ダイハツ工業の不正を受けて、スペインで衝突試験エンジニアとしてインターンしていた私が思うこと

始めに、このnoteで日本が世界に依然として誇る自動車産業を牽引してきたメーカーの一つとして不正を恥じるべきだ、と主張をしたいわけではないことを断っておく。もちろんその思いもあるが、今回は毎日のように衝突試験やそのプロセスを身近で見てきたエンジニアだったからこそ思うことを中心に綴っていきたい。


感じたのは無念と憤りだった。


私は昨年8月から今年3月まで、自動車認証を行う企業の中でも、EUで大きなシェアを占めているApplus IDIADAというバルセロナ近郊の企業でインターンをしていた。その体験については過去の私のnoteに詳細を任せ、今回はPassive Safetyで扱う領域を少しだけ紹介したいと思う。

自動車認証企業と一口に言っても、バッテリー、ADASなど様々な部署があった。私が配属されたのはPassive Safety、まさに異常事態が起きた場合に人体の影響を最小限に抑えるためのシステムを専門に扱う部署だった。

事故が起きた時に、少しでも被害を軽減し命を守るシステムや車体を作りたいと思うのは、ステークホルダーの違いにかかわらず誰もに共通することだろう。あらゆる可能性を予想してプロトコル(満たすべき要件)やクライエントからの試験仕様書は書かれている。
EVが衝突して火災になると、火災を抑えることはまず難しい。水をかけるとバッテリーがさらに反応して爆発するため、大きな布で覆ってただ見つめることしかできない。EVで衝突試験を行うのは極めて危険であり、もしもにそなえて万全の体制で試験が準備されている。
子供が通常の位置に座らず、例えば後部座席で横になるような態勢になることは十分あり得る。そのようなケースで車が衝突した時も、エアバッグが子供の体を守るかを試験する項目もある。
後部座席に座った時、ヘッドレストが低いと感じてノッチを上げたことは無いだろうか?それは、乗客が原位置のヘッドレストを「不快に感じてノッチを上げる」ことによって、衝突時の鞭打ちを防ぐようにわざと設計されている(もちろん、原位置でも鞭打ちを防ぐ位置に設計されている車もある)。
シートベルトをつけない状態で鳴る警告音と点滅するピクドクラムに、初期信号と最終信号があること、波長がシンクロしている必要があることをご存じだろうか?
最新のプロトコルでは、車内に放置された子供を検知して警告するシステムの搭載が要求されていることや、それは乗客の体重の検知、シートベルトのつけ外しやドアの開閉などのアルゴリズムを用いて設計されていることはあまり知られていないだろう。
これらは私が仕事で見たPassive Safetyにおける領域のほんの一例だが、非常に細かく気配りがなされていることがわかる。

衝突試験には想像するよりもはるかに多くの人、カネ、モノがかかっている。
クライエントから書類をもらってチェックリストを作るプロジェクトエンジニア、実際に手を動かす技術士、ロジスティクスや財務を行うバックオフィスなどエキスパートが所属している。非常に高額なプロトタイプ一台を余すところなく絞り切るように使うため、整備や試験順序の組み立てなど、入念な準備が欠かせない。
そして、衝突試験には異常事態がつきもので、異常事態が常であるという矛盾した状況で最大限の工夫が凝らされている。届いた車両の部品の欠損、仕様書との食い違いはザラにある。私は一時期部品を探しすぎて夢の中でもひたすら部品を探していたこともある。一番驚いたのは、試験当日になってバッテリーが機能せず、他の車両とバッテリーを入れ替えざるを得なかったことだ。人間で言えば心臓の交換手術のような、前代未聞のハプニングである。
ハプニングに対処するために、さらにカネがかかる。新しい部品や車両を輸送する、プレ試験であれば試験をやり直したり追加試験を行う(プロトタイプの車や衝突試験は普通の人が想像しているよりもずっと高額で、インターン生が関わっていいのか疑問に思ったほどだ)、などなど。最初に引いたスケジュールがうまくいくなんて、誰かがよっぽど無茶するか、不正を働くかしないと実現しない。
そんなことをやっていると、一つのモデルを作るのに少なくとも3年はかかる。中国は嘘みたいに開発スピードが早いのだが…

衝突試験は単純な流れ作業ではなく、カオスなドラマである。ハプニングが起きた時、エンジニア全員の知恵を合わせ、そんな対処法があるのかと驚くこともしばしばある。クライエント、エンジニア、技術者それぞれが円滑なコミュニケーションを取ってこそプロジェクトが完成する。当たり前のように量産されている車は、Passive Safetyの領域だけを見ても莫大なコストがかかっている。

私が滞在中に得た大きな気づきのうちの一つは、エンジニアこそコミュニケーションが必要だということである。よりよい製品を社会に生み出すためには、誰か1人の突出したエンジニアスキルだけでは足りないのである。たとえプロジェクトが完遂しなかったとしても、道のりの中でクライエントとの関係性は深くなる。

だからこそ…
報道を聞き、馴染みのある様々な試験で虚偽、不正の文字が並んでいるのを見て、本当に残念に思った。もし自分のクライエントが数十年に亘り悠々に不正を行い続けていたら、試験の大変さを乗り越えた努力は何だったんだと怒りが湧いてくるだろう。分野横断的な技術を持って、人の生活をより安全で豊かにするのが自動車会社であるのだとすれば、今回行われていたことは全く持って無意味であり、無念でならない。消費者だけではなく一緒に関わったエンジニアも裏切られたという点は特に強調したい。
今回のニュースは、たまたまやってきたことと完全に合致しており、自分だからこそ書けることがあると思い筆を取った。このnoteを通じて、我が国の自動車メーカーの恥だと思う日本人としてではなく、衝突試験に少しでも関わったことがある大学生として何かを伝えることができれば幸いである。

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