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くらしのアナキズム

読了。

この本は、発売当時に読みたいなと思っていて、それからしばらく忘れていたのだけど、ふとした時に図書館にあることがわかり、予約をして借りたもの。2〜3か月待ったと思う。この本に関心を持つ人が沢山いて喜ばしい限り。というのも、

二十一世紀のアナキストは政府の転覆を謀る必要はない。自助をかかげ、自粛にたよる政府のもとで、ぼくらは現にアナキストとして生きている……
ぼくらはどこかで自分たちには問題に対処する能力も責任もないと思っている。でも、ほんとうにそれはふつうの生活者には手の届かないものなのか……
この無力で無能な国家のもとで、どのように自分たちの手で生活を立てなおし、下から「公共」をつくりなおしていくか。

ということが書かれている、今まさに読むべき本だと思うので。

国家は、人びとから富と労力を吸いとる機械として誕生した。当然、人びとからしてみれば、そこからいかに逃れて生きるかが生存を左右する問題だった。

国を信じている人は多いと思う。国が推すワクチンが危険なわけがない、からみんなこぞって接種した、結果は? 国は国民を守るためではなく、搾取するために生まれたものだ。そのことを考えれば、盲信して良い相手とは言えないのではないだろうか。

税を納めるかわりに国が国民の生活を保障してくれる社会契約によって国が成り立つ。この社会契約の考え方が十七〜十八世紀のヨーロッパで生まれたのは、それ以前の国家がまったくそうではなかったからだ……歴史的にみれば、国家は人民を守る仕組みではなかった。人びとから労働力と余剰生産物を搾りとり、戦争や疫病といった災厄をもたらす。国家はむしろ平和な暮らしを脅かす存在だったのだ。
……最初からそこに少数民族がいたわけではない。中国南部では、もとは同じ民族的ルーツをもつ人のなかで国家の内に臣民としてとどまった人が漢民族と呼ばれ、山地に逃れた人がミャオやヤオなどと呼ばれた。
……こうして山地に、平地国家に吸収された者たちとは異なる独特の「非国家空間=ゾミア」が生まれたのだ。

「漢民族と少数民族とは同じルーツをもつが、国家に所属することを選んだのが漢民族で、それを拒否したのが少数民族」というのは衝撃だった。それを踏まえると、なぜ中国があのような体制をしいてあれほどの数の人民を統制することに成功し、少数民族を迫害しているのかすんなりと腑に落ちる。

ぼくらが学校で学ぶ歴史は国家の中心から描かれた「国史」だ。だから、文明化した国家の中心が先進的な優れた場所で、その価値観になじまない周辺の僻地は遅れていて、そこに住む人びとは「野蛮人」として描かれる。

迅速なコロナ対応で注目をあつめた台湾のデジタル担当大臣、オードリー・タンは「保守派アナキスト」を名乗っていることで知られる。
……タンは台湾政府の閣僚のひとりだ。そのタンが「アナキズム」を信条としているのは興味深い。
……台湾は、一九八七年まで三十八年あまり戒厳令がしかれ、強権的な政治体制をとってきた国だ。それがこの短期間でオープンな民主主義体制へと変わりつつあることは、ひとつの希望でもある。

なんのために国家があるのか。クラストルは、「未開社会」が国家をもたないのは、国家をもつ段階に至っていないからではなく、むしろあえて国家をもつことを望まなかったからだという。一部の者だけが権力をもち、人びとを支配するためにその権力がつかわれることを拒絶したのだ、と。
……多くの国家なき社会は、すくない労働で生存に必要な食料を入手する高度な技術をもっていた。それでも、必要以上には働こうとしない。一方、ぼくらは必要を充せても、それ以上に働こうとする。
……現代に生きるぼくらからすれば、国家なき社会や「未開社会」とされる人びとの生活は「貧しい」ようにみえる。でもそれは、あえて蓄積につながる無用な過剰生産を拒否してきたからでもある。そこには「労働を必要の充足に調和させる意志」があり、過剰な労働を強制し、その余剰を一部の者の所有物にする暴力としての国家を拒否しつづける意志があった。それはまさに国家に抗する闘いの歴史だったのだ。

今このことに気がつく人が少しずつ増えているように思う。野生動物に近い暮らしをしていた頃は、生命を維持できるだけ食べられれば生きられた。「国家」ができると、自分が食べない分まで生産し、拠出することが求められるようになった。「国家」は人民から搾取したものを蓄積してゆく。「国家」と組んだ資本家に煽られるがまま、もっとお金があればあれも買える、これも買える、と尻を叩かれて働きつづける。自分の欲望を叶えるために稼いでいると思っているけど、その欲望は自分に内在するものではなく、メディアやSNSから刷りこまれたもの。そんなことよりもっと大切にしたいことがある、とドロップアウトする人が増えている感じ。

