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『清算列車』 人生の中間決算 START IT AGAIN 信哉の場合


熊谷から乗り込んだ金沢行きの北陸新幹線
『はくたか号』。
学生が夏休みの時期だからか、土曜の始発なのに自由席の空きは少ない。
永友信哉はトイレに行き易い二人掛けの席の通路側に座り、カバンからお手拭きを取り出し、年入りに手の隅々までキレイにしてから早起きして自分で握ったおにぎりをほうばる。 
食べ終えて指についた米粒を全てキレイに舐め尽くすまでが信哉のルーティン。
家族や友人に指摘され笑われたりもするが、これまでやめずに続けてきた。
ポテトチップスを食べた後の指を舐め尽くしたときの爽快感。
なぜ他人は共感できないのか理解できない。 

座席の周辺は家族連れが多く車内はにぎやかだ。

永友家では25年の結婚生活にピリオドをうち、清美が昨年家をでて、長女の里美も就職と同時に自立し、家をでた。 
女にモテるタイプではないが数少ないチャンスをものにし、浮気もしたが清美のことは愛していた。
ただそれは一方的な執着だったかもしれず、無私の気持ちで愛情を注いでいたかというとその自信はない。
自分から離れていくのを恐れ、譲れない自分のポリシーを押し付ける事を清美には少し緩和してきたつもりだったが、しょせん主観的な少しの緩和だったのかもしれない。
食後念入りに指を舐め尽くす事や、出かける前の準備にかける長時間にわたるルーティーンや外出時の念のために詰め込む荷物の多さ。
それら、いやそれ以外にもたくさんあった自分のクセの強さに清美は堪えられなくなったのが結婚生活破綻の一因であったことは否めない。

自分の清美に対しての気持ちの強さゆえに
子供達に対しては少し関わり合いが希薄で、
里美は父親からの愛情を十分に感じられないまま大人になってしまったような気がする。

20年前にこだわり抜いて建てた一戸建てには大学生になった二女の明美とトイプードル のアキと信哉が残された。
明美も週の半分は家に帰ってこないので、実質、自分とアキの二人暮らし。
家族4人と犬一匹用に設計した家は広すぎて持て余しているのが実情だ。
家を建てたのは清美の実家の近くでと埼玉の蓮田にしたのだが、信哉の実家は世田谷の豪徳寺、仕事場は大手町。
清美がいない今となっては蓮田にいる事に意味を見出すことができない。
引っ越しを考えた事もあったが、売ってもローンを完済できず、借金が残るのであきらめた。
定年まであと4年。
明美の大学卒業と同時期での定年退職。
明美も卒業したら家をでると言っているので、
退職後はアキとの二人暮らしになるのが確定している。
退職金で家のローンは完済できるので、しばしば理不尽と義憤を覚える事が多い職場だが、アキとの第二の人生をすごす糧を得る為に我慢する事が仕事だ。
この状況が自分の積み重ねてきた日々の結果なのかと思うと絶望感でいっぱいになる。

間違った事はしてこなかったし、他人に間違った事を強いてはきてこなかったつもりだ。

子共達が自立して巣立つという事は喜ばしい事だが、里美は家から巣立つというより、家を捨てたというほうが適当な表現のような気もする。
家をでて3年経つが、その間荷物を1度とりにきた以外は家に戻ってきた事はない。
明美も同じようになるのは容易に想像できる。

こんなはずではなかった。

だがこの頃やっとこれが必然だとも思えて現実を受け入れる事ができるよういなってきた。

理屈っぽく感情的になりやすい面もあり、学生時代の頃からの友人ともこのところSNS上で揉める事もたびたびあり、他人との関係を継続させる事に少々疲弊している。

ワールドカップの決勝を家でひとりで見ながら、大学の同級生で作っているLINEグループ内のやりとりで健三と揉めた事を思い返す。
自分がフランスのエムバペを猿野郎と呼んだそのスマホの画面を家族に見せた健三から
「終わってる」と言われた。
いいか悪いかでいえば自分の発言はよくなかったとは思うが、自分も熱くなってたし、フィールド内にいる選手達はもっと熱くなって差別用語が飛び交っているのが現実だと思いながら見ていたので、自分の気持ちもそこに同化していた。
一方健三はスタンドにいて礼儀正しく差別用語を吐く人種を嫌悪、軽蔑し、観戦が終わったらスタンドを掃除して帰る人達に同化していた。
夜中に暗い部屋で一人でサッカーを見ている自分。
息子と大好きな奥さんと家族3人で楽しく飲んでほろ酔い状態でサッカーを見ている健三。
同じサッカーの試合を見ているが、環境が違いすぎる。

