイナス0.5%となる推計を発表した(23年12月1日付 ロイター電子版)。
ちなみに内閣府発表以外に、日銀版の需給ギャップというものが存在する。内閣府発表よりも厳しめに試算しているようだ。23年4~6月期はマイナス0.15%、7~9月期はマイナス0.37%とマイナス幅が拡大し、14四半期連続のマイナスとなっている(1月9日付 ロイター電子版)。
こうしたことから、やはり今、日本経済はスタグフレーションに近い状況に直面していると言って差し支えないと思われる。
それでは、第一次石油危機のときと今とでは、何が違うのか。少なくともマネタリズムを基本とする「小さな政府」、新自由主義的政策は、今後の日本経済には適さないだろう。人口動態の分析で明らかにしたように、総需要の中心的な担い手が減少し続けるだろうし、相対的に高齢者が増えるので、消費が思ったように伸びないことが予想されるからである。現在進行中の縮小経済の利害調整を市場メカニズムのみに委ねると、社会的厚生が失われやすい。一定程度国家が介入せざるを得ないのである。
前出の大前氏は『第4の波』などでこうした状況を「低欲望社会」「無欲望社会」などと表現するが、将来不安に加え、高齢者は自然の摂理から、若年者は見通しの暗さから、無欲恬淡な心理状態になることは想像に難くない。人口動態の将来予測を見ると、人口減少・少子高齢化問題というのは、過剰に増えすぎた人口を適正規模に縮小するための自然の摂理ではないかとさえ思えてくる。
そうした意味では、80年代のような「分厚い中間層」の再現というのは、18世紀のドイツの観念論哲学者・ヘーゲルの歴史観で言えば、弁証法的発展に逆行することになり、何か別な形での再現が政策的必然として必要になってくるのかもしれない。この答えが、国内需給の戦略的縮小や海外の外需取り込み策であると考えている。
■情勢変化を踏まえた解決策の考察
最近の情勢を振り返りながら課題の考察をしてきた。これを踏まえて解決策を検討したい。中谷氏の前掲著を参考に短期・長期・超長期に分類し、適宜引用・参照しながら、このフレームワークで考察を進める。
▢短期
理論的背景から何が言えるか
1)基本的な考え方
伝統的なケインズ経済学が想定している期間である。価格(賃金や物価)が下方硬直的であるため、需要がGDPの水準を決める(有効需要の原理)。そのため総供給曲線は水平(現実的にはやや右上がり)となり、総需要に合わせて数量調整されながら均衡するが、完全雇用水準が達成されるまで下方硬直的であるため、必ずしも労働市場が均衡するとは限らない。財市場と貨幣市場のみが均衡し(IS‐LM分析)、需要と供給が均衡していなくても価格が調整されない期間とされる。
こうした背景から、政策としては総需要管理政策の立場をとるが、一般的には、スタグフレーションが表面化し、マネタリズムが台頭するまでは実効性があったとされる。現在では、主流とされるニューケインジアンの基礎理論として捉えておく必要がある。
2)開放経済(海外部門)の考え方
閉鎖経済では、投資・政府支出・租税乗数を見込んで財政政策を実施して財市場の均衡を目指す。金融市場では信用乗数を考慮しながら金融政策を実施して金融市場の均衡を目指す。開放経済(海外部門)では輸入関数を閉鎖経済モデルに導入して得られる財政乗数(閉鎖経済より小さくなる)や、IS‐LMモデルを拡張したマンデル=フレミング・モデルなどが想定されている。物価が固定されていると考えるので、長期均衡を考える上での理論的なベースと捉えるのが現実的だろう。
3)政府の見解から考える
先述の通り、政府は「新しい資本主義実行計画」の改定案で「新自由主義的政策から官民連携による政策で課題解決をしていく段階」と位置付けているので、理論的潮流としてはニューケインジアンだが、状況に応じてポストケインジアンの政策も取り入れると考えるのが自然だろう。
合理的期待形成理論でも触れたが、ニューケインジアンが想定する合理的経済人(ミクロ的基礎づけ)は、今後、人工知能(AI)で補強される可能性がある。家計や企業は、AIの力を借りながら財政金融政策などといった外部環境分析や将来予測をして、今までよりも自己の利益を最大化するような行動が可能になってくるのではないか、ということである。一定程度裁量を受け入れながら、想定できる範囲で合理的選択をしていくといったイメージである。
効率賃金仮説や努力曲線が想定する実質賃金の硬直性は、日本の場合、皮肉なことにある意味実現してしまっている。約30年来の実質賃金の低迷は、非正規雇用を増やしたことによる影響だけでなく、年功序列・終身雇用の負の遺産である。今後は、雇用者を囲い込むのではなく、一定程度労働市場の流動化を確保しながらジョブ型雇用、リカレント・リスキリング教育との一体的な取り組みとして実現していくことが必要となってくるのだろう。メニューコスト理論は少なくとも短期の場合、一定程度の有効性を認めることはできそうだ。
現実に適用した解決策の方向性
こうした理論的な背景から現実の経済を見た場合、短期的にどのよう解決策が考えられるだろうか。
1)現状認識
先述の通りスタグフレーションと言ってもよさそうな状況である。まずは景気停滞。GDPギャップが低迷もしくはマイナス傾向であることは、完全雇用GDPを下回るデフレ・ギャップが生じているということである。消費低迷や民間投資の鈍化、完全失業率が2.6%で横ばい、有効求人倍率が19年水準未達の状況はこのことを示している。
その一方で、インフレが同時発生している。去年1年間の消費者物価指数は前年比3.1%と41年ぶりに高い伸びを示しており、日銀の物価目標の2%を大きく上回っている。この原因は先述の通り、アベノミクスの大規模な金融緩和策による貨幣的要因の影響が大きい。円安基調だったところに、ウクライナ情勢による原材料費・原油価格の高騰が輸入物価を押し上げた。コストプッシュ・インフレである。
大規模な金融緩和は、日米金利差が更なる円安を助長している。原油価格はウクライナ情勢に替わって、中東情勢が押し上げ要因になりつつある。価格転嫁が追いつかず、円安がインフレを助長するという悪循環から抜け出していない。
こうした状況に賃上げが追いついていない。ディマンドプル要因ではないので、短期的には、価格転嫁から賃上げへの経路が苦しい状況である。すでに確認した通り、昨年11月の毎月勤労統計調査(厚労省)によると、一人当たりの実質賃金は前年同月比3.0%減で、20ヵ月連続でマイナス。通年では前年比2.5%減で、2年連続のマイナスだった。その結果、消費が低迷している。
2)短期的な解決策の方向性
現状認識から言えることは、ウクライナ情勢はもとより、今後リスクの高い中東情勢にも目を配り、インフレを加熱させない程度の総需要管理政策を実施するということになるだろう。金融正常化は、この基本路線に沿った引き締めタイミングが重要になってくると思われる。
その際、前出の数量政策学者・高橋洋一氏が示したNAIRU(インフレを加速しない失業率)は、政策目標の参考になるのかもしれない。高橋氏は、日本の場合、失業率の下限は「だいたい2.5%を少し切るぐらい」という目安を示しているが、そうした数字を参考に需要喚起や金融緩和を続けて、下限達成後、賃上げするのが理想的な展開となるのではないか。
今回の春闘による賃上げは、こうした緩和策をどこまで先延ばしして引き締めに転じるのか、という状況が影響してくる。コストプッシュ要因である限り、実質賃金がどこまで回復できるか保証の限りではない。したがって、短期としての弥縫策として捉えることが必要で、その先は長期的な実質賃金の自然増、すなわち、産業構造改革、ディマンドプル・インフレによる円高傾向を基調とした景気回復、労働生産性の向上や雇用規制緩和などの労働市場の調整が視野に入ってくる。
これを理論的に言い換えると、エネルギーや食料品を中心に価格が上昇したので、総供給曲線が左へシフトしてGDPが減少した。完全雇用GDP水準に届いていないので、短期的には名目賃金を増やす(賃上げする)ことで物価上昇分を減殺し、実質賃金を増やすことで完全雇用GDPに近づけていく、ということになるだろう。民間シンクタンクの試算によると、実質賃金をプラスにするには24年に3.6%の賃上げが必要になる見通しである(1月22日付 日本経済新聞電子版)。先述の通り、政府は24年度の消費者物価指数を2.5%と見込んでおり、妥当な数字と言うことができる。
賃上げと総需要管理政策との関係を確認しておくと、インフレを加熱させない程度の賃上げを下支えをする位置づけになろうかと思われる。この関係性において先述のNAIRUが参考になるのである。金融正常化後は、コストプッシュ要因の鎮静化を見通しながら、長期・超長期におけるディマンドプル・インフレ(2%程度)へ転換していくというのが適切な方向性ではなかろうか。
各社報道によると、すでに消費者物価指数が2%を超えているとしながら、なぜか日銀は「物価目標2%を目指す」とされるが、要するに、コストプッシュ要因ではすでに2%を超過しているが、鎮静化ながらディマンドプル要因の上昇率を2%にしたい、ということを言っているのだろうと推察される。マスコミでは「悪いインフレ」「良いインフレ」という表現をするが、露骨に言ってしまうと誤解されてしまい、インフレ期待に混乱を招いたり、政府・日銀が政策を進めるうえで不都合が生じたりするからだろうと推測される。単に、理論的な理解が至っていない、ということも関係しているのかもしれない。
いずれにしても、短期的には今回の春闘における賃上げや需要喚起策でデフレ体質から脱却しつつ、賃上げによる実質賃金の推移やFRBの利下げ状況を見定めながら、コストプッシュ要因の鎮静化へ向けた金融正常化が求められる、という実に難しいかじ取りが要求されているのである。
短期的には、コントロール可能なリスク要因を緩和しながら労働市場の均衡プロセスとして財市場・金融市場の均衡を考えればよい。このプロセスにおいて、先述のNAIRUを参考にするなどして、失業率の下限を政策目標にして、需要増(に合わせた供給増)が達成されればよいのである。
3)総需要管理政策の内容について
さて、それでは具体的な内容だが、短期的には多額の債務や現在進行中の縮小経済を見据えて、戦略的な「選択と集中」を伴うものでなければならない。1月26日に閣議決定された政府の経済見通しによると、所得税・住民税の定額減税や投資促進策が寄与して個人消費や設備投資といった内需が伸長し、成長をけん引するとみている(1月26日付 共同通信電子版)。
先述の通り、住民税非課税世帯への給付金だけでも貯蓄に回される可能性が高い。定額減税は今年の6月開始を見込んでいるが、1回限りでどれだけ需要喚起の効果が見込めるか不透明である。1人当たり4万円という見込み額にしても、給付金同様、貯蓄に回される可能性がある。逆に、春闘の賃上げ状況やFRBの利下げ動向を見誤り、必要以上に金融緩和を続けると、むしろインフレを加熱させる可能性があることも指摘しておきたい。
