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高尾山ノスタルジア No.19:十三州見晴台

高尾山山頂の大見晴台は、かつて、「十三州見晴台」の呼び名が付けられていました。文字通り山頂から十三ヶ国が見渡せたということに由来するのですが、その内訳は:

①武蔵②相模(このふたつはふもと)
③安房④上総(房総半島は空がクリアに晴れれば見える)
⑤下総⑥常陸(こちら方向も空がクリアに晴れれば筑波山まで見渡すことができる)
⑦甲斐(道志山塊、富士山、南アルプスなど)

と、ここまでは自信ありますが、

⑧上野⑨下野(昔は赤城山や日光男体山が見えたらしいのですが、現在こちらの方向は木々が生い茂り眺望に乏しい)
⑩伊豆(天城山が見えると誰かが言ったらしいのですが…うーん?)
⑪駿河(もしかして富士山をダブルカウント?)
⑫信濃(何かが見えているような気はしますが…何かが!)
⑬越後(ホンマかいな)

はい、以上「約七州見晴台」からお送りしました〜。

雪にうっすらと覆われた早朝の高尾山山頂大見晴台。道志山塊と大室山を左右に従えた富士山の凛々しい遠景は、高尾山山頂を代表する景色です。
昭和9年(1934)の登頂記念スタンプがある絵葉書に残る、高尾山山頂大見晴台からのパノラマ遠景。中央に道志山塊と大室山を従えた富士山が見え、その左手には蛭ヶ岳を擁する丹沢主脈、右手には(小仏)城山へと連なる高尾陣馬主稜線の尾根が見えます。(注1)
大正3年(1914)の登頂記念スタンプが押された絵葉書に残る、高尾山山頂大見晴台から望む富士山遠景の写真。大室山や加入道山、御正体山そして道志山塊を従えた富士山の姿は今と全く変わりません。山頂は簡素なベンチとテーブルがあるだけで、木立もなく、極めて開放的であったことが伺えます。(注1)
昭和8年(1933)以降に発行されたと推定される、戦前の高尾山山頂から(小仏)城山を越えて陣馬山まで続く高尾主稜線の尾根方面の遠景。こちらの写真からも、この頃の山頂には木立がなく開放的であったことが伺えます。(注1)
ひとつ上の絵葉書の写真と同様のアングルで撮影した、現在の高尾山山頂から(小仏)城山を越えて陣馬山まで続く高尾主稜線の尾根方面の遠景。現在は木々が茂って、尾根を見渡すことはできません。
上2枚の写真のアングルから、若干左(南)方向にパンしたアングルの写真。昭和8年(1933)以降に発行されたと推定される戦前の絵葉書に残るもの。現在山頂からは茂る木々に覆われてもみじ台を望むことはできませんが、この頃はもみじ台から(小仏)城山へと至る尾根があらわになっています。写真ではもみじ台に2軒の小屋らしきものが確認できますが、現在は細田屋1軒があるのみ。この当時の細田屋が写ったものでしょうか。(注1)
昭和8年(1933)以降に発行されたと推定される、戦前の絵葉書に写る高尾山山頂大見晴台から撮影した富士山と南アルプス方面の眺望。当時山頂にあった三角点のやぐらから撮影したものか。甲州の峰々が写る素晴らしい眺望です。「左方は富岳右は白馬」との説明がありますが、この「白馬」が何を指しているのかは不明。(注1)
昭和8年(1933)以降に発行されたと推定される、戦前の絵葉書に写る高尾山山頂大見晴台から撮影した南東方面の眺望。現在この方向には武蔵小杉のタワーマンション群や横浜の高層ビル群が見えますが、この当時の未開発の平野が一面に広がります。(注1)
ひとつ上の写真と同様のアングルから撮影したもの。かつては何もなかった平野には、こんにちも連綿と続く開発のしるしが。

現在山頂は主として西から南回りで東の方向に眺望が開けていますが、それ以外は木立に覆い隠され遠景を望むことはできません。しかし、大正昭和初期の絵葉書に残る山頂の写真を見ると、山頂の木は低くまばらで、これであれば、十三州見晴台の呼び名にふさわしい全周に開けた眺望だったのでしょう。

