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フジ自己紹介

突然だがこんな悩みはないだろうか?

・自分に自信がない
・コミュニケーションが苦手
・人を信じられない

これらは僕が運営してるフジータ一門の講習生によくある悩み。
そして、かつての僕の悩みでもある。
引きこもりの、陰湿で、さえないやつ。それが昔のフジ。

でも今の僕を知ってる人にそれを話しても絶対に誰も信じない。
合流するクラブのナンパ師、そしてどの女の子にもむしろキラキラ陽キャだと思われる。

今は毎日自分のやりたい仕事に熱中して、休みの日はいろんな男女に遊びやデートに誘われるになった。

これはポジショントークじゃない。
自分のことも本当に好きになったし、毎日が楽しくて仕方ない。

このnoteは僕が今まで誰にも話さなかった過去の体験を振り返って、自信のなさや自分のコミュニケーションなどの『やっかいな問題』をどう解決してきたかの軌跡だ。
このnoteを読むだけであなたのコンプレックス、悩みの解像度が格段に上がることを約束する。

ボリュームがあるから、サクサク読み飛ばして構わないし、時間のない人は【黒足→フジータ一門】の章から読んでくれたらいい。

最後に「女の子の心を鷲掴みにする傾聴力」と「自信の付け方」に対する、豪華特典をつけた。本気で興味がある人はぜひ企画に参加して欲しい。


フジ、小さな田舎街で爆誕!

小中高時代

小学生

僕の兄はにくらしいほど勉強ができて、永遠のライバルだった。

僕は小5になって中学受験のために兄が通っていた、中学受験専用の進学塾に通う事になった。

🤱「お兄ちゃんは進学塾でもっと優秀な塾に通うよう塾長に勧められたの
母はいつも手放しで喜んで兄のことを話すから、進学塾でどう評価されるかは母の期待に答えることだと子供ながらに理解していた。

僕は兄のように自分を”天才”だと信じ、その塾ならきっと自分の才能が見つかって兄に近づけるに違いないと思っていた。

しかし、
👨‍🏫『フジちゃんは集中出来ないから、塾をやめて、家庭教師をつけるといいと思います。
入塾2週間後の学長に母が言われた。母は激怒していた。

🤱「悔しい!フジちゃん頑張って絶対塾長のこと見返そうね!

帰りの車内で、母が僕に激励を投げかけるシーンは脳裏に鮮やかだ。

天才の兄と落ちこぼれの僕はなんとも対照的。
落ちこぼれの烙印を受け入れられず、無垢に遊ぶ同級生を見下すことでしか自分を癒せなかった。
こうして他人を評価し見下す癖がついていった。

中学生

中学生になってからは、勉強に身が入らなくて遊び呆けてた。
周りの人たちが自分より優秀でやる気がなくなってしまっていた。
それでも、学祭などのイベントを通しての”コト”造りは好きで得意だった。
人に褒められるのが嬉しかったから夢中でやり続けて、「オレには才能がある🤓」と本気で思っていた。
僕は難病にかかっていたようだ、中二病という名の。

”コト”造りの延長で、音楽も好きだった。
モテそうだし、バンドに興味があった。
🤓「オレはアーティストになるんだ‼️」
本気で思ってたのだが
ギター買ってほしいと母にお願いして笑われた。
🤱『勉強できなくなるし、受験に必要ないからやめたほうがいい』
この事は今もかなりムカついてる。

ADHDの症状が中学は一番ひどかった。先生からは不良扱いをされていた。そのせいもあってか成績はどんなに頑張っても低かった。
母には褒められるわけもなく、自己イメージは低かった。

中三で女性関係のトラブルに巻き込まれて部活のメンバーを中心にハブられる。
周りの奴らを見返したくて勉強も頑張っていたが、身が入らず受験に失敗

エスカレーター式で同じ私立高校に入学。
いつの間にか母は僕に期待はしなくなっていた。

高校生 

中学受験の失敗体験から、僕は彼女を作ったり好きな事をやることから距離を置いた。クラスでも友達と距離を置いて一人で勉強していた。

自分の学歴コンプレックスを解決することが最優先で悔しさが原動力だった。努力の甲斐もあってか成績はぐんぐん上がった。

母は本当に喜んでいた。
自分の承認欲求が初めて満たせた気がした。
勉強なんて正直言って嫌いだが、少しずつ面白くなってきていた。

ライバルの兄がメンタルを崩して大学を休学。実家に帰ってきた。
母は兄に呼応するように病んでいた。
僕にとって天才の兄が転落することは驚きだった。順風満帆だった兄の知らない一面を覗いた気がした。