防衛費そのものは、最近の北朝鮮の強硬姿勢や今回の台湾総統選挙の結果を考えたとき、一段と地政学的リスクが高まっており、喫緊の課題として議論が必要である。今年のアメリカ大統領選挙でトランプ氏が再選された場合、さらなるリスクの高まりやコスト増が懸念される。今回、防衛費増税の25年実施が見送られたが、その理由が岸田政権の延命策の側面が強かったとしても、近い将来、米国のプレゼンス低下、地政学的リスクの高まりの可能性から検討が必要になってくるだろう。総需要管理政策の観点から言えば、デフレ体質脱却に関わる。
2025年大阪・関西万博はもはや不要だろう。ガソリン補助は原油高がピークアウトしている現状や今後の中東情勢のリスクを視野に、要否の検討が必要だろう。少子化対策の「支援金」制度や大学無償化は、国民負担を強いる可能性が大きい。景気後退への影響を考え、その要否について今国会で詰める必要があるだろう。
賃上げ税制は、今回の春闘で注目されている中小企業が焦点となってくる。準じる形で創設予定の「中堅企業」も押さえておく必要があるだろう。大企業よりインセンティブを高める内容になっているが、価格転嫁が進まないなか、減税効果を上回る賃上げが達成されるのか、賃上げによる消費効果が見込めるのかがポイントとなるだろう。
短期的な需要喚起策は、クラウディングアウトを引き起こさない程度の財政政策を重視せざるを得ない。流動性の罠に陥っている可能性、投資が利子率に対して弾力性がゼロに近づいている可能性から、金融政策の実効性が疑わしいからである。この意味では、短期的な賃上げで家計の貯蓄を消費に回すだけでなく、内部留保を投資へ回した場合の税制上の優遇措置を強化する政策も有効だろう。
輸出型製造業の業績好調の要因が半導体不足の緩和であることから、長期的・超長期的な成長分野としては疑問が残るものの、半導体への財政支出は短期的には有効だろう。EVシフトの蓄電池も同様である。半導体は日米協働の対中政策として、戦略的位置づけの側面が強い。そのため、長期的には、米国の政策に左右される。今年の大統領選挙でトランプ氏が再選された場合、防衛費負担増と同じように負担を迫るようなことになれば、株価やインフレ期待に水を差す結果になる。
変動相場制におけるマンデル=フレミング・モデルによれば、日米金利差があるので資本の流出が起こり、円安になっている状態である。その結果、輸出が増えて、IS曲線が右上方にシフトしてGDP増加に寄与していることになる。インバウンドの回復も同様である。
短期的には財政政策は無効とされるので金融政策について考えると、本来ならマネーストックが増えてLM曲線が右下方にシフトし、世界利子率(米国を想定)より自国利子率が低下するため、外国へ資本が流出し、円安になって輸出が伸びるため、IS曲線が右上方へシフトして、GDPが増加する。
しかし、現実的にはアベノミクスの異次元緩和以降、マネーストックが思うように伸びないことや、すでに深刻な円安水準に達していることから、金融正常化の短期的プロセスは、輸出に大幅な打撃を与えない程度の適度な円高誘導が重要となってくることが分かる。
長期的・超長期的には、産業構造改革による実体経済の活性化(国内需給の戦略的縮小・外需取り込み策による適度なディマンドプル・インフレ)、民間銀行の貸出増、信用乗数安定化(マネーストック正常化)が不可欠であるが、短期的には自動車・半導体・インバウンドなどの当面成長が見込める分野へ貸出を増やし、産業構造改革を通して、成長分野へ拡張していくイメージである。
▢長期
理論的背景から何が言えるか
1)基本的な考え方
古典派やマネタリズムが想定している期間である。価格(賃金や物価)が伸縮的であるため、供給がGDPの水準を決める(セイの法則)。労働市場の完全雇用GDPで総供給曲線が垂直(現実的には水平部分と右上がりの部分とが混在)となるため、総供給に合わせて総需要が価格調整されながら均衡する。この時、財市場・貨幣市場・労働市場が同時に均衡しており、需要と供給が均衡していない場合、価格が変動するのに十分な期間とされる。
この理論モデルは、総需要の大きさはGDP水準に影響を与えず、物価水準のみに影響を与える(貨幣の中立性)と説明する。市場メカニズムに任せておけば、予想物価水準が実際の物価水準に修正される形で期待が調整されて、自動的に完全雇用GDPが達成される(完全雇用GDPで供給曲線が垂直になる)というものである。そのため、長期的には総需要管理政策をとる必要性はないとされる。
しかし、現実的には長期均衡への調整へ向けて、総供給曲線はケインジアンの短期モデルとの中間に位置している(混在しながら右上がり)と考えるのが自然であろう。そのため、金融政策が長期においてもGDP水準に影響を与える可能性はあり得る。このことは、高度経済成長期以降の推移を振り返ったとき、マネーストックの伸び率と名目GDP成長率、マネーストックの伸び率とGDPデフレータの上昇率が実証的に相関していることが確認できる一方で、マーシャルのkが上昇傾向にあることからも言うことができる。
実際の政策を考えた場合はどうだろうか。価格調整プロセスがあまりにも長期間かかるなら、遊休施設(生産設備や資本)を抱え続けることが問題になる。完全雇用水準が達成せれればもちろん良いのだが、近づくことはあっても現実的にはほとんど達成されることは無いというのが実態だろう。市場メカニズムのみに委ねると、このような経済的損失が累積していくのである。こうしたことからも、長期均衡へ向けたプロセスとして、やや右上がりと考えるのが妥当だろう。
言い換えれば、ここに古典派やマネタリズとケインズ派の弁証法的発展を見出すことができる。長期均衡へのプロセスにおいて、ニューケインジアンの観点から一定程度の総需要管理政策の必要性や、ポストケインジアンの観点から、社会政策をも視野に入れたMMTの妥当性が検討されることになろうかと思われる。現実の経済政策でも、この辺りに着地点を見出さざるを得ないのではないか。政府が「新しい資本主義実行計画」の改定案で打ち出した方向性(「脱・新自由主義」、「官民連携」による課題解決をしていく段階)からも明らかであろう。
2)開放経済(海外部門)の考え方
長期均衡へ向けた開放経済(海外部門)のマンデル=フレミング・モデルでは、物価と為替レートの変動を考慮する必要がある。
消費者物価指数がコストプッシュ要因で上昇傾向にある一方で、アベノミクス以降の異次元緩和以降、思ったようにマネーストックが増えない。その結果、実質賃金が減少し続けている。こうしたことから、労働市場が逼迫しながら、LM曲線が完全雇用GDPを下回った水準で微減しながら膠着している状態というのが、最近報道されている状況や信用乗数不安定化を踏まえた理論的な説明となる。
為替変動は円安傾向が続いているが、欧米と日本のインフレ率の差を見れば明らかなように、同じようなコストプッシュ要因でも、日本より欧米の方がインフレ率が高い。そのため、実質ではもっと円安になっている可能性が考えられる。アベノミクス以降顕著な傾向である。
変動相場制における完全雇用へ向けた均衡プロセスでは、理論的には失業が発生しているので物価が下がりはじめるが、日本の場合、約20年余りのデフレ経済で下がってしまっていた。しかし、ウクライナ情勢で顕著になった物価高で、物価減少分が一部で相殺されてしまっている。アベノミクス以降、マネーストックが思ったように増えていないので、相殺された物価上昇率との比率で、実質マネーストックもデフレギャップ水準で膠着してしまっている状況が推察される。
ただし、日米金利差で円安傾向になっていることから、LM曲線は膠着しながら多少は右下へのシフトする圧力は加わっているものと思われる。短期的に日銀の大幅な金融緩和政策は奏功していない(流動性の罠に陥っていたり、投資が利子率に対して弾力性がゼロに近づいていたりする可能性がある)ので、日米金利差の影響の方が大きい。輸出が好調なのは実質為替レートが名目為替レート以上に減価して競争力が強まったからである。貿易・サービス収支が改善しているのは、このことを示している。
全体として見れば、LM曲線は完全雇用GDP水準、米国金利を下回った水準でが膠着している一方で、輸出以外の消費や投資は低迷している状態なので、IS曲線の伸びは左下へ少しシフトしてしまっている状況が考えられる。GDPのマイナス成長はこのことを示している。
なお、購買力平価説の観点から言えば、中長期的には日米の相対価格(米国インフレ率/日本インフレ率)と名目為替レートは相関していく傾向がある。現在、米国のインフレ率の方が高く、円安傾向にあり長期的な傾向でもある。日本のインフレ率が上回り、円高傾向になることは、短期的にはあり得るかもしれない(公益財団法人 国際通貨研究所 解説 参照)。
3)物価とGDPの決定
長期では、インフレ期待が重要となってくる。理論的にはフィッシャー方程式(実質利子率=名目利子率-期待物価上昇率)が影響してくるが、マネーストックが思うように増えない現状が課題となってくる。政策としては金融正常化、信用乗数安定化によるマネーストック増、実体経済活性化による貸出増が課題となってくるだろう。少なくとも昨夏の報道では期待インフレ率が約9年ぶりの高水準だったことから、この傾向が続けばマネーストック増加分の範囲で短期的には実質利子率は低くなり、金融正常化を実施したとしても利子率減殺効果が見込まれ、コストプッシュ・インフレの鎮静化が遅れる可能性がある。長期的にはディマンドプル要因への転換過程で期待インフレ率が上昇し、名目利子率の引き上げ効果によって2%程度のインフレ率で推移することを目指したい。
完全雇用GDPへ向けた長期的な調整プロセスにおいて、総需要曲線と総供給曲線の均衡で問題となってくるのは「価格の調整速度」である。失業が発生している状況に即応して伸縮するなら、総需要管理政策は不要となる。しかし、実際は給与や報酬の水準が頻繁に変わるわけではない。昨今のような人手不足が広がる状況でも、政労使の取引コストをかけないと賃上げは難しい。最低賃金が設定されている。非自発的失業が発生する。したがって、完全雇用GDPまで物価(賃金)が下方硬直的であると考えるのが現実的である。こうした状況の中、現状の労働市場の課題は、消費者物価指数が上昇して実質賃金が下がり続けているのに、完全失業率が2.6%と横ばいであることである。理論的には、実質賃金が下がれば失業が解消され、完全雇用GDPが達成されるはずである。スタグフレーションの影響で消費や投資が低迷していることから、完全雇用GDPの水準に達しても、生活水準や投資回収への見通しが立たないことが予想されるからだろうと思われる。
先ほども述べたが、こうした状況において市場メカニズムに委ねていても解決の道筋が見えてこない。そこで、長期均衡へ向けたプロセスでも総需要管理政策が必要になってくるのである。長期均衡における財政政策・金融政策の効果は、前者が利子率を上昇させ、後者は低下させる。その他は、両者とも実質GDPや雇用が増大し、物価水準も上昇するとされる。
このことは動学的な分析の場合も同様である。インフレ率(物価上昇率)は動学的総需要曲線・動学的総供給曲線が交わるところで決まる。期待インフレ率がインフレ率と一致するように調整されながらGDP水準が増加していくが、このプロセスにおける均衡点の右シフトは、完全雇用GDPが達成されるまで続く。
