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コミュ障がコミュニケーションの仕事を無理くりやるために必要なこと

誰が何と言おうと、私は本質的にコミュ障(一般的に、他人との会話が苦手な人、他人に無関心な傾向がある人、ということらしい)だ。大人になってから発達障害(ASD)と診断されて、「あーそうか。やっぱり資質的にもそうだったんだ。」という答え合わせもなされたが、いわゆるそういうのがない一般の方よりも、他人とコミュニケーションするのにエネルギーを使う。

例えば私は、話している相手の感情が直感的にわからない。相手が何で笑っているのか、何で怒っているのか、パッと理解することができない。これは、失感情症(アレキシサイミア)という、発達障害系の特徴らしく、実際、予期せぬ感情を人からぶつけられると私はすごく混乱する。

とはいえ、失感情症と言っても、人の感情を全く理解できないわけではなく、直感的に理解できないだけなので、どうにかすることはできる。じゃあどうするのかというと、前後の脈略から理解する、ということをやっている。この人はこういうことを言われたりやられたりして、その後、こういうことになっているから気分を害しているのだ、みたいな感じで感情の外堀をロジカルに埋めることで理解する、というのをいつもやっている。

たぶんこれを読んだ多くの方が「面倒くさそう」と思われたのではないかと思うが、実際問題、クソ面倒くさい。ていうか、疲れる。

そんなものだから、私は常々、「自分は人としゃべるの苦手です」と言っている。それはまごうことなき事実で、人としゃべるの疲れるので、しゃべらなくても生きていったり、やりたいことを実現できたりするんなら全く人としゃべりたくない。

コミュ障だけどコミュニケーションの仕事をやっている

そんな私だが、普段はテクニカルディレクターという仕事をして生計を立てている。厄介なことに、この仕事は人とコミュニケーションを主体とした仕事だ。

テクニカルディレクターって何なの? についての説明は、毎日のように繰り返し行ってきたものだから、落語のように暗唱できる程度にスルスルっと出てくる。

まず、アプリでもサービスでも体験展示物でも何でも良いのだが、デジタル技術を使って何かをつくろう、というとき、何をつくろうか「考える人」、というのがいる。それは、ビジネスオーナーだったり、クリエイティブ・ディレクターだったり、プロデューサーだったりする。

しかし何か考えるだけではものはできない。手を動かして「つくる人」が必要だ。プログラマーだったりエンジニアといった現場の技術者がそれにあたる。

小規模なプロジェクトだと、「考えてつくる」を一人でやってしまうようなケースもあるが、昨今、商業クリエイティブのものづくりは大規模化してきているものあり、大概、「考える人」と「つくる人」は別の人だ。「考える人」と「つくる人」が一緒に協力しないと、ものづくりはできない。

しかしそれがなかなか簡単にうまく行くものではない。「考える人」と「つくる人」は、「考える人」になるまで、「つくる人」になるまでに、そうなって然るべき人生を送ってきたりしていて、モチベーションも哲学も価値観も全然違ったりする。

たとえば「考える人」は、何かをつくって、世の中にどんな影響を与えることができるかということに興味があるものだ。何かを実現するために、何をつくろうか考える。

一方で、「つくる人」は、何かお題があったとして、それを「どうつくろうか」というプロセスの方に興味を持つことが多い傾向にあると思う。つくった後の結果に無頓着な人も結構多い。

そんなものだから、同じチームで仕事をすることになった「考える人」と「つくる人」は、得てして「共通言語」というものを持っていない。単なるモチベーションや価値観の問題だけではなくて、文字通り言語の問題もある。「考える人」は技術用語を理解しないことがあるし、「つくる人」は、ビジネス用語、たとえばマーケティング用語なんかは知らんという人が大半だったりする。

そこで私たちテクニカルディレクターの出番ということになる。この領域の「テクニカルディレクター」という呼称は、広告系のコンテンツ開発から出てきた言葉だと思われ、サービス開発の領域だとプロダクトマネージャーみたいな立ち位置がそれに当たるのかもしれないし、ゲーム業界なんかだとまた別の呼び方になってくる。

何はともあれ、私たちテクニカルディレクターは、「考える人」と「つくる人」の間に入ってプロジェクトが進みやすくなるように調整したり、双方の「言語」を翻訳したり、双方の都合を理解して解決策を見出したりする「技術監督業」、というのを仕事にしている。文化や考え方が違う人たちの間でコミュニケーションを司るのが私たちのメイン業務だ。

つまり、私たちがやっているのは「コミュニケーション職」だ。よく私は「技術者」と呼ばれることがある。「技術監督」というくらいなので、技術者でなければ務まらない。なので、間違ってはいないのだが、本質的には「技術に関するコミュニケーションを担当する人」という役割なので、あくまで「コミュニケーション職」だ。

