「生きている」、それに価値がある。
※自殺とか、死ぬとか、そういう描写があるので、やばいかも、ってなんとなく思ったら、それはもう光の速さでブラウザを閉じてください。
ブラウザじゃなく、タブ閉じでいいけど。もっと言えば、お気に入りとかクリップして、大丈夫そうな時に読んでくれたら嬉しい。
今つらい、そういう人にこそ、読んでほしい内容でもあるから。
でも、辛くなるくらいなら、少しいろんな選択肢を保留にして、最後の最後に、読んでもらうのでも、全然いいです。
とある本を読んで、その本の内容に触発されて、記事を書こう、という思考に至り、こうしてキーボードをその勢いだけでたたいています。
(以下、本のタイトルや内容はあんまり関係ないので書かないです。)
病気になった人は、その多くが自分と向き合い、場合によっては「死」と向き合うことになることも、往々にしてある。
私もその一人で、まぁ病気になったから「死」を考え、意識したというよりは、「死」に思考回路を乗っ取られ、さぁいざ行かん!と決意を胸に歩きだしたら、「はいはいそれ病気ですよ、お薬出しますねー」と言われた感じだけれど。
世の中には、「死ぬって選択肢選ぶくらいなら、むしろその他のことなんでもやれるじゃん、死ぬなよ…」とか言う輩もいるんだけど、その人達はきっと知らない。
自殺を図る人にとって、死ぬというのが、もはや”選択肢”ではないことを。
前述の通り、病気の人、切羽詰まった人たちにとって、「死」というのは、選択肢ではない。
選択肢、というのは、それ以外も選べるということ。
別の選択肢もある中で、「死」があるのだとしたら、そりゃ、多くの人は別の選択肢を選ぶと思う。(でもその時点でも、既にそうじゃない人もいる)
だけど、いじめられている人、暴力を受けている人、働き口がない人、ストーカー被害に合っている人、困っているのに相談したどの窓口でも対応してもらえない人、労働時間に制限を設けてもらえずに過労で思考能力が停止してしまう人。
そういう人にとって、「会社を辞める」とか、「引っ越してその場から逃げる」とか、「転校する」とか、「さらに別の窓口を探す」とか、「周りの人に手当たり次第相談する」だとか、そんな選択肢は浮かばない。
どうしよう、このままなんだ。もうずっと、この先このままだ。
救われることもなくて、誰も助けてなんかくれない。
このまま、この先ずっと同じ日々が続いていって、変わることなんかなくて、ずっとこのままで、
もう、死んでしまおう。楽になろう。
こんな感じ。もっと、ずーっとこの問いは続いてるし、もっと暗いし、もっとずっと辛いし、遥かに辛くて、苦しくて、だからこそ「死」を選んでしまうほどになるんだけど、だから全然この文章なんかじゃ比にならないけど、でも大まかに、ほんと大まかにいうとこんな感じ。
あ、そうだ、死ぬって選択肢もある。みたいな、
そんな閃きじゃない。
選択肢、なんて言葉は浮かばない。
もう、死ぬしかないんだ。自分には、それしかないんだ。
この状況はどうしようもなくて、だけどもう辛くて、死ぬより辛くて、死んだら、きっとずっと楽になれる。
そんな感じだ。(自分はそうだった)
正常な判断ができている人に、死を選ぶ極限状態は、理解しがたいだろうけれど、選択、とか、判断とか、そんなんじゃないんです。
わからないだろうけど、全然わからないのが幸せだけど、「選ぶ」んじゃない。
ふと気がついたら、急に目の前に車のライトがものすごい近い距離から当たってて、
そしたら耳が音を拾うようになって、車のクラクションが少しずつ大きくなるように聞こえてきて、それと同時に運転手の怒号も聞こえるけど、なんて言ってるかはわからなくて。
少し時間が経って、あぁ、そこどけって言われてるな、危ないって言われてるな、運転手さん怒ってる、周りの人が見てる、どかなくちゃ、どこう、足がぁー、重たくて動かないんです、ごめんね、今どくから、ちょっと待って、よし動いた、どいた、どいたよ、車も動いた、みんな元通り、また歩いて、いつもの日常に戻るんだ、あぁ、死んでしまいたい。
こんな感じだった、わたしは。相手側からしたらとんだ迷惑な話だけど、うん、わかってるんですけど、今ならごめんなさいって言えるんだけど、その時は脳内が「死にたい」一色で、ごめんね、正常な思考回路じゃないんだあの瞬間は、運転手さんごめんね、だけど、死にむかう人を責めないで、ずっとずっと辛い思いをして、苦痛を強いられて、やっと開放されるかもしれない瞬間で、悪いのは、その人じゃないんです、そんな行動を起こさせる根源が行けないと思うんだ、異論あるだろうけど、でも誰が何言おうと、辛い思いしてる人を救えない世界なんてクソだと思うの。
今、辛くない人だって、自殺する人を批判する人だって、同じ状況に立ったら、そういう外野の声がとてもつらくて、それがなおさら誤った思考を強化させてしまうことだって大いにあるんだ、死を選んでるんじゃなく、その人にとってはもう「死」しかないことだってあるんだ、だから怒るんじゃなくて、「自殺なんてするんじゃない!」じゃなくて、「死ななくていいんだよ」って、そう言ってあげてもらえないだろうか、私から一つ、どうかお願いします。
わたしはといえば、結構長い間いじめられてきたし、暴力も暴言も受けてきたし、パワハラもセクハラも毒親も、そして精神疾患の数々も、この年齢にしては一人前に経験してきた方だと自負していて、そんなの自負することじゃないんですけど、経験なんかしないほうが100倍良い人生だと思うんだけどね。
