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それを忘れちゃおしめえよ

こんにちは。

株式会社プロタゴワークスあかねです。

「これって何のためにやってるんだっけ?」

この“問い”が自分の中で明確に存在感を放っている時には方向性や手法を間違えることは無いような気がしています。

一方で、方向性や手法を間違えていたことに気が付いた時には、この“問い”が自分の中から消えてしまっていたり見失っていたことに後々で気が付くことになります。

こうやって“今までの経験”を思い返してみると「そういうことだったんだ」とわかったような気がしてくるんですが、実際には“見失っている状態”の時には「見失っている」ということに気が付くことができません。

そして、「見失っている」ことに気が付くことができない以上は「気を付ける」ということもできませんし「意識する」ということもできません(それが“できる”のであればそもそも“見失っている状態”は存在しないので)。

だけど、“見失っている状態”はできるだけ短くしたいなと思うんです。

そうしないと方向性や手法を間違えたまま進んで行ってしまって、気が付いた時には当初“目的”にしていたはずのところから大きくズレていってしまったことに気が付く瞬間がやってくるかもしれません。

挙句、そこまで進んできた道のりを引き返すこともできずに、そのまま間違えたことを認識しておきながら進み続けるか、そこで進むのをやめてしまうかのどちらかを選ぶことになってしまうかもしれません。

それはそれで大変ですが、もしも「“目的”からズレたことに気が付く瞬間が来なかったとしたらどうなるのか?」について考えてみると、これはこれで恐ろしいというか何とも言い難い気持ちになってきます。

だからこそ、目的を“見失っている状態”をできる限り短くしたい。そう強く思うんです。

僕はそのために、冒頭の“問い”をできるだけ頻繁に自分に問いかけるタイミングを設定しておきます。

取り組んでいるモノゴトがあれば、毎日それに取り組む前に問いかけます。

「これって何のためにやってるんだっけ?」

やりたくないな、サボりたいな、と思った時に問いかけます。

「これって何のためにやってるんだっけ?」

全く思うように進まずに投げ出したくなった時に問いかけます。

「これって何のためにやってるんだっけ?」

そもそもの“目的”をできるだけいつでも自分の中に存在させ続けられるように、可能な限りいつでもこの“問い”を自分に向けるようにしています。

とは言え、いつでも思い通りのタイミングで自分で自分に“問い”を向けられるわけではありません。

今日も、今取り組んでいることがなかなか上手く進まずに“目の前のこと”に囚われてしまってうっかり“目的”を見失っていたタイミングでは「こんなことやってても意味あるんだろうか?時間が無駄に過ぎて行くだけなんじゃないのか?」なんて思ってしまいました。そして自分で自分に“問い”を向けることもその瞬間は頭の中から消え去っていました。

そんな半ば投げやりな感じになった時に、たまたま仲間と対話をするタイミングがあって色々と話す中で、この“問い”についても考えるタイミングがやってきました。

自分で自分に“問い”を向けるのが難しい時には、誰かとの対話でその“問い”を向けることができたり、本を読んで本との対話で“問い”に気が付いたりすることがあります。

そうやって幾つかの方法を用意しておくと、自分でなかなか気が付けないけど絶対に忘れちゃいけない“問い”を、必要なタイミングで自分に向けることができる可能性を高めることができるんじゃないかと思っています。

「これって何のためにやってるんだっけ?」

この“問い”について考えることで出てくる“そもそも”の部分が、自分のやらなければならないことを明確にしてくれるはずなので、今日の僕のように「なんか上手く言っていない感じがする」っていう時にこそこの“問い”にまずは立ち返ることが重要なのかもしれません。

とは言っても、この“問い”を自分に向けて、それについて考えて、考えたことと“今の状態”をしっかり見比べてみて、修正するべきことを考えて・・・なんて進めていくのは何度経験してもいつでも「痛い…」と感じます。

だけどそれでも、“目的”に近づいていくためにはその“痛み”を避けて通ることはできないものなので、肚を括って行くしかないんだよなぁ、やっぱり。



あかね

株式会社プロタゴワークス

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