消災呪

三島の龍澤寺に置いてもらっていたのは、私が20代前半のことで、秋にやって来て、翌春まで、泊まり込んでの修行生活であった。
初めは、お不動さんのお堂が宿舎であったが、慣れてくると、禅堂に単(たん ; 一人用のスペース)を与えられて、修行僧(雲水さん)達と同様の生活となった。このように一般人でも禅堂に入れてくれる禅道場は珍しく、山本玄峰老師以来そのような伝統であったように思う。当時、一般人を受け入れる道場は、もう一つだけあり、それは神戸の祥福寺であった。もっとも、志が堅固でさえあるなら、どの道場でも例外的に許可されるはずだと思うが。

今回もお経の話である。
禅堂を取り仕切るリーダーを、直日(じきじつ)と言う。坐禅の始まる前、皆が坐に着くと、直日さんは、小さな鐘を鳴らしてから、大きな声で「なむーさまんだー」と合図を取る。すると一同は以下のように誦するのである。

(なむーさまんだー)
もどなん
おはらーちー
ことしゃー
そのなん
とーしーとー
えん
ぎゃーぎゃー
ぎゃーきー ぎゃーきー
うんぬん
しふらー しふらー
はらしふらー はらしふらー
ちしゅさー ちしゅさー
しゅしりー しゅしりー
そはじゃー そはじゃー
せちぎゃー
しりえい
そーもーこー

   ※

一般の皆さんはこんな変な呪文のようなものを聞いたこともないだろうと思うが、これを「消災呪(しょうさいしゅ)」と呼んでいる。
このような呪文のことを「陀羅尼(だらに)」と言う。原典はインドのものなのだが、翻訳せずにインドの「音」そのもので読んでいる。般若心経の最後部である「ぎゃていぎゃてい・・・」などもそうである。
「臨済宗日課聖典」という経本では、その音に漢字を当てて書いてある。中国・唐の時代、弘法大師の師匠の師匠である不空三蔵によって、このように記述されたものであるらしい。

   ※

インド原文
नमः समन्तबुधानाम् अप्रतिहतशासनानां तद्यथा ॐ ख ख खाहि खाहि हूं हूं ज्वल ज्वल प्रज्वल प्रज्वल तिष्ठ तिष्ठ ष्ट्रि ष्ट्रि स्फुट स्फुट शान्तिकश्रिये स्वाहा

漢文
曩謨三満哆 母駄喃 阿盋囉底 賀多舎 娑曩喃 怛姪他 唵 佉佉  佉伵 佉伵 吽吽 入縛囉 入縛囉 盋囉入縛囉 盋囉入縛囉 底瑟娑 底瑟娑 至瑟哩 至瑟哩 娑發舎偌 娑發偌 扇底迦 室哩曳 娑婆訶

読み
なむーさまんだー もどなん おはらーちー ことしゃー そのなん とーしーとー えん ぎゃーぎゃー ぎゃーきー ぎゃーきー うんぬん しふらー しふらー はらしふらー はらしふらー ちしゅさー ちしゅさー しゅしりー しゅしりー そはじゃー そはじゃー せちぎゃー しりえい そーもーこー

   ※

これは何度も誦したので、当然今でも記憶しているのだが、お寺にいる時、意味を教えられたこともないし、調べたこともなかった。お経というのはそんなものである。だいぶ後になって「臨済宗の陀羅尼」という本を(神田書店街で)買って、初めて意味が分かったのだった。
消災呪という題名からして、災いを消すための呪文なのだろうとは思っていた。坐禅をするに当たって、色々な思い煩いを消し去り、坐禅の成就を祈念しているのだろう、その程度の認識であった。

   ※

それでは意味を見てみよう(「臨済宗の陀羅尼」東方出版 1982年より)

破壊しがたい絶対的な教示者である一切の諸仏に帰命します
すなわち、オーン
虚空よ、虚空よ
破壊したまえ、破壊したまえ
フーン、フーン
輝きたまえ、輝きたまえ
大いに輝きたまえ、大いに輝きたまえ
とどまりたまえ、とどまりたまえ
星よ、星よ
出現したまえ、出現したまえ
平和の繁栄のために
スヴァーハー

   ※

禅堂でこれを三度繰り返して唱え終ると、直日さんは、次のように締め括り、小鐘を4回叩いて、禅定に入るのである。(一坐が終わって、小休憩後の二坐目からは唱えない)

十方三世一切諸仏(じほうさんしいしいしふ)
諸尊菩薩摩訶薩(しそんぶさもこさ)
摩訶般若波羅蜜(もこほじゃほろみ)

これは、前にご紹介した「十佛名(じゅうぶつみょう)」のショートバージョンであろう。

この消災呪には、前文があって、次のように記されているという(Wikiより)

「国が安定せず災難が起こるならば、修行僧を呼び、法に従って道場を作り、仏像を安置し、結界を作り、加持して香華灯燭を相応に供養すれば、生きとし生けるものが幸福になること無量で、その災いはたちまちになくなるだろう」

   ※

消災呪は、危機の時代における、災難を乗り超えるための強力な言霊、あるいは呪術なのであって、今日のような荒廃した災厄(DS禍)にあっては、精神の上で、有効であるかも知れない。このスートラは、人間の祈りの力を増幅させるものだ。
「虚空よ、虚空よ
破壊したまえ、破壊したまえ」
とても強い言葉がリフレインされている。
我々は、この世界の、外的なそして内的な災いを消し去ることができる、そのように信じ、敢然と立ち上がることが重要なのではないか。
これを読んだあなたに、この消災呪を捧げます。

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