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だれ?「交通事故は無くなる」とか適当な事を言っていた人は?

柔整あはきの広告検討会も再開され、いろんな事が再開され始めています。

行事的なとか、趣味的な、とか非日常も混じって人が集結する行為が憚られていましたから、この「日常に戻っていく」というやりとりは、一社会人として喜ばしい限りです。

人が活動すれば、その分の社会的なトラブルも統計的には増えて行きます。
交通事故もそのウチの1つであって、医療従事者にとって対応業務の1つでもあります。

しかしながらその業務の1つが、歪んだ方向で祭りあげられていた異様な時期があります。
そう「交通事故患者さんを救済しようキャンペーン」です。

私の分析的に、2010年代に入って厳し敷くなってきていた療養費。
接骨院の増加に伴い、牌の奪い合い現象も含まれてきて、なおかつ適正な利用を促進されてきたことから「誤魔化しが出来なくなってきた」という状況でもありました。

「厳しくなった」は、違った解釈の言葉と踏まえています。

さて、加速を決定的にしたのは2013年の改定で、この頃から健康保険を使った療養費においては、特に部位数においての制限が一気にかかり、競合他者との収益確保もあって一気に「自費移行」のスキームが生まれて来ます。


健康保険適用にあいまいなら、患者さんに公的保険ではなくお金を出して貰おうという流れは健全化の特徴でもありました・・・

しかし、同時にあったのが「自由診療で高単価な交通事故(ジバイ)にチカラを入れよう」でした。

しかし、現在においては当時に比べると縮小気味・・・経緯は、このマガジンを拝見している方なら知っているかと存じます。

その際に
「交通事故は今後無くなるのだから、チカラを入れている場合じゃない」
として、発信していた方もいます。

・・・本当に?

私から見て、その代わりの問題も出て来ているんですが・・・というのもあるので、ちょっと調べたことも含めて報告します。

というか、よくまぁ根拠も無しにそんな事言えるよ・・と、思う所もあります。

①「交通事故なくなる論」の主張は

②じゃあ、統計で見てみよう。他に見えることが出て来た

③目前の現象だけが世界で起きている事でもない

④懸念する「無責任発言」からの副産物

の4つでお送りします。


①「交通事故なくなる論」の主張は

「交通事故は今後無くなるのだから、チカラを入れている場合じゃない」これが某コンサルからの発信でした。

私としては「交通事故は今までと違う方向にシフトするので、応用出来る為に、原理原則を抑えよう」でした。

この根拠無き極論は何故に生まれたのでしょうか?
2つ考えられます

・交通事故事案偏重を愁いだ
→本来は業務の一環であった・・・それが目的である事は違うんじゃないのか?という戒めもあったのかも知れません。

・昨今の技術進歩から交通事故減少を報道で知ったので、それを流用した
→この所、衝突安全装置の技術開発は目覚ましいモノです。
2016年に買った私の車にも「トヨタセーフティセンスC」が搭載されてますが、7年経った今では自動運転的な機能まで有した車種があります。

実際に、交通事故そのものは「減って」はいます。
しかし・・・

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