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ボカロPと音MADの関係について

 「オーバーライド」というボカロ曲が人気を集めている。2023年11月29日に投稿され、youtubeでは30万回以上、ニコニコ動画では10万回以上再生されている。その人気の一因として、過去に流行したネットミームをMVの演出に取り入れたり、作者が自ら積極的に楽曲の二次創作(とりわけ音MAD)に対するサービス・条件を整えているなど、音MAD・二次創作への寛容さが大きなものとしてある。作者の吉田夜世は、「オーバーライド」を原曲に作られた音MADをほとんど制覇と言っていいほどの勢いで巡回し、Xで感想を載せたりしている。
 言うまでもないが、多分多くの人が——MAD作者も視聴者も——二次創作に寛容な(それどころか二次創作を自ら奨励するような)姿勢に親しみを覚えているのだろう。僕も同感だ。自分も一応は音MADを作っている身なので、こうした(実質的には犯罪に近い)二次創作を公認してくれる作者がいるのはとても嬉しいことだ。
 しかし同時に、吉田の発言や吉田の周囲のネット民のノリに対して、何というか薄ら寒さのようなものを感じなくもない。こんなことを二次創作をしている身が言うのは間違いだということは十二分に分かっている(そもそも僕自身も、MADを作って吉田から反応をもらったクチだし‥‥‥)。しかし「オーバーライド」が、近年の二次創作を認めざるを得ない圧力や、作者のMAD界隈への人気取りのような問題を体現していることについては、やはり書いておくべきだと思う。
 もちろん、吉田は二次創作界隈への人気取りを特別意図しているわけでもなく、単純に音MADが好きなだけだろう。MVにネットミームを取り入れているのは、奇をてらっているという悪意ある解釈より、自分の好きなモノへのオマージュを込めたと普通に考える方が自然だ。巡回したMADの感想を大量に投稿していることにしても、自分の作品が(どんな形であれ)認知されていることを知れば嬉しいと思うのは自然なことだし、それが吉田がリスペクトする音MADという形であれば猶更だろう。
 でもやっぱり言わせてほしい。二次創作への積極的な言及やエゴサがなければ、「オーバーライド」はここまで人気になっていない(一応言っておくが僕は最初から曲自体が良いとか悪いとかいう話はしていない)。失礼な言い方をするけれど、要するに「オーバーライド」はネットの「勝ち筋」に乗って成功した作品だ。吉田自身はそうは考えていないだろうが、結果的に彼のやっていることは「人気取り」、もっと言えば「パフォーマンス」として機能しているだろう(結果的に!!)。この現象は、今日のネットでは二次創作者のノリに迎合することが商業的な「正解」になってしまうという問題を浮き彫りにしてしまっている。
 繰り返すが吉田は音MADへの単純なリスペクトによって「オーバーライド」を作っている。しかし全員が全員吉田のようなメンタリティの持ち主ばかりではないはずだ。当然、自分の作った作品を無断利用されたり、下品な内容に加工されたりということを不快に感じる作者も(少数派かもしれないが)いるはずだ。そうした場合、当然のことだけれど作者には二次創作を禁じるなりする権利がある。そうなれば、これもまた当然のことだが、ネット民は何はどうあれ二次創作を作ることは慎まなければならないだろう。ましてや作者の禁止令に文句をつけるのは言語道断だ。
 ‥‥‥と思うのだけれど、どうも「二次創作を認めない作者」に対する非寛容がネット全体に蔓延しているらしいのだ。例えば2022年に自身を素材にしたMADが制作されることに苦言を呈したフォーエイトの音羽は、逆にその非寛容ぶりを批判されて(さらに自分も二次創作に近いことをやっているだろうと難癖をつけられて)炎上した。僕も音羽がお世辞にも「賢い」選択をしたとは思えないが、「二次創作に苦言を呈する」というあっていいはずの選択肢が過剰なほどに攻撃されるという事態に、異常なものを感じたことを覚えている。
 そんなわけで、素材となる人間や原曲の作者たちは、MAD=リスペクトと捉えるネット的なノリに同調することを暗黙に強制されている(でないと逆に攻撃される)。HIKAKINやキヨやSUSURUはそれぞれ何らかの形で二次創作に反応し、ネット民にその姿勢を称えられている。もちろん二次創作を単純に面白がっているケースの方が多いのだろうけれど、二次創作に否定的な作者がそれを押し殺しているケースが皆無とは思えない。
 長ったらしく書いたが、要するに何が言いたいかと言うと、吉田の音MADへの寛容さを「二次創作を歓迎する作者サイコー!!」と脳死で喜ぶことは、全く逆の非寛容な態度をもつ作者(音羽とか)が現れたときにお門違いな攻撃をすることに繋がってしまうのではないか、ということだ。これは吉田本人の問題というよりは、吉田の行動が「正解」になってしまうプラットフォームや消費者の問題だ。今日のネットでは、クリエイターがネット民の支持を得る一番の「勝ち筋」は、二次創作に反応したり容認したりしてネット的ノリに「乗る」ことだ。そしてこれに背を向ければ二次創作者やその消費者から攻撃される‥‥‥「オーバーライド」人気は、このような作者と二次創作のいびつな関係を顕在化させている。
 本当に誤解しないで欲しいのだけれど、僕は二次創作が作られること自体は素晴らしいことだと思うし、作者が存在を容認してくれることも素直に嬉しい。吉田が自身の曲で作られたMADをエゴサしてはしゃぐことも、特段悪いことだとは思わない。しかし吉田が無意識のうちにやっているネット民への人気取りは、結果的に(音羽の炎上のような)創作に対する最低限のモラルの崩壊を招く危険を孕んでいる。MADに寛容なボカロPを手放しで喜んでいるネット民に、このことが少しでも伝わればいいと思う。

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