高尾山山頂は神奈川県最高峰蛭ヶ岳を擁する丹沢主脈の峰々と正対し、東は二ノ塔から西の大室山まで連なる稜線を仰ぎ見る位置にあります。高尾山から見えるということはあちらからも見えているはず。しかるに、丹沢表尾根や丹沢主脈を縦走するときにいつも目を凝らして探すものの、丹沢の峰々と違って高尾山周辺は低山の巨大な山塊で特徴的な峰がないため、高尾の山々の山座同定は(少なくとも私には)困難です。

高尾山山頂より、南アルプスから富士山方面。東から南にかけての眺望。
山座同定
同じく高尾山山頂より、富士山から丹沢方面。南から西にかけての眺望。
山座同定

そして、高尾山から仰ぎ見る景色といえばなんといっても、山頂からの富士山の遠望。特に、霞がなく空気が澄んだ冬晴れの日、傍に大室山と道志山塊を従えたその姿は霊峰の名にふさわしい凛々しさです。冬至には、太陽が真っ直ぐ富士山の真上から沈むダイヤモンド富士が観察できます。この時期は、その神秘的な姿を撮影する人たちで山頂は大混雑します。

富士山にどうしても目を奪われてしまうのでほかの印象が弱くなってしまうのは仕方がないのですが、山頂からの相模湾、三浦半島、房総半島ならびに関東平野の眺望も素晴らしく、空の見通しがよければ塩見岳や、西農鳥岳から連なる南アルプス南部の稜線も遠景に望むことができます。

大見晴台にかつてあったレストハウスが写る貴重な写真。(注1)
昭和50年(1975)に国土地理院が撮影した航空写真に写る高尾山薬王院と山頂。ここに上述の、
今はなき山頂レストハウスの屋根が写っています。どれだかわかりますか?(注2)

現在大見晴台として展望台が整備されている場所には、かつてレストハウスがありました。首都大学東京観光科学科川原晋研究室による「高尾山 観光まちづくりオーラルヒストリー」に高尾山十一丁目茶屋四代目高城正守さんの山頂レストハウスに関する証言があります。以下に引きます(*1)。

「昔は頂上にレストハウスがあったんですよ。山の茶店がみんなで集まって、管理と運営をしていたんです。 でも今は壊しちゃったんですよね。」

この施設がいつ建てられいつ解体されたのかは不明ですが、昭和50年(1975)に国土地理院が撮影した航空写真に、それらしき建物の屋根が写っているのは確認できます。

山頂からの景色がもちろん最大のご褒美なのですが、山頂近辺は貴重なスミレの宝庫でもあります。人で賑わう山頂は人の手が入りすぎていて野草をみつけるのは難しいのですが、山頂からちょっとおりて、5号路など山頂周辺を散策すると、春の季節になればかわいいスミレとの素敵な出会いがあります。

高尾陣馬エリア広域地図。高尾山エリアは、広大な高尾陣馬広域エリアの一部に過ぎない。
(注3)

高尾山に登りに来る多くの方々にとって山頂はゴールだと思います。ですが、高尾陣馬エリアにおいて、高尾山エリアは小さな一部にすぎません。登山をたしなむひとたちにとって山頂は、ここから始まる広大な奥高尾の入口。高尾陣馬エリアは、高尾山と陣馬山の間に連なる稜線を走る高尾陣馬主稜線と、それを囲む北東南各山稜から成る広大な山塊です。これらを全て踏破して、初めて高尾の真髄を知ることができるのです。


(注1)
《写真ならびに絵図に関する著作権について》
表示している写真ならびに絵図は、旧著作権法(明治32年法律第39号)及び著作権法(昭和45年5月6日法律第48号)に基づき著作権が消滅していると判断し掲載しているものです。
掲載している写真絵葉書は、全て著者が個人で所有しているものです。
本稿掲載の著作物の使用ならびに転用の一切を禁じます。
参考資料:文化庁 著作物等の保護期間の延長に関するQ&A

(注2)
《国土地理院コンテンツ利用規約に基づく表示》

出典:国土地理院HP 地図・空中写真閲覧サービス
整理番号:CKT7416-C49-3
撮影日:昭和50年(1975)1月3日

(注3)
《国土地理院コンテンツ利用規約に基づく表示》

出典:国土地理院ウェブサイト(地理院地図:電子国土Web)
地点強調は筆者加筆

*1
首都大学東京 観光科学科 川原晋研究室、「高尾山 観光まちづくりオーラルヒストリー」、八王子市、2019.6、P.104


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