自己紹介
noteの記事の書き方を覚えるべく自己紹介を書いてみました。
超長くてくどいものになってしまいましたので、気が向いたときに読んでくださいませ。
私は何者?
簡単なプロフィール
名前:ぷよぷよ
生年月日:1981.12.15 (単なるおっさん)
居住経験:福岡市→神奈川県藤沢市→埼玉県戸田市→福岡市(現在)
資格:小学校教諭・基本情報処理技術者・年金アドバイザー3級etc.
趣味:モータースポーツ観戦・ボウリング・ガールズケイリンetc.
SNS
X:https://twitter.com/puyo_bach
Instagram:https://www.instagram.com/puyo_bach/
「ぷよぷよ」の名付け親
20代の頃、ボートレース戸田(戸田競艇場)に通っていた頃のファンの方たちにつけていただきました。名付けていただいてからもうすぐ20年経ちますが、愛着があって(?)面倒くさくて(?)今でも使っています。
由来は聞いたことが無いのですが、体形とゲームの「ぷよぷよ」が似ているからだと勝手に思っています。
アイドルヲタク✖競艇の20代
元々はアイドルヲタク
高校生の頃はモーニング娘。にハマっていました。
きっかけは自宅近くのCDショップで購入した「真夏の光線」の8cm盤CD。そのCDショップ、今ではファミレスになっています。両親からもらった地域振興券で買いました。1999年の話。
当時はなかなか福岡でのコンサートが無く、「同志」の車に乗せてもらったり、青春18きっぷ等で大阪や福井へ遠征していました。
上京~競艇にハマる日々
福岡市って中心地の天神に福岡競艇場がありまして、当時は超有名だった植木通彦さんを一目見に行っていたんですけどね…。
『兵庫県と静岡県が2人おるけん適当に買っとこー』→当たり(笑)
趣味としてハマるきっかけが、どこに転がっているかは分かりません。
玄人になればなるほど、分からないものです。
大学を卒業して上京。
藤沢にある社員寮で半年間、戸田に居を構えて約5年住んでいました。
住まいを戸田にしたのは、以下が理由でした。
・職場へ電車一本で行けること
・競艇場があること
・テレビ埼玉で『バッハプラザ』が放映されていたこと
・街自体が穏やかであること
とにかく仕事と趣味をバランスよく過ごせる街でした。
安い水道代や市の独自助成制度など、市には幾度と助けられました。
今でも東京で仕事するとなったら、戸田市を候補に入れると思います。
戸田で関わった人たちには今でも感謝しています。
競艇では華やかな女子選手を中心に応援していました。
女子戦が全国の競艇場で盛んに行われており、公営競技の女性選手が一番多いのが競艇です。
福岡の柳川市には競艇の選手養成所があり、佐賀・長崎以外の九州出身者を抱えるとともに養成所に近い福岡支部は大所帯です。
SDN48でアイドル熱が再燃
2011年になると、大森への通勤へと変わり、通勤経路上に秋葉原がありました。当時はAKB48の全盛期。
本当はAKB48劇場でAKB48の公演を観に行きたかったんですよ。
しかし、2011年頃はそれが非常に難しかった。
そのため、姉妹グループであるSDN48に目を付け、通っていました。
抽選率は易しかったものの、それでも1~2か月に1回くらいでしたけど…。
そんな生活もすぐにピリオドとなります。2012年3月、SDN48解散。
当時は相当恨みましたよ、某プロデューサーを。
福岡へ戻っても止まぬアイドル熱
色々と事情があって会社を退職して福岡へ戻っても、アイドルヲタクと競艇ファンは続けていました。
それと前後して2011年4月、ご当地アイドルのLinQが誕生。
コスパが良くて、拠点が天神だったので、色々と都合が良かったのです。
そんな中、2012年11月に大村競艇場で行われたSGチャレンジカップのイメージキャラクターにLinQを起用。
広く浅く色々なところを知見するのも悪くないな…
と思ったのはこの頃です。
ご当地アイドルに会いにいく日々
ご当地アイドルはその土地に行かなければ会うことはできません。
色々な交通手段を駆使して会いに行っていました。
皮切りとなったのが、2012年の岡山県津山市のSakuLoveでした。
最初は西日本だけだったのが、東海・関東と徐々に東へ。
仙台や札幌のアイドルも応援していました。
そのまま素直に会いに行くのでは破綻します。
一方でアイドルが三大都市圏や福岡近郊へ来るときを見計らい、TIF(東京アイドルフェスティバル)を始めとした対バンを上手く活用して、効率的に推しアイドルに会っていました。
