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食と幸福感

「食事は人を幸せにする」

確かにその通りだと思う。
でも31歳独身一人暮らしから言わせてもらうと、一人で食べるご飯の幸せはかなり限定的であると言える。

先日「カレー事情聴取」というカレー&スパイスフェスに初めて参加した。家の近所でやっていたこともあり、存在は知っていたのだが、なかなか一人で行くのが恥ずかしく、既に一度参加した事のある彼女に連れて行ってもらった、というヘタレぶり。

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行ってみた感想としては、ご飯が「美味しすぎる」という事は間違いなかったのだが、来ているお客さんの層が色々いた事に驚いたという事。

それは、カップル、夫婦、友人同士はもちろんおひとりの方も沢山いた。
おひとりの方々は、誰かと話す事もなく、スマートフォンをいじりながらご飯をもくもくと食べていた。

話が少し変わると。
正直、自分は一人で食べるご飯へのこだわりがあまりない。
お腹膨れればそれでいい、という所が少なからずある。

自分の中でご飯が美味しいと思う瞬間は「誰か」と一緒に食べるご飯であり、「美味しい」という言葉を自分が、もしくは誰かが発する事で、自分自身もその美味しさを体感する、という事が大いにあるように思える。

恐らくその効果として、SNSは効果を発揮している所もあると思う。
美味しい料理屋の紹介やシェア、という側面だけでなく、
「美味しい」という気持ちや表現までもがシェアできているのではないだろうか。

そうでなければ、美味しさを文字におこすことや絵に残すことは難しいと思うし、自発的には進まない。


結局、何が言いたい事かといえば、
これからの食の方向性には、
コミュニティー要素が非常に大切なのではないだろうか。

という事。

例えば、一定レベルの美味しい食事であれば、コンビニだろうが、大手外食チェーンだろうが、今の日本はどこでも簡単に担保されている。そうなれば

それ以上の食での幸福値や満足値は、
何を食べるかは前提あるにしても、
「誰」と食べるかが重要で、
そしてその「誰」とは、もはや物理的物質的距離を超えて、ネット上で繋がっている人達、顔すら見たことない人も含まれているのでは、とすら感じる。

誠に勝手な解釈を勧めれば、
先程出てきた「おひとりの方々」は別に「おひとりではない」
という事。

そして

「食事は人を幸せにする」とともに「人が食事を幸せにする」
という事。

とても勉強になる気付きでした。

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