この事がきっかけで母が兄と同じ精神疾患で20代の時に病んでいたことも分かった。
兄をベンチマークすることや母親が敷いた学歴競争に関して疑問と迷いが生まれた。
自分の知らない地獄が兄にあったことに気づいた瞬間だった。

ADHD診断

兄や母の影響もあって高校卒業時に精神科に行く。
この時くらいからADHDが世間に知られ始めていた。
心理士から正式にADHDの診断を受けた。

今まで自分の不出来を努力不足や頭の悪さだと思っていたから救われた気がした。

人には生まれ持っての向き不向きがあることを初めて知った。
心理学の研究では遺伝的要因でほとんどのことが決定することが分かっている。IQ、見た目、才能の有無などは残念ながら努力で変えることが難しい。
そう、いわゆる「うま星⭐️」だ。

でもその人の適正や環境をその人自身の才能や価値観に沿って変えることはできる。

社会に自分自身のパーソナリティを合わせようと努力するのではなく、
社会の中に自分自身のパーソナリティを合った穴場を見つけだす努力をするその上で自分にとっての成功を追い求めることこそが、人生を唯一豊かにする方法なのである。

スピリチュアルズから引用

兄の精神が病んだこととADHDの診断が下りてから心理分析に強い興味を持った。
僕はADHDの人たちの特性や脳機能、成功事例を色々調べた。
大学受験は失敗するが清々しかった。
勉強はもう諦めがついていた。

大学→引きこもり時代

ADHDを自己流で調べたり精神科医に聞いて行った結果、僕はアイデアを作る能力と言語能力がかなり得意であることがわかった。

中学時代の僕!?

🤓「やっぱアーティストしかないのでは!?」
思い返してみると、僕は中学時代にやっていた"コト造り"は好きだし得意だった。
母に「ギターやってみたい」と伝えて笑われたことを思い出した。大学でそんな体験ができたら楽しいだろうなと思った。もう後悔したくない。
怖いけど、やってみよう。

そして僕はイベントサークルを作った。
振り切って一年中サークルのことだけをやった。

誰かを見返してやりたいみたいな気持ちじゃなくて本当に好き勝手やっていたから楽しかった。

けど、どこかにまだ苦しさはあった。
イベントが失敗して「フジって大したことないじゃん」とか、「自分で自分にがっかりすること」が怖かった。

イベントサークルは成功した。
それでも僕は満足してなかった。なぜか?

サークルの皆に全く評価してもらえなったからだ。というか成果を上げるために自己中心的になっていて、サークルはギスギスしていた。
「なんでみんな会議に来ないのか」
「もっと自分に協力するべき」
本気で思っていたし、態度にも出ていた。
僕はいつも寂しかった。

ADHDの就職

一般雇用でのADHDの離職率は1年で37%
僕自身バイトで失敗が多く
総合職で出世する未来は見えなかった。

バイトで失敗して職場の居心地が悪くなる経験を何度かしていたから、普通の会社に入って出世していくことは厳しかった。社不である。

ADHDの仕事を友だちや精神科医や、カウンセラーにまで相談しても、誰からも大した回答は得られなかった。(人生を相談できる専門家がいてくれたらよかったのにな、と今になって思う)

自己分析で出てきた答えは、やはり”コト造り”だった。

かなり迷った後、自分なら会社も作れるはずと無謀にイベントサークル関係の仕事で起業する。
だって起業はADHDに向いてるってネットに書いてあったんだもん←安直
起業と言ったらキラキラしてるように見えるだろうが、会社で評価されるのが怖くて、自分に言い訳を作るための逃げの起業だった。

起業時代

2度チームを作って喧嘩別れした
メンバーが音信不通になったこともある
借り入れた金は毎月減っていって
引きこもりがちになっていった

恩師のAさんは心理学とコミュニケーション理論のスペシャリストだった。チームを作ることに課題感を感じていた僕は、Aさんから半年間コンサルティングを受けた。

コンサルティングを通して、今までのチームの失敗は僕自身のコミュニケーションの問題だと教えていただいた。

「勉強できる兄のように認めてもらえない」
「人を見下す」
「イベントサークルでの傲慢な態度」
「仲間に逃げらること」
「メンタルの崩壊」(後述)

