ましん

無所属。興味は旅行、美術館巡り、野遊び、読書。

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    自分の言葉を集めて編集しています。ひとかたまりになったらブログにします。それを集めていたらそのうちに何かになってくるかもと思って、まとめてみます。

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    時代 誤解 考察

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    色々な町を訪れて、地理的な目線で見ていきます。その町の人生の動線が見たくて。

記事一覧

固定された記事

現在の生き方について

はじめに周囲の人や世間の様子が気になる。自分の核、自分の情熱とかがわからないのだという。僕もその気持ちはわかる。そこを壊して自分を変えてきた。 そういう問題は、…

ましん
6か月前
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Letterを書いた。ブログでも章立てしないと混乱するくらいの文字数だった。書くことはできるなと思った。内容か、、、まぁ、ともかく、気持ちが向かうのなら、書けるのだろうな。

ましん
3日前
1

僕がわかることはわかってみると難しくなくて。人間には災害時などの顔・人格がある。それを出す場がなくなり、バーチャルで第三の世界を持つようになった。しかし日常外のサード現実が第4位置で超えすぎる。6、70年代の小説ではそれが消えるのを危惧していたのだなと。

ましん
5日前
2

書き方を忘れてしまった気がする。第一に習慣に少しもない。やることがあるとはいえ、ひとつもできないはずはない。書いているうちに書けてくるのもそうだけど、頭の中に原型ができてきて出さずにいられないタイプだし。頭がネタ作業をしていない。けど書いたら続いて出るな。

ましん
2週間前
2

前回そう言いながら、家族が倒れて(退院したけど)小忙しく。まあ、手元のやることよね。

ましん
1か月前
1

パソコン上のメモが大量になっている。どうするんだ?と。取捨をして整えだした。それをどうするんだと。投稿してしまえばいいかなと。読まれることを考えていないのだけれど。考えてもできなかったしな。

ましん
1か月前
1

「共感の正体」 読んで思ったこと

まず現在では基本的に、 ・認知的共感 ・情動的共感 この二つがあると考えられているようだ。 また、苦しんでいる相手と同じ感情に襲われるため、共感的苦しみに押し潰さ…

ましん
1か月前
4

贅沢に金かけても
自分に返ってくる事があるけど

楽するために金かけて
消える事が多い気がする

まとめたら
ケチとめんどくさいが
将来を開かないように思える

ましん
2か月前
1

「自助社会を終わらせる」 読んで思ったこと

自助社会の問題を考えるとき、金銭的なものと関係性的なもの(心理的なもの)とがあると思う。 1自助社会は、結果的に人々を、自業自得だと切り捨ててしまうようになって…

ましん
2か月前
2

「陰謀論はなぜ生まれるのか」 読んで思ったこと

大衆が脅威になってきている、その一部が見えてくる。 1Qアノンとコミュニティブームが重なってみえた。目的を共有する友人ができるということが心的に大事だという部分…

ましん
2か月前
3

透明人間_不透明人間

透明人間は見えない。不透明人間も見えない。 また不可視な存在といえば、姿はありきたりで気に留めることがない場合もあるかもしれない。逆に、魅力という点で何もなく「…

ましん
3か月前
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しゃべれる限度があるはずなんだ

小言になってしまうのだけど。ふと思ったことを挙げて、そこから勝手に広がっていく話が書けたらなと思って。 以前の社会では、他人の話に聞き耳立てるのは行儀の悪いこと…

ましん
3か月前
1

この冬に買ってよかったものは馬油です。手の荒れが「治った」し、むしろ冬に肌がよくなった。

ましん
3か月前
1

書いたけど酷くて消した。
それと、つぶやきってどう使ったらよいのか。というかまさにつぶやいているのだけど、つぶやきだからこれでいいのか?

ましん
3か月前
1

小説は時をまとう

小説は時代を表すことがある。最近の作では「成瀬は天下をとりにいく」や「東京都同情塔」がそんな出会いだった。それで「成瀬」のメモが出てきたので、投稿に使おうと。 …

ましん
3か月前
2

自己の回復

ビジネスは万能ではない。人々の燃え尽きはビジネスのないところで解決される。 なぜ自己実現してしまうのか?自己実現前の自分は、まだ自分ではないのだろうか? 本体:…

ましん
3か月前
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固定された記事

現在の生き方について

はじめに周囲の人や世間の様子が気になる。自分の核、自分の情熱とかがわからないのだという。僕もその気持ちはわかる。そこを壊して自分を変えてきた。 そういう問題は、幼少期の環境の影響があるという話に納得している。具体的に書ける量じゃないので省くけど。世代世代で具体的なものは違うはずだし、個人個人でも違う。 そこで最近は精神療法系の話に興味が出てきた。以前にも興味はあったのだが、自分が立ち直るためだった。今回の興味は、これから書くような現実と人生と広がりの時空間がマッピングでき

Letterを書いた。ブログでも章立てしないと混乱するくらいの文字数だった。書くことはできるなと思った。内容か、、、まぁ、ともかく、気持ちが向かうのなら、書けるのだろうな。

僕がわかることはわかってみると難しくなくて。人間には災害時などの顔・人格がある。それを出す場がなくなり、バーチャルで第三の世界を持つようになった。しかし日常外のサード現実が第4位置で超えすぎる。6、70年代の小説ではそれが消えるのを危惧していたのだなと。

