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世界の片隅で考える幸せのかたち

ときどき、仕事仲間から「興味深い記事を見つけたので共有します」LINEが届くのですが(いつもありがとう)、胸に響いた記事について。

福岡県うきは市にあるブックカフェ「MINOU BOOKS」さんのHPのコラム。

テーマは、なぜ最近取材をお断りしているかの考察でした。

https://minoubooks.com/column/kankou/

店主が貫いているのは、「観光やエリア紹介という切り口の取材を全部断る」という姿勢。そしてその理由こそ、私自身が最近ふんわりと身に染みていることでした。

■一見さんを増やすだけの浅い記事に意味があるかどうか?

店主は、「オープンしたての頃は取材依頼があれば喜んで受けていた。でもだんだん、違和感を覚えた」と書いていらっしゃいました。

「表層的な記事」を見て訪れるお客さんたちは、サッと来店してオーダーして、メニューを味わう前にスマホで写真を撮り、インスタを更新し、満足して去っていく。そしてスタンプラリーのように次の店へ行って写真を撮る。おそらく二度とここへは来ない。

その繰り返しで、また新しいお客さんが来ては、去っていく。

この姿は、正しいのだろうか? そんな疑問がすべての始まり。

■店はオープンさせるより継続させることの方が難しいのだと思う

私自身はなんの技術も経験もなく、想像するだけですが、お店は「続ける」ことがものすごく難しいのだろうなと感じます。

だから「表層だけを追って定着しないお客様」が増えても、それは一過性の熱狂で、続かなければお店の持続力は衰えてしまう。繰り返し同じものを買ってくれる人、定期的に通ってくれる人の存在が、店と、そのエリア全体を底上げするのだろうと思います。

ならば、新しい情報、新しい商品、新しい魅力だけを取り上げる姿勢には、意味があるのかどうか悩ましい。

私自身、かつて地域情報誌に携わっていたことがあり、ニューオープンページを作るためにアルバイト情報誌の新店スタッフ募集ページを隅から隅まで調べたり、街中をグルグル歩いたりして店を探していた記憶があります。「新しい」は私にとって正義でした。そして最も優先されるタイトルでした。

その考え方は間違っているのでしょうか?

■そして対価の問題

もう一つ取材を断っている理由は、対価の問題でした。

「無料で宣伝できるのだから、取材費はタダでいいでしょう」という暗黙の了解のようなものがあり、ほとんどにおいてお店が提供した食事や商品に対価は支払われない。取材費というものがない。それがどうなのか? と店主は呟いていました。

SNSが発達していない頃、メディア掲載は無料PRに最適な場所だったかもしれません。

けれど、今は自分たちで頑張ればPRができる素材が揃っています。活用できるかどうかは二の次の問題かもしれないし、その考え方が正解かどうかもわかりません。

そこで、メディアが自社の媒体に掲載するために取材をしたいと依頼をして。

「突然ですが来週あたり取材させてください」「そのためにあなたの時間をください」「料理は無償で提供してください」と、お店の日常のルーティーンを阻害し、スタッフの休憩時間を奪い、撮影素材を提供しろと依頼するのが結構しんどいな、と、私は最近感じるわけです。

メディアのコンテンツとして成り立つようなお店を作り上げている人たちの、血と汗の結晶のようなお店を、「無償で使わせてもらう」というのが、少し違和感があるというか。

そもそもこれは地域情報誌特有の問題かもしれず、東京のメディアから何度も取材を受けているお店に取材を依頼したりすると、「首都圏のメディアはだいたいお金を払っていくけど」「おたくはないの?」と言われたこともしばしばあります。資金力の問題もあるかもしれないし、首都圏のメディアが地方を取り上げる場合は、そもそもお店をコンテンツとして扱い、対価を払うことが当然なのかもしれないと感じますが、本当のところはわかりません。

正解なんてわかりません。

この世には「正しい」ことなんてないのかもしれないし。正義の対極が悪かというとそうでもない。それらはただ視点を変えただけの問題。

■じゃあ、どうすればみんなが幸せ?

その答えが簡単に出てくるようなものではないな、ということも想像できます。

媒体として情報量が欲しいのもわかるし、そもそも「広告を集めて、それを資金にしてメディアを展開する」のは、雑誌においてはかなり辛い状況になっていると想像します。

申し訳なくも借りっぱなしにしている(すみません!)「nice things.」を読むと、取材すべてが深掘りの鬼だなと思うのだけど、すべての媒体がこれをやればいいわけではないかもしれないし。深掘りしていくと、全体的な情報量(掲載件数という意味において)は少なくなります。

でも、どうせ何かを作るなら、みんなが幸せであるといい。

なんとなく、世界の片隅で、幸せの形に思いを馳せました。次の段階への思考には辿りつかなかったけれど。

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