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《当代中国財政 上・下》(1)

《当代中国財政 上・下》(中国社会科学出版社 1988年)は、200巻にも及ぶ《当代中国叢書》(叢書=丛书)の中の一編である。「哈南岗书店」というゴム印が押されているので、1988年か90年にハルビンの友人を訪れた際に購入したのであろう。当時、どの書店にも緑色の《当代中国叢書》がずらりと並んでいたことを記憶している。

《当代中国叢書》に関する百度百科の記述は以下にとどまる。

分门别类论述中华人民共和国建设发展的历史过程和经验的书籍。全书约200卷。 《当代中国》丛书的军事分卷有: 《中国人民解放军》、《当代中国军队的军事工作》、《当代中国军队的政治工作》、《当代中国军队的后勤工作》、《当代中国军队的群众工作》、 《当代中国民兵》、 《当代中国海军》、《当代中国空军》、《抗美援朝》等。
中華人民共和国の建設・発展に係る歴史程と経験とを分野別に類別して論述した書籍。全巻約200巻。 軍事分野については、次などのように巻が分けられている。《中国人民解放軍》、《当代中国軍隊的軍事工作》、《当代中国軍隊的政治工作》、《当代中国軍隊的後勤工作》、《当代中国軍隊的群衆工作》、 《当代中国民兵》、 《当代中国海軍》、《当代中国空軍》、《抗美援朝》。

一方で、孔夫子旧書網という古書仲介サイトでは、以下のように編纂の経緯がやや詳しく紹介されている。

《当代中国》丛书是由胡乔木倡议,中共中央书记处批准,中共中央宣传部向全国部署编写出版的大型图书,系统、全面、完整的记录了新中国近代五十年的发展历史。1999年6月30日,《当代中国》丛书暨电子版完成总结大会在北京人民大会堂召开。党和国家许多领导人,如、陈云、徐向前、聂荣臻、薄一波、等都曾为丛书题词;李先念、杨尚昆、万里、邓颖超、等都为丛书写过序;朱镕基、王兆国、刘延东、徐才厚等担任过丛书分卷的主编或副主编。该丛书于八十年代初开始编写,有十万人参与,至一九九九年完成,历时十七年告竣。丛书全套分二十四大类,共计一百五十二卷二百一十册,总计一亿字,插图三万幅。内容涵盖范围广,从各省(区)、市到各行业和领域,展现了当代中国国情的全貌,内容丰富,资料翔实,是一部名符其实的当代中国百科全书和信息库,堪称当代中国最权威、最具影响力及最有代表性的史书。
《当代中国叢書》は胡喬木の提唱に基づき、中国共産党中央書記処が批准、中国共産党中央宣伝部が全国の行政機関に対して編纂し出版した大規模な図書であり、系統的、網羅的に記録された新中国近代50年の発展史である。1999年6月30日には、電子版も含めた完成祝賀会が北京の人民大会堂で開催された。
陳雲、徐向前、聶栄臻、薄一波などが書を揮毫。李先念、楊尚昆、万里、鄧穎超などは序文を書いた。朱鎔基、王兆国、劉延東、徐才厚などは、各巻の主編または副主編を務めた。
編集は80年代初めに開始され、10万人が参画し1999年に完成した。24の大分類に、152巻210冊、総字数1億、図表・写真3万。省市・産業・文化など現代中国の国情全貌を網羅した百科全書であり、中国で最も権威あり、影響力を有する現代を代表する史書である。

1999年まで編纂が続いていたとは知らなかった。正直なところ、現地駐在していた90年代後半の香港でも、2000年になって以降の本土でも見た記憶がない。
また、胡喬木の提唱であるとの記述も興味深い。鄧小平の下、文化大革命を含む1949年の建国以降の政治を総括した『建国以来の党の若干の歴史問題についての決議』(1981关于建国以来党的若干历史问题的决议)起草者である。1987年には中国共産党中央顧問委員会常務委員という名誉職に就き、現役からは引退しているが、《当代中国叢書》編纂の提唱は、歴史問題決議とともに中国共産党政権による“指導”の正当性を評価・総括するものとして延長線上にあるものと理解できる。また、その背後には最高実力者鄧小平の意向も大きく働いていたことであろう。

胡喬木は記憶に強く残っている名前であるが、87年には一線から引退していたせいか、『中国最高指導者WHO's WHO』(蒼蒼社)での掲載は1986年刊の初刊のみで、以降には掲載されていない。

掲載内容を抜粋すると・・・

●『中国共産党30年』を著した理論家。
●延安時代に毛沢東の信頼を得る。
●鄧小平の理論面の支柱。
●胡耀邦・趙紫陽とは一線を画し、開放・自由化には必ずしも積極的ではない。

徐向前は抗日戦争の英雄で胡耀邦の支援者、聶栄臻は軍事技術近代化の指導者、薄一波は大連市長として日本との関係も深かったが重慶市書記に就いている際に習近平に粛清された薄熙来の父親である。

“各巻の主編または副主編を務めた”朱鎔基、王兆国、劉延東、徐才厚らは、その後中央の要職を務めた人物であるからこそ孔夫子旧書網も敢えて名を挙げたのだろう。1983年時点での職位は以下の通りだ。

朱鎔基:国家経済委員会副主任
王兆国:武漢第二自動車製造工場党委書記→共青団第一書記
劉延東:共青団書記
徐才厚:吉林省軍区政治部副主任

朱鎔基はよいとして、あとの3名は一時期華々しく活躍し、将来を期待されたが、その後波乱に見舞われた面々である。

王兆国は、鄧小平により第二自動車(現在の東風汽車)書記から中央に大抜擢され、胡錦涛・温家宝を抑えて“同期トップ”であったが、その後鄧小平は胡錦涛を選び、最終職位は中央政治局委員に止まった。

劉延東は、国務院(日本の内閣にほぼ相当)副総理という肩書から、“女性閣僚”として国際舞台に登場することも多いが、党では中央政治局委員である。一時期政治局常務委員(所謂China 7)入りの可能性も観測されていた。

徐才厚に至っては、制服組トップの中央軍事委員会副主席にまで上り詰めたが、習近平により粛清された。

さて、肝心の《当代中国叢書》自体にはどのように書かれているのだろう。

本の扉を開けると、《当代中国叢書》編輯委員会の名が挙がっている。

【主編】鄧力群、馬洪、武衡

鄧力群は、胡耀邦・趙紫陽ら改革派に反対する保守派の筆頭とされる人物である。《当代中国叢書》編纂が開始された80年代初頭は党中央宣伝部長として精神汚染排除キャンペーンを展開し、最終的には胡耀邦を失脚にまで追い込んだ。しかし、趙紫陽の反撃により自身もほどなく失脚。ただ、その趙紫陽も失脚し軟禁されたまま2005年に死去する一方で、自身は2015年まで100才の天寿を全うしている。

百度百科には、「中央整党工作指導委員会委員として整党工作に従事した」との記述があるのみで、改革派との暗闘については一切記述がなく、党を主導した理論家としての業績を称賛する文章が並んでいるのみである。この中には《当代中国叢書》主編を務めたことも含まれている。

馬洪は、経済学者で1983年時点の職位は社会科学院院長兼国務院副秘書長である。馬洪という名前は、延安で中央組織部長であった陳雲の下で工作活動に従事している際につけられた変名である。

武衡は、地質学者・天文学者となっているが実態は文教・科学振興行政官僚であると判断される。1983年時点の職位は国家科学委員会副主任・国務院科学規画委員会副秘書長である。中国科学院国家天文台が1999年に発見した小惑星は武衡星と命名されている。


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