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『ANOTHER SKY』人生の中間決算 START IT AGAIN 由紀の場合

「来年、この子と2人でブエノアイレスのラ・ボカに行こう、、」

 大学入学と同時に上京し、この4月で世田谷区の三宿に住んで12年になる。
 静岡の焼津で鰹節の工場を営む両親のもとで2人姉妹の長女として生まれ育った由紀は、街全体に漂う鰹節のニオイが自分に纏わりつき、体中の毛穴から染み込んでくる気がして、子供の頃からこの街を早く出たいと思いながら過ごしてきた。
 自分がそう感じている事をまわりに知られるのはよくないような気がしていたので、海外で暮らすのが夢だという事を大義名分に、その足がかりとして東京の大学に進学したいと両親には伝えていた。
 両親からは東京にでた後、留学をしたいなら、「上智大学に合格する事」という条件を出されたが、それをクリアし、めでたく焼津から脱出する事ができた。

 幼い頃はぽっちゃりしており、イジメというほどではなかったが、まわりからそれを自覚させられるような言葉をなげかけられていたので、外見にはコンプレックスを持って生きてきた。
 考え方はネガティブで、人見知りだったが、勉強ができたせいかプライドは高いという少々複雑な性格が出来上がっていた。

 大学に入ってからはダイエットとエステにバイト代の全てを注ぎ、成果を確認する為、軽薄なオトコ達との合コンを繰り返した。
 合コンでは男達から見た目に対するネガティブな反応はなかったが、基本ヤリモク前提だとわかっていたので、コンプレックスは消えなかった。

 熱中するような趣味はなかったが、スタイルの良い米倉涼子がアルゼンチンタンゴを踊っている姿に憧れていたので、大学に入ってスクールに通い始めた。
 アルゼンチンタンゴを踊っている時だけは、先生やまわりの生徒達に恵まれたのか、コンプレックスから自分を解放でき、ありのままの自分を他人に晒す事に抵抗を感じなかった。

 これまで、数人の彼氏はいたが、好きになったというより、世の中の男達がどれだけ自分を評価するのかの確認作業をする為の存在にすぎず、確認できれば自分としては用済みで、一緒に時間を過ごしたりするモチベーションはなく、ましてや体を求められたりすると嫌悪感を覚えた。
 用済みの相手から触れられると、拒否反応がでて、それが潔癖症に発展し、電車の吊り革を掴めないどころか、座席に座る事もできなくなっている。

 コンプレックスと長年の習慣により、他人からどう見られるかが判断基準の最重要事項になっていたので、20代前半はひたすら自分磨きの毎日を送っていたが、勉強やキャリアアップ面にもそれが及んでいたのでアメリカ留学で英語をマスターし、まわりに羨ましがられながらAmazonに入社し、他人に見られる自分という偶像は満足のいくものに仕上がった。

 大学進学から就職までの人生の理想のイメージはできていたので、それを実現させようと努力し、ほぼその通りになったが、ここから先の人生のロードマップが描けないのが悩みだ。
 これから歳をとっていくにあたり、自分はアンチエイジングの他、何をすればいいのか。

 最近よく話題に上がる2035年問題。後期高齢者が増えて、社会保険の破綻等が心配されている10年後。
 自分はその時40歳だが、自分がどのような40歳になっているのかは、鰹に生まれ変わったらどんな人生になるかわからないのと同じくらいわからなすぎて恐怖を感じる。
 20歳の頃も、30歳の自分をイメージできず、そんな歳まで生きていたくないし、生きていないはずだと思っていた。
 ただ、実際30歳になってみると滑稽なくらい普通に生きており、外見はともかく中身はほぼ変わっていない。

 妹は自分を追って、2年前に上京し、飲食店に勤めていたが、YouTuberの彼氏との間に子供ができて上京1年経たずに授かり婚となり、結菜が産まれた。
 良い噂がなかった相手だったので両親は結婚に反対し、モメた挙句親子の縁を切ってしまった。

 結菜が1歳なったあたりから、妹もYouTubeの仕事を手伝う事が多くなり、その間、由紀が結菜をあずかる事が多くなっていた。
 自分が東京の私立大学に行き、さらに留学したことで、実家の家計に負担をかけてしまったせいで、妹は高卒で就職をしたという負い目がある。