これらはどれも僕自身の信念と価値観によって繰り返される問題であった。
それから、僕がおそらくアダルトチルドレンだろうと教えていただいた。

アダルトチルドレン(以下AC)とは、子どものころに、家庭内トラウマ(心的外傷)によって傷つき、そしておとなになった人たちのこと

COTREEのブログから引用

ちなみにACのナンパ師はグラデーションはあれど、僕の体感だとかなり多い。

Aさんとのセッションを通して僕は自分を知り、コミュニケーションの課題やACの問題と少しずつ向き合っていった。

僕はこれまでの人生でもずっと
僕じゃない『何者』かになりたかった。
天才は存在しないのに、虚構をずっと追いかけてきた。

起業もいつの間にか「金を稼ぎたい」とか「認めて欲しい」とかよく分からない承認欲求でがんじがらめになっていた。
僕は生まれてからいつのまにかいろんな人を見下していた。
人を見下してきたことで、いつの間にか僕はうまくいかない自分自身のことも見下すようになった。

ーーーーーーそして僕は発狂するーーーーーーー

引きこもり時代

起業に失敗した自分をどうしようもない無能だと思っていた。
人生においての停滞期でなにも手につかず
生きていることに対しても罪悪感でいっぱいだった。
1年半ものひきこもり期間ではひたすら心理学の本を読み漁って、自分がどうやったら元の自分に戻せるか、必死になって探した。

そして臨床心理士のBさんに出会う。
Bさんとのセッションで認知行動療法がハマって、薄皮を剥ぐようにして不健全な思考は回復していった。
この経験は文字通り「生まれ変わった感覚」だった。
AさんとBさんから教えていただいた知見はフジータ一門の僕らのコアバリューになった。
「自分の人生をこんなに真剣に向き合ってくれる人おらんよ」
というバリュー。

黒足→フジータ一門結成

黒足との出会い

リハビリの中で僕は、もう一生起業しないと決める。
ADHDを言い訳にして挑戦はすべて放棄だ。
僕は平穏に、安心して暮らしたい。
自分に向き合うこともせず、なんとなく給料がよくて楽そうな地元の会社に就職した。
田舎暮らしは退屈だった。
仕事してシコって寝るだけの毎日である。

そういえば中学で女絡みのトラブルに巻き込まれてから、女遊びを後回しにしてきたなと思うようになった。
『何者』かにならなければいけない強迫観念があったから後回しにしていた。

Twitterで調べてたらナンパ講習があることを知った。思い立ったが吉日だ!

僕はナンパ講習最大手の黒足に入った。
黒足を選んだ理由はサンジさんのノートがアツかったからと、ギブの文化が出来ていたからだ。

黒足講習がどれだけ素晴らしいかをここで書くと、このnoteの趣旨とズレるので割愛する。ご縁があって現サブ講師のはちさんに僕は弟子入りをした。実際、一人でやるよりもはるかに学習効率は上がった。

はちさんとのやりとりの中で、目的と手段を混合しないように注意するよう指導していただいて、女攻略の目標を考えた。

黒足の講習を通して何を得たいか。
考えた末に『自信』に行き着いた。
僕は黒足の講習で2つ目標を掲げていた。

1.初月10即の後、質追いと関係構築をする
2.同期の10期生が黒足でよかったと思える環境を作る

1に関しては29即という形で達成したが、関係構築は学べずじまいだった。

2に関しては、大学時代や起業時代に周りの人たちのことを考えれておらず、「チーム作りに失敗した」思いがあったから再度挑戦したかった。

結果、この目標は達成できた。
同期にありがとうと言っていただけることが多くてすごく嬉しかった。

自分の中ではナンパ講習で結果を出せたこともそうだが、この体験は大きな成功体験だった。

本当にやりたいことをしていたし、自分の漠然とした寂しさも埋まっていった。人が求めていることと自分が得意なことが初めてマッチした体験だったと思う。
自分のことを認めてもらえていないのは、自分の得意なバリューが必要な人に届いてないだけだと思えた。

決断

僕のミスや失敗は改善が難しいこともある。
会社では1番のダメ社員だ
それでも、「この人生のレールは幸せなんだ」と自分に合わない仕事でも言い聞かせていた。

だが、界隈で自分より若い人たちが自由に生きる姿を見たり黒足での成功体験を積んだりしていく中で、自分が仕事では『他人のものさし』で生きていることに気づけた。

僕はやっぱりずっと"コト造り"が好きだった。
僕は両親に自分が本当はやりたかったことを伝えた。
父は最初からわかってたようで、安心したようだった。母は少し不安そうだが、納得してくれた。

