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新技術に「ピンと来る」

半導体技術、特にリソグラフィ界隈でのこの20年ちょっとの思い出を語ってみます。

ハードワークが収益につながった1990年代

半導体リソグラフィにおいて、1990年代のDUV(エキシマレーザープロセス)普及と平坦化プロセスへの移行は、gi線が担った旧ラインと地続きでした。目新しい装置群は増えたもののライン構成がドラスティックに変化したわけではなく、1990年代に叩き上げられた生産技術者・設備技術者は持ち前のハードワークで安定化に漕ぎ着け、その後もいわゆる「すり合わせ」で強みを持続することが可能でした。

リアルな現場はどうだったか。CMPほんとすげえ!ってなりました。HDP成膜からの山崩しとWプラグ埋め込みからスタートし、今までのデバイス形状段差、配線段差で俗人的に対応していたトラブルが体感8割以上解消された。

(※顕微鏡で見ると、層間酸化膜は透明で、かつ交差している配線は交差点で盛り上がっており、これが重なった部分や逆に低い部分がデフォーカスや残渣のもと(ホットスポット)になるのだが、これがほぼ解消した感じです)。

新規技術が続々勃興した2000年代

2000年代半ばに潮目が変わります。次世代はちょうどEUVか直接描画かNILか、がテクノロジーシンポジウムを席巻し始めた時期。「反射型マスク…?」「錫滴下…?」この辺りで大多数のデバイスメーカと技術者が「ピンと来ん」状態となった。並行してArF延命も動いてたから、追いかけるモチベーションも極めて限定的。自分の業務には関係ないし、自分たちが働いているの時代で実現できるものではないでしょう?とすら考えていた節がありました。

自分としてはEUVが直面する超絶な4大ハードル(反射光学系、マスク、レジスト、レーザー出力)をみんなで利害超えて解決していこうぜ!という熱をSEMICONやSPIEで感じられていたのでオラワクワクすっぞとひとり盛り上がっていましたが、この将来の技術について社内で話ができる仲間はほぼ皆無でした。

人材確保の乖離が広がった2010年代

2006年にEUVアルファ機がASMLから発表され、2015年ついにNA0.33の量産出荷がされるました。リーマンショックや政治的不安も挟まったこの期間、各社の技術者の人材確保・育成の状況は大きくばらつきます。2000年ごろバリバリCRで働いていた30歳台のエンジニアはこのころもはや50台、後進に「新規技術立ち上げ」の喜びと苦しみを伝承する間もなく一線を退きはじめます。

最終製品(後工程)のライフサイクルは多様化する中、先端の前工程は人生のスパンで安定化する必要がある。最早ものづくりではなく国づくりに近い。その意味で長期的人材育成は重要。… でも当然ながら言うは易し、お金もノウハウも覚悟も必要だし何しろ肝心カナメの「人」の総数がますます足りない。

勝負どころの2020年代

嘆いてばかりでもしかたない。半導体は先進企業・事業・製品にどうしても注目は行くものの、既存の生産工場も維持し続けなけらばならない。しかし少子化や高齢化の数字を挙げるまでもなく、新旧技術入り混じる中立ち回ることのできる人材確保は正直なところ厳しい。

そこで2000年代のセミコン最盛期に(不覚にも)感じてしまった「ピンと来ん」がヒントになる。エンジニアは、技術に対して「熟知」するよりも前に「ピンと来る」ことが大事だ。たしかに先端技術の主役は国外リソースの掛け方も違う。でもCMPで段差を真っ平らにできたときに「お、なるほど?」感を覚えてるおっさん達は、減少しつつもまだまだいる。

こういったアハ体験含めた技術者養成。成功体験とは少し違う、ブレイクスルーを追体験できる育成が何とかできないものか。それこそ半導体以外の新規業界にレンタル移籍させるもよし、競合間で一時的な人材スワップでも構わない。そんなスキームが事例として増えていくととても良い。(一度進めようしましたが背反も多く実現かないませんでした。それはまた別のお話し)

育成も大事、あと「ピンと来やすくする」ための業務標準化含めた環境づくりも両輪で大事。リソースと工夫の掛け算で頑張ってまいりしょう、管理職のみなさま。

ゼロサイデイコウヨシ。

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