書き方を忘れてしまった気がする。第一に習慣に少しもない。やることがあるとはいえ、ひとつもできないはずはない。書いているうちに書けてくるのもそうだけど、頭の中に原型ができてきて出さずにいられないタイプだし。頭がネタ作業をしていない。けど書いたら続いて出るな。

前回そう言いながら、家族が倒れて(退院したけど)小忙しく。まあ、手元のやることよね。

パソコン上のメモが大量になっている。どうするんだ?と。取捨をして整えだした。それをどうするんだと。投稿してしまえばいいかなと。読まれることを考えていないのだけれど。考えてもできなかったしな。

「共感の正体」 読んで思ったこと

まず現在では基本的に、 ・認知的共感 ・情動的共感 この二つがあると考えられているようだ。 また、苦しんでいる相手と同じ感情に襲われるため、共感的苦しみに押し潰されたり誤った判断に導かれたりするという理由の反共感論もある。災害や戦争のニュースで、苦しくなってしまう人もいるだろう。 相手の言っていることがわかるというだけで共感していることになっている現在。共感について何も考えていない共感論がふるわれている。いじめも、仲間内と外とで敵友の線を引くのも、状況が見えていないと思う

贅沢に金かけても 自分に返ってくる事があるけど 楽するために金かけて 消える事が多い気がする まとめたら ケチとめんどくさいが 将来を開かないように思える

「自助社会を終わらせる」 読んで思ったこと

自助社会の問題を考えるとき、金銭的なものと関係性的なもの(心理的なもの)とがあると思う。 1自助社会は、結果的に人々を、自業自得だと切り捨ててしまうようになってしまった。必要以上に切り捨てられてしまう。自助できたらあなたは合格。その上下を作ってしまう。浮上しやすい人と沈殿しやすい人を生んでいると思う。 そこではケアの気持ちがなくなってしまう。なくても社会的に問題がないように見えてしまう。結果的にビジネスでケアがなされているし、自分の役割ではないことだし、となってしまう。ケ

「陰謀論はなぜ生まれるのか」 読んで思ったこと

大衆が脅威になってきている、その一部が見えてくる。 1Qアノンとコミュニティブームが重なってみえた。目的を共有する友人ができるということが心的に大事だという部分だ。情報のシェアという時代がQアノンを産んだのではないだろうかと問いが浮かんだ。 10年代にスモールワールドネットワークだとかの感覚で、世界はつながり人々に知が行きわたり、人類は理性的になって飢餓や戦争がなくなっていくくらいに理想が示されたものだけど、全然中身はそうじゃなかった。よく考えれば当然、よいものだけが伝播

透明人間_不透明人間

透明人間は見えない。不透明人間も見えない。 また不可視な存在といえば、姿はありきたりで気に留めることがない場合もあるかもしれない。逆に、魅力という点で何もなく「アンテナ」が動かないとか、場合によっては意識することが面倒に巻き込まれるようでファスト回路上受け付けようとしないとかだろうか。 どちらにしても人間はあまり見えない。要は、他人から私などは見えとらん。第一印象に、世界がものがたりされている。現実が見えなくて幻影が見えている。 「自分」と「私」は違うもの。「自分」は身

しゃべれる限度があるはずなんだ

小言になってしまうのだけど。ふと思ったことを挙げて、そこから勝手に広がっていく話が書けたらなと思って。 以前の社会では、他人の話に聞き耳立てるのは行儀の悪いことだった。同時に他人に話の内容がわかってしまうように喋るのも行儀の悪いことだった。今はそうではなくなった。 要は、気にすんな&うるせえなぁと感じるようになった。建物の音の反射が大きくなったり、ネットスマホ時代になって情報の外に出られなくなってしまったのは外部要因だと思う。それだけでなく、喋ることの行儀が悪くなっている

この冬に買ってよかったものは馬油です。手の荒れが「治った」し、むしろ冬に肌がよくなった。

書いたけど酷くて消した。 それと、つぶやきってどう使ったらよいのか。というかまさにつぶやいているのだけど、つぶやきだからこれでいいのか?

小説は時をまとう

小説は時代を表すことがある。最近の作では「成瀬は天下をとりにいく」や「東京都同情塔」がそんな出会いだった。それで「成瀬」のメモが出てきたので、投稿に使おうと。 はじまり ネットでつながり、島や村が強制的に開かれた。国民のほぼ全員で漱石と同じ悩みを持つ時代になった。 単独で、(浅い)社交をしなければならなくなった。協調性から社交性に切り替えなければ、心地よくいられなくなった。ただ単に挨拶の練習が重要になった。既存路線上ではこうなってしまう。 人間関係=情、で考えなければ

自己の回復

ビジネスは万能ではない。人々の燃え尽きはビジネスのないところで解決される。 なぜ自己実現してしまうのか?自己実現前の自分は、まだ自分ではないのだろうか? 本体:ボディを持つものは「時」をまとう。ボディのない情報状のものは「時流」はあるが「時」はまとわない。 終戦直後の本は、紙の質が違ったりするらしい。数年で紙質が回復してきても、書き残さなければならない優先順位の高いものからになっただろう。ボディがすでに何かを言っている。「時」をまとっている。 デジタル化されたものは、