ただし、先述の通り、近年の経緯やスタグフレーションの状況から右下がりのフィリップス曲線が成立しなくなっており、動学的供給曲線そのものの理論的根拠が成り立たなくなっているので、動学的な分析は参考程度に留めておくのが賢明だろう。
現実に適用した解決策の方向性
基本的な方向性は、短期的な方向性の延長として、ニューケインジアンに近い政策が妥当と思われる。長期的な均衡を目指して市場メカニズムを取り入れつつ、縮小均衡における利害調整や長期にわたる価格調整が滞留するリスクを考えて、一定程度「大きな政府」を取り入れて、総需要管理政策を行っていく。スタグフレーションからの脱却後、適度なディマンドプル・インフレを実現しつつ、成長軌道に乗せるといったイメージである。
古典派流の市場メカニズム(価格調整による均衡)を一定程度認め、産業構造改革(成長戦略・技術革新・労働生産性の向上など)で総供給曲線を右シフトさせ、コストプッシュ要因のインフレを鎮静化させる。これは同時に総需要曲線も右シフトさせることにもなるため、ディマンドプル要因のインフレによる実質賃金の増加の可能性が広がり、景気の回復が税収の自然増を実現しながら完全雇用GDPへ近づいていくことにもなり得る。順番に見てみよう。
1)スタグフレーションからの脱却
消費や投資の低迷といった景気後退は、平成不況後のデフレ体質や、アベノミクスによる円安誘導が原因として考えられる。根本的にはこれらを解決する政策が必要になる。物価高はコストプッシュ・インフレを鎮静化させる金融正常化がポイントになるだろう。
1)-1:景気後退への解決策
短期的には春闘による賃上げで実質賃金増を目指せばよいが、実体経済の産業構造改革が伴っていないので、長期的な好循環は見通せない。
短期の解決策で述べた通り、アベノミクス以降の大規模な金融緩和策が奏功しない状況から、流動性の罠に陥っている状況や投資の利子率に対する弾力性がゼロに近い状況に陥っていることが推察される。したがって、長期においてもこの可能性が払拭できなければ、必然的に財政政策を重視する政策が重要となってくる。理論的には、総需要曲線が垂直(に近い状況)なので、総供給曲線を右シフトすると物価の下降圧力がかかる状況である。今後の縮小経済や債務膨張を踏まえて、「選択と集中」による戦略的な財政政策を続け、総需要曲線そのものを右シフトさせる。日経平均株価の最高値更新に伴う資産効果があれば、消費や投資が刺激され、同様の結果になるのかもしれない。
総需要管理政策については、短期的な対象分野を有望かつ優先度の高い成長分野に拡張し、「選択と集中」による戦略的な財政支出を続けていくという発想が重要となってくるだろう。
内部留保を投資へ回した場合の優遇税制については先述の通りである。日経平均株価がバブル経済期以来の最高値を更新するなか、短期から長期へ向けて、業績が改善している大企業を中心に、設備投資や研究開発投資に回したときの減税措置を継続していく。中小企業への波及効果が期待できるだろう。後述の経路で円高傾向になれば、家計の貯蓄が国内の投資へ向かう可能性も高まる。
1)-2:コストプッシュ・インフレの鎮静化
コストプッシュ要因を分析すると、地政学的要因とコントロール可能な要因に分解できる。前者のリスクヘッジをしながら、後者へ注力するといった取り組みが重要となってくるだろう。
リスクヘッジとしては、地政学的な不確実性へ向けた、外交や防衛、国際協力といった政治的な取り組みが考えられる。今後、中東情勢の悪化、米国大統領選挙でトランプ氏が再選された場合の防衛費負担増や国際的なプレゼンスの低下、それに伴う台湾有事の高まりや北朝鮮の強硬姿勢の助長、ウクライナ情勢の悪化懸念など、地政学的リスクが高まることが予想される。長期的なリスクを緩和するための外交や防衛政策が重要となってくる。
コントロール可能な要因への注力としては、効果的なタイミングで金融正常化をすること、経済成長の源泉(技術進歩・労働投入量・資本ストック)への布石を強化することが考えられる。
金融正常化のタイミングは、先述の通り、短期的にはNAIRU(インフレを加速しない失業率)が参考になりそうである。どの程度なら効果的か、ビハインド・ザ・カーブを取り入れた判断が重要となるだろう。
マイナス金利の解除は、周知の通り良い面と悪い面がある。悪い面では副作用がある。短期的には住宅ローン・中小企業融資への悪影響、長期的には国債の含み損や利払い費増のリスクがある。その一方で、コストプッシュ要因のインフレを鎮静化させる作用が期待できる。両者のバランスを考えながら、どのタイミングで正常化をしていくのかが問われる。
FRBの利下げ観測が5月との観測が強まる中、市場関係者の間では、日銀の金融政策正常化が3~4月になるとの見通しが有力とされていた。その一方で、市場との対話に時間が必要との観点から、10月など今年後半以降にずれ込むとの見方もあった。しかし、先述の通り、この予測通りになりそうもない。今月の解除見通しが報道された。
また、ここにきて新たな懸念材料が浮上してきた。今年の大統領選挙でトランプ氏が再選された場合の、米国第一主義への回帰の可能性である。支持基盤へ利益を誘導することを優先とした、保護主義的な財政金融政策へ舵を切る可能性が高い。金融緩和のタイミングや政策金利を巡ってFRBと対立し、関税引き上げや積極財政を強引に推し進めようとする恐れがある。その結果、不均衡なドル安誘導を招き、全体として見れば底堅い消費に水を差したり、再び過度なインフレを招く可能性がある。国際的には、地政学的リスクに伴うコストだけでなく、気候変動コストの調整も視野に入ってくるだろう。
日本経済にとってはこれらコスト負担増に伴うGDP減の圧力のみならず、輸出減・株安・円高圧力が加わる。産業構造改革が進まない段階でこれらの圧力が加わると、コストプッシュ鎮静化を目的にした金融正常化のタイミングが難しくなる恐れがある。投機的な日米金利差だけではコントロール不可能な、ディマンドプル要因への要請が先取りされる形になるからである。短期的なGDP押し上げ要因が後退することになるので、超長期的な成長見通しにも影を落とす。
さて、マイナス金利の解除後は、ゼロ金利の解除、YCC(イールドカーブ・コントロール)の廃止を視野に入れながらアベノミクスの負の遺産を清算していく必要があるが、プライオリティーの高さで言えば、コストプッシュ・インフレの鎮静化圧力を高めることであると思われる。現在、1ドル140円台後半程度の円安傾向が続いているが、日米金利差を適度な水準に保ちながら、130円台の円高へ誘導する為替政策が必要になってくるのではないか。
財政支出の方向性としては、今後目指す総需要のバランス、すなわち、内需の戦略的縮小と外需取り込み策の比率を考慮した成長分野や環境整備への財政支援が不可欠である。
経済成長の源泉(技術進歩・労働投入量・資本ストック)への布石としては、ディマンドプルへ転換するプロセスにおいて、まずは、DXやAI、RPAの導入、ジョブ型雇用(リスキリング・リカレント教育)による人的投資、雇用規制緩和、業務内容の標準化を進めることが有効だろう。民間投資を促す優遇税制は資本ストックを増やし、DXなどのデジタル投資や人的投資を促して、技術革新と労働生産性の向上に寄与する可能性がある。ディマンドプル要因のインフレが実現していけば、より一層踏み込んで布石を打つことが可能になってくるだろう。
2)ディマンドプル・インフレから成長へ
スタグフレーションから脱却後は、2%程度のディマンドプル・インフレへ向けた戦略的な財政政策を実施していく。膨張した債務が政策的経費を圧迫しない程度まで減少するまでは、「選択と集中」による資源配分の継続は不可欠である。長期的には一定程度市場メカニズムが働く方向に誘導していくことになるので、クラウディングアウトには一層の注意が必要である。
これが奏功すれば、適度な期待インフレ率に支えられ、実体経済が活性化し、市場メカニズムが機能してインフレ率が上昇していくだろう。動学的総供給曲線と動学的総需要曲線が適度なインフレ率(実質賃金率)で均衡しながら長期均衡へ向かい、完全雇用水準のGDPが達成される。その後、経済成長への可能性が開けてくるというのが理論的なシナリオになる。
具体的には、産業構造改革を目指した諸施策である。これが同時に、超長期の経済成長へと展開していくための源泉になる。順番に整理してみよう。
2)-1:成長産業創出
国内需給の戦略的縮小へ向けて、優先度の高い成長分野から財政支出や減税を実施していく。
まずは、前出・野口氏が推計する就業者数や産業別GDPの伸び率から、高齢者向け医療・介護が有望だろう。基本的人権の生存権に関わり、超高齢社会における社会的インフラとして不可欠な分野でもある。人材供給が課題となるが、ディマンドプル要因の好循環で待遇改善を実現し、人材獲得の流れを創り出していく。適度な円高や後述の英語公用語化が実現すれば、外国人材の獲得もしやすくなるだろう。再生医療や遠隔治療も今後成長が見込まれる分野である。
医療・介護分野はとりわけ労働生産性の低さが指摘される。国の制度に基づく産業なので、政府が率先して遠隔治療や介護ロボットの導入、DX・AI・RPAへと財政支出をしていけば、労働生産性の向上が期待できる。特に介護は、ディマンドプル要因の好循環によって、危機的な訪問介護や在宅シフト、介護予防への財源確保へ向けた取り組みが可能になってくる。税収の自然増で政策的経費を社会保障費に配分しやすくなるので、歳出カットや保険料負担を増やす必要性が少なくなる可能性が広がり、介護離職の防止による困窮世帯の減少やGDP下降圧力の緩和、介護難民の減少や健康寿命の延伸による医療・介護費削減の効果が高まる。
これらが実現できれば、高齢者の労働市場参加率が高まると同時に、前出の野口氏の推計通り、医療・介護が伸びる産業になることが期待できる。
その周辺領域では、前出の大前氏の主張を考えると、シニア向けパーソナルマーケティングが有望だろう。ただ単にターゲットの母数の多さや個人金融資産の所持率が高いだけにとどまらず、健康寿命の延伸といった社会的要請から、潜在的なニーズが高いと言える。
具体的には、在庫コストを逓減し、スマートフォンでの個別マーケティングを展開。ピンポイントの受注生産・サービス提供を展開していく。2,000兆円を超えるとも言われる個人金融資産(6割超を60歳以上が保有)の還流を促せば、内需活性化につながるだろう。
日本を取り巻く地政学的リスクや環境負荷軽減の観点では、ドイツなどの先行事例を参考にした脱原発・再生可能エネルギーへの支出も欠かせない。地政学的リスクに限って言えば、食料自給率を上げる取り組みも同様である。
外需取り込み策では、大前氏が主張するように、インバウンドを拡張した観光業の創出など、自動車を中心とした製造業以外で、輸出産業の柱を創り出すことが今後重要となってくるだろう。観光業は、日本独自の歴史や文化を世界へ向けた情報発信する取り組みでもある。後世への継承といった社会的な価値がある。同様に、市場規模は小さいが、アニメや漫画、ゲームといったコンテンツ、食文化の輸出も有力だろう。平和外交への貢献度も高く、半導体と並ぶ経済的な戦略資源と言ってもよい。