それから僕は上京し、起業活動を現在している。
大学時の逃げの起業ではなく、自分に合った仕事に取り組む前向きな起業だ。この心境の変化は、Aさんとのセッションで学んだキャリア論が大きく関係している。
自分でも何年もキャリア理論と心理学を学んできたことと自分に最適な手段を試し続けてきたPDCAからも、自分の適職に対しての解像度は確信に変わっていた。

logBizから引用

色々な失敗を積み重ねてきて、挫折も人より多かったけれど、そのおかげもあってか今では起業活動も少しずつ軌道に乗り始めてきた。

自分が得意で心が喜ぶ仕事を見つけるのに時間がかかったし、これからも変わるかもしれない。
でも、人間とは本来自分を問い直しながら変わり続けていく生き物だ。
あなたは満足のいく人生を歩めてるだろうか?

ベジータ登場

僕の話を黒足の話に戻そう。
黒足の講習が終わってすぐ、僕ははちさんにしていただいたように弟子をとることになった。
講習終わってすぐだから別にナンパが特別強いわけでもない初心者の僕がだ。

僕があの時ベジータをとったのは慈善活動ではない。
誰かに「ありがとう」と言われることが嬉しかっただけだ。

僕はポンコツで会社で一番怒られるくらい要領が悪い。
でもそれにすがるしか方法がなかった。
起業に失敗して引きこもってからやりたいことなんてなかったんだ。

だから最初は仕事で発散できない承認欲求を満たしていただけだった。

黒足の講師陣は文字通り最強だから、僕が彼にできるバリューを考えた。
ベジータの黒足に入ってきた目的は『自信をつけたい』だった。
これは僕の得意分野そのものだった。
そのことから逆算して彼の精神状態をヒアリング、分析し、ナンパのPDCAを回す中で新しい自分を見つけていく作業を徹底的にサポートした。

彼は目的を十分以上に達成した。
ただの即数稼ぎではなく、「本当の自信」が手に入ったことが見るからに明らかだった。
詳しい過程や変化はこの後のインタビューに載せたから、興味があればぜひ見てみてほしい。

黒足後、夜トラ会の講習を受けて4ヶ月で箱30即する。
クラブナンパを通じて、刺激的な世界を知って、女性理解が深まる経験は有意義だった。
夜トラ会ではクラブナンパのノウハウはもちろんのこと、本質的な思考力とプライドの高さをへし折って人格矯正をしていただいた。
フジータ一門がただの即数稼ぎなく、講習生の目的ドリブンでなりたい姿に近づける講習を目指していることはこの文化から来ている。

講習が終わった今でもお二人とは交流させていただいて学ばせていただいている、ありがたい限りだ。

フジータ一門結成

そしてベジータを誘ってフジータ一門は結成された。
一門は現在講習生が14人にまで膨れ上がった。

一門では僕が学んできた心理学を個人にカスタマイズしたコンサルティングと、女攻略のコンサルティングをしている。

一門を作ってみて僕が投資してきた心理的問題への知識投資が、多くの人に役に立つことが分かった。

もちろん自分がまだ知らない20代男性の問題はたくさんある。
僕たちはサポーターとして問題解決の手伝いをしながら、自ら学び続けてブラッシュアップされた講習にパワーアップしていく。

これまでの講習生からもありがたい声がいただけている。

講習生からマネタイズした方がいいとの声をもらうようにもなって、プロとして対価を頂いて取り組むことで責任ある関係性になる事の必要性も感じてきていた
11期ベジータインタビュー動画(ベジは自信を手に入れたのか?)
12期ハリーインタビュー動画(マイナス思考の認知行動療法とカウンセリング)

紹介が遅くなったがフジータの優秀なメンバーを紹介させてほしい。

ベジータ

ネトアポ勝率90%、半年で150即
キャバ/ラウンジ/配信者/コンカフェ/読モ/バーレスク/

初箱🧚‍♂️ハット
平日連続🦾ハット

ネト、箱どちらをとっても実力は講師レベル。
講習期間では社会人でありながら人並み外れたタフネスで40即をもぎ取った。
さらにベジータは人の長所を見抜く能力と人を安心させてくれる包容力がある。
僕たちのような個別のコンサルティングにおいて、その人の変化を信じる才能は絶対的に不可欠だ。
僕自身、彼がいたから自分がやっていることに迷いがなくなっている。

