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海外でもリア充に気後れ・・・ロス滞在記②

前回の記事の続きです。

(あらすじ)
ロスアンジェルスでさちよさん宅に長期滞在した13歳の私は、諸事情から週の大半を「オレたちひょうきん族」を見て過ごしていた。
そんなある日、私とおばちゃんはジェニーの計らいで、ホームパーティーへ参加することになる。

(登場人物表)


今ではきっと、誰もがアメリカでのホームパーティー基礎知識をお持ちでしょう。実際に参加された方も、少なくないと思います。

しかし1980年代においては、映画ぐらいでしか見る機会がありませんでした。

ましてやこちとら日本人。ホームパーティーなんてお誕生日会や親戚主催の手巻き寿司会、あるいは友人とのクリスマス会ぐらいしか経験がありません。

そして昭和のホームパーティーなど皆同じ。
集まり、食べて、しゃべるだけ。
あとはせいぜいトランプをする程度なのです。

そんな私が、突然アメリカのホームパーティーに参加したのですから、その衝撃たるや、ご想像いただけるかと存じます。

広いリビングには、笑顔で談笑するイカしたアメリカン男女が。


小洒落たテーブルの上では、小洒落たご馳走が輝きを放つ。

小娘の私にもハグの嵐・・・その心づかいに気後れの嵐。


しかし、これはほんのジャブでした。
私をさらに気後れさせる出来事が、待ち構えていたのです。


参加者に一通り紹介を終えると、ジェニーは私だけを庭へ連れて行きました。

すると広いプールで5人ほどのティーンエイジャーが、楽しそうに遊んでいるじゃありませんか。

彼らはこのパーティーに集まる大人の子供や弟妹でした。まあこれは日本でもありますよね?

けれど、その様相は激しく違うものでした。

まずプールサイドに置かれたなラジカセ(!)からは、大音量でマドンナが流れています。

そのグルーヴに身を任せる、ビキニの娘たちが2人(キュート)
プールに浮かべたフロートマットに寝そべる娘が1人(セクシー)
デッキチェアで笑い合う、髭の生えた男子が2人(ワイルド)

特に女子は全員メイクしっかり、ピアスもばっちり。どこから見てもスクールカースト1軍的女子でした。

ねえ、全員が中・高生って嘘でしょ?嘘だよね??

対する私は身長150cm。当然にすっぴん、アクセサリーなし。
ギンガムチェックのワンピースに身を包む姿は、どこから見ても小学生。

これ、気後れせずにいられます??思春期ですよ??

心の中では、こんな声が渦巻いていました。

『どうしてそんなにサングラスが似合うんですか?
踊るの、めちゃ上手くないですか?
足の長さが違いませんか?
同じ人間と言えるのですか?』

今すぐ走って逃げたかったです。
しかしジェニーは、笑顔で彼女たちに(多分)このようなことを言いました。

「この子は日本から来たぷるる、13歳よ。みんなよろしくね!」

すると彼女たちはイェーイだの、ハーイだの言いながら、私の元へ集まってくるじゃないですか。

そりゃ私だって、笑顔であいさつしたかったですよ!
この経験を味わい尽くすことができたら、どんなに良かったか。

でも残念ながら私は、自意識過剰で人見知りな性格でした。
クラス替えの前日は、緊張で眠れない夜を過ごすタイプ。

日本でもオープンマインドじゃないのに、アメリカで扉を開くなんて、無理!
そんなことが出来るなら、日曜の夜にnoteなど書いてはいない!!

ただギクシャク「は・・はあい・・・」と、しわがれた声を出すのが精一杯でした。

どうですか皆さん。こんな輪の中に入っていけますか!?


『えーっ、なんでそんなこわばった顔してんの?』
彼女たちの戸惑いが、こちらにビシバシ伝わってきます。

これは私が悪い。郷に入れば郷に従うべき。
さあ笑顔&ハーイだ、ぷるる。英語の教科書を思い出せ!

だがそんな簡単に人は変われない。口をぱくつかせて時だけが流れ。
やがて彼らは去っていき、私は所在なくプールサイドに座っているしかありませんでした。ツラかったデス。

それから小一時間ほど過ぎた頃でしょうか。

音楽がマドンナからプリンスに変わりました。かかる「Let's Go Crazy」は当時大人気だったダンスナンバー。


プリンス大好きだった私は、テンションが上がりました。それは彼らも同じだったようで、「ヒュー!」だのなんだの叫んで、全員が踊り出しました。

私は意を決してその輪に飛び込むと、大声で叫びました。

「プリンスなら私も大好きよ!もちろん踊るのもネ(ウィンク!)」

するとみんな、「アンタ話せるじゃん」と笑いかけてくれます。
そして私たちは共に、そのリズムに身をまかせました。

・・・私の脳内でね。

実際は踊る彼らに気後れして、小さく足先でリズムをとるだけでした。

ちらりと室内を見れば、おばちゃんがアメリカン男女&ジェニーと語らっています。なんだかとても楽しそう。

それに比べて我が身の体たらく・・・

もちろん誰とも友達になれるはずもなく、ホームパーティーは終了。

そして苦い記憶を抱えた私は、その数日後に日本へと帰国したのでありました。

これが13歳の夏、ロスでの忘れられない思い出です。



正直に言うと、私はこの時の自分を長い間責めていました。

記事ではいろいろ省いていますが、さちよおばさん一家には本当に良くしてもらいましたから。

また血縁でもないのに、私をアメリカに連れて行ってくれたおばちゃん。
お金もかかったでしょうに、快く送り出してくれた両親。

なのに、ひょうきん族ばかりを見て過ごした私。
せっかくのパーティーでも、アメリカン中高生とまともに話せず。
上達したのは英語ではなく、ブラックデビルのモノマネ・・・

己の不甲斐なさが許せなかったんですよね。恩に報いていない気がして。

でも数十年経った今では、すべて良き思い出になりました。
当時の自分のことも「困ったやつだけど、しょーがないね〜」と思っています。

経験を効率性や具体的な結果だけで測れば、無駄な時間になるでしょう。
けれど、幸い人生がそういうものではなくて本当によかったです。

不要に見えたり無駄に思えるものが、どこかで自分を支えている。
この体の奥に息づき、たまに顔を出しては驚かせてくれる。
辛い時には、静かに励ましてくれたりもしますから。

でも、今あの頃に戻ったら・・・・ひょうきん族を見る時間は、さすがに減らしますけどね。



*写真は全て無料画像サイト「O -DAN」よりお借りしました。


















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