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バーンブレイバーン批評

筆者注 本稿は文字数7750字ぐらいあります。


この広い大宇宙の中には

これが批評の体を成していると考える白色矮星並みのバカが存在しているらしい(ここまで挨拶)

そーゆーのは批評と言わない。


0.序文

バカのバカたる所以は、言葉を綴る時に辞書を引かない部分にある。そんな短文批判でも批評でもなく個人の感想だ。そしてその感想すら知性のフィルターを通さずに小脳辺りの無自覚な反射が身体動かした程度のものでしかない。猛省せよ。

思うに、現代社会の宿痾は批評を単なる他者批判と考えて「高度な批評」を殊更に避けたがる精神性にある。いや、徹頭徹尾ダメなものなら仕方なくダメなところを指摘してオーバーキルしてしまうこともあるが、それはそんなもん世に出した奴が悪い。分かったかナノ河内。まだやってんのか四葉夕ト。いい加減に理解しろKADOKAWA。
この現代の問題を指摘するべく、アニメ視聴子にバーンブレイバーン批評文を記す。

1.総評

怪作である。
この様に書くとBL風味とかホモホモだとか騒ぐ慮外の阿呆が湧くのだが、表層だけ見てワーワー騒ぐ真似は止めろ。しまいにゃ表層だけ見て奥行きが無いだの平板だなどと言うものまで現れる始末。度し難い。板を真正面から見たら、そりゃあ奥行きも分からんわ。平板にも見えるわ。
それは対象を真正面からしか見ないからそう見えるだけで、そのものが前面に押し出す「面」をアングルつけて見なければ奥行きは分からないし、多面的に見なければ全体像は見えない。もしも「結局出オチだった」と結論したいなら多面的に見てその各論で良否を語り、その上で結論しなければならない。論考の見出しにも等しい短文を「批評」と呼ぶなら、そいつの頭はトノサマバッタかイナゴ並みのハシゴ状神経系なのであろう。

阿呆をこき下ろすのはここまでにして、詳細な論考を進める。勇気爆発バーンブレイバーンの特異的な部分は多岐に渡るのだが、商業的な部分や制作環境的な特異性は別項に譲ろう。包括的に論考すると多分真面目な本が一冊書けてしまう。
とことんセオリーを外しているのだ……バーンブレイバーンという作品は。
これは作劇面でも徹底されており、このセオリー外しがあるからバーンブレイバーンは理解しにくいとも言える。その代表格が本作批判派が語る「BL・ホモ描写」部分である。

普通に考えてみよう。入れたらある一定の拒絶反応があるこれらの要素、敢えて入れる意味は何処にある?

