見出し画像

病気を予告されたらどうする?

私の母は難聴だ。
40代の頃に発症し、両耳の聴力が交互にガクンガクンと落ちていった。
低音よりも高音の方が聞こえにくく、音が響いて被ってしまうため、聞き取りが難しい。
耳鳴りが途切れることはない。
50台後半になった今、女性の声はほとんど聞こえず、口パクで喋っているように見えるそうだ。
低音もだいぶ聞こえにくくなり、父の声を聞き取るのも難しい。
母の症状には補聴器があまり助けにならない。
医師には人工内耳の方が向いているだろうと言われている。

難聴というのは生命に直接的に関わる病気ではないため、これまで研究が後回しになってきた歴史がある。
それがまさに世間の見方というもので、母が耳について悩みを漏らすと、人によっては振り絞った励ましの言葉として「生命に関わる病気ではないのが良かった」と言う。

だが当人にはそんな言葉は慰めにならない。
母の耳鳴りの症状に波はあるものの、酷い時は鐘が常に鳴り響いている様だと言っていた。
鐘が永遠に鳴り響いている…想像しただけで頭がおかしくなりそうだ。

人と話すのが好きだった母。
しかし、健常者の中で会話をなんとか聞き取ろうと頑張って疲れてしまったり、周りに気を遣わせることが自身の心の負担になったりと、今は本当に限られた友人と時々会うくらいになってしまった。
経済的には安定していて、仕事もやめて時間はあるが、人と関わるような新しいことをしたいと思っても、それには多大なエネルギーと苦労が伴う。
今は1人の時間が1番楽なのだと言う。


母の難聴は遺伝性の指定難病だ。


私も50%の確率で今後発症する可能性がある。

母はそれを1番心苦しく思っている。
自分のせいで子どもたちや孫たちが苦労するかもしれない、と。

私は母を責める気持ちなどこれっぽっちも湧かないし、それは本人にも家族から十分に伝えているけれど、本人の中では割り切ることができない。
その割り切れない気持ちもわかるから、辛い。

遺伝なんて、良いものも悪いものも全て貰っているのだ。
難聴、糖尿病、緑内障、心臓病、発達関係の障害…
色々な遺伝性の病気はあって、どれが1番辛いかなんて甲乙つけることはできない。
それでも父と母からもらったこの遺伝子は、少なくとも今私の年齢まで幸せな人生を歩ませてくれた。
だからこの遺伝子に難聴が含まれていようと無かろうと、私はそれを受け入れる。


やろうと思えば、遺伝子検査で発症の有無調べることもできる。
もし検査で優性であれば、仮に40代で発症することを仮定し、私は自分の生き方をアレンジすることができる。

それが理論的で建設的なやり方だろう。

でも、私は怖い。
宣告など、受ける勇気がない。


もし優性だったら、どうすれば良い?
今できることややりたいことを徐々に縮小して、聞こえなくてもできることにシフトしていく?
夫や子どもの声が聴こえなくなる前に、一生分満足するくらい、会話をしておく?

限りある時間の中で、できることは有限だ。

音がなくなる人生に向けて、その準備をするために、今やりたいことをセーブしたくない。
それならば、難聴にならない未来を信じ込み、その恐怖を忘れ、やりたいことを存分に楽しみたい。

これまで自分の難聴の可能性を考えて、母の難聴に心から向き合えなかった。
でもその恐怖心に何か自分の心を型作る、大切な断片があるかもしれないと向き合いたくてnoteに書いた。

完全に向き合えたとは思えない。
母の症状をリアルに想像すると恐怖で眠れなくなるだろう。

母は数年後に人工内耳の手術を受ける。
人工内耳のことは私も怖くてしっかりと調べられないのだが、人によっては音程が無くなったと表現する人もいる。
母には父の声も、私の声も、可愛らしい孫たちの声も、声色がわからないようになる。

それ以上を想像すると、辛いので、この話はおしまい。

とにかく今言えることは、今やりたいことを先延ばしにせず取り組むことが全てだ。

母は辛い状況の中でも前を向こうと頑張っている。
手話の教室に通ったり、自然の中で自分を癒す時間を作ったり、孫たちの服を作ったり。
時々会ったときに母の笑顔を見ると、私は心を撫で下ろす。

また今後、もう少し向き合う気になれたら、ここにまた記していこうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?