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女性のためのヨガの教科書21

9、チャクラ


チャクラアサナとも呼ばれるウールドヴァダニュラアサナ(上向の弓のポーズ)は、バランスボールを使って無理なく練習するのがおすすめ。
全てのチャクラを開くポーズと言われています。


チャクラというのは、タントラ的な概念です。
「ヨガ哲学」の項で詳しく書きますが、
ヨガの系譜は、
伝統的なラージャヨガ、
派生的なタントラヨガ、
に分けられます。

ざっくり言うと、
学び、習い、従う、ラージャ(王道の)ヨガと、
自分でやってみる、探求していく、タントラ※ヨガです。
※タントラという言葉は、女性性=シャクティ=生命力や事象を展開させる言動力、
を基とする探究とされていて、端的に説明すると、教えや教義を元とするのではなく、エネルギーそのものを感じて、エネルギーを扱っていくヨガ、といった感じです。

ヨガを含む哲学や様々な学問を師匠から学べるのは、
カースト制度の厳しいインドでは、僧侶や貴族の子息などに限られていて、
その他の庶民は知識や教えを学べなかったという歴史があります。

それでも人はより健康でありたいですし、
生や死について、悩みや迷い、葛藤が生まれたり、
自分の存在について、探究心はどんなところからでも発生します。

人間とは、
自分とは、
命とは、
神とは、
宇宙とは、
世界とは、
などなど。

それらの問いを持った人たちが、自らの肉体を使って様々な行法を行い、それを観察することによって叡智を養っていったヨガの流れをタントラと呼びます。

時には少し過激だったり、
性の教えのイメージが強かったり、
側から見るとき奇異だったりすることも含まれ、
伝統はからは疎まれているところもあるようです。

ですが、そのような極限の状態や様々な肉体を使った実験観察の結果、
チャクラ=輪 と呼ぶ、エネルギーの集まるポイント、
もしくはエネルギーの変圧ポイント、のような感覚が発見されたのですね。

よく知られているのが7つのチャクラ

・ムーラダーラチャクラ(会陰)
・スヴァディシュターナチャクラ(骨盤の中心=丹田)
・マニプーラチャクラ(太陽神経叢、へそ)
・アナーハタチャクラ(胸、心臓)
・ヴィシュッダチャクラ(喉)
・アジュニャーチャクラ(眉間、松果体)
・サハスラーラチャクラ(頭頂)

ですが、チベット仏教では5つ、
さらにニューエイジの世界などでは8つとも、12あるとも言われています。

そのチャクラですが、

閉じる、閉じる、開く、開く、閉じる、開く、開く、
と言うように意識してみてください。

この世界はスパンダ。

開く、だけでバランス取れるとは考えられません。

特にクンダリーニと言って、
仙骨のあたりに蛇がトグロを巻いた形で眠っているエネルギーを目覚めさせ、
背骨に沿って頭頂まで引き上げて意識を覚醒させる。
という古典的なヨガの目的を考えてみた時に、

・後ろ側を開くなら前側は閉じる、
・下から上に引き上げるなら、下からの圧が必要、
・エネルギーの強さを維持するためには、収縮拡張両方必要、
そういったことが必ずなければ何も起こらないのではないか、と考えが及びます。

そして、本当に師匠に認められたほんの一握りの人にしか教えられてこなかったような、奥義でもあります。

一般的な本や、
外国人相手のヨガクラスで教えられるはずがありません。

アシュタンガヨガの創始者、
シュリ・K・パタビジョイス師は、
「99%プラクティス、1%セオリー」だと、
世界中からアシュラム(道場)に集まる生徒に言っていたことはよく知られています。

練習して練習して実践して実践して、自分で掴め、と言っているようですし、
同じ師匠から教わったBKSアイエンガー師もまた、
独自の道を歩んでいました。

お二人については、
ドキュメンタリー映画
「聖なる呼吸」2011年製作 監督 ヤン・シュミット・ガレ
をご覧になるとよろしいかと思います。

現在のヨガブームの基盤を作ったクリシュナマチャリアは、自らをヨガの師ではなく常にヨガを探求している生徒だと周囲に語っています。「魂に集中しなさい 神のことを思いなさい さもなくば気づきは得られない」。

そうそう、
ヨガを教えることなんて、
実は誰にも出来ないのではないでしょう…
私はこの映画を見てそう思いました。

有名な孫悟空のお話は、実はインドのハヌマーンという猿の神様であって風神(プラーナを司るとも言われています)でもある主人公がモデルとなっています。


『西遊記』は、中国の四大奇書の一つであり、元代の明代時代に制作された中国の古典小説です。主な登場人物は、孫悟空(猴王)、猪八戒(猪神)、沙悟浄(沙僧)といった仏教の僧侶である三蔵法師(玄奘とも呼ばれます)です。彼らは、大唐王朝の時代に中国からインドまでの長い旅をし、仏教の経典を取りに行くという使命を果たすために出発します。
物語は、孫悟空が天竺を乱してしまい、羅刹女によって石に封じられてから始まります。彼は後に三蔵法師と出会い、彼の仲間になり、彼らを危険から守るため、また経典を取りに行くために解放されます。一行は数々の困難や試練に直面しながら、危険な旅を続けます。彼らは山と川を越え、鬼や妖怪と戦い、仏教を広めるために悪を倒します。彼らはまた、仏教の教えを学び、自己啓発を追求します。