私から見れば(つまり学術的な視点では)ホモもレズも同じである。より正確に申せば同性間の愛情は皆ホモなのである。私は何故か異性愛主義者であるが、それは本当に「たまたまそうである」だけで、別に他のカップルがレズレズしててもホモホモしてても気にならぬ。他人の好きな奴が「主観的に見て」美人だブスだと気に病む必要など何処にも無い。私の連れ合いでは無いのだから「お好きにどうぞ」以外の感想を持ちようがないではないか!
しかし世の中には無知無学無教養の輩が跋扈してぴょんぴょんしており、百合は良いがホモはダメとか、ひじょーにジェンダーバイアスが面舵いっぱいで転覆しねーかと心配になる奴が多い。
言うてしまえば、言ってる連中の性的嗜好が(当人男として)女好きであり、男と女が番ってる様見て「男は要らん」となり、女×女の回答に着地したのであろう。
てーか、百合ってる女さん達は女性が好きなんで男性に靡く可能性はゼロだぞゼロ。それが良いと男性が愛でる気持ちがよー分からん。無理ゲーやんか。
で、バーンブレイバーンは男×男をやった訳だが……正直な話、私にはキツかった。私は異性愛者だからであるし、可能性としてはあの2人が私を性愛の対象に選択し得ると言う「可能性」があるからだ。あんなマッチョに迫られる様を想像してみろ!
しかしここで自らの感じた恐怖とか嫌な気持ちを反射的に吐露したら私もハシゴ状神経系の仲間入りだ。頭を使い、知性を巡らせて考えねばならぬ。
ここで気が付く。私は男性なので射程圏外から気楽に見てたが、百合百合してた水星の魔女を見ていた女性(のうち、異性愛嗜好の方)も「バーンブレイバーンを見て感じたイヤ感」を感じていたのではないか?
こう考えたので、以降は心頭滅却して受け入れる様努めた。少なくとも私は水星の魔女を自らが気持ち悪いと捉えないから無自覚にそれを許容した。何ならスレミオ結婚エンドを明言しない小林監督を士道不覚悟と面罵した。いや、そこまでやらずに人気取り程度で百合扱ったなら、それは正しくクィアベイティングであり批評されるべきであろうかと思う。
話戻すが、公平であるべきと務めるならば、水星の魔女の百合はアリでバーンブレイバーンのBLはダメは【筋が通らない】 
差別主義者である事を認めて多様性を蹴っ飛ばせるならそれで良いが、ワタクシ保守左派を自認する合理主義者でありまして。互恵主義に基きバーンブレイバーンのBL要素を受け入れてタキシード姿のイサミとスミスを祝福する事にした。批評者たるもの感性・悟性を理性でねじ伏せられずに何とする。私の大脳はハシゴ状神経系とは一味違うのだ。

と、1000文字ぐらい使って理性が感性上書きしないと受け入れにくい設定を話に打ち込むことは大変にリスキーである。人間もまたけものフレンズであり、感性や悟性が与える影響は極めて大きい。つーか、一般的には理性は感性よりかなり弱い(まともな批評が珍しい理由だ)
マーチャンダイジングの観点からは、BLより男同士の熱い友情に振った方が有利まである。つまり男塾や北斗の拳やキン肉マンや花の慶次ラインだ。こちらの方が安牌であろう。また、世界展開を考えたら自衛隊が活躍するとか、アメリカ主導で世界を救う筋書きは一部地域での政治的問題から忌避される可能性すらある。

余り気にされていないが、ホモは典型的な古典キリスト教及びユダヤ教、イスラム教に於いて忌避される。ソドミィなんて言うが、旧約聖書のソドムとゴモラのソドムが語源で大変やばい。日本は昔から衆道あったし、ギリシャ文化圏でもホモはあったが……

「なんで態々ウケにくい要素を入れるのか」
ここは良く良く考察する必要がある。また、勇気爆発バーンブレイバーンで最初期にブレイバーンの存在が隠されていたのもマーチャンダイジング的には不利である。それこそ1話の展開をPVに入れておいた方が1話リアルタイム視聴者は増えた筈だ。

私は、こう考える。

シグルイで藤木が到達したのとおそらく同じだ。多数の「良い」と感じる人を生み出すのではなく、少数であるが「熱狂的な視聴者」を産み出す為に「溜め」を作ったのではないか?
その意味では冒頭の「結局出オチアニメ」と言う頭悪い感想文字列にも多少は真実が含まれている。技ありとか効果を重ねて判定勝ちするのではなく、会心の上段面打ちで一本を取る。

溜めて溜めて落差を作って「練り上げた一撃」を放つ。勇気爆発の爆発とは、溜めから「練り上げた一撃」の発動の瞬間を表現したものではあるまいか。
恐らく、先のハシゴ状神経系の方は上記動画を「単純な出会い頭のラッキーヒット」と見るだろう。

バーンブレイバーン監督である大張正己氏は剣道2段との事だ。特に流派には触れていないので北辰一刀流の系譜を継ぐ「剣道」を修めていらっしゃると推察する(まぁ、それもあって大張一刀流などと言われているのだろう)

すると、勇気爆発バーンブレイバーンに以下の要素が入っている可能性がある。

「それ剣は瞬速、心、気、力の一致」

北辰一刀流開祖、千葉周作の言葉とされる。全ての要素を一致させて同時に解き放ちインパクトを与える。初太刀の第一話は完璧に大張一刀流が綺麗に決まった。一本!

