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修験者の話

まぁ、割と雑にガッチャンコした。

時代は無敵主人公でチートも必要という事であるので、チート持ちでもおかしくない奴選ばないかん。
で、密教修めた修験者の設定が出て来た訳だが、新義真言宗となったのはワイがingressで近所のお寺さんの解説文書く際に新義真言宗……まぁ智山派なんだが……調べてたってそれだけの話だ。わぁ結縁けちえん結縁。因縁生起じゃ。いーじゃん天台宗には今東光と瀬戸内寂聴いたんだから(どちらも作家として大成してる)

その様な理由で私の時代劇(のフリした伝奇小説)では新義真言宗がよく出て来る。

「えん」も新義真言宗の坊さん話だし、こちらに出て来る覚玄は「孫悟空ってのも捻りが足りねーしな!」という事で、水簾洞時代の孫悟空の舎弟、通臂猿猴の崩である。彼は西遊記の前段で孫悟空が天界相手にバチバチしてた時の孫悟空配下であり、不死の妖猿なんである(地獄で孫悟空が自分の寿命消した時、ついでに仲間の幾匹かの猿の寿命も消した)
で、アニキはその後取経の旅に出て勝手に神様にまでなるのだが、その後配下の妖猿どもにも「仏教はイイゾー、お前らも仏教やれ仏教!(強要)」で仏教修行したのが覚玄であると。
と、この様に都合の良い猿が居たのと、後々覚玄はえんと結ばれるから雑に
「じゃあ、修験者の父母はこいつらでえーか」となった。室町後期から江戸初期だから相当時間の開きがあるが、まぁまぁコイツら不死だしね、と。


で、こーなりました。闘戦勝仏=孫悟空でござるよ。

んで、極悪な程に強い修験者であるが、天狗とは戦える程度だし、伯父貴分は孫悟空だ。増長できる訳が無い。親父はアレそのものでカーチャンは閻魔様と顔馴染み。幼少時から高野山で修行を積む。
で、なんの因果か阿蘇山根子岳で修行するのだがここに問題が。

阿蘇山の修験場は、天台宗系なの。

ちゃんと調べてるんだわ。だから修験者は更なる山の奥で天狗と戯れる羽目になった。修験者が真言宗系統なのは上記の様な理由からで孔雀王とか無関係なんじゃ。(ただ、折角真言宗系統なのだから、三大怨霊かつ有名天狗の崇徳院様を押し留める役でお大師様ちょっと出したやで)

本作系統では神々というのは人格を持つ大自然の顕現であり、クトゥルフ神話並みに「余り人々を顧みない」超常の存在である。力や能力的には仏様を凌ぐ。
これに対して仏様(如来)や菩薩は世の中の仕組みを理解した上で特に人を見てくれる存在。世の仕組みを理解しているので因果操作や仏的技術により一部能力では神々を凌ぐ事も出来るが、基本大自然は脅威であると。

なお、作家である私は仏教徒ではなく神徒であり、父方の祖先は秋田県仙北郡からかなり初期に北海道に渡った人物である。元マタギか何かではないかと……(ドラゴンスレイヤーの話の一部は実話である)

方針変えて、noteでの収益は我が家の愛犬「ジンくんさん」の牛乳代やオヤツ代にする事にしました! ジンくんさんが太り過ぎない様に節度あるドネートをお願いしたいっ!