受け入れがたい他人と常に孤独な闘いを強いられ攻撃的でいる自分と、あたたかいやすらぎがある家で家族の安泰と世界の平和を祈る健三。

その場所から『終わってる』という言葉。

健三の価値観からしたら終わってるのだろう。

社会が正しいと言ってる事を正しいと信じてまっすぐすすめる健三に自分が嫉妬しているという面と単純すぎると蔑んでいる、その両面が自分の中にある。

マイノリティであるかもしれない自分の正義は正義ではないという事なのか。
「終わってる」という健三の世界からの死刑宣告に対して怒りをもって抗う事でしか自分の正当性を主張できないので、当然あやまることなどできない。

『終わってる』か、、

今は、アキとの散歩と火曜の映画鑑賞と日曜のテニスが楽しみの毎日だ。
テニス仲間とは必要以上のコミニケーションをとらないようにし、表面上だけのお付き合いにとどめているのでいまのところいざこざはおきていない。
信哉にとって地元のテニス仲間といる時だけが、自分の現在地を確認できる時間になっている。

『はくたか号』は軽井沢駅に到着した。
幸せそうな家族や、うかれた若者達が急ぎ足で下車していく。
窓から見えるアウトレットモールにも人があふれている。
自分達家族にもあんな頃はあった。

今回、信哉は思い立ってアキの産まれた新潟糸魚川市のブリーダーの秋月氏のところに5年振りに訪れてみようという気になり、週末の北陸新幹線に乗り込んだのだ。

わざわざ新潟まで行く気になったか自分でもよくわからないが、50歳を過ぎてこれまで自分の判断で選択してきた人生の結果に納得がいかないことが多く、反省をしているわけではないが、少し考え方や生き方を軌道修正したいとの思いはあり、そのヒントが自分のそばに唯一残ったアキを譲ってくれた秋月氏のところにあると思ったからだった。

秋月氏は信哉と同世代の川崎麻世に似たイケメンだ。
もともとは東京の大手広告代理店に勤務していたのだが、仕事で関わった動物愛護団体の活動に共感し、犬の幸せを第一に考えたブリーダーになる決心をし、糸魚川でトイプードル の繁殖を行っている。
儲け優先のブリーダーやペットショップの問題に少なからず心を痛めていた信哉は秋月氏の動物ファーストの考え方や、仕事をやめてやりたいことに全てを捧げている生き方に憧れと羨望をもって見ていた。
たしかバツイチだと言っていたような気もするがそのへんははっきりとはわからない。
糸魚川駅で新幹線を降りて大糸線に乗り換え小滝駅で降り、10分程歩くと秋月氏の犬舎がある。

アキを譲り受けた時、365日休みはないのでいつでも来てくださいと秋月氏から言われていたのでその言葉に甘えるように事前に連絡せずにきてしまったが、もしかしたら突然の訪問が迷惑になりやしないかここまできて少し心配になってきた。
ただ急ぐ旅ではないし、忙しいようなら手が空くまで待てばいいと思い犬舎の敷地に入った。

すると1人の女性の後姿が目に入った。
秋月氏はひとりで犬舎を運営してるはずだがバイトでも雇ったのかと思い、近くまで進み声をかけてみて信哉は愕然とした。
髪をまとめ真っ黒に日焼けした清美がそこにいた。
あまりの驚きに全身の血液が沸騰する感じを覚えたが、逆に信哉の頭の中ではそこに清美がいる理由も理解できるような気がした。

清美がここにいるのは男と女の違いはあるが自分がここにきた理由とおそらく同じなのだろう。
気持ちが分かり合えない2人だったが皮肉な事に秋月氏に対する気持ちは同じだったのかもしれない。
呆然と立ち尽くす2人のもとに秋月氏が駆け寄ってくる。

秋月氏は今年の頭から清美にこの犬舎を手伝ってもらっていることを信哉に説明したが、自分の知っている秋月氏の立ち振る舞いではなかったことで清美との関係はおおよそ想像がついた。
ただすでに昨年離婚しているので自分は何も言う資格はない。

自分は蓮田に残り、これからアキと生きていくが清美は秋月氏とアキの家族達と暮らしていくということなのだ。
好感を持っていた秋月氏のうろたえたようなふるまいをこれ以上見ていること自体が悲しくなり、慎也は白馬に向かう途中だったので、挨拶をしたかっただけだからと告げ、逃げるように犬舎から立ち去った。

