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雑誌執筆は短距離走、書籍執筆は長距離走。そして私はマラソンが苦手。

もう、まんまや。タイトル、まんま。

書籍執筆が続いている。なんかここ最近ずっと。

仕事をいただけるのはありがたいながら、なんかもう、気力とか体力とか能力とか、とても書籍執筆向きの資質は備わっていないんじゃないかと、もう10年ほど前から感じていたが、確信に変わりつつある。
幸か不幸か、雑誌に比べて頻度が低いので、あまりそのあたりの意識と直面しないまま来たが、もはやはっきりと悟る。

世の中の仕事はいくらそれが好きでも「仕事」になった瞬間に責任とか納期とか期待に応えられない焦燥感とかのプレッシャーが発生するものだ。
だが、それでも雑誌の場合、そこまで落ち込むことなく続けてこれた。その不安に押しつぶされる前に、文字数が依頼分書けて、編集部に送り投げるから、直視しないですんだのだろう。

が、書籍は……。
毎回毎回、死にそうになる。
もう、フツーに飲食店とかでウェイトレスとかのバイトしていたほうがいいんじゃないか、向いているんじゃないか、なんでライターになっちまったんだろうと、地の底まで落ち込むくらい。
なんでやろ。。。

そして気づいた。長距離走的な性質がだめなんじゃないかと。

はっきり言って、短距離も苦手だ。走るのめっちゃ遅いから。
だけど、どんなにタイムが遅かろうが、短距離は一瞬で終わる。
だが、長距離走、マラソンとかは、一向にゴールが来ない。走っているうちに、なぜ自分は走らなくてはいけないのか、どうしてこんなに走るのが苦手なのに、しなくてはいけないのか、恨みつらみを抱えるようになる。
書籍執筆が、まさにこれじゃね?

自分の文章を、自分の名前で書く作家さんはまた話は違うのかもしれない。
だけど、人の言葉を預かるブックライターって、、なんかもう信じるよすががないというか、本当にこれでいいんですかね、、という自信すら喪失したのちの執筆がつらい。

自分の本来の文体とは異なるリズムで、一冊書き続けるのも地味につらいし、もう脳みそも絞り切ったカスしかないのに、何かを書き続けなくてはいけない作業もつらいし。短期記憶が異常に悪いので、雑誌原稿くらいならさすがに何を書いたか覚えているが、書籍一冊分となると、もはや前の章で何を書いたかとか、覚えていないという致命的な欠陥もつらい。


子どもいなかったら、ちがうのかな、と思ったりもする。
1日24時間、本のことを考えて、集中できる時間を確保できるならまだしも、3人の子育てしながら、学校のPTAしながら、書籍って書けるもんじゃないね。日常生活にも、「書けていない……」心的ストレスが浸食してくる。いや、でもそれは言い訳かな。単に能力がないだけなんだろう、きっと。

なんだかな~。年を取ったら、雑誌のライターも需要なくなるのかなと思い、これからはブックライターとして力を入れよう!と、半年前に決意したのだが、早くもくじけ始めている。人生の計画を立て直した方がいいかも。

20冊くらい書籍に関わったはずだけど、毎回同じドツボにハマっているって、前々成長してねーな、アタシ。100冊くらい担当したら、少しは自信もつくのかな。でもきっと、そこまで心身がもたないな、きっと……。

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