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フリーランス広報になりました。

初めまして樋脇(ヒワキ)です。数多くの広報さんNOTEの中から見つけていただきありがとうございます。このNOTEを通じて自身のこと、これから広報を目指す方に少しでも参考になればと思いNOTEを書かせていただきます。
2021年:営業から未経験ながら社内で広報部創設
2022年:本業副業6社の広報マン+2人メンバー雇用
2023年:フリーランス広報デビュー ←(今ココ)


自己紹介

1986年5月6日、北海道札幌出身。比較的裕福な家庭で育ちましたがお金には厳格な家庭だったため自由にできるお金は渡されず、その為か高校時代から転売ヤーとしてお金稼いで遊んでいる一風変わった人間でしたが後は普通。明治大学を卒業し大手メーカーで内勤営業7年ほどしていましたが

「これって僕じゃなくてもできるのでは?」

と考え起業家を志し、まずは勉強とたった4人しかいないITベンチャー起業に転職。そこで営業マンとして仕事をし店舗向けクーポンアプリを売るという営業。飛び込みから法人営業まで全部こなしてどんどんお客様を獲得し営業マンが増えても成績は常に上位でした。この時、学んだのは

「製品を好きという気持ちがあれば必ずお客様に届くし、買ってもらえる」

ということです。会社は一時期Weworkに本社を移し社員60人ほどまで増えました。しかし経営的な問題が起こり倒産の憂き目に遭いました。今思えば会社の起こるところから最後まで関わることができた貴重な体験でした。その後、しばらく大手の面接を受けたりしてましたがやはりベンチャーで働いていたいとロボットと農機具を作るメーカーに転職しそこでも営業として就職したのです。

コロナが発端で広報への転向

さて、ここまで営業としての自分を書いてきましたが広報に転向したのは本当に偶然、というかずっと営業してたかった(笑)
2020年12月頃だったと思います。新型コロナウイルスが猛威を奮い今までのようにお客様のところへ気軽に行き営業することが難しくなりました。といっても営業として「コロナで営業できなくて数字取れません」などという言葉はないです。この状況で今まで通りの成績を出すにはどうすればいいのか?

「メディアに出して下地を作った後、営業で刈り取ればいい」

というアイデアが頭には浮かんだのです。ずっと営業畑いっており、広報など全くやった事ありません「メディアに売り込む部署」程度にしか当時は頭になかったです。広報のスペシャリストを仲間を入れる必要があると考えwantedlyで広報の募集をかけてみました。10人以上面接しましたがなかなか「この人にウチの広報を任せよう」という方が現れず1ヶ月くらいが経った時友人から

「樋脇さんが広報やればいいんじゃない?」と言われ「うん、そうだね」

と答えた事を今でもよく覚えております。もちろん不安もあったのですがこれ以上時間もかけていられず広報としてまずは名刺を作ってもらい自分の広報デビューが始まりました。

当時作った名刺

まずは広報を教えてくれる師匠探しから

名刺作った後に取り掛かったことはお手本になる人を探すこと。営業の時もこれまでも、まずはなりたい人、未来の自分となる人を探してその人からやり方を教わって自分でひたすらアウトプットするというのが樋脇流です。目をつけたのがPRマガジンの「話題の広報」インタビューされた広報さん

「なるほど、この人たちが世の中に認められている生粋の広報さんなのか〜」「早速アポイント取ろう〜」

広報さんのSNSアカウントにDM送って「会って教えて欲しいです」とひたすらやってましたね。今思えばかなり乱暴なやり方だったかもしれません。しかしやはり何人かは会ってくれますし、丁寧に教えてくれる方もいらっしゃいました。

「やはり強い気持ちがあれば相手には届きます」

そいうことでまた1ヶ月くらい色々な広報さんとランチしながら聞いたり実行したり時に記者クラブ行ったり広報の本読み漁ったりしてましたね。目標となる人もこのころ見つかりまずはその人のやり方をインプットアウトプットしまくってました。

メディアに出して下地を作った後、営業で刈り取り広報

半年ほど経ってテレビや新聞、雑誌など露出を随分増やすことができました去年の8倍くらいだったかな?「〇〇新聞見て問い合わせました」「今朝の〇〇番組で取り上げられていた製品について教えて欲しい」という問いわせがくると広報としては嬉しかったですね。ただ露出や問い合わせが増えたかといって別に製品が売れまくったか?というとそうではなかったです。確実に知名度は上がっていましたが

