やっぱり笑顔とパワーなのかもね
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
「ウチの社員には、技術もそうだけどもっと知識を学んで仕事に活かすってことを積極的にやって欲しいんです」
今までのことなのか今の現状なのかはわかりませんが、何かを思い出しながらそんなことをボソッと話してくれた経営者の方がいました。
会社の事業に関する知識を学習したり技術を向上させることについては、中小企業の経営者であれば社員の方に「是非やって欲しい」と思っているのは誰にも共通するんじゃないかと想像します。
ただ、その会社で働く個々の社員さんがみんな一様に「知識を学んで技術を向上させなければ」と考えているかと言えば「誰にも共通している」とは言えないのかもしれないなぁとも想像しています。
そんな風に思うのは、“社員”として働いていた期間が長かった僕自身が、「知識を学んで技術を向上させなければ」と考えるようになったのは働きはじめてから随分と時間が経過してからだったからかもしれません。
“以前の自分”は「給料をもらうために会社に行って、自分がやりたいことではない“仕事”というツラくて大変なことをやる」というように考えていました。
その当時のことを全て思い出せるわけではないので自分に都合よく記憶が編集されている可能性は多分にあるとは思いますが、僕が“仕事”について話をしたりグチを言い合ったりするような関係性にいた人の中には“以前の自分”と同じように“仕事”を捉えていた人が結構たくさんいたように記憶しています。
他にも、様々な人の“キャリア相談”を受けるようになってからも“以前の自分”と同じように“仕事”を捉えている人の話をたくさん聞きましたし「仕事は我慢料として会社からもらうもの」という話をしてくれる人にもたくさん出会ってきました。
もちろん、会社員として働いていて「“仕事”に関する知識を学んで技術を向上させるのは、仕事をしている以上は当たり前のこと」と考えている人にもたくさん出会ってきていますし、「知識を学んで技術を向上させないと仕事にならないからやるしかないんです」と考える人にも出会ってきているので、「世の中には色んな考え方をする人がいるんだなぁ」というありきたりな感想をもっています。
ただ、僕が出会って話を聞かせてもらってきた数多の中小企業で働いた経験のある人達をザックリと分けるとしたら、“以前の自分”のような「給料をもらうために会社に行って、自分がやりたいことではない“仕事”というツラくて大変なことをやる」と考えている人の割合の方がどちらかと言えば多勢なのかなという印象を抱いています。もちろん統計をとったわけではありませんし、あくまでも僕の観測範囲内の話ですから「ウチの会社の社員はそんな風には考えていないよ」とか「自分はそんな考え方はしていない」ということはたくさんあるかもしれません。そうであればそれはとっても望ましいことだと思います。
ただ、もしも仮に“以前の自分”のような「給料をもらうために会社に行って、自分がやりたいことではない“仕事”というツラくて大変なことをやる」と考える人が社内に多かった場合には、冒頭の経営者さんが言っていたような「ウチの社員には、技術もそうだけどもっと知識を学んで仕事に活かすってことを積極的にやって欲しいんです」ということについて希望を持っているだけでは、その希望はきっとかなわないんじゃないかなと思っています。
会社の事業内容や現状によっては「社員が“仕事”に関する知識を学び技術を向上させる」ということを、「やってくれれば嬉しいけど、別にやってくれなくても全然OKです」というwantの場合もあるとは思いますが、一方では「やってくれなければ会社が弱体化してしまってこの先は先細りしていずれ無くなっていく運命だ」というmustの場合もあるのかもしれません。
だからこそ、「社員が“仕事”に関する知識を学び技術を向上させる」ということは自社にとってどういう意味を持つのか?「やれば尚良し」なのか「やらなければならない」なのか、自社はそのいずれの状態なのか?ということについて考える必要があるんじゃないでしょうか?なんてことを冒頭の話をしてくれた経営者さんにも伝えました。
それを考えてみれば、「wantなのか?mustなのか?」の答えはすぐに出てきますし、その答えが出てしまえばその先に「どうするべきか?」の答えも自然に出てきてしまいます。
冒頭の話をしてくれた経営者さんも、「やれば尚良し」なのか「やらなければならない」なのかについての答えは結構すんなり出てきていましたので、その時点できっと「どうするべきか?」も考えているだろうと思ったので“問い”を投げかけてみたところ、苦悩を表情に浮かべつつ少し小さめの声で「知識を学んで技術を向上させるための取り組みを、会社としてこれからやっていくしかないですよね」と話してくれました。
この経営者さんはきっと「わかっているから、やる」という選択肢をとってくれるはずです。
でも、「どうなんだろうな?どうしたらいいのかな?」と一人で考えているだけだと幾つかの選択肢が出てくるのかもしれません。
例えば、
「わかっているけど“様々な事情があってやれない”(ということにしておいて、やらない)」
「“わからない”(ということにしておいて)から、やらない」
なんていう選択肢もとれるかもしれません。
だけど、「こうなったらいいのになぁ」なんて思うような自分の中の“希望すること”について、「それは、自分にとってwantなのかmustなのか?」という“問い”を立てると「どっちなのか」はこれが案外すんなりと自然に答えが出てきてしまっちゃうものなんです。
ただ、その“出てきてしまっちゃったもの”について、それをその後にどうするのかの“選択肢”はなぜだか「複数ある」ということになってしまう場合があったりして、でも最後には、「さあ、どっちなんだい?」からの「さあ、どうするんだい?」という己への問いかけを“中山きんにくん”のようにしていくしかないのかもしれません。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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