自分と結婚していた期間に清美がひとりで秋月氏のところに行ったということはなかっただろうし、犬の世話で忙しい秋月氏が清美に会いに来てたことはないだろうから、おそらく自分と離婚してから清美はアキの故郷を訪ねてというか秋月氏を訪ねて今の関係になったのだろう。

正直戸惑いはしたが、自分の人生にも韓流ドラマみたいな事があるんだと、開き直った気持ちで、緑溢れる林道を小滝駅に向かって歩き出した。

電車の時間まで1時間近くあったが、何を考え、どんな事をして時間を過ごしたかあまり覚えていない。
目的地もなくホームに入ってきたガラガラの大糸線に乗り込んだ。 
上り電車なのか下り電車なのかもわからないまま座席にすわり、何も考えずに景色を眺める。
景色はほぼほぼ山あいの里山風景なのだが
こんな山あいでも人々は生活を営み、子孫を残し、生き抜いている。
何を生業にし、生きる喜びをどこに見出しながら日々の生活を送っているのか。
そんな事をぼんやり考えながら景色を見ているとターコイズブルー色の水面の湖が目に入ってきた。
空腹感もあったのでこのあたりで一旦下車して食事でもしようと思い、簗場駅で降りたが、駅周辺に飲食店は皆無で食事はあきらめ、次の電車がくるまで約1時間近くあったので、先程見えた湖までいこうと歩き出した。
大糸線沿いにある湖だが、あまり人の手が入ってない自然豊かな湖だった。
歩いていると見覚えのある建物が目についた。
この湖、青木湖。
青木湖は大学2年のときに会計学研究会の合宿で訪れた場所だ。

あの頃は楽しかった。

大学受験は決して成功したとは言えない結果で大きな挫折を味わったたが、それまでの自分の周りにいないタイプの友人達と軽薄で刹那的な楽しさを追求する四年間はそれはそれで無駄ではなかったような気はする。

あの頃の寝る時間を惜しんで人生を楽しもうとするキモチを自分はいつから失ったしまったのだろう。
少なくとも清美と知り合って結婚し、夫婦仲がよかったころまでは生きる事を楽しめてたような気はする。

今の自分

これからの自分。

秋月氏と清美はこれからを考えて生きているんだろう。
自分はこれからのことなど全く考えられないし考えたくもない。

唯一の親友のプッチからはこのままだと周りに誰もいなくなって孤独死一直線だよと言われるが、その通りだと思う。

わかっていても考え方を変えられない。
こだわりと怒りが自分の頭の中で消化できない。
 
家族、友人が自分から離れていく
いや自分が外界との関係を遮断している

オレは、、

終わってるのか、、

映画と違って自分の人生をハッピーエンドかバッドエンドにするかは自分で決められる。
ただ今の自分ではどうやってもハッピーエンドのストーリーは思いつかない。

簗場駅に戻りJR大糸線に乗り、車窓から
見える景色の全てが自分を否定しているように感じる。
車内の中吊り広告をみると阿部寛の主演映画の宣伝が目に入る。

阿部寛、、

イケメンでさわやかでさぞ充実した人生なんだろう。

親は
広く寛容な心を持って生きていってほしいと
願って名付けたのかな

自分の名前、信哉
信はいいとして
哉は
かな?であろうか?という意味の漢字
果たしてどんな思いでつけられたのか?
プッチの本名は普一だけど、普通が一番もよくわからない、、

阿部寛の「寛容」という熟語が心にささる

寛容、不寛容

自分のポリシーにこだわりすぎず、もう少し寛容な気持ちでまわりの人達と接して生きてきてたら今の状況も少しは違っていたのかもしれない。

芦田愛菜ちゃんの『信じること』という話が頭をよぎる。
他人に裏切られたとかいう思いって、実は自分が勝手に思っていたその人の違う部分が見えてしまっただけで、本来その人はその部分もあってその人なわけで。その見えなかった部分もその人だと受け止められる揺るがない自分でいられる事が信じることのできる自分だって話。

今からでも揺るがない自分をもって、寛容に生きていけば、少しは自分の人生は変わるのか、、
それとももう手遅れなのか、、、

車窓から見える飛び去っていくレールを見ながら、唯一自分が寛容な気持ちを持って接しているアキが待つ蓮田の家に向かった。

唯一自分から離れていかないアキが待つ場所に。


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