メジャーアイドルのヲタクへの復帰
一方でご当地系だけかと言えばそうではなく、主に
PASSPO☆→palet→SUPER☆GiRLS
の順で、メジャーアイドルのヲタクとしても「復帰」。
なぁぽんをゴールとしてこれ以上は拡げない
と決めてヲタ活をしていました。
徐々に競艇から競輪へ移った30代前半
元のきっかけは『バッハプラザ』
埼玉県は競馬・競輪・競艇・オートレースの公営競技4競技が全て揃っていました。
4競技が揃う県は埼玉と福岡だけです。
私が戸田に住んでいた頃は4競技の横の連携が盛んで、お互いに選手間交流を行っていました。
私も大宮競輪場や川口オートなど行ったものです。
『バッハプラザ』の番組の存在が大きかったように思います。
ガールズケイリンが始まった
しばらくは女子選手は競馬・競艇だけでしたが、2010年代後半から競輪・オートでも女子選手の育成とレースが始まりました。
福岡には小倉・久留米と2つの競輪場を抱えているので、競艇同様に身近に観に行くことができました。
この頃は未熟でしたが、現在では競輪でもG1新設等々と一目置かれるまでに売上・人気ともにあがっています。
競輪と自転車競技
競輪と自転車競技は切っても切り離せません。
自転車競技はオリンピック種目。
公営競技でオリンピックと直結するのは競輪だけです。
青木美優選手はジャパンカップの模擬レースでクリテリウムに参加。
さらに出会った鈴木奈央選手はナショナルチームの指定強化選手でした。
栃木と静岡へ行く機会はこの頃から多かったです。
カメラ撮影の世界へ
SHOWROOMで出会ったミスコン投票
配信媒体のSHOWROOM。
2016年頃からはアイドルがインターネットで配信を行うようになり、同時に配信媒体を通したオーディション(いわゆる賞レース)も行われるようになりました。
そんな中、ふと目に留まったのが龍谷大学のミスコン。
応援していた安原舞さんがグランプリとなり、そのまま撮影会のモデルとしてデビュー。
撮影会の参加条件が…
舞さんが撮影会モデルへ。
どうしても撮りたくなってきましたが、当時は光学倍率の高い「デジタルカメラ」を持っていました。
ところが、舞さんが所属したモデル撮影会の参加条件は「一眼レフカメラ」を持参・使用すること。
2019年1月、冬のボーナスでCanonの一眼レフカメラを購入しました。
やっぱり撮影した画像が綺麗でびっくりしたのは覚えています。
今では当たり前ですが、初めてのときは驚きも多いです。
カメラのデビュー戦はオートサロン?
カメラのデビュー戦は2019年1月東京オートサロンでした。
と言っても、撮影被写体はアイドルのOS☆Uでした。
この当時、決してレースクイーン目当てで行った訳ではありません。
この前日、SUPER☆GiRLSの浅川梨奈さんが卒業。
OS☆Uを撮影したことも含めて、アイドルヲタクとしてひと区切りをつけようとした遠征だったのです。
結局のところ、後述するモタスポとの絡みもあって、細々とヲタクは続けています。ただし、メインとなる趣味ではなくなりました。
一冊の雑誌からサーキットへ
ふと手にしたヤンジャンのグラビア
普段はマンガ雑誌とか見ないのにね…。
たまたま本屋でヤングジャンプを手にしてしまい、川村那月さん(なっちゃん)が好きになります。
なっちゃんがSHOWROOMをしていたことから、すぐフォロー。
配信を介して撮影会をすることを知って…
…数日後には名古屋で撮影していました。
大学生モデルの撮影会を数回経験していたので、撮影会そのものには抵抗ありませんでした。
なっちゃんがレースクイーン(ZENTsweeties)をしていることを知ったのも、この撮影会の前後でした。
RQの世界にも賞レースあり
レースクイーン業界も賞レースが存在しました。
いくつかありますが、代表的なものが「日本レースクイーン大賞」。
撮影会が終わってしばらく、新人賞の投票が始まりました。
なっちゃんと同じZENTsweeties2019の澤田実架さん(さわちょ)を応援しました。
6月に大磯でのサンスポレースクイーンアワードの撮影会に参加。
その場でさわちょと初対面しました。
その撮影会では後ほど会うことになる中村比菜さんや今井みどりさんもいらっしゃいました。
華やかで衝撃的だったサーキットデビュー
なっちゃんやファンの熱心なアドバイスで、ついにサーキットデビューをすることに。
サーキットデビューの場所は福岡から遠く離れた富士スピードウェイ。
福岡に住んでいるのに、何故オートポリスではなかったのか?
