日本版【tanzhaus nrw】を作りたい。:前編
ダンスの家
ドイツはデュッセル、そこにはダンサーの為だけの施設があるらしい。
「tanzhaus nrw」
tanzは ダンス
hausは 建物・家?
その名の通り
とある人より教えてもらったこの施設は、
自分の中で壮大な一つの目標となりました。
かなり壮大です。
自分でも何言ってんの。って感じ。
でも目標です。
これくらいなら人生かけてもいいんじゃないですかね?笑
ちなみに、
この施設の事、皆さん知ってましたか?
日本からもストリートダンサーが招聘され、WSをしているみたいなのですが、
ほとんどその存在を知るストリートダンサーはいないと思う。
この施設が元々コンテンポラリーダンサー向けであった、ということもあり、日本でもコンテンポラリーダンサーの間では有名なようで。
どんな施設?
簡単にいえば、
スタジオ沢山あって
ホールも複数あって
飲食スペースあって
イベントスペースあって。
又、ダンスの種類も、
コンテンポラリーから
バレエから
社交ダンスから
ストリートダンスまで、
ダンスと名の付くものは何でも取り揃えている、幅広さ。
そこに通う人間はプロだけでなく、初心者はもちろん、子供からお年寄りまで様々。また国境も超えて人種も超えて、、、
ダンサーにとってはこんな施設があったとは!という内容。
・・・だと思います。笑
実は、聞いた情報と、サイトを何とか和訳したり、
グーグルにある画像から、引っぱってきての情報なのです。
絶対数年の間には現地に行ってきたいと思ってます!
それぐらい日本では情報収集が困難。
⇒知る人がいない。情報ソースがない。
デュッセルドルフが芸術の街、
ということもあり、
恐らく行政や地域も巻き込んで、この施設は成り立っているのだと思います。
なぜタンツハウスが誕生したのか。
誕生の歴史をみても面白かったです。
こちらはとても長いので、詳細はインタビューを見てください。
そのインタビューの中で、僕がとても惹かれた言葉がこれです。
ダンスのステップを教えるのではなく、芸術家として生きるとは何を意味するのかを一般市民に伝えようとしました。芸術に必要な技術ではなく、自らの意志を形成すること、独自の生き方を切り開いていくことを、芸術家を通して学んでほしかったのです。美術、演劇、ダンスであれ、創造的な個性を発揮するための実験、挑戦をするための媒体を見つけてもらうことが目的でした
このタンツハウスが誕生したのが、
第二次世界大戦後のドイツです。
敗戦国ドイツ。東西分裂したドイツ。
日本が半分にされ、名古屋あたりに壁が築かれ、
アメリカとソ連に占領されたと思ってください。
そのドイツで創造的個性を発揮するの為、
その名の元、うまれたダンスの施設。
それを作りたい、と本気で思ってしまったんですよねー。
日本にも。
31歳のダンス一本で食ってもない普通のサラリーマンの若造が。
当時のドイツと同じとは全くもって思いませんが、
日本も今、変革の時を迎えようとしていると思います。
5Gによる第4次産業革命・少子高齢化・年金問題・中国の台頭
日本の明るいニュースって何かありますかね??笑
でも切り開いていくしかないですよね。
自分たちで。
そしてこんな時代だからこそ、上で述べている
ダンスのステップを教えるのではなく、芸術家として生きるとは何を意味するのかを一般市民に伝えようとしました。芸術に必要な技術ではなく、自らの意志を形成すること、独自の生き方を切り開いていくことを、芸術家を通して学んでほしかったのです。
こんな施設が日本にあって、もっともっと自分たちの創造性を誇れるような場所を僕の大好きなダンスを通じて、世界に発信していきたいと思うんです。
だから、
ダンスの総合施設であっても、”ダンスだけの施設”
をつくりたいんじゃないんです。
そんな夢なんですが、
叶えれる可能性がでてきたんです。
大阪で。
…中編に続きます。
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