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認知症という診断は、誰のため?

何度か、このことについて書いてきた。本当の「認知症」というのがあるかどうか、どうでも良いが(本当の「うつ病」、本当の「統合失調症」なども同じ)、「認知症」もどきに、診断を下して、その人の人生を味気なくしている。味気ないくらいならマシかもしれない。中には絶望して「死にたい」と言い出す人もいる。
認知症と診断されて、その先の光があるというなら、まだ良い。認知症治療薬というものは、どれひとつ「治療」することはできない。いわく、進行を遅らせる。どの人がどれくらい進行するか、など分からないのに。中には、旦那さんの甲斐甲斐しい介護によって(お風呂で丁寧に洗ってあげたり、時間をかけて髪の毛を梳いてあげたり)認知症が全く進行しなかったのに、旦那さんが身体の病気で入院した途端、いろんなことができなくなり、退行も進んでしまった人がいた。クスリなど、ほぼ役に立たない。良い刺激と、何よりもひととして尊重されること。「認知症」という診断は、その人を尊重した診断となりうるか?私は100%NOだと思っている。

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