2.ただ勝てば良いのではない

総評部分で書いた通り、バーンブレイバーンは売れる要素を詰め込んで細かくポイント稼いで判定勝ちを狙う作風を敢えて捨てている。恐らくであるが、誰か優秀なディレクターやプロデューサーが「ただファンを作れば良いのではなく、ファンと「金を落とす熱狂者」を作り出さなければならない」と判断し、方針決定していると見る。その様な収益構造といえば思い当たるのが「スマホの基本無料ゲーム」だ。
つまり本作、アニメのアドバタイジングや「盛り上げ」にソシャゲのテクニックを転用している。
木曜深夜に最新話を配信して、皆が週末にコンテンツを楽しみ、月曜昼に次回アップデート予告。水曜日にスタッフコメント出して次回アップデートへの期待を高めて……と言うサイクルだ。

この嵌めループにぶち込む為にバーンブレイバーンの様に「綺麗に一本取れる作品」が必要だった。そしてその為には俗に「温度差で風邪引く」シリアスとコメディの混在が必要なのだろう。

いわゆるクリフハンガー展開では緩急より謎や危機で次話への引きを作る。しかし引きの作り方のバリエーションが少ないと「より過激な絵で強い引きを作る」パターンに陥りがちで、その失敗例が

で、これだけデカい引きを作って次話では割とスルー

バーンブレイバーンではきちんと「引いた後に一発くれてカタルシスを作る」は励行している。引きは作るがそこで一本取りに行かないのがナノ河内のナノの所以である。

もちろん、バーンブレイバーンにも改善点はある。

見た感じ、1話と8話と12話で3本取る腹づもりで作品構成してる様に思う。1話はアンブッシュ気味の奇襲だが、まぁこれは大半の視聴者の度肝抜いたわ。
が、余りにも初手奇作過ぎて視聴者が身構えてしまった感がある。これが一部視聴者が感じた中弛み感の正体なんだが、この2〜7話でかなりの考察要素と先行きが見通せないが故の展開考察要素など配置してる。小柳脚本恐るべし。

考察要素に特段重きを置かず、また或いは考察要素に興味があってもリアルタイム視聴して周囲の考察を読まないと、本作は面白さを減じる可能性がある。

はっきり断言しよう。クソ雑魚趣味でモノカキするフレンズである私から見て、バーンブレイバーンの脚本はマジで凄い。あの12話と言う時間の中にどんだけ展開組み込んでるんやと。いやほんと重層的に様々な情報突っ込んで相互に関係させるとか……貴方前世はアラクネか? アトラクナクアか? 蜘蛛の化身かよ……
話の展開の濃淡や盛り上がりなどの起伏を作りながら、その大半が練り込まれ、編み込まれてる。(これが2本目が華麗に決まらなかった弱点にもなるのだが)

で、凄すぎて足を引っ張ってしもてるんだ。複雑で精緻過ぎて「多くの視聴者は読み解けない」のである。

ネットバズり型の宿痾ってか、これってひょっとして「視聴者の読解力が低下したから」解釈部分を外部の有識者に依存しているのではないか?

なんか途中から大張監督が8話リアタイ推奨とか言い出したのは、リアルタイム視聴して解説動画やXやBlueSkyなどのSNSで解釈読ませないと視聴者の番組理解度が上がらないと言う観測結果が出ていたのではあるまいか?
言い換えれば、想定視聴者が「賢過ぎた」。別の表現をすると「実際の視聴者が馬鹿すぎた」
誠に残念な事に、現代日本の一般大衆は毎年毎年年を追う毎に馬鹿になっている。これ若い奴が阿保って意味ではなく、老いも若いもなんか平均的に知的レベル下がってんだわ。だから若い子は安心して欲しい。自身の知的レベル下げなきゃ年食う毎にキミは相対的に賢いフレンズにシフトしていく。
この衆愚化をバーンブレイバーン制作側は読み切れていなかった。
それが残念を加速させる。余りに高度に、余りに巧みに組み込んだフェイントがフェイントになって無いんだわ(涙)

