ALOL

ALOL(アロール)とは、インドの師・OSHOから授けられた(1982年)、精神的な道…

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ALOL(アロール)とは、インドの師・OSHOから授けられた(1982年)、精神的な道における名前です。瞑想家であり、伝統禅に参ずる禅者でもあります。本名は角屋昌紀(かどやまさき)。PHILOS代表(造園デザイナー)。1958年生まれ。宮城県出身。芝浦工業大学(建築工学科)卒業。

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火事に遭った社長に「おめでとう」

山川宗源老師がまだ修行僧であった頃、お寺(正眼寺)に、ロスチャイルド氏が訪ねて来たという話を、以前にご紹介したことがあった。 東京のお寺に生まれた老師だが、当初お坊さんになるつもりはなく、大学で物理学を学ばれた。理科系の頭脳を持った禅の老師はめずらしい。 志村けんは、高校(だったか)の同級生だとお聞きした。 東京禅センターで、正眼短期大学の講座が開かれていた時、私は何度も(ほとんど全回)、山川老師の講義を聴いたものだ。話の中に、必ず動物ネタがあり、まことに興味深いものであった。

    • コロナのばれる ころな のだ https://x.com/seijigenobo/status/1786935515452940667

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        なむさまんだ

        • 消災呪 なむーさまんだ もどなん おはらーちー ことしゃー そのなん とーしーとー えん ぎゃーぎゃー ぎゃーきーぎゃーきー うんぬん しふらーしふらー はらしふらーはらしふらー ちしゅさーちしゅさー しゅしりーしゅしりー そはじゃーそはじゃー せちぎゃー しりえい そーもーこー

        火事に遭った社長に「おめでとう」

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        • コロナのばれる ころな のだ https://x.com/seijigenobo/status/1786935515452940667

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          消災呪

          三島の龍澤寺に置いてもらっていたのは、私が20代前半のことで、秋にやって来て、翌春まで、泊まり込んでの修行生活であった。 初めは、お不動さんのお堂が宿舎であったが、慣れてくると、禅堂に単(たん ; 一人用のスペース)を与えられて、修行僧(雲水さん)達と同様の生活となった。このように一般人でも禅堂に入れてくれる禅道場は珍しく、山本玄峰老師以来そのような伝統であったように思う。当時、一般人を受け入れる道場は、もう一つだけあり、それは神戸の祥福寺であった。もっとも、志が堅固でさえあ

          消災呪

          一休さんは、真にブッとんだクレイジーな禅僧だ 時として形骸化しがちな禅に、強烈なスパイスをもたらす スパイスだけでは食えたものではないが、かと言って、それがないと、禅は死んだものになってしまう 禅は、一休さんからのヴィジョンを必要とする 閉塞感を打破し、新風を吹き起こす創造性が

          一休さんは、真にブッとんだクレイジーな禅僧だ 時として形骸化しがちな禅に、強烈なスパイスをもたらす スパイスだけでは食えたものではないが、かと言って、それがないと、禅は死んだものになってしまう 禅は、一休さんからのヴィジョンを必要とする 閉塞感を打破し、新風を吹き起こす創造性が

          一休禅師の兄弟子に、養叟(ようそう)という人がいて、高い地位に就いた高僧であったが、名利や権力を志向する俗気の抜け切らない人であり、一休さんは、常に口を極めて罵ったのだった。あまり感心できたものではないが、その気持ちはよく理解できる。純粋な一休さんに罵られるような禅者ではいけない

          一休禅師の兄弟子に、養叟(ようそう)という人がいて、高い地位に就いた高僧であったが、名利や権力を志向する俗気の抜け切らない人であり、一休さんは、常に口を極めて罵ったのだった。あまり感心できたものではないが、その気持ちはよく理解できる。純粋な一休さんに罵られるような禅者ではいけない

          神戸・祥福寺(臨済宗の修行道場)の師家を務められた河野太通老師は、阪神淡路大震災を体験された 禅道場で最も重要な修行の期間に当たっていたが 大震災の惨状を目の当たりにして、老師は、坐禅を中止して、町に出て行って人々を助けることを修行とされた 今まさにそんな有事の時であろう

          神戸・祥福寺(臨済宗の修行道場)の師家を務められた河野太通老師は、阪神淡路大震災を体験された 禅道場で最も重要な修行の期間に当たっていたが 大震災の惨状を目の当たりにして、老師は、坐禅を中止して、町に出て行って人々を助けることを修行とされた 今まさにそんな有事の時であろう

