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捨てるもの、残すもの

思い入れのあるもの

高知への引越しも終盤になってきた。
大物は2月の終わりに持っていき、3月中は東京への行き帰りがあるために、生活するのに最低限のものは残していたが、さあ残りあと10日を切ったところで最後の選別。

絶対に必要な、台所の調味料関係、息子の部屋を片付けて出てきた大量のタオルなどの選別は割合と簡単だったが、捨てようと思って別に分けておいた CDケースの中身が、意外に思い切れない。

今更CDとか持って行ったとしてもPCにダウンロードしているものを使うか、ネットからダウンロードするのだから聞かないだろう。
そうは思っても、それぞれの音楽にはそれぞれ思い出が深い。
音楽をすてるわけではないのに、どうも処分に踏ん切れないのだ。

踏ん切れないものといえば、子どもたちの思い出のアルバム。
息子らは、自分の卒業アルバムまで実家に置きっぱなしで出て行っている。
私の思い出じゃないのだけど、どうにも捨てられない。
特に、学童保育の卒室記念の手作りアルバムや、保育園のアルバムなんて私自身の思い出も思い入れも入っているから特にダメ。
結果、7人分(長女は自分のものは自分で引き上げていった)のアルバムが段ボール箱2箱になって押し入れに入ることとなった。
私の葬式に一緒に燃やしてもらおうかしら(笑)

案外思い入れななかったもの

思い入れのなかったものといえば服。大体着られなくなったものはどんどん処分していたから、これは全く思い入れなし。
でも、古着に関してはリサイクルできるということだったので、ビニール袋に20個近くを積み上げている。
月に二回しかない回収日に、回収場に持っていく予定だ。
これって、思い入れというよりは、リサイクルできるなら是非ともしてほしい、という思い。たとえ、布団の中わたやウエスになるとしたって、燃えるゴミよりはマシなのではと思ったから。

そして、思い入れがあるというかなかったというか。不要になった本。
これも、資源ごみや燃えるゴミに出すのは勿体無い気がして、読まないだろうと処分を決めた本は、痛みが激しいものを除いて全て「ブック寄付」した。売って大したお金にならなかったと思うより、古本として売却した金額の全てを寄付にすればいくらであっても「何かのためになったなぁ」と自己満足できるというもの(^^;;

思い切って捨てたものは

この断捨離の中で、一番思い切って捨てたのは「姓」
3月22日の午後に別居中の夫にサインと印鑑をもらって、昨日23日朝に離婚届を出してめでたく旧姓「小島」に戻ったところ。

私としては、婚姻関係を続けていると追わなければならなくなるだろうリスク(仕事をしない夫の最後の面倒がどこからか回ってくるかもしれない、財産を分割してやらなくてはならない等)と、8人の子どもたちの父親であるという愛着と未練とがせめぎ合っていてなかなか踏ん切りがつかなかった。
でも、私は高知に移住して、東京の家は処分することに決めたので、ここできっちり精算しなければと決心。

離婚届にサインをもらうときに、「いつでも待ってるよ」って言おうと思っていたのに、いざそのときになったら、すっかりその言葉が頭の中から消えていた。
ということは、私は待っていたくなかったのだろうか。
とまで思って1日落ち込みました。

まあ、捨てるべきもの、残すべきものは、いろいろな思いと引っかかりによって選択されるんだなぁと思っているところ。


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