それは秋のオートポリスまで待ちきれなかったということもありますが、臨時バスを含めた公共交通機関だけで行けるサーキットだったから。
当時は超ペーパードライバーでクルマの運転ができなかったのです…。
モータースポーツファンならご存知の通り、オートポリスは車でしか行けないような山奥なのです…。
この富士500mileは衝撃的な終わり方をします。
ZENTsweetiesが属するのは38号車のTGR TEAM ZENT CERUMO。
71Lap/177Lap、その38号車ノーブレーキで1コーナーへ。
大クラッシュして炎上、38号車のレースが終わってしまったのです…。
そのときに乗っていたドライバーが立川祐路選手でした。
超有名選手なのですが、選手を知るのはこれから、なところでしたので当時知らないものは知らないのです。
勉強してから来い!とかいう人もたまにいますが、とりあえず楽しみに来ているというファンをいかに引き摺り込むか、が大事だと思っています。
ちなみに、元々早めに切り上げて、富士スピードウェイから平塚競輪場のナイターへハシゴする予定を組んでいました。
その平塚では鈴木奈央選手が優勝しました✨
ちょうど1年後にグランプリ!
その後、オートポリス・もてぎ・TGRF(TOYOTA GAZOO RACING FESTIVAL)とサーキットを来訪。
再び東京オートサロンへ。
1年前はアイドルを撮影するために訪れたのですが、このときは完全にレースクイーンと展示された車両を目的に訪れていました。
日本レースクイーン大賞の表彰式ではなっちゃんが大賞グランプリ。
2019年は本当にすごいことを体験させていただいた年でした…。
コロナの時期は辛かった
ZENTsweeties2019のメンバーは全員卒業、福江ななかさん以外が翌年サーキットを離れることとなりました。
レースクイーンは単年契約なので、動きが早い世界でもあるのです。
サーキットデビューをしたのに、たった1年で去ってしまうのは勿体ない。
そこで推したのが相沢菜々子さん。
モータースポーツに熱心で、同じ福岡出身であったことが理由でした。
しかし、2020年はちょうどコロナウイルスが蔓延した時期。
1年間サーキットへ行くことを我慢せざるを得ませんでした。
レースクイーンでさえ、サーキットへ行けない事態。
華やかなサーキットを知ってしまったすぐ翌年だったので、かなり辛かったです。
この涙はあまりにも有名…。
ホントに最後のチェッカーまで何があるか分からないのがモータースポーツ。
RAYBRIGからSTANLEYに変わった2021年、最終戦富士でこの真逆なことが起きます。
(燃料切れの失速ではないのですが…)
2020年と2021年のGT500最終戦はセットで語り継がれることでしょう。
コロナ蔓延の最中に始めたボウリング
競輪場にプロボウラー?