 結菜は血がつながっているので、愛おしさを感じるが、純真無垢なつぶらな瞳で見つめられると、眩しいというより、自分の汚れた部分を見透かされる気持ちと、赤ん坊相手にも人見知りが発動し、最初のうちは目を合わせる事ができなかった。
 半年程すると慣れてはきたが、それと同時に自分の中から溢れて出る母性を感じるようになった。
 結婚や子供を作る事はこれまで全くイメージしていなかったが、自分に似ている結菜の存在が理屈抜きに特別なものだと気付いた。

 ある日、結菜と世田谷公園を散歩していた時、弁護士と名乗る女性から連絡が入った。
 YouTube撮影時に妹の夫が傷害事件で警察に逮捕拘束され、さらに妹は行方不明となり、結菜を保護する先を選定しないといけないと言うのだ。
 実家に連絡したが、両親は縁を切っているからと、とりつくしまもなかった。
 親族で預かる人がいなければ児童養護施設に入れる手続きを行うと弁護士は言っていたが、結菜はいつもと変わらぬつぶらな瞳で自分の事をみて笑っている。
 こんなかわいい子が親から与えられるはずの愛情を受けられずに育っていいのか、、
 これまで自分の事だけ考えて生きてきたが、電気ショックをうけたように結菜と二人で生きていくという考えが頭をよぎった。

 現実的に可能なのか。今の仕事を続けながら結菜を育てていけるのか?
周りは自分の事をどう思うのか。
自分と結菜は共倒れになるのではないか。

 ただ何度考えても、結菜を人手に渡す選択だけはできないとの考えに至り、自分のこれからの全てを結菜との生活の為に捧げようと決心した。

 翌日から1週間の有給をとり、すぐさま世田谷公園隣接の2LDKのマンションを契約した。
 また区役所にいき、保育園の入園希望を出したが、空きはなかった為、仕方なく近所の無認可保育園の入園手続きを行った。

 実の親子ではないので、諸手続きは煩雑で、不動産屋や区役所職員から怪訝そうな目で見られたが、全く気にならず、また慣れないオムツ交換の時に自分の手についてしまった排泄物も気にならなくなっている事に驚いた。

 経済的に自立していないと結菜の幸せに影響するかもしれないが、自分が健康でありさえすればなんとかなると、漠然とした自信も湧いている。

 自分一人の事を考えていたこれまでの自分と、自分がいなければ朽ち果てるかもしれない可憐な命を守る事を使命だと感じている今の自分。
覚悟は強さにつながると実感している。

 実の母親ではないが、これが「母は強し」と言う事なのか。
 今までは夫が育児に協力しない為に母は強くなるしかないと思い、忌み嫌っていた言葉だったが、今は純粋にそうなのかもしれないと思う。
 自分のために使っていた時間はほぼ結菜の為に使う事になったが、不思議とこれまでの毎日より充足感はある。

 アルゼンチンタンゴは、レッスン中も結菜を見ていてくれる人がいたので続けていた。
クラシックバレエ等とは違い、2人で踊る事により完成するダンスで、基本、男性優位のダンスだが、男性を紳士たるものにするのが女性の役割で、そうする事によって男性は女性を輝かせてくれる。
 
 自分と結菜も同じかもしれない。
結菜がいなければ自分の人生は輝かず、結菜が輝く為には自分が必要だ。

 今までは自分のトラウマを自分が利用し、生き方を変えられない事を正当化していたが、結菜に変われるきっかけと勇気をもらったような気がする。

 他人が自分を見て幸せそうに見えるかどうかを自分の幸せの指標にするのではなく、自分が幸せかどうかを決めていいのだ。
 先が見えなくて不安に思っていた人生だったが、ゴールは先にあるものではなく、その瞬間瞬間にあるという事に結菜と過ごす毎日で気付かされた。

 由紀はアルゼンチンタンゴでの男女の関係性のような2人が、これからお互いに補完し、輝いて生きていこう心に誓い、結菜が飛行機料金がかかる3歳になる前に、アルゼンチンタンゴ発祥のブエノアイリスの港町ラ・ボカに行き、ここを2人のアナザースカイにしようと決めた。

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