2)-2:技術革新・労働生産性向上への財政政策
先進国の中でも立ち遅れているDX・AI・RPAへの投資、リスキリングと一体的なリカレント教育の環境整備への財政的なインセンティブが有効だろう。北欧のように、成長産業へ労働力移動をさせるための職業訓練が不可欠となるが、公共部門なので、直接的な制度改正や財政支出の対象となる。
ただし、実践的な内容とするため、教員の民間からの採用や、人的投資や採用前の実践スキルを一定程度担保するような実務者研修の実施、無職期間の生活保障(現行の雇用保険制度の改変や拡充)、成長産業へのシームレスな労働力移動、すなわち転職や社内異動に伴うマッチングを段階的に可能とする仕組みの整備が必要となるだろう。
民間ではすでに紹介予定派遣や正規雇用前の契約社員採用などがあるが、ジョブ型雇用においても、それらに近い仕組みを採用することが有効ではないか。米国などのように雇用の流動化が加速することになるので、先述の通り、業務の標準化は不可欠である。大前氏は前掲著などで解雇規制緩和を主張するが、そこまで極端ではないにしても、何らかの雇用規制の緩和は必要だろう。
メンバーシップ雇用からジョブ型雇用への移行は、国が言うほど簡単なことではない。日本的経営からの脱却には相応の時間がかかることが予想される。既得権益者や労働組合の反発が予想されるので、一定期間、対話や説明、利害調整が必要となってくるだろう。また、議論の俎上に上ることがないのが不思議だが、ジョブ型雇用は、欧米流の企業組織、すなわち、MBA所持者を中心とした経営層、現場を担う専門職層が分かれた組織づくりが前提となってくるのではないか。現場生え抜きを経営に活かすルートは不可欠だが、基本的に日本的経営とは異なる組織になるので、改革には相当なコストがかかることを視野に入れないとならないと思われる。
労働生産性の向上には、上記の労働市場改革を踏まえ、英語の公用語化、大学の国際競争力向上、高度人材(修士号・博士号の学位取得者・海外人材)の採用が有効だろう。
その他、次の分野にも必要に応じて支出していく。
2)-3:資本ストックの蓄積
ディマンドプル要因の好循環が実現すれば、家計の貯蓄が国内投資へ向かったり、優遇税制を実施せずとも、内部留保が設備投資・研究開発投資へ回る流れができていくことが予想される。中小企業へ波及する流れができれば国全体の資本ストックの増加が見込まれる。
2)-4:労働投入量の増加
同様にディマンドプル要因の好循環が実現して労働市場の改革が進めば、女性・障害者・外国人雇用、非正規の正規雇用化の道が開ける可能性が広がる。その結果、国内の出生数低下に伴う生産年齢人口の減少を補う可能性が広がる。海外の高度人材の採用は先述の通りである。障害者分野の法定雇用率を参考にした、財政的なインセンティブを与える施策が有効だろう。
2)-5:メガリージョンの創出
前出の大前氏も指摘しているが、米国のシリコンバレーや中国の上海経済圏ようなメガリージョンへの環境整備の財政支出が有効だろう。産業規制緩和をして経済特区を設け、英語の公用語化、ベンチャーキャピタルやエンジェル投資家、GAFAMなどのグローバルに活躍するデジタル企業の招致、産学交流の「出会いの場」の環境整備を進めていく。世界中からヒト・モノ・カネが集まる拠点として、経済波及効果を見込む。
少子化に伴う大学の延命策としての助成金や、大学無償化は見直しをした方がよい。少子化が進んでいるにもかかわらず、文科省は大学の数を増やしてきた(19年3月30日付 東洋経済オンライン 木村誠氏 参照)。その結果、約半数の大学が定員割れで、大学進学志願者の全員がほぼ全入できている現状は、教育の質を落とすだけでなく、輩出する人材の質も低下させる。国内外問わず、優秀な若者や人材が外国へ逃げていく流れができつつある。そうではなく、円高を基調とした景気回復を起点に、国内の大学も海外へ門戸を開き、メガリージョンの発想から優秀な留学生を受け入れる必要がある。大学の国際競争力を促し、教育の質を向上させ、世界に通用する人材を育成したり、引用研究論文数を増やしたりしていく。こうした流れができれば、再び中間層が形成されたり、経済成長に貢献するユニコーン企業が多数輩出される循環が期待できる。
2)-6:国民負担率の軽減
ディマンドプル要因のインフレから成長軌道に乗れば、実質賃金や税収の自然増が期待できるため、負担率の軽減にも可能性が開けてくるだろう。
3)アベノミクスの「負の遺産」の清算
こうして、コストプッシュ・インフレ鎮静化からディマンドプル・インフレへの転換プロセスで総供給が増えていく状態になっていけば、総供給曲線を右シフトさせる圧力が強まる。長期的に総供給曲線が垂直に近づき、総需要曲線が右シフトしながら比較的伸縮性のある物価(賃金)調整が可能となり、期待インフレ率に支えられた2%程度のディマンドプル・インフレが、実質賃金の増加を伴いながら達成されやすい状況となるだろう。インフレ期待から消費や投資が伸びていくという好循環のサイクルに入るので、中間層の再生による賃金格差是正、GDPの押し上げ効果や国際競争力の回復が期待できる。
この段階に達すれば、春闘による賃上げに頼らない実質賃金増や、財源を国債に依存しない税収の自然増の可能性が広がり、国債費が政策的経費を圧迫するといった状況は徐々に改善に向かうものと考えることができる。アベノミクス以降の大規模な金融緩和策で顕著になった債務膨張を、徐々に正常化させていくプロセスが見えてくるようになる。
ディマンドプル基調の成長軌道に乗り始めれば、、短期金利だけでなく長期金利の適正化が実現する余地ができる。流動性の罠に陥っていたとすれば、正常に戻るだろう。その一方、企業にとって将来見通しが立ちやすくなるので、投資の利子率に対する弾力性がゼロに近い状況であれば改善し、企業の資金需要が増えるだろう。
その結果、民間銀行の与信態度も改善して貸出も増える。新たな預金が生まれ、マネーストックが増えて信用乗数が安定化していくという経路を見通すことができる。内生的貨幣供給論に支えられた「負の遺産」の清算である。本稿でテーマとして掲げるMMTも同じ立場を取るとされる。日米金利差が縮小して円高基調が回復すれば、外需割合が増えたとしても、産業構造改革を通して成長軌道に乗り始めているので、貿易収支への影響は少ない。大学の国際化と同様、上質な外需を見込むことができる。
少子化対策の観点から言えば、かつてのベビーブーム世代がそうだったように、将来的な見通しや安定が担保されれば、自ずと結婚をして子孫を残そうとするだろう。女性・高齢者・障害者・外国人の労働市場参加率を高める議論は先述の通りだが、出生率の回復も伴って生産年齢人口の回復が見込めれば、自然成長率の伸びを期待することができる。
債務膨張の改善は、格付け低下のリスクを軽減する。税収の自然増は政策的経費の機動性を回復すると同時に、プライマリーバランスの正常化を期待することができる。
その結果、社会保障費(年金・医療・介護など)、防衛費等の財源確保の適正化が実現しやすくなり、総供給曲線が右シフトするので、少子高齢化・人口減少に伴う官民サービスの人手不足が緩和する可能性が出てくる。前出・河合氏の『未来年表』で提唱されているように、国内経済の縮小均衡に伴う「多極分散」から「多極集中」への取り組みや、東京(圏)一極集中の緩和、その他、先述した経済特区などの外需取り込み策への重点配分も可能となってくる。
▢超長期
理論的背景から何が言えるか
1)基本的な考え方
長期均衡への調整が進み、完全雇用が達成した後の世界を前提としている。したがって、理論的には完全雇用GDP水準を通る垂直な総供給曲線が想定される。経済成長は、資本ストックの成長、労働投入量の成長、技術進歩によって決まってくるが、これら生産要素によるGDPの伸び率のことを潜在成長率という。生産要素とGDPの関数として説明され、投資が生産力に転化され、労働力の大きさが増大し、技術進歩が生産性を高めるのに十分な期間を対象としている。生産要素が増大すれば、潜在成長率を高め、完全雇用GDP水準とともに総供給曲線が右シフトしながら増大していく。基本的にこのプロセスのことを経済成長として定義される。
ただし、実際は完全雇用が達成されるということはないと考えるのが自然だし、総供給曲線が完全に垂直になるということも考えにくい。したがって、長期均衡へ向けた調整プロセスの延長として、より完全雇用GDPに近づいた水準から議論を始めるのが現実的だろうと思われる。総供給曲線の形状にしても、ケインズ流の下方硬直的な部分を想定せざるを得ないため、ある程度水平な部分を持ちながら、垂直に近い急カーブを描くものとしてイメージしておくのが現実的だろうと思われる。
代表的な経済成長理論として、新古典派成長理論と内生的経済成長論がある。本稿の目的はジャーナリスティックな説明をアカデミックな理論から試みることにあるので、できるだけ概念的な説明にとどめる。ご興味のある方は、本稿のフレームワークとして参照をしている中谷氏の前掲著などを参照されたい(以下、引き継ぎ適宜引用)。
2)新古典派成長理論(ソロー=スワン・モデル)
2)‐1:理論の概要
マーケット・メカニズムによって財市場を均衡させる成長率、労働市場を均衡させる成長率が一致するように調整されていくことを想定している理論である。
財市場を均衡させる資本の成長率を保証成長率と呼ぶ。資本・労働比率が上昇すると労働1単位当たりのGDPが増大するといった関数で説明され、GDPの一定割合が貯蓄されると考える。一方、労働力の伸び率に労働生産性の伸び率を加えたものを自然成長率と呼ぶ。
保証成長率は、マーケット・メカニズムによって自然成長率と一致するように調整されていく。一致している状況を均斉成長と呼ぶ。不一致な状況が発生しても、資本・労働比率が調整されて、長期的には一致しながら均衡していくと考える。この均衡水準では成長率はプラスになるが、技術進歩がなければ伸び率はゼロになるとされる。
均斉成長の成長率は、貯蓄率の増減によって変化する。貯蓄率が上昇すると資本・労働比率が上昇し、1人当たりGDPも上昇するが、保証成長率は次第に低下して長期的には自然成長率に一致する。貯蓄率が低下するとこれと逆のプロセスで自然成長率に一致する。近年の日本経済は比較的貯蓄率が高い水準が推察されることから、均斉成長の上昇圧力がかかっている状態と考えることができる。
均斉成長は人口成長率によっても変化する。人口成長率が低下すると、均衡における資本・労働比率は上昇し、1人当たりGDPも増加する。ただし、保証成長率は次第に低下し、長期的には低くなった自然成長率に一致する。人口成長率が上昇したときは、これと逆のプロセスで1人当たりGDPが低下し、長期的には高くなった自然成長率に一致する。近年の日本経済は人口成長率が低下していることから、1人当たりGDPの増加圧力がかかりつつ、均斉成長は下押し圧力がかかっていると言うことができる。
ところで、技術革新が発生すると労働生産性が上昇するので、生産関数は上方にシフトして1人当たりGDPが増加する。技術進歩によって労働投入が増えると考えるので、自然成長率は増加する。均衡における資本・労働比率が低下しながら保証成長率は上昇し、増加した自然成長率に一致する。その結果、技術進歩の分だけ均斉成長の成長率は高くなる。近年の日本経済は資本投入も労働投入も低調である。今後の生産年齢人口の伸び率を考えたとき、技術革新に頼らざるを得ない部分がある。
