なぜ小説の創作論はすれ違うのか?

 SNS上では、今日もどこかで創作論が炎上しています。

 でも、別に創作論だけが炎上しているわけではありません。世の中には似たような構造で炎上している案件はたくさん存在します。

 この構造は、SNSだけに留まらず、受注者と発注者の意思疎通の齟齬や、トラブル時の責任論など、現実世界でも同じようなことがおこっています。おそらく、この構造を知っておくと、世の中で理不尽と感じる事象は半減するでしょう。

 と、いうわけで、今回のテーマは「なぜ小説の創作論はすれ違うのか?」です。もったいぶるほどのものでもないので、結論から言うと、「人によって前提が全く違う」、もしくは、「自分の前提すら把握していない」というのがすれ違いの原因になります。

 この「前提」は、人によっては「常識」や「当り前」、「普通」などに組み込まれている場合が多く、多くの場合議論の俎上にあがりません。そして省略されてることすら意識されていません。

 では、思考実験してみましょう。例えば、「自分の小説を読んでもらうためにはどうすれば良いのか?」という議論で前提の違う①~⑤の5人が議論をしたとしたら、どうでしょうか?


①小説は書籍化するために書いている
 →読者の需要を分析して小説を書く
 →もちろん広報手法も流行のものを採用する
 →伝えるために文章はとにかくわかりやすくする
 ★需要重視でプロになりやすい
 ★求められる作品をサラッと書ける
 ★業界で生き残っているエンタメ作家さんに多くいる

②小説は自分の想いを多くの読者に届けるために書いている
 →自分の想いの中から需要がありそうな内容のものを書く
 →自分の作品を読んでもらうための広報手法を試行錯誤する
 →伝えるために文章をわかりやすくする
 ★ランキング上位、兼業エンタメ作家さんに割といる
 ★組織創作の歯車になるのは苦手

③小説は自分の想いを吐き出すために書いている
 →とにかく自分の書きたいものを書く
 →需要はニッチだが、読まれないと病みがち
 →文章にこだわり、芸術的な方向を追い求める
 ★文学指向強め
 ★世の中に対し、強い理不尽を感じている

④小説は趣味と割り切って書いている
 →自分が楽しいと思ったものを書く
 →同好の士が多く、本人は意識していないが需要も高い
 →アクセス数を気にしない
 →文章はあまり深く考えていないが、なぜかハイレベル
 ★得体の知れない化物が潜む層
 ★大当たりすることがあるが、2発目は難しい
 ★そもそも創作論に興味がない

⑤小説は賞賛されるために書いている
 →自分が何のために書いているか自覚していない
 →プライドが高く、的外れな方向に努力を重ねる
 →自分のやり方に固執し、既存の知識を否定する
 →アクセス数や評価至上主義
 →思った評価を受けられないと環境のせいにする
 ★非常に攻撃的
 ★議論の軸も小説の軸もブレがち


 おそらく、①や②の人、③と④の人はそれぞれ前提が近くコミュニケーションできるでしょうが、そのほかの組み合わせで混ぜると、議論はすれ違って平行線となります。

 別にどれが正しいというつもりもなく、単に「前提が違うと噛み合わない」ということを言いたいだけです。

 自分がどの立場、前提を選ぶかによって、落としどころとなる答えの近似値が変わります。

 自分と違う前提の人と議論をせざるを得ないときは、その辺を推察して心を広く持つか、わかったフリをせず前提からすり合わせていきたいものですね。