孫悟空は不死身であり、多くの超人的な力を持っています。彼は変身することができ、他の人々を超越した知恵と勇気を持っています。彼は仲間を守り、仏教の法を広めるために多くの戦いをし、さまざまな冒険を経験します。

最終的に、一行は経典をインドから持ち帰り、仏教の教えを広めるために玄奘を天竺に送り届けます。彼らは様々な人々との出会いを通じて、友情や信念、発見を経験し、それぞれのキャラクターに成長します。

『西遊記』は、仏教の教えや道徳的な価値観に基づいて書かれており、困難を乗り越えながら成長し、自己啓発を追求する個人の努力と信仰の力を称えています。

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物語のハイライトだなと感じたのは、様々な経験を積んで天竺の僧院にたどり着いた時に、
孫悟空が「ここにはお経やそれを毎日唱えて他人の教えを守るだけの人がいるだけで、
本当の教えは、旅で出会った人たちが持っていた」みたいなことを叫ぶ場面でしょうか。
日々の苦しい生活の中でも子供を育て、仕事で苦労しながらそれでも逞しく生きている人々の中に真実がある、みたいな。

それからヘルマン・ヘッセの代表作である「シッダールタ」も、
ブッダという悟りを成し得た人のもとでずっと修行をする道ではなく、
いわゆる俗世間の中で愛欲や富や権力にまみえながらも最終的には全てを悟った境地に辿り着く、みたいなそんな内容ですかね。

遠藤周作の「深き河」は、ガンジス川のほとりで行き交う日本人とキリスト教の教えを描いているのですが、
人間の生と死、リアルで生身の感情やそれぞれの登場人物の体験をとおして語りかける、人生とは経験ですと、教えに頼ることなく自分で見出すもの、でもその終着点が等しく包括的であるというような、考え深い作品ですね。
原題の「Deep River」は、本来は聖地を流れるヨルダン川のこと。
川は人の心の深い溝や境界でもあり、流れる水は人の心を融合させ、全てが一つになる大海へ流れていく比喩のようなもの。


それぞれが私の精神性の一部となっているような気がします。

ラージャヨガの教えを学んだ私ではありますが、
結局自分の経験と照らし合わせて、
いつも何かの転期や新たな気づきを得た時に、
結局答えはそこに書かれていたみたいな経験を何度も何度も重ねています。
だからヨガ哲学を信頼していますし、
経験を持って学んでいるということもありがたいと思っています。

正直実際チャクラを感じようとして何かわかったみたいなことはないのですよ。

前項のバンダはチャクラではなく、
エネルギーを集中させるポイントなので、
チャクラはその延長上というか。

バンダそのものは具体的なテクニックですが、
チャクラはそれを行った時に感じられる(かもしれない)エネルギー、
みたいな理解です。

なので、私が、〇〇チャクラはこうだよ、みたいなことはここではお伝えするのは致しません。
ただエネルギーを引き上げていく際に、
最初にお伝えしたように、
ムーラダーラチャクラ=閉じる←ムーラバンダの場所
スヴァディシュターナチャクラ=閉じる←ウディヤーナバンダの場所
マニプーラチャクラ=開く
アナーハタチャクラ=開く
ヴィシュッダチャクラ=閉じる←ジャーランダラバンダの場所
アジュニャーチャクラ=開く
サハスラーラチャクラ=開く
みたいに感じてみると良いかもしれないですね。

チャクラというのは「輪」という意味で、
エネルギーを運ぶためのものであったり、
変換させるものであったりという扱い方です。

小さい時に喘息持ちで、今も花粉や乾燥なども特に喉が弱い私は、
「喉のチャクラが閉じているね」なんて言われることも結構あったのですが、
そこはなんとなく自分の考えをぶれさせずに、
「喉は閉まっていた方がエネルギー通る」みたいに密かに思っておりました。

呼吸とかバンダとかとはまた別の概念なのでしょうけれども、
今の私には確実にこうだよとお伝えできることがないです。

ということで、これからも決して傲ることなく、
でも自信を持ってヨガをしていきたいと思います。

ヨガインストラクター歴は18年。既に成人した息子をシングルマザーとして育ててきた経験から、ヨガを軸に、女性の生き方、医療でカバーできない健康のこと、などを発信していきます。