ALOL

ALOL(アロール)とは、インドの師・OSHOから授けられた(1982年)、精神的な道…

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ALOL(アロール)とは、インドの師・OSHOから授けられた(1982年)、精神的な道における名前です。瞑想家であり、伝統禅に参ずる禅者でもあります。本名は角屋昌紀(かどやまさき)。PHILOS代表(造園デザイナー)。1958年生まれ。宮城県出身。芝浦工業大学(建築工学科)卒業。

記事一覧

Be kind and be compassionate to yourself.

ALOL
5時間前

感情が出ない、死んでいる、そこに一つの感情がある
それに気付いたならば、そこから探求が始まる
目詰まりして、滞っている感覚
そこには隠された怒りがあり、抑圧があり、悲しみ、そして痛みがある
それらに直面しなくて良いように、意識は自らそれを封じ込めていたのだ
そこに、気付きがあった

ALOL
5時間前

インドのアシュラムにいる時、一人の若い日本人の旅人がやって来て、瞑想なるものを初めて経験したのを、私は見た
彼は言っていた「感情が出ない感情が出ない」と
感情がスポイルされているようであった
ただ、出ないということの気付きはある
その出ないということそのものが、ある種の感情なのだ

ALOL
5時間前

そのトラブルが起こっているのが、誰か他人ではない、他ならない自分自身であったのだ、そのような気付きがあって、初めて瞑想が始まることになる
我々の目は外を見るためのものだ
内側を向くのは、瞑想の眼だ
外側から内側に転じて、内面現象を実感するようになる、それは、起こり得る最大の革命だ

ALOL
5時間前

現代人の多くが、感情の次元(それはおそらく高次身体に属している)にトラブルを抱えている。そこに目詰まりを起こしている。
人間的な共感性、思いやり、美の感受、詩情、感動、そういった質が失われ、現れて来るのは、敵意、憎しみ、傲慢さ、残忍さ、嘲笑等々。
これが現代の最重要問題なのである

ALOL
6時間前

Krishna Das

Hindu musician born in America

ALOL
17時間前
1

感情ヒーリングの最後の極意は、感情をヒーリングしようとしないことである
痛みに対するに、敢然と大きく息を吸い込み、吐く息とともに全受容する
するとそこにエネルギーの大変換が起こる
ヒーリングは、起きるのであって、起こすことはできない
暴力的意志は不可だ
それは愛の一部だからである

ALOL
21時間前
1

心の痛み・苦しみは、感情の次元にある。それをアストラル体と言うならそれでもよい。我々が感情の深部に抱えている苦しみ・トラウマを解放(理解)することは可能だろうか?
OSHO瞑想は、必ずそこから始める。我々の時代は、痛め付けられた感情のヒーリングを必要としている。
現代瞑想の課題だ

ALOL
22時間前
2

思考を介さずに(余計なことを考えずに)全的に(心の)苦しみに留まること
それは辛いことかもしれない
しかしそれは、心の解放に繋がる唯一の道だ
自己の心が自己の内側で燃焼する
あいつのせいだ、と言って、外側に散らしてしまわないことだ
苦境に立った時、あなたは成長のチャンスを得たのだ

ALOL
1日前
1

自己責任を引き受ける生き方

ALOL
1日前
1

自己の心の在り方に、全責任を負うのが瞑想の道だ
心に怒りや恨みを抱いた時、苦しみが生じた時
それを全的に捉えることは可能だろうか
その原因を他(人)に帰して(たとえ実際そうであったとしても)
他を責めるのは、安易だが、解決からは離れて行く
思考を介さずに全的にそれを捉えることだ

ALOL
1日前

感染症は 侵略戦争に利用されてきた

今は、mRNA製剤がそれに使われている

ALOL
1日前
1

私の瞑想は、大それたものではない
それは(心の)痛み・苦しみに対処するものだ
大きく息を吸うことができたら、それだけで1/3達成だ
吐く息と共に全リラックス、それでさらに1/3
残りの1/3は、リラックスのエネルギーを利用した精神の爆発
それが心に変容をもたらす
私の瞑想の3要素

ALOL
3日前
1

その呼吸は、ハートの呼吸であった
それは愛の呼吸であるようだった
感謝の呼吸でもあった
町全体がそれで満たされた
そこにはいかなる意図も、努力も、操作もなかった
そしてその状態を維持しようとする意志もなかった
それは不意にやって来たのであり
去るのならば、ただ去るだけだろう


ALOL
3日前
1

何年か前の、穏やかな春の日であった
原付バイクに乗ってゆっくりと町を走っている時に
どこか心に痛みがあったが、ただ受容して通り過ぎさせていた
その時、痛みに変容が起こった
と、呼吸が穏やかで、楽になった
何の努力もなしに、ただそれはそのように起こっていた
それは究極の呼吸であった

ALOL
3日前
1

我々は、気持ちの良い体験を引き止め、不快な体験を追い払おうとする
そのことは十分に理解できる
しかしそれが心理学的に、また瞑想の上で、行き過ぎると、我々の精神は歪んで病んだものになってしまう
良いものにも、悪い(と思われる)ものにも、頓着しないで、さらりと行こう
ただ過行くままに

ALOL
3日前
2

Be kind and be compassionate to yourself.