          瞑想者は、瞑想にかまけて小さなお花畑の夢を貪っているだけでは、ダメだ 痛棒を食らわせてやれ 本格の禅者は、禅者の地位など問題にしない 印可を受けても、そんなものなど燃やしてしまうのが本当だ 地位や権威などというのは、DS文化に由来したものだ 霊性の世界では裸一貫、ただ独り歩むのだ

          瞑想者は、瞑想にかまけて小さなお花畑の夢を貪っているだけでは、ダメだ 痛棒を食らわせてやれ 本格の禅者は、禅者の地位など問題にしない 印可を受けても、そんなものなど燃やしてしまうのが本当だ 地位や権威などというのは、DS文化に由来したものだ 霊性の世界では裸一貫、ただ独り歩むのだ

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          もし原(ハラ)

          売国奴日本政府は、日本自体を弱体化させるために存在している

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          十仏名

          十佛名(じゅうぶつみょう)という短い経文がある。 かつて、三島の修行道場である龍澤寺(臨済宗)に置いてもらっていた時、わけも分からずに誦していたものの一つであった。 私は、お経なんていうものには、あまり重きを置いていない。 元々、禅宗では、声を揃えてお経を唱えるというような習慣はなかったのだということを聞いたことがある。それが鎌倉時代になって、元寇がやって来た時、心を一つにして国家安泰を祈念するために、大勢で唱えることが始まったというのである(そのことについて確証はないが)

          十仏名

          禅では、法身(ほっしん)ということが言われる 法身・ダルマカーヤは、高次の身体のことだが、禅で使われる時には、一種の三昧状態を指しているように思われる 生の実感、自他の区別のない感覚、ただひたすらなる状態 このとき内側の身体自体が、甘く感じられる このような味を、禅味とも言う

          禅では、法身(ほっしん)ということが言われる 法身・ダルマカーヤは、高次の身体のことだが、禅で使われる時には、一種の三昧状態を指しているように思われる 生の実感、自他の区別のない感覚、ただひたすらなる状態 このとき内側の身体自体が、甘く感じられる このような味を、禅味とも言う

          瞑想者は、内面に深く沈潜した時、沈黙の声なき声を聴き、そこからメッセージを汲み出して、それを言葉にしてみよう 借り物の知識ではない、自分の言葉で それは洞察の言葉となって、誰かのためになるかも知れない ならないとしても、少なくとも自分の学びになる 言葉にしてみて気付くこともある

          瞑想者は、内面に深く沈潜した時、沈黙の声なき声を聴き、そこからメッセージを汲み出して、それを言葉にしてみよう 借り物の知識ではない、自分の言葉で それは洞察の言葉となって、誰かのためになるかも知れない ならないとしても、少なくとも自分の学びになる 言葉にしてみて気付くこともある

          精神性が高いというのは、ある意味、自らの精神性の低さを痛感していることである 精神性が低い者に限って、自分が高いものと勘違いしている 優生学などを唱える愚か者が考える優生は、愚か者の価値基準に沿った優生だ アホな優生学を唱えるような傲慢な者が生まれて来ない、それが本当の優生学だ

          精神性が高いというのは、ある意味、自らの精神性の低さを痛感していることである 精神性が低い者に限って、自分が高いものと勘違いしている 優生学などを唱える愚か者が考える優生は、愚か者の価値基準に沿った優生だ アホな優生学を唱えるような傲慢な者が生まれて来ない、それが本当の優生学だ

          卑しい人格の者が、社会の上にのし上がることができないような社会を構築するべきだ 多くの善良で常識あるピープルが生贄とならないよう あらゆる分野で、まず人間性(精神性)が評価されなければならない どんなに頭脳が優れていても、金儲けに長けていても、精神性(霊性)の低い者は後回しだ

          卑しい人格の者が、社会の上にのし上がることができないような社会を構築するべきだ 多くの善良で常識あるピープルが生贄とならないよう あらゆる分野で、まず人間性(精神性)が評価されなければならない どんなに頭脳が優れていても、金儲けに長けていても、精神性(霊性)の低い者は後回しだ

          上に立つほどの者は、優れた人格者であるはずだ、という古い性善説は、今日崩れ去ってしまった 政府や企業やマスコミや医療産業は、最も酷い犯罪集団と化してきている 残念だが、我々は子供に、彼ら(いわゆる権威)の言うことを信じないように、常に警戒の目で見るようにと教えなければならない

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