それが顕著に出たのが「ルルがいきなり大人びた発声をした」8話Cパートだ。
このシーン、リアルタイムで見て「あ、ルルもなんらかの方法で時間遡って来たな」と理解できた。判断論拠は以下の通り。

1.ルルの発音で生体電池か個体名かを演じ分けるなど、音の演出に拘りを持った作劇をしている。
2.未来戦士ルルの情緒発達をセリフの出し方で演出している。

つまり、上記演出は「ルルが何らかの形で急激に成長した」事を示しておりクーヌスが時間操作しているから「この世界では時間操作が可能」と併せて

1.ブレイバーンが先の事を知っている様に見えたのは未来から来たから。→ ブレイバーンの正体はスミス+クーヌス+ライジングオルトスか。
2.ブレイバーンでそれ明示しといてルルも時間遡行した事実をマスクした。

ここまでは私も読めた。この「アイデア多重展開」とか本当に恐れ入る。私はバーンブレイバーンを見た今ならこの様な展開も引き出しに入ったから「真似る事は出来る」が、こんなん最初にやる奴はナマコ最初に食った奴並に凄い。普通は秀逸なアイデア捕まえたら、秀逸さに呑まれて更なるネタ追加はしないよ……

が、この展開を上手く隠し通した弊害として……何処から来た謎の変なロボであるブレイバーンという概念が消失したという部分は、制作側は失念したらしい。

勿論制作側は全12話のストーリーを構築しながら各話作成しているだろうから、スミスがブレイバーンなのは最初から知っており、知っていながらインパクトを出すためにその情報を隠した。それが上手過ぎたからこそ一部視聴者はスミスとブレイバーンを別のキャラクターと認識して、スミス≒ブレイバーンが開示された時に「今まで感じていたブレイバーンが消えた」様な寂静感を感じてしまったのである。制作側はかなり初期からスミス≒ブレイバーンの構図を前提としているので、週一で各話見る視聴者の段階的な心情変化に気付けない。(12話まで見てから見直すと、スミス≒ブレイバーンという意識が出来てるから8話での寂静感は感じない)

この、初見視聴者の心の動きをシミュレーション出来なかった点は悔やまれる。(バーンブレイバーンでここの展開に引っ掛かり感じた人は、少なからずいる)

で。
恐らく元の展開では死者はやはり死者のまま「スミスは役目を果たしてブレイバーンとして死ぬ」だった様な気がする。富野由悠季が語る様に、青春とは喪失である。その喪失感を抱える事で青春の日々は終わり、少年は大人になるのだ……けど!

テーゼに帰るとしよう。ただ勝てば良いのではない。なるほど確かに大人になり独り立ちする話は感動的だ。999を参照せよ。ウルトラマンもそういう物語構造だな!

だがしかし、これは大張正己の語る物語だ!

3.未来を望む涙 笑顔に変わるまで

基本、バーンブレイバーンは完パケ納品してると思うのだが、なんと最終話はギリギリまで粘って納品したらしい。巨神ゴーグみたいにかなり余裕があるスケジュールなんやないかと思っていた私はひっくり返った。そもそもサイゲピクチャーズ、アニメーターの労働環境改善の為に作ったスタジオじゃなかったっけ?
で、途中から露出が増えた大張監督がポロっとどこかで漏らしていたのだが……初期プロットでは死んだキャラを救う展開に変えたとか。

まぁ、ヒロも雑に救われているのだが(逆にこれはプロット通りだと思う。他の人も指摘しているがアニメで提示されているバーンブレイバーンは一つの連続した世界ではなく、複数のパラレルをザッピングしながら見ている構造で、これが小柳氏が用意したタイムパラドクス回避策なんだと思う)

