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『KAWASAKI』  人生の中間決算 START IT AGAIN 典行の場合

典行は自宅近くのガス橋通りの御幸跨線橋で、目尻と頬に深く刻まれた皺の奥まで夕陽に照らされながら深いため息をついている。
時代の流れに従い、10年前にやめたセブンスターを思い切り吸いたい気分だ。

今日は多摩川河川敷のドライビングレンジに行き、調子がよかったので、上機嫌で帰宅したが、妻の優子と母が喧嘩をしており、いたたまれない気持ちになり、散歩にでて御幸跨線橋の橋脚にボンヤリしながら腰掛けている。

嫁と姑の間に挟まれている典行は、これまで八方美人になったり、二重スパイになったりして仲をとりもとうとしてきたが、状況は悪化の一途をたどっている。

典行は川崎に生まれ育ち、川崎で二世帯住宅を建て、夫婦と子供二人と自分の両親とで暮らしている。

東京と横浜に挟まれた間(はざま)の街、川崎。

御幸跨線橋はその川崎を分断する中間地点にある。
橋から西側の武蔵小杉や新百合ヶ丘エリアは目覚ましい発展をみせているが、東側はBAD HOPの世界観そのまま、若者の将来は地元の町工場に勤めるか、893になるか、ラッパーになるかの3択しかない。
典行は今でもコストコ川崎店に行く時はカツアゲに注意しながら買い物をする。

勉強ができた典行は、西側のヤンキー達のような生き方に憧れはしたが、地域で一番の県立高校に進み、GMARCHと日東駒専の間のレベルの大学に入り、バブルの追い風に助けられ、中堅都市銀行に就職した。
 
あれから35年。
銀行は再編が進み、人事の改編もめまぐるしく、先週まで銀行本体の中間管理職の課長だった典行は、明日から銀行が吸収し、グループ会社になった元サラ金のお客様相談センターに出向する事になっている。

都市と都市の中間の、そのまた中間地点で生まれ育ち、中間管理職の典行は、人が歩むべき道の中間を踏み外す事なく歩む人生が正しいと思って生きてきた。
ヤンキーに憧れはしたが、ラップやHIP HOPは理解できず、好きなミュージシャンはサザン、スケボー等の横乗り系に興味はなく、好きなスポーツはゴルフ。
クルマは当然レクサス。
最近の一番の楽しみはレクサスのディーラーで女性のコンシェルジュにチヤホヤされながらコーヒーを飲む事だ。

顧客や上司に対して納得できないことも多いが、愛想笑いを欠かさず、大きな過ちもおこさず仕事を続けてこられたことは誇りに思っており、そのおかげで2人の子供も立派に育て上げる事ができたが、明日からの仕事を考えると気が滅入る。
ただ、部長という中間管理職の中では最上の役職での出向になるなので、少し喜びを感じている事は否定できない。
周りには不本意な人事だと憤慨しているように見せているので、若い女子社員から部長〜❤️と呼ばれる事を想像して心の中でニヤニヤしている事はバレないようにしている。

ぼんやりいろいろな事を考えているうちに、日が暮れて、少し寒くなってきたので、そろそろ家に戻ろうかと思いながら、深く呼吸をし、息を吐きだした瞬間❕

ふいに橋の上に強風が吹き、自分の体が宙に浮いたような感覚になった。
あたりを見渡すと、景色が一変。
団地とアパートしかなかったはずの橋のまわりに、高層ビルが林立し、その数十メートル上空の場所に自分がいて、橋には見た事のないデザインのクルマが行き交っている。

頭がおかしくなったのか?

タイムスリップ?

パラレルワールド?

何が起きたのかわからず、頭が混乱していたが、次第に状況が飲みこめてきた。

タイムスリップからの幽体離脱❕

オレは死んでいる⁉️

気持ちを落ち着かせ、空中に浮いている自分の頭の中の記憶を整理してみると、どうやら自分は日本人男性の平均寿命の81歳で、日本人の死因第一位の癌で死んだようだ。 
また、嫁姑問題もあり、定年退職と同時に優子は家をでていき、離婚していた。
自分はひとりで両親を介護し見送った後、癌を発症したようだった。 

走馬灯を見るように、生前の自分の生まれてから死ぬまでを思い出してみたが、まんざらでもない人生だったと感じる。
仕事でも家庭でも大きなしくじりはなく、平均的で中間的な日本人の人生より、少し上質な人生を送れたような気がする。

大学時代に男闘呼組の高橋和也に似てると言われ少しだけモテた事、一瞬スッチーと付き合えた事、都市銀行に就職できた事、優子と結婚できた事、レクサスを買えた事、ゴルフ会員権を所有できた事等は人生の勲章だ。

「オレの生き方は間違っていなかった、と思う。」

ただ、優子との離婚だけは、熟年離婚が多くなってきてるとはいえ、日本の離婚率40%という事から考えても、中間というか標準的ではないので、自分の人生の汚点になるのではないかとモヤモヤしていると、突如、御幸跨線橋の欄干に座っていた自分の体に意識が戻った。

またも混乱したが、優子との離婚の事で、モヤモヤした気持ちになっている事は鮮明に頭に残った。

このままだと優子と離婚になり、オレの中間で生き抜く美学が貫けなくなってしまう。

典行はすぐさまPayPayの割引情報を調べながら、早歩きで家に向かい、夕ご飯作ろうとしていた優子の手を止めさせ、優子の好きな「安安 鹿島田店」の焼肉ではなく、表参道の「KINTAN」に焼肉を食べにいこうと誘い、優子を助手席に乗せて、自慢のレクサスCTのアクセルペダルを踏み込んだ。 
なぜ突然、表参道で焼肉を食べにいくのか?と優子に聞かれたが、PayPayで港区の割引キャンペーンが行われていて、金額的に「安安 鹿島田店」と変わらずに済むという事と、標準的で中間的な人生を送るという美学を貫いて人生を締めくくる為に離婚するわけにはいかないという思いは隠し、
「お袋の事で苦労かけてるから、たまにはね。」と微笑みながら答え、ガス橋を渡って都内に向かうレクサスCTの運転席で、深く刻まれた皺だらけの顔で小さくため息をついた。

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