猫派

人形劇歴 十年以上  猫同居歴 それ以上  人形劇ができて傍らに猫がいて家族や友達と…

猫派

人形劇歴 十年以上  猫同居歴 それ以上  人形劇ができて傍らに猫がいて家族や友達と慎ましく生きていければ文句ナシ

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はじめに

人形劇、人形操演に関するあれやこれやを書きます。 と言っても、糸操り(マリオネット)はやったことがありません。 棒人形と手袋人形のみです。 世の中の99.999%の方には、全く興味のない話になるでしょう。 こうかな、ああかなと書き散らしますが、あくまで一つの考え方、one of themです。 何がしたいのかによって必要な方法は変わりますし、私が良いと感じた方法が、他の方にも同じ効果をもたらす保証はありません。 それは違う!と思ったら、自分がこうだ!と思うことをす

    • 使いきる

      ゼーハーしちゃう 手をグーにするだけで。 ヒーヒー言って、すぐ立ち上がれないくらい疲れる 足をグーにするだけで。 ゆるゆるのグーなら、別にどうってことないんだ。 でも、構造動作トレーニングの先生のやり方で 指先、足先まで使いきってグーにすると 手や足を握るだけの動作で、全身が使われる。 手や足を握るだけの動作が、ハードな全身運動になる。 本当に疲れるよ。 心地良い爽やかな疲れだけど。 ゼーハーしながら思うんだ。 普段、身体全然使いきれてないんだなって。

      • 技術の前に必要なこと

        開演まで40分時間があった。 こども達が入場してくるのは、5分前。 (前半で構造動作トレーニングの股割りして、後半で発声やろうかな) (股割りできるようになりたいから、多めにやろう) 股割りしてたら、こども達が ぞろぞろやってきてしまった。 (しまった、声だせなかった) それなのに、 「おはようございます」という自分の声に伸びがある。 (? 今日発声してないよ?) それなのに、 声を出す時、鼠径部のあたりが使われている。 いわゆる肚を使って声をだせている

        • サンドウィッチ効果

          掌は、1枚板ではなかった。 掌は、2枚の板を合成したものだった。 私は、手の親指を分離独立したパーツとして捉えていた。 でも、親指が分離独立していると、掌の力が抜けていく。 掌が面にならないんだ。 同好会のお稽古で 親指も、面を形成する1要素であると教えていただいた。 彷徨っていた親指が、面を形成しに戻ってきたら 掌が力を発揮するようになった。 掌を面にする。 親指が抜けていると 掌は、バラバラな線の寄せ集め 親指の位置をととのえると 線が集合して面になる。

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        はじめに

          相手の中にある空気を吸う

          私、わかっちゃった 死んだ台詞と生きた台詞の違いが。 死んだ台詞の時は、 自分の中の空気を吸っているんだ。 紙袋を口に当てて、スーハースーハーしているようなもの。 相手の中にある空気を吸ってこないといけないんだ。 相手の中の空気を吸うと、 相手とのつながりが生まれて、生きている台詞になるの。 相手に影響されて生じた台詞になるって言うのかな? 相手の中からロープを引き出して そのロープの端を持ち続けているようなものだ。 相手と私の間に、張りが生まれる。 かすか

          相手の中にある空気を吸う

          性格のせいじゃなかったみたい

          身体に任せるとか、身体に委(ゆだ)ねるのが 苦手だなと思っていた。 慎重過ぎて、一歩を踏み出すのに躊躇してしまう。 そうすると、 「考え過ぎなのよ」とか 「お前は頭でっかちなんだ」とか 「これだから大学出は」 「この頑固者が」とかって言われるからさ ハイハイすみませんね〜 もうそういう性格なんすよ〜 って流してた。 でも、昨日の動作術のお稽古で 杖を使いながら丁寧に足の支えとしての役割を 取り戻したら (引っ込み思案になるのは、足が支えになっていなかったからじゃな

          性格のせいじゃなかったみたい

          つなげてなかった

          つなげてなかったのが原因だった 身体が暴れてしまうのは。 つなげてなかったのが原因だった 運動が身体の中から こぼれてしまうのは。 体幹内操法の先生に 「ここを巻き込みなさい」と教えていただいて 巻き込んだら、運動が ちゃんと上までのぼってくるようになった。 今までは途中で落ちてしまっていたのに。 すんごい間抜けな事をしていたのが わかったよ。 ホースの口を外に向けて、ダバダバ放水しながら 「なんか、水が外に行っちゃうんですよ」って 困ってた。 そりゃ、

          つなげてなかった

          空気はたくさんある

          私は、自分の中の空気を吸おう吸おうとしていたみたいだ。 だから、空気が足りなくなるという強迫観念が どこかにこびりついていたのだと思う。 私の周りは空気で満たされている。 自分の外には、吸っても吸ってもなくならない 無尽蔵の空気がある。 いろんな先生方のおかげで 耳の中の空間が広がったからかな? ふと (あれ? 外に空気いっぱいあるじゃん) って思ったんだ。 口でパクパク自分の中から吸うんじゃなくて 耳の後ろから空気が入ってくる 出た分は自動的に補充される