なので、どんな形であれ、コミュニケーションを司って、対話を取り仕切り、収拾することができないと、仕事にならない。技術をわかるだけでもダメだし、コミュニケーションを司れるだけでもダメだったりする。なので、どうしても両方ができるハイブリッドな人でないとできない仕事ということになる。

そして私はその領域でもなんだかんだで割とうまく行っている部類の人間ではあるが、話を最初に戻すと揺るぎない事実として私はコミュ障なんですよ。なんだったらわりと先天的にそういう特徴を持っている(発達障害は先天的ない特徴に起因するところが大きいので)。

そんな私がそんな仕事をどうにかやっている、ということは、コミュニケーションの才能とかそういうものでは全くなくて、ほぼ後天的に得た技術だけでどうにかやっている、ということだ。つまり私は、「コミュニケーションは、才能がなくても技術だけで100点は無理でも90点くらいまでは行ける」ということを知っている。

そもそもなんでこういう文章をいま書いているのかというと、会社の仕事の関係で、業務上、コミュニケーション能力をもっと上げていかないと今後大変だからがんばろう、みたいな話を便宜上したのだが、それに対して、「もともとコミュニケーションの才能がある人間に言われてもなー」みたいな反応を受けたからだ。

いやだから、コミュニケーションの才能という意味でいうと私はむしろマイナススタートなのだし、全て技術でどうにかしているだけなのだ。

じゃあその技術とやらはどうやったら身につくのかというと、私は一つしか答えを持っていなくて、それは「反復」だ。反復的にコミュニケーションを行って、反省して改善して、だんだん意識しなくてもより良い対応ができるようになる、という方法以外にそれを身につける方法は無いと、私は思う。

この反復は、語学の練習や、楽器の練習とかなり似ている。マイルス・デイヴィスの名言に「すべて学び、そして忘れろ」という言葉があるが、それはつまり、練習しまくって勝手に身体が動くくらい身につける(=何練習してたか忘れる)、というのを目指せ、という意味だ。

ゆうても反復するの大変じゃないか、というのもその通りで、誰でも同じことを反復的に学習できたらそんなに楽なことはない。

じゃあどうするのかというと、自分の場合いくつか、「あーこれは良い反復になってたな」というコミュニケーションの訓練経験があるので、それを列記していく。

接客

大学四年生くらいの頃、私はバーでバーテンのバイトをやっていた。

勤めていたバーのマスターから口を酸っぱく言われていたのが、「バーテンダーにとって最も大事なのは、人の話をよく聞くことだ」ということだ。

何しろ、お客さんには、また何度も来てもらわないといけない、という基本原理がある。バーなんてものは基本的に常連さんによって成り立っている。

間違っても、お店側のバーテンダーは、自分のつまらない自慢話などしてはいけない。そんなものを聞くために店に通う人は基本的には存在しない。

しっかり客の話を聞いてくれて、程よい距離感を守り、近くなりすぎず、遠くなりすぎない。心地よい空間は、心地よいコミュニケーションから生まれる。毎日のようにバーで接客するというのは、そういう距離感や空気づくりの反復練習としてはとても効果的だった気がする。

私がバイトしていたバーの話はこちらの記事にも書いた。

オンラインゲーム

社会人になってしばらくして、いろいろ嫌になっちゃって、ろくに仕事をしないでオンラインゲームの廃人(ゲームばっかりやってて生活を犠牲にしている人)をやっていたことがある。

具体的には「ファイナルファンタジー11」をずっとやっていた。2002年とか2003年くらいのことだと思う。

私の運命を変えたのが、このゲームにおける初期ジョブの選択だった。いわゆるロールプレイングゲームであるから、自分が演じるキャラクターは何らかの職業を持っている。「戦士」とか「魔法使い」とかそういうのだ。

で、私はその職業に「モンク」を選んだ。

これが非常に良かったというか、良くなかったというか、とても人気がない職業だった。「人気がない」というのは、やる人が少ない、ということではなくて、「レベル上げパーティーに必要とされない」という意味だ。

このゲーム、面倒なのが、あんまり1人でプレイすることができなくて、複数のユーザーで集まってレベル上げに出かけて敵をやっつけて経験値を稼ぐ、というのが基本的な行動になる。

「白魔道士」とかそういう回復系の職業のキャラクターは、いないと回復する人がいなくなってレベル上げが成立しないので、引く手数多だ。

そんな中、「モンク」は、敵を殴るだけが取り柄の、あまりレベル上げに劇的に寄与するタイプの職業ではない。言うならば「代わりなんていくらでもいる」職業、それがモンクだ。

