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あの頃の自分に会いに行く。

2024年4月27日。
朝からNetflixで『シティーハンター』を観て、Tverで『アンメット』の2話を観る。どちらも少しだけ泣きそうになりながら、いい作品だなぁとしみじみ。
夢中で観てるわたしの隣でめずらしくりく(猫)の鼾のような寝息が聞こえる。鼻詰まってるのかな。
まぁ、とにかくいい週末のはじまり。

***

ところでわたしは先週、1泊2日で東京へ行ってきた。ライターになりきれなかったころ①でも書いた「写真展」を一緒にやった2人の友人に会いに。3人で最後に会ったのは、そのうちの1人の結婚式で、約16年前になる。

東京旅行の話が出る少し前、実家で自分の荷物の整理をしていた。20歳のころから写真が趣味で一時期仕事にもしていたので、実家に残るわたしの荷物といえは写真にまつわるものがほとんど(あとは本)。カメラのコレクションというわけではなく……フィルムカメラで撮っていたから、ネガとCD-R、プリントした写真でダンボール数箱分。

ネガアルバム。
入りきらないものがまだまだある。
現像と同時にデータ化してCD-Rに。
これも大量にある。

このときに、今回会った2人の写真や写真展に出した作品も出てきたのでたまたま見返していた。そのせいか当時の記憶が鮮明で、2人と会った時の懐かしさや感激も倍増。捨てずにとっておいてよかったと心から思った。

写真を撮ることが趣味というより日常だった時期を一緒に過ごした友人と会うことは、そのころの自分に会うことでもあった。大げさでも社交辞令でもなく全然変わらない2人を見ていたら、少しだけ無理をしていた最近の自分を知ることができた。

肩の力が抜けた。

カメラ女子、なんて歳じゃなくてもカメラを持ち歩いていいし、
服装や髪型だって、似合わないくせに大人ぶってオフィスカジュアルを目指さなくてもいい。

歳を重ねても、環境が変わっても、好きなものを諦める必要なんてない。

東京から帰る新幹線のなかで、わたしはとてもすっきりとした、何か憑き物が落ちたような感覚を味わっていた。

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ずっと、わたしにとって写真=フィルム写真だった。この25年の間に世の中がどうなろうと、変えられなかった。これには大層なこだわりがあったわけではなく、わたしはもともと機械音痴でデジタルカメラを使いこなす自信がなく、最初に覚えたアナログなフィルムカメラのシンプルな構造と、オールドレンズの写りが好みで、全体的に相性がよかっただけだ。

ただ、デジタルカメラの普及とともにだんだんとフィルムの値段が上がり、以前ほど気軽に買えなくなった。現像にこだわって丁寧に仕上げてくれるお店も少なく、郵送でのやり取りに手間がかかる。そういったもろもろが生活スタイルとも合わなくなって、カメラも引っ越しの機会に少しずつ手離し、以前のように趣味だとは胸を張って言えないくらいに遠のいてしまった。

写真を撮ることはずっと変わらず好きだ。
今はスマホでも(という言い方が失礼なくらい)いい写真が撮れる。でもわたしにとっての「写真を撮る」ということは、撮って残すだけじゃない。お気に入りのカメラを持ち歩いて「撮りたい」という衝動があって、切り取った瞬間が写し出されたところを想像しながら露出やピントを合わせて丁寧にシャッターをきる。フィルムを巻き上げる。そういう一連の動作を繰り返すこと。それには、シャッターを切る度に自分の気持ちがクリアになっていく感覚があって、わたしがわたし自身でいられる唯一の瞬間だと自覚していた。

年月が経ち、環境が変わって、手離したり失ってしまうものがある。
でも、縁があれば必ずまた出会えると、わたしは信じてる。ものでも、人でも。

ちょうど1年前、『OLYMPUS-PEN EE-2』というハーフサイズのフィルムカメラを手に入れた。

はじめてのハーフサイズカメラ。

写真を自分の中から手離したことはずっと心残りだった。あの瞬間を失くしたことで自分のなかの何かが欠けている感覚がずっとあった。だからもう一度、一からはじめてみようと思っていた。これがわたしの原点だと、今でもそう思えるから。

そう決めるだけで、何か大切なものを取り戻せたような気がしている。単純だなと我ながら思うけど、「好きなもの」ってそういうものだよね。理屈じゃなくて。
実はフィルムカメラじゃないんだけど、手に入れたいカメラがある。すぐに手が出せる金額ではないけど、今年中にはなんとかなるかな。頑張らないと。

昔撮った自分の写真たちを見ながら、これからに想いを馳せる。
撮りたいものが沢山ある。


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