1、広報=宣伝ではない
2、宣伝ではない=売上に直接ならないが知ってはもらえている
3、知って好きになってもらえているうちに営業にパスする

という方程式が自然と見えてきたのは必然でした。
では具体的にどういう広報をやったのか?
基本は
1、販売拡大したいエリアで企画をつくる
2、メディアさんを呼び露出に力を入れる
3、メディアさんが露出で盛り上がっている間に営業を集中的に行う

地方の場合ですとローカルメディアは地元の方にとても読まれる媒体です。メディアに出すことでお客様に「あの時見た会社の製品」となりますし営業のテーブルを作るのも比較的楽でした。そうやって自社の農機具やロボットパーツを認知が盛り上がっているうちに営業し、そこからお客様の声の取材や記事などをまたメディアさんに取り入れていただく。

広報と営業の連携がうまくいっていると本当にすごい力を発揮する

と実感し、広島、愛媛、静岡もその調子でどんどん販路拡大の底上げとして広報させていただき営業や売上を助けることができてよかったです。

6社の広報マンとメンバーの加入

最初の副業は2022年の6月でした。きっかけは他社の人事担当さんと飲み会してた時。

「弊社では副業を大いに奨励してます。自社のカルチャーに染まりすぎず新しい価値観を外部から持ち帰っててくれるからです」

人事さんって基本的に社員が自社に集中できるように副業禁止するということ聞いてましたが、そういう考え方をする人もいると知りました。実際に友人広報さんも正社員しながら副業をしているという話は聞いてましたし、広報部ができてちょうど1年。少し落ち着いたこともあり副業することにしました。最初の副業先は本業の代表が副業先となる代表と合同のピッチする機会があり、そこで広報の相談を受けたことから業務委託でジョインしました。

初めての副業は「時間管理」と「違うカルチャーの理解」がすごく大変でした。他社の広報さん一体どうやってこれこなしてるんだろーってなりましたね。でも3ヶ月くらいでなんとかこなせるようになりました。3社目もチャレンジしてこなせるようになったのですが流石に4社目ができなかったですね。

「これ以上忙しくする理由ない」
「1人でやれる事は限界がある」

そこでメンバーを増やすことに。1番最初のメンバーはライターの木下さん。元々彼女とは知り合いであり広報に興味あると前々か言ってました。自分としてもライティング面を手伝ってくれればとジョインしてもらいました。

ライターの木下さん

木下さんが入ったことで単純にライティング面のクオリティが上がったことに加え壁打ち相手が常にいる状況になりました。1人だとどうしてもモチベーションが上がらない時ってあるんですが、頼んでいた仕事をどんどん木下さんがあげてくれると、自分も頑張らねばとまたモチベーションが回復したり一緒に意見をだしながらお客様にこうしたら喜んでもらえるのでは?と考えてたりして、また広報の仕事も取ったりとかもできるようになりました。2022年12月には6社の広報担当となり2人のメンバーが支えてくれる状況になってました。

フリーランス広報となる

2023年に入り忙しい日々でしたが広報へのやりがいを感じ充実してましたがそれと同時に「このままでいいのか?」と思ってました。副業が認められている会社ではありましたが既に副業の域を越えていて通常業務にも支障が出始めていました。広報を手伝ってくれているメンバーにもあまり会うことができないので自分の熱をうまく伝えきれないとも思っていました。

どうすればいいのだろう?本業が嫌いになったわけではない、何かに不満があるわけではないけれど本業と副業同時にこなすのってもう無理なのかな。

何かを成し遂げたいのであれば何かを捨てなければいけない
強い気持ちがあるのであればそれに向かって進みたい

2023年2月28日、退職の日に代表から花束をいただきました。

そう思って自分は2023年3月1日よりフリーランス広報となりました。会社に守ってもらえなくなる自分。不安もありますが強い気持ちがあれば必ずなんとなかなる。道は開ける。そう営業マン時代から学んでおりました。これからどうなるかほんとまだ未知の世界ですが、引き続き今のお客様に自分の広報を通じて力になれればと思っております。

樋脇

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