でも、これはこれで意味があった人生だと思ってて、それは辛かった自分を経験したからこそ今の自分があるから全てに意味があるし悪いことなんかない!みたいな理想論でも美化してる訳でもなく、
そりゃいじめだって虐待だって経験しないに越したことはないし、苦労なんか買わなくていいと思うし、そんなの人に押し付けられたら全力で押しのけて逃げていいと思ってる。
でも、唯一の強みは、「死のう」としか考えられないくらいに辛い思いをしている人の状態がわかること。
精神科医でもカウンセラーでも福祉士でもないから、わかって何ができるわけでもないんだけど、でもわかるって、結構なことだと思うんです。
さっきみたいに、自殺しかける人の脳内がなんとなくわかったり、綴れたりするのは、経験したからこそであって、経験がなければ、想像するしかないし、想像力って、上限が知れてるものがあって。
勿論、自殺する人がみんな同じ状態なわけじゃないし、わたしにも計り知れないことなんかただの小娘なんてたくさんあるし、自殺未遂する人の代表とかそんな大それたあれじゃないです。
わたしが書いたような状態じゃなく、そういう思考じゃなく「死」に行ってしまう人もいることは重々承知の上で。
ただ何が書きたいかっていうとね。タイトルの通りなんです。
私は、頑張って生きたわけじゃない。病気に「勝った」訳でもない。
死に損なったの。ただ、ただ。
いじめられて、存在を無視されて、笑いものにされて、
虐待されて、毎日怒号ばかりを浴びて、感情が麻痺したりして、
線路に落ちようとしたり、車道に飛び出したり、窓から身を乗り出したりして、
それでも「運悪く」、死に損なったんです。
死に損なったから、生きていた、だけ。
いつでも、死んでいいと思ってた。別にこの命に価値も意味もなくて、だから大事になんかできなくて。
愛されてる人にしか、命に価値はないんだろうなって思ってて。
他人のことなんか考えられなくて、価値がない、自分の命をどう手放すか、ってことしか頭になくて。
ただ、死ねなかっただけでした。
でも病気になって、知った。
「生きている」、それに価値がある。
価値がある命、があるんじゃなくて、価値があるから生きる、んじゃなくて。
生きて、いいんだよ。
逃げて、いいんだよ。
どうしようもなかったら、死んじゃっても、良いと思うんだ、そんなことするなって人もいるけど、その人に自分の生活を保証してもらえる訳でもないし、救ってくれたり助けてくれるわけじゃない人から何言われたって、「死」しかない人にとってはそんなの「言葉」として認識することもできないかもしれない。
死んじゃ駄目とか、絶対死ぬなとか言わないけど、
生きるのに、意味なんか求めなくていいよ。
朝、起きたら息をしているから、そのまま生きる。
学校も、会社も行きたくなくて、でも休むなんて、働かないなんて駄目とか、そしたら生きていけないなんて思うかもしれないけど、
そういう選択は、後回しにしてみませんか。少しだけ。
ちょっとだけ、保留にしませんか。
生きるの、すごく辛いし、苦しいし、楽になりたいと思うんだけど、でもね、
強制はしないけど、したくないし、するつもりもないけど、
あなたがそこにいて、今、この文字列を見てくれてて、
何書いてあるかわかんねーよとか、全然響かねぇよとか、綺麗事ばっかクソが!とか、なんでもいいから、思ってくれたり、なんにも思わないけどぼーっと文字を目で追ってくれてたり、
なんでもいいんだけど、辛いそこから逃げていいし、あのドラマは大好きだけど、逃げるのは恥なんかじゃないし、
家もなくなって、お金も本当に底をついて、っていうのは100円も残金なくなってってくらいのレベルで本当になくなったとして、
それから行くところもなくて、手元にご飯も何もなくて、そしたらもうこんな文字はそもそも読めないと思うんだけど、
そっから、そっからで、そうしたらその時、「死」でもいいんじゃないかなって、
辛い中、なんとか「死に損なっている」間に、いろんな約束事が増えてって、あなたを救える決まりができていたり、死に損なったら苦しいあなたのその世界が、その学校が、会社が、バイト先が、家庭が、もしかしたら、なくなるかもしれなくて、逃げ切れるかも知れなくて。
不謹慎なのは百も承知なんだけどね、今ほら、地震もたくさんあって、火災もたくさんあって、
車や電車に突っ込まなくても、屋上から下に落ちなくても、
いずれ、いつかは死んじゃえるからさ、人間。
自殺しようと決意するような人だって、その一瞬前に大きい地震があったら、多分その瞬間は、「逃げよう」とか、テーブルの下に隠れたり、玄関から飛び出したり、身を守ろうとするんだと思うと、面白くて、人っておかしいなって思って、
なんか、そういう想像したりしてさ。どんなことでも良いんだと思うんだ、今のこの一瞬をやり過ごせれば、なんだっていい、なんだっていいから、
すっごい幸せになれるとか、人はだれも平等に幸せになる権利が~とか、そんなありもしないことは私には言えないけど、でも
あなたも、死に損なってみませんか。
一瞬だけでも、今だけでも。
いま、「生きている」そのことに、とっても大きな、価値があるから。
働けなくたって、結果を出せなくたって、今周りにいる人たちに好かれていなくったって、
生きてて良いんです。今、息をしているんだから。
それだけで、良いと思うんです。
どうかな、?
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