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"私的"『さんふらわあ』史

 晩ご飯を終えて一息つきながら、昔の写真を整理していた。
 こんな写真が出てきた。

『さんふらわあ きりしま』

 『さんふらわあ きりしま』といっても、これは先代(and初代)の『きりしま』です。
 この写真を撮ったのは、教育実習を終えたあとの大学4年の夏だったような・・・。だから、2005年ですね😅
 母の郷里鹿児島に帰省する両親を、大阪南港の”かもめフェリーターミナル”まで見送った折に撮影したことは覚えている。

そうそう、天気が大層悪かったことを思い出した。
乗船待ちしているクルマにも時代を感じられます。

 もっとも、『きりしま』と最初に接点を持ったのは、小学校3年か4年の時だったと記憶している。
 この時も鹿児島に遊びに行くときに乗船したのが『きりしま』だった。
 ただ、私と『さんふらわあ』との関わりはもっと古く、妹が生まれて間もない3歳もしくは4歳のころだった。
 生まれて初めて乗ったカーフェリーは『さんふらわあ11』だった。
 出航前の後部デッキから仰ぎ見た2本のファンネルに「メッチャ大きな船に乗ってるんや😄」と幼いながらに胸がワクワクしたのを思い出す。
 思えば、私が船好きになった原点は、ここにあるのかもしれない。

https://zousen-shiryoukan.jasnaoe.or.jp/wp/wp-content/uploads/item/funenokagaku/funenokagaku-vol27-11.pdf

 『さんふらわあ11』の写真より、彼女が就航して間もない1972年11月の『船の科学』誌11月号をご覧になった方が面白いと思いますので、上にURLを貼り付けています。
 建造した来島どっく設計部自らの紹介記事ですので、読み応えがアリマス😎
 ただ、肝心の『11』の内部については、ほとんど覚えていない。
 ロビーに置かれていた彼女の模型と、とかく薄暗かった印象しかない。
 恐らくこの時代のコトだから、木目を強調した重厚な内装だったのではないだろうかと勝手に想像する。
 それ以来10年ぶりくらいに『さんふらわあ』に乗船すると知って心躍ったが、実際に乗船した『きりしま』に対しては、カジュアルな印象を受けたが、豪華とは思えなかった。
 その後に乗船した姉妹船『さつま』も同じ印象を持った。
 『さんふらわあ』といえば、日本の豪華フェリーのさきがけという印象が一人歩きしていたが、30年ほど前のカーフェリー業界といえば、子供心に低迷期という印象でしかなかった。
 この時の『さんふらわあ』を運航していたのは”ブルーハイウェイライン”。最初に乗った『11』を建造したのは”日本高速フェリー”。
 『さつま』『きりしま』が就航したのと同時期に就航した『みと』『くろしお』『つくば』は早々に退役して海外に売却されている。
 『くろしお』に至っては、航路そのものも無くなってしまった。
 それだけでなく、元々別会社で違う名前だったフェリーが『さんふらわあ』を名乗ることもあった。
 例えば、東日本フェリー籍だった『へすてぃあ』は『さんふらわあ ふらの』となった。
 この時期の日本の長距離フェリー業界各社・各航路は、それぞれあまりにも複雑な変遷を辿りすぎていて、初見では中々追いかけていくのが難しい。
 とりわけ、90年代から2000年代初頭の『さんふらわあ』の歩みは、日本の長距離フェリー低迷・雌伏の歴史そのものに思える。
 大学4年の夏に戻ろう。

『おおさかエキスプレス』
写真の下に日産セドリックのタクシーが見切れています。これも時代ですね。

 この時、『さんふらわあ きりしま』と向かい合うように、宮崎カーフェリーの『おおさかエキスプレス』も接岸していた。
 宮崎-大阪から神戸航路への変更に伴い、『こうべエキスプレス』に改名した。そして一昨年2022年に引退。
 そうそう、両親を見送った”かもめフェリーターミナル”も今はない。
 幼少から青年期にかけて直接見聞きしたものが、少しずつ忘却の彼方に消え去っていく。
 そしていつかは、私自身も消え去っていく。
 その前に、36歳で立ち止まってみよう。

完成間もない『さつま(現・三代目)』と『あいぼり』

 2020年の正月、まさにコロナ禍直前に撮影。
 長い間、志布志航路発着の拠点だったかもめ埠頭と、別府航路行の南港フェリーターミナルから、2017年に現在の地・コスモフェリーターミナル『さんふらわあターミナル(大阪)』に移転。
 拠点が一つにまとまって、管理しやすくなっただろうし、
 何より・・・、写真映えしますよね(^^♪
 2018年に現在の『さんふらわあ さつま』と『きりしま』が就航。
 まだ乗船する機会がないが、先代と比べて、(YouTubeを見る限り)とても煌びやかな内装になっている。
 ちなみに、それに先立つ2017年に、大洗-苫小牧航路の『さんふらわあ ふらの』『さっぽろ』も就航している。
 この2隻には仕事の都合で乗船したことがあるが、プロムナードの吹き抜けがユニークで、とても印象的だった。
 このあたりから、本来の”豪華フェリー”というイメージに相応しい『さんふらわあ』復権の兆しが見られるようになった気がする。
 一昨年と昨年には、日本初のLNG燃料採用の『さんふらわあ くれない』と『むらさき』が就航。
 彼女らもまたハイパーミラクル豪華です😎(こっちもYouTube情報ですが、何か😀??)

ムダに芸術的に写った『さつま』
それもそのはず、私の腕ではなくフィルムカメラで撮影したからです。
ムダに芸術的な『さつま』と『あいぼり』
こういうカタチで撮りたいわけではありませんでした😅

 また、この時期から、長距離フェリーが少しずつ、そして着実に存在感を強めてきた。
 「モーダルシフト」や「物流の2024年問題」という言葉などに象徴される通り、物流の世界において、カーフェリーやRORO船の存在理由が改めて注目され評価されるようになってきた。
 何より個人的に思うのは、多くの旅行系・交通系のユーチューバーが動画でフェリーの旅を紹介することで、その利用者の裾野を大きく広げることに貢献したのではないかと思うことだ。
 新日本海フェリーや太平洋フェリーの陰に隠れた印象にみえた『さんふらわあ』も、ようやく豪華フェリーの魁に相応しい日々がやって来ようとしている。
 『さんふらわあ』だけではない。
 石油ショック以降約50年もの長きにわたって低迷期が続いた、日本の長距離フェリー業界全体に、ようやく陽の光が差し込み、確実な地位を固めようとしているように見える。そう願ってやまない。

『さんふらわあターミナル』が入る”ATC”アジア太平洋トレードセンター。
思えば、これも大阪の政治・経済が最も落ち込んでいた低迷期を象徴する建物だ。

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