2)‐2:実証研究における技術進歩モデル
先述の通り、経済成長の源泉は、資本ストックの成長、労働投入量の成長、技術進歩が考えられる。均斉成長の説明では労働増加的な技術進歩を前提とした生産関数を考えた。このような技術進歩をハロッド中立的と呼ぶが、生産関数は次のように書くことができる。
Y=F(K,AN)
YはGDP、Kは資本ストック、Nは労働投入量、Aは技術進歩を表す。技術進歩が労働生産性の向上を通して、労働投入量を増やした結果、GDPが増加すると考える。労働投入量の効率性に焦点を当てたモデルと言うことができる。同じく生産要素のKに焦点を当てたものとして、ソロー中立的なモデルがある。Y=F(AK,N)と書くことができる。
これらに対して、生産要素の組み合わせに焦点を当てたものとしてヒックス中立的なモデルがあり、次のように書くことができる。
Y=AF(K,N)
生産要素の組み合わせに対して、技術進歩が影響を与えることを仮定している。言い換えると、技術進歩が生産要素の比率に変化をもたらし、それによって生産性が向上し、経済成長が生じると考える。
技術進歩Aは「全要素生産性(TFP:Total Factor Productivity)」と呼ばれる。ヒックス中立的なモデルに対して、技術進歩率を資本ストック成長率と労働投入量成長率それぞれとの関係から説明するモデルがある。コブ=ダグラス型生産関数と呼ばれ、
⊿Y/Y=α⊿K/K+(1-α)⊿N/N+⊿A/A
と書くことができる。資本ストックが1%成長したとき、GDPはα%成長し、労働が1%成長したとき、GDPは(1-α)%成長する。αの値は資本分配率に、(1-α)の値は労働分配率に対応する。技術進歩率(⊿A/A)は、資本ストック成長率(⊿K/K)、労働投入量成長率(⊿N/N)で説明できない全ての成長要因を含むものと解釈される。
この両辺を⊿N/Nで差し引くと、
⊿Y/Y-⊿N/N=α(⊿K/K-⊿N/N)+⊿A/A
となる。⊿Y/Y-⊿N/Nは1人当たりの実質GDP成長率、(⊿K/K-⊿N/N)は労働者1人当たりの資本ストック量の増大の速度を示す。労働者1人当たりの資本ストック量(資本装備率)が増加することを、「資本の深化(Deepening of Capital)」と言う。この式は、1人当たりのGDP成長率が、資本の深化と技術進歩(全要素生産性(TFP)の上昇)によってもたらされ、資本の深化が1%進めば、1人当たりのGDPがα%成長することを示している。
ただし、実際の技術進歩率の推計には、
⊿A/A=⊿Y/Y-α⊿K/K-(1-α)⊿N/N
と書き換えて計測している。このときの技術進歩率は「ソロー残差」と呼ばれ、資本ストックや労働投入量の増加ではとらえることのできない様々な要因が含まれている。
3)内生的経済成長論
新古典派成長理論は、技術進歩率が外生的に与えられることを仮定していた。しかし、近年、それだけでは経済成長を説明できないという批判が出てきた。人口成長率の違いを捨象して技術進歩を各国が共有すると仮定すれば、同じ成長率へと収斂してしまうという矛盾もあった。そこで登場したのが内生的経済成長論である。経済成長の源泉を外生的な技術進歩率に求めるのではなく、内生的(endogenous)な変数に求めようとするのが基本的な考え方となる。
最も基本的な理論は、レベロによって開発されたAKモデルと呼ばれるもので、次のような生産関数を仮定している。
Y=AK
ここでのAは、定数(資本の生産性)を表す。GDPは資本ストックとともに比例的に増大するが、このモデルのKは、人的資本(教育レベルの向上)、金融資本(資金の効率的な供給)、国全体の研究開発体制(産学協働の研究開発)、道路や治安などの広い意味でのインフラストラクチャー(公共資本)、社会全体で共有する知識やアイデア(イノベーションの伝播)など、経済成長に貢献しうる様々な資本の蓄積も含むものと考える。資本の限界生産性は常に一定であり、新古典派理論のように生産性の逓減はないとされる。資本ストックの増加とともに、GDPは比例的に増加していく。
これを増分の形に書き換えると、
⊿Y=A⊿K
となり、⊿Kは広い意味での投資である。それが国全体の貯蓄S(=sY)に等しいと仮定すると、
⊿Y=AsY
となる。したがって、GDP成長率は
⊿Y/Y=As
となり、これを1人当たりGDP成長率⊿y/yに書き換えると、
⊿y/y=⊿Y/Y-⊿N/N=As-n
となるので、1人当たりGDPはAs-nの速度で成長していることが分かる(nは労働人口成長率)。1人当たりGDPは、資本の生産性や貯蓄率が大きいほど大きくなり、労働人口成長率が低いほど大きくなる。
労働者1人当たり資本ストック量(資本装備率)をk(=K/N)とした場合、新古典派成長論では、均衡状態でkの大きさ(資本の深化)が決まると考えた。これに対してAKモデルは、As-nが正である限りkが大きくなる(資本の深化が続く)と考えるので、より現実性の高い結論を導き出していると言える。
現実に適用した解決策の方向性
経済成長の源泉に関する実証研究において、技術進歩の果たす役割が大きいことが分かっている。反証を示す研究もあることから普遍的とは言えそうもないが、少なくとも日米両国に共通する傾向ではある。特に、戦後(1955年~1964年)の高度成長期の日本は要素投入量が著しく高く、生産性の向上率も非常に大きくなった。1955年から1961年の期間において、生産高の平均成長率は13.03%にも達したが、そのうち、資本投入増によるものが2.86%、労働投入量によるものが3.41%、技術進歩によるものが6.75%となっている。
1)近年の日本経済における成長の源泉
それでは、近年の日本経済はどうだろうか。潜在成長率を資本、労働、技術進歩(TFP)で分けた場合、80年代後半のバブル経済期までは潜在成長率が上昇し、資本投入やTFPの貢献度が高い状態で労働投入が減っていった。しかし、1990年代はじめのバブル崩壊とともに潜在成長率が大幅に低下した。平成不況とともに労働投入がマイナスとなり、資本投入・TFPともに減少したためである。特に資本投入の減少幅が大きい。2000年代に入り、潜在成長率は1.0%程度で安定はしたものの、2008年のリーマンショックで低下した。2012年以降のアベノミクスで若干回復しつつあるが、生産要素全般の貢献度は低調で、労働投入の低水準が目立っている(2016年8月31日付 ニッセイ基礎研究所 斎藤太郎氏 図表4・5 参照)。デフレ経済や人口動態の影響、中間層の衰退を読み取ることができる。
2)今後の見通し:産業構造改革と持続的な成長に必要な条件
解決策を考えるにあたり、理論的にはどういうことが言えるだろうか。労働投入量の増加は、基本的に期待できないだろう。今後の人口動態予測から、生産年齢人口の減少が考えられるからである。したがって、技術進歩による労働生産性の向上が本筋となるだろう。
労働投入は今後、女性・高齢者・障害者・外国人の労働市場参入率によって上振れを期待できる側面はあるが、産業構造改革に伴う労働市場の規制緩和が必須条件となる。果たして、人口動態の減少スピードを補って余りある参加率を期待できるだろうか。その程度よって労働投入の貢献度の上限が決まってくる。しかし、生産要素全般からすれば多少は上振れ期待ができる程度で、依存度は低く見積もっていた方が賢明だろう。相対的に、外国人労働者が相当程度参入することが不可欠だが、歴史的・文化的な参入障壁の高さから、円高へ転換し、先述の規制緩和を実施したとしても、経済波及効果は欧米などと比べて限定的と考えるのが自然だからである。
しかしながら、今後の持続的な成長を実現するには、産業構造改革そのものが不可欠であることは言うまでもない。資本投入の貢献度は企業や家計のインフレ期待によるからである。今後、ディマンドプル要因の成長軌道を見通すことができれば、企業の内部留保や家計の貯蓄が、有効性のある投資へ転換する流れができてくるだろう。さすれば、技術進歩の伝播が単に労働生産性を向上させるだけでなく、大企業を中心とした低い労働分配率(1-α)を改善させ、長期の議論を前提とした内生的な要因が、1人当たりGDP(As-n)を高い水準で実現し続ける可能性が見えてくるだろう。
ところで、産業構造改革を実施するということは、総供給サイドの構造改革を実施するということに他ならない。ケインズ流の総需要管理政策のアンチテーゼとしてサプライサイドの構造改革が実施され、マネタリズムを基調とした新自由主義的政策を採用しながら規制緩和されてきた。しかしながら、デフレ経済下における構造改革は、人口動態衰退局面における総需要喚起を軽視したため、現在に至るまで影を落とすことになったのである。したがって、今後求められる政策は、ニューケインジアンを基調とした総需要管理政策と、マネタリズムや新しい古典派との弁証法的止揚(Aufheben)である。底堅い景気回復を実現させる道はそれしかない。
1990年代後半にインターネットが登場し、その普及が世界経済に与えた影響は甚大だった。かつて情報の非対称性が存在していた分野の民主化が進み、情報格差が縮小し、入手コストが低下した結果、消費者主体のダイレクト・マーケティングが主流になった。GAFAMの隆盛は、かつて、80年代の日米貿易摩擦で苦しんだアメリカが、サプライサイドの構造改革を起点にイノベーションを果たし、元来の開拓者精神が新興企業への投資を促した結果と言えるだろう。良きにつけ悪しきにつけ、活発な新陳代謝が底堅い需要を下支えし、近年ではDXによる技術革新を推し進めている。その結果、この度のウクライナ情勢による物価高にも、比較的高い適応力を示していると言えそうである。
インターネットによる革新はスマートフォンとAIの時代に移り、かつてのセグメンテーションからパーソナルなマーケティングの自動化を可能にしている。成熟化した市場の個々への訴求を可能にすると同時に、取引コストや在庫コストの更なる逓減を可能にしているといった側面がある。
その一方、物理的・時間的制約からの解放は国を超えたサプライチェーン・マネジメントを可能にし、経営資源の効率的な配分を可能にするだけでなく、かつて発展途上国と呼ばれた国々との経済格差を縮小させた。中国は独自のデジタル技術でアメリカと拮抗し、シンガポールや韓国、香港の競争力が著しい。台湾では民間出身のオードリー・タン担当相によるデジタル化が進んだ。北欧では国策としてデジタル化を推進しているが、デンマークやスウェーデンが顕著である。電子政府の先端事例では、エストニアが取り上げられることが多い。
こうした状況を歴史的に位置づけると、デジタル化による情報革命の波が押し寄せている状況と言えそうである。前出の大前氏も指摘しているが、狩猟採集社会から農業革命を経て農業社会へ、産業革命を経て工業化社会へ、情報革命を経てIT社会となった。そこへDXやスマートフォンの登場で更なる技術革新が起こり、AIやロボットが普及する社会へと移行しつつある。日本は、マイナンバーを巡るトラブルやデジタル需要の米国への流出を見ても明らかなように、この波に出遅れてしまっている。時価総額ランキングで水をあけられているだけでない。その利便性が技術進歩へ与える影響を考えたとき、機会費用が将来の成長を停滞させている可能性を直視しなければならない。