タイムパラドクス問題(独自研究)
バーンブレイバーン内でタイムパラドクスは発生しないだろう。あの作品内で時間操作する時は必ず「パラレルワールドの過去」に移動する。同一時空内での過去遡行ではないから何事かやらかしてもパラレルワールドの未来が変わるだけで「元の世界」ではその結果が反映されない。故に未来戦士ルルがいた時空ではスペルビアは死なずに(デスドラは破壊しないと死亡しない)人類の滅亡を見届けるだろうし、しまいには太陽の爆発に巻き込まれて死ぬ。ヴェルムヴィータは覚醒した時に周りに何もなくてまたヒロシです構文やる羽目になる。

恐らく救済されたのはスミスだろう。イサミとルルがバーンブレイビッグバーンからフェードアウト(ライディーン風味)するのは分かるが、スミスが再生する理由付けが何処にもないのである。メカフェチである大張としては「ブレイバーンがいなくなる」のが最大の喪失であり、まぁその、何だ。スミスはどうでも良いというか、イサスミだかスミイサだかへの配慮というか。つーかブレイバーン推しの何割かはスミス≒ブレイバーン段階でお通夜だし、今更ブレイバーンが消えてもダメージは少ない。なら初期プロットの「スミス≒ブレイバーンは共に消える」からスミスだけはサルベージしとくかと。イサミとスミスとルルで擬似家族。いーんじゃないかと。物語の主軸であるこの3人が笑顔になるラストじゃないと主題歌に繋がらないよな……

別稿でも書いたが、最終回でOP流しってのは、OPテーマソングに従った物語展開して、歌詞がドラマに繋がるからこそ効果的に働くのである。雑に見ている視聴者は半ば条件反射でラストのOPさえやれば条件反射で感動するが、批評家という生き物は感性を理性で制圧出来るのである。条件反射的感動は惹起されない。

水星の魔女みたいなアホーな失敗を、バーンブレイバーンはやらなかった。ちゃんと主題を貫き通し、視聴者が見たいものを見せて、視聴者が見たいもののその先を見せた。

爆発を描かないバリさんはバリってない
小柳さん! ナイスぐんぐんポーズ!
バカでいいんだ、バカで。我々はバカみたいなスカッとした話を求めている。

で、安心してOP流れるの待てる訳ですね。ああ、本当に良い最終回だった。堪能した。ここでOP見ながらバーンブレイバーンを反芻して……

ここは本当に度肝抜かれた。大張さんロボアニメの手法に新しいものが無いとか愚痴ってたが、ちゃんと新技開発してるやないか! まさかラスのOPをカラオケにして「皆で歌おう!」なんてやるとは思わなかった。正直に言おう、涙腺爆発で深夜にも関わらずカラオケした。我が家は新築で密閉度と防音性が高いからな!

これ、「大張式ラストOP」として型を保存した方が良い。是非ともウルトラマンとかの劇場版でかまして次代を背負うお子様たちにイズムを叩き込んで欲しい。激アツですわ。

心象風景

あくまで私個人の私的な評価ではあるが、一本取られた後の残心まで見事に決められて言うことがない。よくその「残心」まで心を尽くした! 5点満点で5.4だっ! 時代や視聴者である私の年齢故にこの点数に留まったが、若い人だともう少し点数上がるかもしれない。

全ての物語には出会うべき年齢や時代がある。私には本作少し遅過ぎたかもしれない。もし若年時に出会えていたら……この作品は私の人生を支える杖になったかもしらん。(なお、散々こき下ろしたが水星の魔女はキャラクターや作画は5/5なんだけど粗筋が荒くて総評的には2〜3/5ぐらいだ。ナノ河内はもう俺の視界内に入ってくんな!(怒)

最後に付記として以下の稿を参考資料として掲載する。私の人生に多大な影響を与えた漫画がもし貴方の好みと合致するならば、多分貴方も「勇気爆発バーンブレイバーン」を私と同じ様に楽しめるだろう。

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