市場(いちば)が小規模な「商い」と「安定した日々の仕事」の場だとしたら、資本主義は大きな資本をもとにリスクをとれる者だけが膨大な利潤を手にできる「投機」の場である。

ぼくらは問題が起きたら、すぐに行政や警察などにたよってしまう。知らないうちに問題の解決を他人まかせにばかりしている。……そうやっていつも他人まかせにしていると、自分たちで秩序をつくったり、維持したりできっこない、と思ってしまう。
……結局だれもが政治参加だと信じてきた多数決による投票は、政治とやらに参加している感をだす仕組みにすぎなかった。たぶんそこに「政治」はない。そうやって政治について誤解したまま、時間のかかる面倒なコンセンサスをとることを避け、みずから問題に対処することをやめてきた。それが結果として政治家たちをつけあがらせてきたのだ。

二〇一九年の参院議員選挙で政権第一党が獲得した得票数は、投票に行かなかった人も含めた全有権者数の一九パーセントにすぎない。つまり、大半の人の意見は国政に反映されていない。……ほとんどの有権者はつねに自分の意見が「完全に無視された」状態におかれる、投票率が上がらないのも無理はない。……いまや選挙自体が政治への無力感や絶望感を増幅させる仕組みになっている。

ほんと、選挙のたびに「誰がこの人に投票してるの?」と思うような候補者ばかりが票を集めていて、心底ばかばかしくなる。ただし棄権はさらに与党を利するだけなので、いちおう投票には行くんだけど、「参加している感」のためだということは理解しておいたほうがいいと思う。既存の仕組み、選挙によってしか世の中を変えられない、という思いこみを捨てないと、いつまでも他人(政治家)まかせから脱けだせない。

だれもが欲深いからこそ、それを同時に成り立たせ、不満がでないようにするために、公平/公正な仕組みが編みだされてきた。……「平等社会」は善人の善人によるユートピアではない。むしろ人間が我欲という業をかかえた不完全な存在だからこその仕組みなのだ。

自由民主主義を実現した社会においても、不遇な状況におかれた少数者は選挙で代表を選んで社会を改善する術を奪われている。……多数派の利益を守る国家の法そのものが抑圧的なとき、法の枠内でそれを改善することは困難だ。……よりよき生を実現するには、ときに国家のなかにあってなお国家の外側にでる必要がある。
……ぼくらは過去の多くの「法律違反者」たちから恩恵を受けている。それをあたりまえのものとして生まれ育つと、そんな逸脱者の存在は意識しにくい。……なんとなく、いまの豊かで恵まれた状況は、それこそ国がつくってくれたものだと勘違いしてしまう。

「やってる感」にすぎない選挙権にしても、国がどうぞどうぞとくれたものではなくて、こちらから要求して渋る国から勝ち取ったもの。今の社会だって完成形ではなくて、まだまだ足りないものがあるのだから、必要なものは要求していかなければならない。

国家が自分の手柄であるかのような顔をしている「民主主義」や「自由」、「平等」といった価値は、国家内部の動きから実現したものではない。むしろそれへの抵抗や逸脱の結果として生まれた。だからこそ、ぼくらがよりよき状態に向けて動けるようになるには、既存の国家がおしつける「常識」から距離をとり、そこでのあたりまえをずらしていく姿勢が欠かせない。国家は暮らしのための道具にすぎない。
……大きなシステムは、ぼくらを単一の物語にとりこみ、思考停止させ、押し流そうとする。そこでまずできるのは、立ち止まってまわりをよくみることだ。

よりよいルールに変えるには、ときにその既存のルールを破らないといけない。サボったり、怒りをぶつけたり、逸脱することも重要な手段になる。
……いやいや、ちゃんとルールを守らないとダメだ。……アナキズムは、そんな間違った真面目さとぶつかる。「正しさ」は、ときに人間が完全な存在であるかのような錯覚に陥らせる。……互いに不完全で、でこぼこがあるからこそ、人と人とが補いあって生きている。
……ぼくらはときに真面目であるべき対象をとり違えてしまう。大切な暮らしを守るために、日々の生活でいやなことにはちゃんと不真面目になる。ルールや「正しさ」や国家のために一人ひとりの暮らしが犠牲にされる。それこそがぼくらの生活を脅かしてきた倒錯だ。

素晴らしい言葉が多すぎて、引用が大量になってしまった。

内容もさることながら、個人的にとても好きな文体だった。私は硬めの内容を扱った文を書くことが多いので、それをいかに読みやすくするかいつも苦心していて、漢字をなるべくひらくことなど心がけている。本書のひらき加減は絶妙で、なかなか難しい話だけれども、するすると入ってくる。

おすすめです!


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