「成長の限界」を考える
さて、超長期における経済成長の方向性を考えてみたが、いくら日本経済が成熟局面に達しているとは言え、アクセルをブレーキと踏み間違えてしまうような事態は避けなければならない。先進国全般が直面している危機は、言わば、高齢期における抑鬱(depression)からのレジリエンス(resilience)が問われていると言ってもよさそうである。
私たちが直面する危機、具体的には気候変動に伴う地球温暖化、ロシアのウクライナ侵攻に起因する物価高、新型コロナウイルス感染症の拡大などといった危機は、1972年に国際的なシンクタンク、ローマクラブが発表した報告書『成長の限界』で指摘された、持続可能性の危機の延長として捉えることができる。
1)最近の情勢から言えること
最新の世界経済見通しは下方修正され、中国の不動産不況の影響が懸念されている。ウクライナ情勢による原油高は落ち着きを取り戻しつつあるが、中東情勢の緊迫化が原油高に影響を及ぼし始めている。米国はコストプッシュ要因から脱し、概ね底堅い需要に支えられつつあるが、FRBは利下げを見送っている。欧州中央銀行の金利据え置きは、景気の底堅さよりも、物価高への警戒感がまだ強いようだ。
今年の米国大統領選挙でトランプ元大統領が再選された場合、保護主義的な政策に戻ることが予想される。ウクライナや中東情勢が悪化する他、中国の覇権主義的な行動を助長する恐れがある。今後、日米安保における米国のプレゼンスが低下すると、日本にとっては台湾有事のリスクの他、ロシアを後ろ盾にした北朝鮮の強硬姿勢や軍事的な偶発リスクが高まる可能性がある。近年、覇権主義と民主主義、国際協調と保護主義の対立構図が鮮明になり、社会の分断が叫ばれるようになって久しいが、これはとりもなおさず、近年の長期停滞論からも示唆されるような「成長の限界」による危機、すなわち、グローバル資本主義の限界を示しているように思われる。
今後、インドやサハラ以南のアフリカの成長が期待されているが、経済思想家の斎藤幸平氏が『人新世の「資本論」』などで指摘しているように、人類の資本主義の活動は地球全体に及んでおり、EV(電気自動車)などの気候変動への取り組み自体が環境搾取を招いていたり、国を超えたサプライチェーンがグローバル・サウスの人々を搾取しないと成り立たないという矛盾は、私たちが貨幣的な意味での経済成長を追求する限りなくなりそうもない。すると、結局、今後GDPが伸びる国が現れたとしても、世界全体としてみれば、低成長へと収斂していくことになる。
2)資本主義の歴史を振り返る
大航海時代以降、国家間の資源獲得競争が始まり、資本主義の発達に伴って資本蓄積が進んでいった。産業革命では機械工業の技術革新によって労働生産性が増大し、設備投資、労働力の投入、資本蓄積、経済成長の好循環が波及していった。労働市場も財市場も、パイの開拓や拡大が可能だったため、歴史的必然として帝国主義時代に突入し、欧米列強による植民地拡大、資源獲得競争としての戦争が勃発した。
しかし、第一次世界大戦後の世界恐慌の波及は、古典派流の市場メカニズムでは解決できなかったという意味で工業化以降のセイの法則が反省を迫られ、ケインズ経済学が確立されていったことは周知の通りである。その後の第二次世界大戦に至る道のりは、ナチス・ドイツによる異常なルサンチマンの投影や日本の無謀な植民地拡大、石油獲得戦術が如実に示しているように、帝国主義時代のパイの奪い合いがある意味、限界に達し始めていたことを示しているように思える。
戦後日本の高度経済成長は、第一次石油危機を契機に落ち込みを見せ始めた。1970年代のスタグフレーションは先進国共通の状況で、ケインズ経済学の限界が露呈した。これを契機にマネタリズムが注目され、1980年代のイギリス、アメリカなどはこれが一因となり新自由主義的政策を採用するようになった。「成長の限界」への初期対応とも言える。
ところが、東西冷戦後、資本主義陣営が勢いづくと思われたが、混迷を極めている。米国の求心力低下、ポピュリズム、ポスト真実、社会の分断、自国第一主義の高まり、ロシアや中国をはじめとした権威主義的な傾向、米中新冷戦、ロシアのウクライナ侵攻をはじめとした地政学的リスクの高まり……。こうした世界情勢のダイナミズムは、大航海時代以降の資本主義がいよいよ限界に達し、私たちに新たなパラダイムシフトを迫っている証左ではないのか。
3)「成長の限界」を超える手がかりを考える
今まで述べてきたことは、近代経済学の理論的行き詰まり、すなわち、古典派とケインズ派の相克を基調とした既存の理論的アプローチだけでは現実に対応できなくなってきていることを示している。基本的には新古典派経済学やマネタリズム、新しい古典派といった古典派からの流れ、ニューケインジアンやポストケインジアンといったケインズ派からの流れといった両派の対立や統合という方向性の議論があるが、長期停滞や地政学的リスク、気候変動の危機への対応を余儀なくされている私たちにとって、決定的な解を与えるに至っていないというのが現状のようである。
そこで近年、行動経済学という分野が心理学を取り入れて、古典派流の合理的行動では説明できない消費者行動や投資行動の説明を試みたり、マルクス経済学が再評価されて資本主義そのものの在り方を再検討したりする流れができている。『成長の限界』以降の問題意識を引き継ぐものとして、故・西部邁氏の『ソシオ・エコノミックス』なども、この潮流の一つとして位置づけられてもよさそうである。
その他、AI(人工知能)が与える影響が考えられる。実務や現実の経済活動に与えるインパクトだけでなく、今後、新古典派経済学が仮定する合理的行動や市場メカニズムの研究のみならず、ミクロ的基礎づけを取り入れたニューケインジアンへの影響も考えられる。本稿を貫く問題意識のトリガー(trigger)となったMMT(現代貨幣理論)は、政府による管理を強調するポストケインジアンを補強するものとして、新たな視座を提供している。
こうした中、今後論考を進めるにあたり参考になりそうな著書を三冊、取り上げておきたい。
①トマ・ピケティ『21世紀の資本』
言わずと知れた2014年のベストセラーである。先進国の長期停滞や経済成長のピークから広がる貧富の格差を、いかにして乗り越えるのかが中心的なテーマ。富裕国は国民所得に占める資本所得の割合が高い。膨大なデータ分析の結果、資本収益率が経済成長率より大きいという結論に至った。これを放置しておくと、資本家に富が蓄積され、ますます貧富の格差が広がる。そこで、「累進課税の富裕税」を導入し、資産の再分配を通して格差是正を提案している。
②斎藤幸平『人新世の「資本論」』
2020年に発行されたベストセラー。先述の通り、人類の資本主義による活動が地球規模に達し、大量生産・大量消費に支えられたグローバル資本主義が、経済成長を目指す限り、地球規模の環境搾取・労働搾取の循環から抜け出せないといった矛盾を鋭く批判している。そこで、マルクス主義を再評価し、「脱成長コミュニズム」という考え方を提案している。
③田坂広志『人類の未来を語る』
量子科学や経営学の造詣が深い著者が、弁証法を駆使して人類が直面する危機を語っている。やや神学的な趣きのある本著だが、経済の未来については「貨幣経済(Monetary Economy)」と「ボランタリー経済(Voluntary Economy)」の相互融合による「ハイブリッド経済学(Hybrid Economy)」という新たな経済原理の誕生、資本主義の危機については「合理的利他主義(Rational Altruism)」という概念を提唱している。
地球環境問題の高まりから「ガイア仮説」を取り上げ、地球全体をホメオスタシス(恒常性維持機能)を持った一つの生命的システムとして考えてみたとき、アニミズムの螺旋的発展の回帰とも言えるとしている。鍵となる合理的利他主義は、科学と宗教が手を携えて広げていくべきだとしている。
①との関連では、AIによる大量失業でベーシック・インカムを導入しようとしても、現在の資本主義制度では財源の見通しが立ちそうもないとしている。AIによる恩恵で巨大な利益を得た企業に多額な法人税を課し、それを財源にしようとしても、政権政党に発言力のある大企業は、そのような増税を阻止しようとするというわけである。
■MMTの課題-今回の議論から-
▢理論的位置づけ
近年、先進国全般が従来の財政金融政策では立ち行かなくなってきているという状況がある。日本をはじめ金融緩和をしても実体経済に波及せず、成長の鈍化から財政政策を税財源のみに依存できないので、債務が膨張傾向にある。日本が異常なまでに顕著であることは、すでに詳述した通りである。こうした状況を背景に、ニューヨーク州立大学のステファニー・ケルトン教授やバード大学のランダル・レイ教授などが提唱するMMTが脚光を浴びるようになった。
今一度、経済学史における理論的位置づけを整理しておきたい。
経済学史における位置はどこになるか
前出・中谷氏の前掲著によると、伝統的なケインズ経済学が想定している短期の総需要管理政策だけではなく、長期的な社会政策(社会保障制度改革など)への財政支出をも視野に入れているとされる。その限りにおいて財政赤字は問題にならないとされる。そもそも財政規律に対する問題意識がない。財政出動の財源は税収ではなく自国通貨建て国債なので、いくらでも貸借関係で信用創造できるからである。仮にインフレが過熱すれば、増税で鎮静化させればよいとされる。
こうしたことから伝統的なケインズ経済学との違いは、「短期」を視野に入れるか「長期」も視野に入れるか、「失業や遊休施設がある限り」財政赤字が正当化されるか、「インフレが無い限り」財政赤字が正当化されるかになりそうだが、「失業が存在している状況ではインフレも起こりにくい」ので、その限りにおいて「両者の主張はほとんど同じ」とも言えるとしている。
シェイブテイルの前掲著によれば、ポストケインジアンに位置づけられる。中野剛志ら積極財政派は伝統的なケインズ経済学に近い。これに対して、米国のMMT論者は必ずしも積極財政の立場を取らない。柿埜氏の前掲著によれば、ポストケインジアンは伝統的なケインズ経済学よりも市場経済への不信感が強く、社会主義的な計画や政府による管理を強調しがちな側面があるとされる。ポストケインジアンは経済学のなかでは傍流だが、MMTはポストケインジアンからも批判されるといった意味でさらに傍流に位置する。
従来の経済学からの批判
では、どのような点が批判されているのだろうか。柿埜氏は同著で、スペンディング・ファーストの不自然さを指摘している。筆者なりに敷衍すれば、「とにかく財政支出を増やせば債券の発行でどうにでもなる」、「負債は同額のを資産を生んでいるのだから財政赤字は問題にならない」、「債券発行で足りない分は税収で補えばよいのだからプライマリーバランスは問題にならない」ということになるだろうか。しかしその結果、「財政支出が増えているから経済成長している」と考えるのは倒錯しており、「経済成長しているから税収も増え、財政も拡大する」と考えるのが正しいとしている。