          空気はたくさんある

          自転から公転へ

          自転から公転に切り替わった気がした。 「手元じゃなくて、3m先に文字を書きなさい」と 先生に言われた時に。 遠くで作業しようとすると、遠くに力を働かせる必要がでてくる。 遠くに力を働かせようとすると、わかるんだ。 張りのある身体でないと、それができないということが。 手元で作業している時って 自分がクルクル回っているだけ なんだかそんな感じがするの。 自分が小さな回転を起こしている ただそれだけなんだ。 なんとなくだけど、自分は回転の外にいる気がしてしまう。

          自転から公転へ

          離すと怖くない

          不思議だった 怖くなくなったのが。 木刀と自分の距離 離せば離すほど、相手の動きがよく観える。 同じく木刀を構えて迫ってくる相手を、落ち着いて観察できる。 来るのが待てる。 怖さが消えるの。 なんだろう? (ああ、来てますね) そんな感じ。 木刀と自分が近いと、恐怖がこみあげてくる。 ギューッて固めた持ち方になって、身体がガチガチに なっていく。 (!!来た!うわっ来る来る!ギャーッ来んな来んな ◯✕▲※〒~!!!) マジでこんな感じ。 相手が間近

          離すと怖くない

          なぜ仮面をつけるのか

          座・高円寺で『KAMEN』という作品を観た。 仮面って不思議。 演者の顔に仮面をつけ、生の表情が見えなくなることで、深い表情が現れる。 身体が語りはじめる。 なぜ人形の表現に惹かれるのかと同じ原理が そこに働いている。 生の顔の表情の表現って、 動かして動いている表現なんだ。 仮面や人形の表情の表現は 動かさないで動く表現なの。 この、ある種止めながら動くみたいなところが生命線 動かないところがあって動いている。 生の顔の表情は 中が不動で、外が激しく動いて

          なぜ仮面をつけるのか

          ぶら下げ=積み上げ

          脚をぶら下げるレッスンだった。 逆説的なんだけど 自分の身体の中で、何かがぶら下がっていると感じられる瞬間 それは、骨がきちんと積み上がっている瞬間なんじゃないかなと私は思った。 骨がきちんと積み上がれば、 ギュッとしがみついていなくても大丈夫な身体になれるっていうのかな。 手放せる身体になれるっていうのかな。 闇雲にぶら下げようとしても おそらく一生ぶら下がらないだろう。 そんな印象を受けた。

          ぶら下げ=積み上げ

          劇的な静けさ

          劇的瞬間ってさ、 大きな波がドッパーンッてたつ瞬間だと思ってた。 でも違ったんだ。 観客として観ていると わかる。 劇的瞬間は、静まり返った時なんだって。 水面に波がたつ瞬間じゃなくて 水面が静まり返った時 水面の奥深くで大きな波が生まれようとしている ブラックホールみたいに吸いこまれそうな静けさ 建物が倒壊する直前の静かな一瞬 そこなんだ 劇的な瞬間は。

          劇的な静けさ

          淵がある

          私の前に、丸い深い淵がある。 能の構えが きちんととれた時に、丸い深い淵は現れる。 丸い深い淵があると 腕と腕の間の空間を、サラサラと砂や水が落ちていくみたいな感触がする。 なにかが常に落ち続けている。 きっと この淵が常にあるのが 能の身体なんだろう。 なんかさ、自分の身体を見せているんじゃなくて この淵に映るなにかを見せているんじゃないだろうか? そんな気がしてくる。 よくわかんないけど、淵が現れたからさ (ちょっと 能がわかってきたのかも?) なんて調子

          淵がある

          縁(ふち)のギリギリを攻める

          もうこれ以上行ったらつんのめる〜 そのキワッキワのところまでいくの。 もうこれ以上行ったらひっくり返る〜 そのスレッスレのところまで肉薄するの。 縁のギリギリを攻めていく そうすると 行こうとする力 行くまいとする力 拮抗のボルテージが最高潮になる。 ピンと張り詰めた緊張感が生まれる。 私の大好きな、冬のしんとした空気みたいな緊張感。 これが、美しさの秘密だと思う。 身体が練れていないと、縁のギリギリまで攻められないんだ。 身体がストップをかけるから。

          縁(ふち)のギリギリを攻める

          握りは奥が深い

          「『握り』ってぇのはねぇ、お客さん、一筋縄では いかないんですよ」 寿司職人のような感想を抱きました。 構造動作トレーニングの趾(あしゆび)握り 私は、まだまだまだまだ握れていない。 握れている状態は、もっと先にある。 でも 握ろうともがいていると、脚が どんどん 軽くなる。 股関節の周囲にびっしりついていたサビが落とされて いくみたい。 「腕が はまっとらんのよ」 握ろうとしている足の状態で、先生が肩甲骨を 本来の位置におさめてくださった。 その一瞬 腕

          握りは奥が深い