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医療従事者が、モノサシが無くて知識の答え合わせを出来ないと言う現実

勉強会では「先生業と言う名の不幸」という言葉を説明しています。

これは
「学校卒業して免許を取り「先生」と言われる職種に就くと、自身が社会人的に成長しきっていなくても「先生」なので、間違いを指摘されづらく正しい知識の取得を阻害される」
というもの。

仕事の成長のみならず、社会人としての成長があるか否か?は、いわゆる一般人の感覚からの差が重要になります。

この感覚の差は、バカに出来なくて、気がついたら
「あの先生、仕事は出来るんだけど社会人として・・・」
ならまだ良くて
「社会人として終わってるって・・・いや、仕事の腕云々の話じゃないよね」
という本当に仕事の実力があっても、社会人として追いついてないが強制的にリンクされて、仕事の評価も同時に下がる・・・という事にもなりかねません。

今どきは「仕事さえ出来ればOK」的な考えは通用しません。そんな昔の遺跡の様な考えは、昨今のコンプラ至上状態ですと世間から排除されかねません。

先生業でいると「先生だから間違えるわけがない」「先生に間違っているなんて言えない」が相手に出てくるので、モノサシも得られないし、世間ズレがどんどん進行するのです。

「怒られているウチが花」ということ。「言っても無駄だから言わない」・・・不幸の悪循環。

追い打ちをかける不幸が「指摘される事への耐性が低くなる」

言われ慣れて・・・まぁその言葉もオカシイですが、いつの間にか「自分の方が修正すべき点がある」という事も見抜けずにそういった思考にもならない。

幸運にも、間違いを指摘されても「なんだと!俺は先生なんだぞ」が先に出てしまうと、完全に老害扱いになりかね無い。

いや・・・そこまでの年齢行ってなくても、こういうバイアスになっている事って、結構多い。

バイアスになっている傾向は

・療養費なら保険者、自賠なら保険会社が払わない事を「不当に払わない」と自分の請求に問題があることを考えない

・仮に、アドバイスする人間がいたとしても、耳障りの良いアドバイスしか無意識下で受け入れない

・基本的に、自分の知っている知識を基準に考えるので、変更点があればそれに文句を言う

これらを若年性老害・・・とでも、名付けましょうか?

この様な状態は変化を嫌うために、これまで無かったモノサシもないために、進歩もなくなります。
当然ながら、新しいモノサシもないので、文化として是正されません。

さて、このモノサシが無い状態における、昨今気になった事例をお伝えします。

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