筆者も同意見である。財政の仕組みがMMTの思い描くようになっていないからである。財政法第4条第1項の「国の歳出は原則として国債又は借入金以外の歳入をもって賄うこと」との規定を思い起こしたい。均衡財政を原則としているのである。ただし書きにより、「公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、例外的に国債発行又は借入金により調達することを認めている」のであり、一定の合理性が認められているのは建設国債である。それでもなお歳入が足りないときに特例国債が発行されるが、経常的な支出に使われることが慢性化して債務残高が膨張し、政策的経費を圧迫している。「赤字国債」と呼ばれ、プライマリーバランスの黒字化の必要性が指摘される所以だが、こうした仕組みを考えれば、成長による税収の自然増こそが、本来あるべき姿に近づくことは自明だろう。
従来の経済学との親和性
なお、柿埜氏は同著で、MMTのスタンス自体を批判している。財政拡大が効果があるということを主流派も認めているからMMTも認められていると勘違いする向きがある一方で、批判されたときは被害妄想的になるという。主流派とはおそらく、ニューケインジアンのことだろう。伝統的なケインズ経済学との親和性を起点とした議論が求められる。
その一方で「失業者を全部、国が雇う」という提言があることには驚いた。ベーシックインカムとは違った概念である。伸縮的に仕事の調整をしないとならないので、定型業務にならざるを得ないという。今後、AI(人工知能)でも代替可能な分野であるため議論の余地がありそうである。
また、社会主義的になるか、失業者を無理やり雇用するかはっきりしないことを嘆いているが、先述の通り、長期的な社会政策を視野に入れている可能性から矛盾はしないのではないか。失業対策にしても、インフレが生じるまで失業者の存在を是認するといった伝統的なケインズ経済学との親和性があるわけだし、過度なインフレが生じれば増税で鎮静化させるわけだから、基本線は国債の新規発行によって失業がコントロールできると考えられる。
貨幣数量説を否定しているのは納得できる。財政支出ありきで国債発行すればよいと考えているからである。中央銀行のマネタリーベースによるマネーストックへの波及は外生的貨幣供給論と呼ばれるもので、貸出により預金が創造されるという内生的貨幣供給論とは真逆だからとも言える。MMTは内生的貨幣供給論の立場を取る。
▢事実関係を振り返る
先述の通り、MMTが脚光を浴びるようになったきっかけは、従来の金融財政政策では手詰まり感が出てきたからである。しかし、これも考えてみればおかしな話で、財政赤字を是認して積極財政を主張するなら、少なくともその証拠とも言える何かがないとならない。古典派からケインズ派、マネタリズムの政策的変遷と同じように、何等かの政策で、その有効性を示す実績がない限り、その理論的正当性を実証できる手がかりがない。それは「今」なのだろうか。違うだろう。むしろ、コストプッシュ要因のインフレを助長してしまう可能性が高い。
近年の財政政策がどうだったのか。そこから必要性を浮き彫りにできないか。前出・柿埜氏は前掲著で、「高度成長期は均衡財政だった」としている。国債依存度の高まりや、財政赤字(特例国債の歳入に占める割合)の増加傾向から、ある程度支持できそうな主張である。
中谷氏の前掲著によれば、1973年の石油危機の翌年に戦後初めてマイナス成長となり、特例国債がはじめて発行された。その直後から急激に国債依存度が高まり、1978年頃には歳入に占める割合が約80%にも達している。それ以降、財政赤字が急激に膨らんだ。80年代に入り「緊縮財政がつづけられた結果、財政赤字は減少したが、バブル崩壊以降、再び急速に増加している。国債依存度も一時は50%近くまで上昇したが、2013年度以降の好景気によって。30%近くまで低下している」としている。その後、新型コロナウイルス感染症対策で70%超となったが、再び30%近くに低下したものの、累積債務が積み増し続けている(財務省資料「公債残高の累増」参照)。
2001年に発足した小泉内閣は積極的な財政政策をとらず、構造改革によって一定の景気回復が認められた。2011年度にプライマリーバランスの黒字化が掲げられたが、赤字の状態が続いている。第二次安倍内閣で掲げたアベノミクスは積極財政のイメージが強いが、実態は異なるとの指摘がある(2019年11月22日付ニッセイ基礎研究所 斎藤太郎氏)。筆者の記憶するところによると、MMTの影響を受けて積極財政に転じたのは総理退任後ではなかったか。自身の派閥を通して一定の影響力を発揮していたと記憶している(2022年6月4日付朝日新聞デジタル 参照)。
日本でMMTが話題になり始めたのは2019年後半に入ってからである。安倍内閣は2020年9月16日で終わったことを考えると、仮に、アベノミクスでMMT流の積極財政を取り入れたとしても、約1年の期間内ということになる。そんな短期間でできたのだろうか。少なくとも、2018年の消費税8%導入以降、物価が低迷し、実質賃金が下がり続けていった。奏功しなかったのである。
▢理論的・政策的課題
貨幣観について
1)果たして、商品貨幣論は完全に否定できるのか
従来の主流派経済学は商品貨幣論を前提としていたとされる。しかし、「現実の経済を説明する枠組みとしての商品貨幣論は、理論的にも、そして実証的にも重大な問題点を抱えている──これが、歴史学や人類学の知見も踏まえたMMTからの批判」とされる(島倉原 著『MMTとは何か』参照)。商品貨幣論の論拠とされる物々交換起源説の証拠が見つからないのだという。物々交換について、「歴史学者や人類学者、考古学者や古銭学者も、『そんな歴史的事実はない』と否定して」きたというのだ(23年7月28日付東洋経済オンライン 中山智香子氏 参照)。今後の検討課題となるだろう。
グレーバーの借用証書起源説は、貸借関係による信用貨幣論の論拠となりそうで興味深い。マルクスの物神貨幣論は、仮説の一つとして需要動機を説明したに過ぎない。金儲けそのものが目的になってしまっているような状況や、際限もなく欲得を増幅させていく資本主義の性質を鋭く批判する側面があった。巷間かまびすしい政治資金パーティーを巡る汚職事件などを見ても、強欲なまでにカネ自体を追い求める人間の性(さが)を示しているように思える。
その一方で、ケインズの流動性選好説(取引動機・予備的動機・投機的動機)から需要することも確かだろう。MMTは税金を取るために貨幣が流通するという。需要する側からすると税金の支払いのために貨幣を需要することになるが、日常的な感覚からして不自然である。例えば、かつての日本では年貢を農作物で納めていたが、同時に貨幣が流通していた。この状況をどう説明するのだろうか。私たちの日常感覚を振り返ってみたい。会社員であれば税金は天引きされるのだし、できれば税金を支払いたくないと考える人の方が多数派だろう。
内生的貨幣供給論の立場を取ることは同意する。マネーストックを増やすためには貸出による信用創造が不可欠だからである。信用貨幣論はこの意味で正当化の余地がある。しかし、商品貨幣論を真っ向から否定できるのだろうか。
経済評論家の三橋貴明氏はMMT積極財政派の立場から、アリストテレスやアダム・スミスの言説を持ち出して商品貨幣論を批判している(「貨幣のプール論(ブログ投稿『アダムの罪』など)」)。
だが、彼らが生きていた古代ギリシアや18世紀のイギリスの実情から、経験的に述べている可能性を完全に否定できるのだろうか。金や銀の含有量で貨幣価値が決まってきた歴史、ニクソンショック(1971年)に至るまで兌換紙幣による金本位制が続いてきた歴史をどのように説明するのだろうか。金や銀は「量的限界がある」ので「貨幣のプール」を作ることができた時代があったのではないか。
実は、これに対する反論はすでに提出されている。ニクソンショック以降、不換紙幣が流通するようになってから、商品貨幣論では説明がつかなくなったというものである(前出・島倉氏 前掲著 参照)。確かにその通りではあるのだが、だからと言って、いや、だからこそ、商品貨幣論が完全に否定されるとは思えない。兌換紙幣の時代を経て不換紙幣に移行した経緯があるからである。こうした経緯を無視して、古来より貨幣の性質が、徹頭徹尾、信用貨幣論のみで説明できるほどの普遍性を有していると主張しているのだとしたら、論理的に破綻しているだろう。言うまでもない。兌換紙幣時代を無かったことにしないとならないからである。
2)商品貨幣論と信用貨幣論の共存
不換紙幣へ移行したのは、戦後の国際経済の発展に伴い、先進各国の貿易拡大が固定相場を維持できるほどの兌換を許さなくなってきたからである。言い換えれば、米ドルの固定相場を維持できるほどの金への兌換ができなくなってきた。そこでスミソニアン体制を経て変動相場制へ移行(1973年)し、ある程度市場メカニズムに任せることになったのである。しかし、これは、貸借関係の無限な拡散を意味しない。MMTはこれを、過度なインフレにならない限り、という表現で上限を規定している。インフレの上限を増税で歯止めをかけているのだ。では下限は何かと言えば、金兌換への収斂だろう。不可逆的ではあるものの、縮小経済の可能性がある限り、弁証法的な逆回転はあり得るのではないか、というのが筆者の仮説である。
その証左として、金兌換時代の痕跡は至る所に見られる。昨今の日米金利差を見ても明らかなように、投機的動機で通貨が売買されることは常識であるし、投資対象として、金(Gold)はポートフォリオに組み込まれている。つまり、現在においても「あたかもモノであるかのように」貨幣が取引されているという事実がある。今年はアメリカの金融緩和予測から投資対象として金(Gold)の需要が高まり、ウクライナ情勢の泥沼化や中東情勢の緊迫化から、安全資産としての需要も高まるとの予測がある(1月4日付東洋経済オンライン)。取引動機から投機的動機へと主要な舞台を移しながら、商品貨幣としての金(Gold)が需要されていた状況は、今もなお続いているようだ。
こうした状況を概観すると、商品貨幣が息づきながら信用貨幣が普及していったといった捉え方が自然なように思えてくる。古来より、貸借関係の信用創造の手段でありながら商品貨幣の側面もあり、国際経済の発展に伴い「貨幣をプールできなくなった」から信用貨幣の側面が強くなった。これが実情ではなかろうか。
政策との関係について
今までの議論を踏まえ、一つずつ整理しておく。
1)財政規律の問題
MMTは貸借関係で債務膨張を肯定する。特例国債は赤字ではなく、バランスシートの負債なのだから、同額の資産を生み出すと考えているので、政府の債務は借金ではないと主張するのである。しかし、無限に膨張を許容しているわけではない。過度なインフレが生じそうになったら増税をすればよいと考えている。可処分所得が減って総需要が低下するので、需給の適正化を図れると考えているようである。しかし、これだけでは、長期的かつ広汎な財政支出のもたらす弊害や、膨大な債務(資産)の累積の行方、増税の負の側面を十分説明できていない。増税という歯止めだけでは、バランスシートの膨張による弊害を食い止めるには弱すぎるのではないか。