カーロ

ラウンジ/ミスコン/芸能/ライバー/キャバ/吉原/コンカフェ/メイド/声優/メンエス/
現在はストメイン、夜職に強い。
フジータのブレインとしてNo2の立ち位置でいる。
高学歴。批判的思考が強く僕のアイデアが実現できているのは彼との壁打ちのおかげだ。
女攻略の理解度、解像度も高いので講習生はクリティカルなアドバイスが定評がある。
隠れたムードメーカーでキャンプや旅行の計画は全て彼が立てる。
仲良く僕たちがいられるのも彼の遊び心あってだ。

黒足副代表のマビさんに講習としてマネタイズの相談をさせてもらってありがたいことに実績を評価していただけたので、フジータ一門はマネタイズが決まった。
マネタイズするのに一門なんていう『師弟関係』はおこがましいなと思って、講習の名前も変えて『フジータ』になった。(プチ重大発表、拍手👏)

最後にフジータのサービスとやっかいな問題の解決の仕方を紹介する。

サービス内容とやっかいな問題の解決法

フジータは自分の目標・悩みを集中的に解決する伴走型コンサルティングだ。
この形式をとっている理由は、
短期的な悩み相談は無意味だと思っているから。
長期的に行動原理や癖を見ながらアドバイスしないと、悩みの対処療法的なアドバイスになってしまう。

なぜならやっかいな問題は「一つの視点からでは決して捉えきれないもの」
だからだ。

黒足現役生は、カーロとベジータがコーチを担当している。
僕は黒足現役生以外の担当で、心理学(キャリア理論・コミュニケーション理論・認知行動療法….)を起点に顧客に合わせてオーダーメイドでコンサルティングをしている。
心理学と女攻略の相談は講習生の悩みに応じて強度を変えている。

コンプレックスの解消の仕方

ーーーー⚠️ここからかなり重要な話ーーーーーー
やっかいな問題が解消されることは難しいことは僕の過去のエピソードからも分かってもらえただろう。
noteではあなたの個人的な悩み解決の方法を記載するのは無理なので、今日からあなたでもできる3つのステップをここに書く。
これはあらゆる人の変容に効くものである。

やっかいな問題の例

「女はゴミという価値観」
「結婚は人生の墓場という価値観」
「金があれば幸せになれる」
「女性を信じられない」
「人と仲良くなるのが怖い」
「コミュニケーションがこわい」
「頑張ってるのに報われない」

1.自分の問題に気づく(認知)
やっかいな自分の問題に気づくことから自己変容は始まる。
大体の問題には、本人が自覚してない無意識の深い価値観や内面化したこだわりがある。
気づくきっかけは指摘をもらったり、自分と似た人を知る事などだ。

まずは自分の問題を気づこう。

2.問題を受け入れる(自覚)
自分の問題をきちんと受け入れよう。
変わることができない講習生に見られがちなのが、問題を指摘されても『はい、分かってるんです』という人。
自信がなくて指摘を受け入れらない。

今までの自分を否定し、問題を噛み締めよう。

3.解決法を調べて実践しよう(知識の獲得と実践)
その悩みの解決法はこの世界の知識に必ずある。
正しい知識にアクセスして実践しよう。
行動が伴わなければ形式的な知になって価値観などの内的変化は生まれない。
必ず行動に落としこもう。

参考文献 トランジション ――人生の転機を活かすために

最後に

このnoteがあなたのやっかいな問題を解決するきっかけになってくれたら僕は嬉しい。
次に変わるのはあなたの番だ。

最後にいつもお世話になってるベジータ、カーロ。
フジータの講習生黒足のマビさん、バンタンさんを初めとする講師の方々、夜トラ会講師の夜トさん、ライスさん。
僕を救ってくれたAさんBさん。
このnoteを書くにあたって協力してくれた思考箱の皆さん。
本当にいつもありがとうございます。

【特別講義】
discordの黒足サロンで、10月30日夜21時からライブ講義をします。
講義内容は自信の付け方をテーマに、より具体的な方法を紹介します。キャリアに約立つ自己分析の仕方にも触れます。
ライブ講義は今回限りです。
参加者限定の豪華特典も用意しましたので、お聞き逃しないように!

【一瞬で終わるプレゼントの受取り】
『女の子の心を鷲掴みにする傾聴力』と『自信の付け方』を無料でお渡しします。
僕のノウハウをかなり本気で執筆してるので受け取らない人損です

[参加条件]
Step1:感想を引用ツイートする。
(※適当なものはNG)



Step2:以下の特典受け取りLINEを追加し感想スクショを送る。
特典受け取り先
10月末に配布します!)


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