そうするとどうなるかというと、レベル上げに出かけるためには、毎日パーティーをつくる、つまり、レベル上げの発起人になって、白魔道士の方々などをスカウトして頭数を揃えるらということをしなくてはならなくなる。

人気がないがゆえに「リーダー」をやらなくてはならなくなるのだ。

パーティーを立ち上げればそれで良いわけではない。優秀なプレイヤーさんたちとは毎日一緒にレベル上げしたい。

ではそのために何をすべきかというと、レベル上げの効率が他のパーティーよりも良くなるように仕切る、ということが必要になるし、さらには、「一緒に遊んでいて楽しいパーティー」をつくることができれば、翌日も翌々日も、一緒にレベル上げに行ってもらえる。

「代わりがいくらでもいる不人気職業の人」に、リピートしてもらうための付加価値をつけるのだ。

私はもうかれこれ15年くらい管理職なり経営者なりをやっているが、このモンク経験が無かったら絶対に無理だったし、今、プロジェクトを取り仕切る上でのコミュニケーションの基礎体力は間違いなくオンラインゲームで反復的に訓練することで培ったものだ。

外国語でしゃべる

私は2013年からアメリカに移住して8年間アメリカで暮らした。ゆえに、英語を使って生活や仕事をしなければならなかった。

なにも、英会話の能力の話をしたいわけではない。むしろ、「英語がへたくそ」という制約の中に、母国語でのコミュニケーションのヒントがめちゃくちゃある、ということを言いたいのだ。

日本語だったら、どんな難しいことでも表現はできるし特に迷うこともない。蛇口をひねれば日本語が自然に出てくる。それが母国語というものだ。

しかし、英語なりの外国語ではそうはいかない。何か表現しようとすると、単語や表現が出てこなくて「あー」とか「うー」とか言ってしまうことになる。

しかし、言語というのは、日本語であれ英語であれ、人に何かを伝えるための道具だ。「あー」とか「うー」とか言っていても何も伝わらない。言語としての機能を果たさない。特に、海外生活の中では、どうにかこうにか伝えないと生活に大きな支障が出る。

じゃあどうするかというと、「出てくる単語や表現だけでとにかく伝える」という方法を取らなくてはならなくなる。

アメリカに移住して2年くらいのとき、まだ生まれたばかりの次男の肛門周辺に炎症ができて、病院に行ったことがある。

お医者さん用語的には、肛門は「bottom」だ。今なら、次男の症状を医者に伝えるときに私は「There is an infection around his bottom」とか言うだろう。

しかし、当時の私は「肛門」を英語で何と言えば良いのか知らなかった。知らなかったが、高校の頃にハードロックとかをよく聴いていたので、いわゆるスラングはわりと知っていた。

ゆえに、私は「There is an infection around his asshole」と説明した。「asshole」はお医者さんで言ってはいけない言葉だ。日本語だと「ケツの穴」ということになる。「彼のケツの穴周辺に炎症がある」と聞いて、医者は爆笑したが、しかし内容についてはしっかり伝わり、かくして次男のアスホールの健康は守られた。

これは、「とりあえず雑でもいいから何か言って伝えたいことを伝える」ということになる。その延長線上には、「考える前に躊躇なく行動する」という、コミュニケーション上の勇気みたいなものがあって、外国語で話すことは、そのへんの訓練につながる。海外に住むと、それを毎日やるので、英会話以上にそのへんの心意気を反復訓練することになる。


以上のように、元来コミュ障である私は、行きがかり上の上記のような反復訓練の中で、複雑なコミュニケーションを扱う仕事をどうにかやれるくらいまで後天的なコミュニケーション技術を獲得することができた。そこには才能は関係ない、技術があるだけであり、その技術は、努力に基づいたものではなく、バーテンのバイトしてオンラインゲームやって海外に住んで、という強制的な生活の中での反復によって得られたものだ。ゆえに、特にコミュニケーションに特化した努力などしていない

ただ、生活の中でなるべくコミュニケーション的に負荷が高そうな状態を選択することはできる。「近所のスナックに通ってみる」とかそういう身も蓋もないやつでも良いと思う。とにかく、一発で終わらない反復が必要だから、継続的な状況をつくることが大事で、それさえできれば、仕事で駆使する程度のコミュニケーション技術なんてスルスルっと身につけられるものだと思う。

なんとなく、話の性質上自分語りヘビーになってしまったが、仕事を一緒にしている同僚や関わってくれる皆さんの参考にもなるかなーということで綴ってみた。

そして別に、だからと言って自覚的にコミュニケーションが得意になるわけではないし、コミュ障はコミュ障なんで人としゃべるの疲れるのは変わらないわけで、そういう業種に就いている人は業務がスムーズになるというだけの話なので、必要ない方には全く必要のない話なのではなかろうかと思う。

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