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【アイのタネを蒔こう】


アイのタネをいただいた。
アイとは、藍。藍染に使われる植物で、1年草のタデアイである(多分)。


3〜5月ごろにタネをまき、苗が10cmくらいに育ったら定植し、7月ごろに第一期、9月ごろに第二期の刈り入れをするらしい。葉っぱと茎に分けて乾燥させ保存し、発酵させたものを染色の材料にするようだけれど、個人で利用するなら煮出して使う方が簡単そうだ。


刈り入れ後は花が咲くまで待ち、タネを取って来年に備える。
薬草としても万能で、葉を焼酎に漬け込んだものを炎症止めとして使えるとか。



【改めて目の前にある自然。そして自分も】



いつもと違う日常がやって来て、そして「バタバタと送り迎えしたり、合間に仕事したり、家事したりする、生産性があるようでない日々」が一旦ストップしたこの頃。


子どもの体を動かさねばという強迫観念に襲われて、毎日散歩に出かける。


すると、湖岸に咲く桜が数日で葉桜になり、湖は常に潮位が異なり、雑草の背丈が伸び、時には塩を被って茶色くなっているのに気がつく。


4月の頭、水面を漂っていたカモたちが日によって場所と数を変え、徐々に減って行くのも興味深い。また来年、と心の中で別れを告げる。


季節は常に変化している。


そして、そのことは「注意深く日常を味わって」いないと忘れてしまう。
私だって、自然の一部であるのに。


空と湖と緑は去年と変わらず(強いて言えば暖冬だったせいで冬の寒さが足りず、咲ききれなかった杏の花とか、今年はうまく育たなかった畑のそら豆の背丈がいつもと違う)、そこに悠然としてある。


そのリズムは体と心を安心させる。


日光を浴び、深呼吸して、ヨモギの芽を探し、潮風を心地よく感じることは、体の芯を整えてくれるよう。


だから、「アイのタネ、蒔こう」と素直に思った。


新しい命を、自分で育ててみよう。


【アイは、愛なのか?】


私自身は大学生の頃、国語国文学を掲げた研究室にいたのだけど、全く真面目ではなかった。


受験勉強のように「これをここまで全力でやるべし」と目標と範囲がはっきりしたものは頑張りやすい反面、研究ごとのような「自分の興味の矛先を探し、そこを掘り下げる」曖昧なものは苦手だった。


国語学の授業もたくさん取ったけれど、記憶はわずか。奈良時代には母音が8つあったとか、発音が今と違うので「ハヒフヘホはパピプペポと発音しており、【その昔、母はパパだった】」と教授が語ったのを覚えているくらいである。


そんな浅はかな自分が、「藍はアイで、愛もアイ。語源はどうなの?」と軽く調べたら、藍のアイは訓読みで、愛のアイは音読みだった。


つまりは、愛をアイと読むのは、漢籍が伝わって来てから広まったことであって、愛でる、愛しむ(いつくしむ)、愛おしいとかが日本語読みだけれど、それは常用漢字ですらない。


むしろ、藍をアイと読むことの方が先にあって(藍染自体は飛鳥時代〜奈良時代に始まっている。藍の音読みはランである)、そこに後から愛が仲間入りしたような体裁なのか(不明)。


そして平安後期には、「藍」は「愛」や「会う」の掛詞として歌に詠まれ、藍の産地だった播磨(兵庫県あたり)が和歌に登場したりする。


→うちには深く調べられるような辞書も資料もないので、ネットで色々調べたら「和語辞典」というものの「藍」の該当ページが引っかかった。「藍」「青」ともに外来語であり、飛鳥以前に伝わっていたはず(植物とともに)とある。


えっそうなの?


「藍」自体も外来語なのか。



【でも、ルーツを知ろうとするのは大切なこと】


自分が自然であるのに、自然を顧みようとしないことが「不自然」だと感じるように。


日本語を使っているのに、日本語のルーツをよくわかっていないのはちょっと勿体無いとは思う。


ただ、藍のことを考えて、久しぶりに途中読みでほったらかしていた大野晋さんの「日本語をさかのぼる」を引っ張り出してきて読んでいたら、「平安時代にめっちゃ使われていたことば(「ある」とか、「こころ」とか、「思う」とか)が、現代でもほぼ同じパーセンテージで使われている。ことばとして根幹をなすものは時間を経ても変わらない」とあって興味深かった。


時代とともに発音、表記などは少しずつ形を変えていくけれど、人の口から出る大事なものは変わらない。


それを考えると、飛鳥以前から日本の色として親しまれていた「藍」と、「アイ」という言葉に想いを馳せることも悪くない気がする。


藍に愛を重ねることは、1000年前の日本人も考えていたこと。


さて、そろそろアイのタネを蒔こう。

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