毎年11月に小倉競輪場で行われるG1競輪祭。
コロナ直前の2019年、プロボウラーの渡邊瑠花プロがゲストとして来られました。
ギャンブル好きが高じて、縁あって小倉へ来たそうです。
コロナになって暇…
コロナでなかなか外出できない、外出できてもイベントやっていない…。
そんなときに家で見ていたのがBS日テレ・Sky-A・フジテレビONEのボウリング番組でした。
その番組で投げ方が綺麗なプロがいて、久保田彩花プロでした。
コロナ禍でもボウリング場は営業しており、マスクをすれば普通に投げられるので、マイボールをつくって競技ボウリングをすることにしました。
競技ボウリングはどうしても初期費用がかかってしまいますが、
・ちょうどサーキットへ行けなかったこと
・仕事がコロナの影響による給与への影響が皆無だったこと
それらが理由で、マイボール・マイシューズ等ボウリング用品を揃えるためにお金を回すことができたんです。
ろくにレジャーで投げていないのに、いきなり「マイボールを作りたい!」と言う猪突猛進ぶり(笑)
コロナが若干落ち着いてきて、遠征を再開。
ボウリング用品を持っていかないといけないハンデがありましたが、公共交通機関での遠征の知識があるのでそれほど敷居は高くなかったです。
サーキットやライブハウスへは行けない替わりに、ボウリングで遠征して色々なプロボウラーにお会いしていました。
プロチャレンジだけではなく、レッスンを受けるために神戸や川崎などへ行ったりもしていました。
この頃は飛行機・新幹線・ホテルが超安かったですから、遠くへ移動し放題でした。
「今のうち」と思っていましたが、インバウンド需要が戻った今は予想通りどころか予想以上に遠征しづらくなりました。
マスクが外れて再びサーキットへ
ハチ子のその後
相沢菜々子さんは2021年度に日本レースクイーン大賞を受賞。
その後、なっちゃん同様に一旦サーキットを離れることを宣言して、女優・タレント業に専念。
しかし、2023年度に一年限りのレースクイーン復帰として、
・なっちゃんやさわちょがいたZENTsweeties
・スーパー耐久のraffinee Lady
にそれぞれ就任。
また"ドリキン"土屋圭市さんから「ハチ子」と名付けられ、いつの間にか定着しました。
2022年9月には福岡で撮影会があり、参加しました。
なっちゃんもいない、ハチ子もいない。また新たな推しを探しました。
そのタイミングでミスコンで推していたせにゃんがレースクイーンへ転身。
今まではSUEPRGTだけでしたが、アイドルのアイオケを通して高橋紫微さんやraffinee Lady&μ'sを見つけて、初めてスーパー耐久へ。
(カテゴリー休みでraffinee Lady&μ'sがいないというオマケつき…)
今では推しが多すぎますが、レースを含めてサーキット全体で楽しめたらそれでいいかなぁ…と思っています。
サーキットでの楽しみ方は人それぞれです。
なお、2024年度よりSUPERGTではレースクイーンからレースアンバサダーへ呼称変更されました。(ジェンダー的なやつ、たぶん)
レースクイーンのみならず、岡山国際サーキットではアイドルがイメージガールとして“業務”しています。
岡山は既にアイドルを起用している点で特殊例ですが、各サーキットの「サーキットクイーン」からレースクイーンに抜擢されるケースも増えています。
永原芽衣さん、津田知美さん、はらことはさん、長坂有紗さんなどがそのケースに当たります。
さいごに
私が趣味で大切にしていること
興味があるものは積極的に首を突っ込んでみる。趣味にするかはそれから考える。
お会いしたい人には極力会いに行く。直接会わないうちから推しにはせず、なるべく会ってから推しにするか決める。推しは推せるときに推せ。
推し変は極力しない。好きなものを無理矢理嫌いにはしない。基本的に推し増しをするか、推しをやめるかどちらかだけ。
趣味を同じくする人同士、意見をぶつけ合うことはあれど、自分から相手を疎外にしてはならない。去る者は追わず、来る者は拒まず。
どんな出会いでも一期一会を大切にする。過去の出会いを無下にはしないこと。何がどこで結びつくかは未来にならないと分からない。数年でも数十年でもまた会えると嬉しいです。(ただ忘れっぽいので、もし忘れていても怒らないでください…)
SDNの解散を機に、推しを一極集中するのは止めました。好きなものは好きだと素直に思うようにしました。心へのダメージが大きすぎる。
…と綺麗ごとを書いたところで、結局のところはかわいいor綺麗な女性が好きなのです。男ですから。
…ということで
よろしくお願いいたします。
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