感情が出ない、死んでいる、そこに一つの感情がある
それに気付いたならば、そこから探求が始まる
目詰まりして、滞っている感覚
そこには隠された怒りがあり、抑圧があり、悲しみ、そして痛みがある
それらに直面しなくて良いように、意識は自らそれを封じ込めていたのだ
そこに、気付きがあった

インドのアシュラムにいる時、一人の若い日本人の旅人がやって来て、瞑想なるものを初めて経験したのを、私は見た
彼は言っていた「感情が出ない感情が出ない」と
感情がスポイルされているようであった
ただ、出ないということの気付きはある
その出ないということそのものが、ある種の感情なのだ

そのトラブルが起こっているのが、誰か他人ではない、他ならない自分自身であったのだ、そのような気付きがあって、初めて瞑想が始まることになる
我々の目は外を見るためのものだ
内側を向くのは、瞑想の眼だ
外側から内側に転じて、内面現象を実感するようになる、それは、起こり得る最大の革命だ

現代人の多くが、感情の次元(それはおそらく高次身体に属している)にトラブルを抱えている。そこに目詰まりを起こしている。
人間的な共感性、思いやり、美の感受、詩情、感動、そういった質が失われ、現れて来るのは、敵意、憎しみ、傲慢さ、残忍さ、嘲笑等々。
これが現代の最重要問題なのである

Krishna Das

Hindu musician born in America

感情ヒーリングの最後の極意は、感情をヒーリングしようとしないことである
痛みに対するに、敢然と大きく息を吸い込み、吐く息とともに全受容する
するとそこにエネルギーの大変換が起こる
ヒーリングは、起きるのであって、起こすことはできない
暴力的意志は不可だ
それは愛の一部だからである

心の痛み・苦しみは、感情の次元にある。それをアストラル体と言うならそれでもよい。我々が感情の深部に抱えている苦しみ・トラウマを解放(理解)することは可能だろうか?
OSHO瞑想は、必ずそこから始める。我々の時代は、痛め付けられた感情のヒーリングを必要としている。
現代瞑想の課題だ

思考を介さずに(余計なことを考えずに)全的に(心の)苦しみに留まること
それは辛いことかもしれない
しかしそれは、心の解放に繋がる唯一の道だ
自己の心が自己の内側で燃焼する
あいつのせいだ、と言って、外側に散らしてしまわないことだ
苦境に立った時、あなたは成長のチャンスを得たのだ

自己の心の在り方に、全責任を負うのが瞑想の道だ
心に怒りや恨みを抱いた時、苦しみが生じた時
それを全的に捉えることは可能だろうか
その原因を他(人)に帰して(たとえ実際そうであったとしても)
他を責めるのは、安易だが、解決からは離れて行く
思考を介さずに全的にそれを捉えることだ

感染症は 侵略戦争に利用されてきた

今は、mRNA製剤がそれに使われている

私の瞑想は、大それたものではない
それは(心の)痛み・苦しみに対処するものだ
大きく息を吸うことができたら、それだけで1/3達成だ
吐く息と共に全リラックス、それでさらに1/3
残りの1/3は、リラックスのエネルギーを利用した精神の爆発
それが心に変容をもたらす
私の瞑想の3要素

その呼吸は、ハートの呼吸であった
それは愛の呼吸であるようだった
感謝の呼吸でもあった
町全体がそれで満たされた
そこにはいかなる意図も、努力も、操作もなかった
そしてその状態を維持しようとする意志もなかった
それは不意にやって来たのであり
去るのならば、ただ去るだけだろう


何年か前の、穏やかな春の日であった
原付バイクに乗ってゆっくりと町を走っている時に
どこか心に痛みがあったが、ただ受容して通り過ぎさせていた
その時、痛みに変容が起こった
と、呼吸が穏やかで、楽になった
何の努力もなしに、ただそれはそのように起こっていた
それは究極の呼吸であった

我々は、気持ちの良い体験を引き止め、不快な体験を追い払おうとする
そのことは十分に理解できる
しかしそれが心理学的に、また瞑想の上で、行き過ぎると、我々の精神は歪んで病んだものになってしまう
良いものにも、悪い(と思われる)ものにも、頓着しないで、さらりと行こう
ただ過行くままに