まず、社会主義的な需要管理政策を長期にわたって続けると、民間活力が奪われるという恐れがある。過度なインフレが起きない限りいくらでも政府が支出してくれると考えれば、自助努力が失われ、研究開発投資によって成長分野のニーズに応える製品を創り出そうとしたり、DXの導入や人的投資による労働生産性を向上させたり、といった創意工夫の動機づけが弱まるかもしれないし、市場メカニズムが損なわれることによって財やサービスの品質向上が望みにくくなるかもしれない。
ただし、外生的貨幣供給論が有効であればという条件づきだが、LM曲線の右シフトによって利子率が低く抑えられるので、クラウディングアウトは生じにくいとは言える。換言すれば、内生的貨幣供給論の説得力が増す昨今においてはクラウディングアウトが懸念され、民間投資を減殺し、長期的には実質GDPが低くなっていく恐れがある。
また、前出の中谷氏も前掲著で指摘しているが、債務を将来の増税で賄うとしたら、MMTがいくら否定しようとしてもそう考える人がいる限り、勤労意欲が低下していく可能性が考えられる。財政構造から言っても新規国債を発行すればするほど利払い費が増えるのは自明であり、それをさらに新規国債で賄おうとすれば、国債費は膨張する一方だと考えるのが一般的な感覚だろう。
事実、プライマリーバランスが赤字続きという状況は、貸借関係の説明とは別次元の議論である。現実の制度運営の収支において、政策的経費が税収で賄えていない、国債費が政策的経費を圧迫して機動的な財政運営をしづらくなっているという現状がある。仮に歳出が何らかの公共財へ効率的に使われたとしたら、将来世代へ負債を補って余りある恩恵をもらたしているかどうかが問題なのである。バランスシートは会計上のことで、B/S(貸借対照表)で生み出された資産が、効率的かつ公平な資源配分を保証するものかと言えば、必ずしもそうとは言えないだろう。少なくとも負債と等価では利益の源泉たり得ない。言い換えれば、P/L(損益計算書)の純利益がどれだけあるのか、機会費用を差し引いた利潤がどれだけあるのか。それを集計したときの総付加価値への貢献度を明らかにしないとならない。負債を相殺する資産が生み出されるというMMTの説明は、B/S(貸借対照表)の状態を説明しているに過ぎない。利潤を生みだし、実体経済の分配・支出に還元されないと経済は上向かないのである。
そう考えると、将来的に予想される増税が意欲をそいでしまう傾向が強くなる。まして、インフレ鎮静策として増税が予定されていると周知されれば、その傾向は強くなるだろう。筆者の仮説だが、国債増発によって膨張したバランスシートは省益拡大という形で公的部門の肥大化、すなわち「税金の無駄遣い」というパラドックスを引き起こしていると述べた。毎年のように、必要性が疑われる概算要求がなされていると思えてならないからである。ブキャナン=ワグナーは議会制民主主義において、増税のような不人気政策の採用コストを指摘したとされるが、均衡予算主義を志向する問題提起は、伝統的なケインズ派の財政政策のみならず、ポストケインジアンをさらに先鋭化させたとも言えるMMTの財政政策にこそ、自家撞着を自覚せしめる作用をもたらしていると言えそうである。
最後に、興味深い指摘を紹介しておこう。前出の経営コンサルタント、大前研一氏による物理学の立場からの指摘である。大前氏は前掲の『第4の波』などで、かつてケインズ経済政策が有効だったのは、国内において質量保存の法則が機能していたからだと指摘している。しかし、昨今のボーダーレス経済においてはこの法則が働かず、マネーストックを増やしても、金利が高い国へと流出しているというのだ。それをもって、経済学者や評論家、国会議員などが時代遅れのケインズ政策に拘泥してしまっていると批判するのだが、果たしてそうだろうか。ケインズ経済学の行き詰まりから、マネタリズムやサプライサイド経済学による政策が70年代から実施されてきたのであり、いくらなんでもその程度の理解はあるだろう。
確かに、物理学からの指摘は、もともと原子力の専門家だけあって斬新ではある。しかし、マクロ経済学の初級テキストでさえ、ケインズ経済学の発展形として国際マクロ経済学を解説しているのが一般的ではないのか。確かにIS-LMモデルは閉鎖経済を想定しているが、開放経済へ応用したマンデル=フレミング・モデルがある。IS-LMモデルを拡張した理論になっているという点で、ボーダーレス経済への貢献もしているのではないのか。
また、大前氏の主張の通りマネーストックが積み増しているという事実はあるが、信用乗数が不安定化しているので、マネタリーベースによって乗数倍のコントロールが効かなくなっている、というのが実態だろう。本論で繰り返し引用してきた内生的貨幣供給論の必要性を思い起こしたい。ボーダーレス経済にしても、外国為替市場や日米金利差を見れば明らかなように、国境を越えて金利が高い通貨の取引が行われるのは、別に珍しいことではない。マンデル=フレミング・モデルで説明可能である。
仮に大前氏の問題提起を有益なものとするなら、開放経済を一つのエコシステムに見立てた場合の、エネルギー保存則であると考えるのが自然である。近年の市場経済では物量で計測できる財よりも無形財としてのサービスの比重が増えているわけだし、最先端量子科学の観点からもそちらの方がしっくりくるのではないかと思う。MMTとの関連で言えば、バランスシート膨張の上限規定を自然法則から説明できる可能性があるのではないか。
2)政策的経費圧迫の際限なき拡散とハイパーインフレの問題
中谷氏の前掲著を参考に、財政規律の問題を利払い費の観点から考えてみたい。財政支出の度に新規国債を発行すればするほど国債費が増えて政策的経費を圧迫し続ける。この拡散は果たして、過度なインフレが生じたときに増税すれば収まるのか。ハイパーインフレにならないのかという議論である。
中谷氏によると、利払いを新規国債で賄い続けた場合、「利子率が十分に高くなると、利払いに必要な財源が無限大に膨張していくことになる」として、次の不等式が成り立っている状況から説明している。
国債利回り>名目経済成長率
これによれば、国債発行が無限大に膨張して財政破綻することになるという。経済成長の速度より利払い費(国債費)の増え方の方が速ければ、国債発行額が無限大に発散していくというのだ。具体的には、次の計算を紹介している。
ある国のGDPが500兆円、国債残高が同じく500兆円で、国債の利回りが10%、GDPの成長率が5%である場合、国債費は毎年50兆円発生し、GDPの増加分25兆円を上回ってしまう。これを続けると「利払いが雪だるま式に増えていき、それをすべて国債発行で賄うとすると、国債発行は無限大に膨張」してしまうとしている。こうした事態を防ぐためには、中央銀行が民間銀行(市場)から国債を買い入れればよい。金利を低く抑える効果があるからである。
これはリアリティーのある指摘である。アベノミクス以降の大幅な金融緩和(「財政ファイナンス」)は、この意味では正当性があった。しかし、円安誘導がもたらす実質賃金の低下、日米金利差拡大による円安圧力の慢性化、異常なまでの債務膨張の含み損のリスクが顕著となり、もはやこれ以上、緩和を続けることができない状況に直面している。
昨年より日銀はYCC(イールドカーブ・コントロール)の柔軟化に舵を切り始めているが、今月の18日、19日に開催される金融政策決定会合で、遂にマイナス金利解除を決定する見通しとなった。時期尚早な印象だが、上場投資信託(ETF)の新規購入を停止する方向であることも、正常化に向けて必要な措置だろう。当面は緩和政策を維持するとされるが、近い将来、筆者が主張するディマンドプル要因の長期均衡が見通せるようになれば、ゼロ金利や長期金利の正常化も視野に入ってくるだろう。少なくともそれが理想的な展開である。
金利引き締めでコストプッシュを鎮静化し、日米金利差を縮小し、円高誘導で強い円を取り戻す。その過程で、利上げは不可避である。ただし、産業構造改革によって高い経済成長率が見通せるかと言えば、長期停滞が叫ばれる昨今、相当程度の技術革新や労働生産性の向上が不可欠となる。広い意味での資本ストックの必要性はすでに詳述した通りであるが保証の限りではない。したがって、国債利回りの方が大きくなる可能性は十分考えられる展開である。
一方、ハイパーインフレになる可能性は今のところない。外生的貨幣供給論の実効性が疑わしいからである。繰り返し引用してきたように、アベノミクスの大規模緩和でマネタリーベースを拡大しても、マネーストックを乗数倍で増やすことが思うようにできず、日銀当座預金の預金残高を増やすだけで終わってしまった。消費税8%の導入の影響が大きかったが、リフレ派の主張するように期待インフレ率を高めて2%目標のインフレを達成できなかった。こうした状況からハイパーインフレが生じるとは言い難い。
中谷氏はこうした状況について、内生的貨幣供給論の立場からこう説明する。日銀が「財政ファイナンス」でマネタリーベースを拡大しても、市場銀行の貸出がマネーストックを決めるのだから、市中銀行が貸出を増やさない限り、日銀当座預金の預金残高を増やすだけに終わる。したがって、市中にマネーが出ることにはならない、インフレにもならなかった、と。
3)大量の債務を抱え込み続けることのリスク
だが、どうだろう。いくら円建て国債とは言え、今後、ハイパーインフレの可能性がゼロかと言えば、そうとも言い切れない。中谷氏も指摘しているが、まず考えられるのが、想定外の外的ショックである。露骨に言えば戦争だろう。台湾有事や北朝鮮の情勢変化が緊迫度を高めていることを思い起こしたい。事実、それに近い状況が生じている。中谷氏が前掲著(第6版)を上梓した後、ロシアによるウクライナ侵攻が起こり、日本をはじめ先進各国がコストプッシュ・インフレに苦しんできた。中東情勢の緊迫化による原油高は予断を許さない。
また、ディマンドプル型の成長軌道に乗ることができなければ、持続的な貸出は増えないだろう。資金需要が思うように増えず、積み増ししたマネーストックが市中に流れない状況は、今後も十分考えられる。仮にこうした状況を放置して長期的に金融緩和を基本路線にし続けると、今後、ゼロ金利解除やYCC(イールドカーブ・コントロール)の更なる柔軟化を推し進めた場合、大量の債務が含み損を抱えて、国債の売りオペレーションに支障をきたしたり、損失を埋めるために上場投資信託(ETF)を売りに出したときの株式市場の混乱が予想される。
実際は、慎重に売りに出さざるを得ないのだろうが、すると今度は、すでに際限もなく膨らんだ日銀による不健全な買い支えが、株式市場の運営を阻害し続けることになる。国債については、格付け機関から格下げされ、円の信用低下といった経路で売り注文が続出し、円の大暴落から財政破綻を招くというストーリーが現実味を帯びてくる。
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