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手塚治虫展 田川市美術館

最近ゲゲゲの鬼太郎の水木しげるさんの作品をお腹いっぱい見てきたその勢いもあって同じ漫画家の手塚治虫さんのものは如何なものかと、同じように美術館巡りが好きな友達と行ってきた。
先に水木しげるのを見ての手塚治虫展だったので、会場の広さとその入場料の安さでそんな大した数ではないだろうと思いながら向かっていた。

田川市にはなかなか行かないのでどんな美術館なのかと思いながらの道中だった。
福岡には、国立博物館、県立美術館、福岡市博物館などたいそうデカイ建物でさまざまな催事があるのでそれとつい比べてこれまたあまり期待せずに車を走らせていた。

思った通りの街のはずれで周りに洒落たお店などなど何もなく、しかも駐車場がありえないくらい狭い!20台は停めれないくらい狭い。バスも頻繁に来るわけでもないのに、田川の人は美術館とか行かないのかな?
レンガ風の壁でこじんまりとした作りの美術館でやっぱりなというのが率直な感想。

中に入ってトイレに行ってゆっくり鑑賞しようと思っていたが、扉が開いたすぐに受け付けで、アトムと手塚治虫氏の人形にお出迎えされ見とれてアレヨアレヨで入ってしまった。
スッキリとした体制ではなかったから今思うとちょっと悔しい。(笑)

アトムはいつ見てもかわいいと思う。

アニメキャラな手塚治虫氏に、一応会釈などをして彼の作品に向かった。

いやーやはり生のホンモノの原稿は、パワーがありますね。その時の手塚治虫氏の魂から産み出されたものばかりだからだろう。

昔は、スクリーントーンなどないからバックを飾る幾何学模様の一本一本が細い線で描かれて原稿を埋め尽くされていて、これは先に見た水木しげる氏の時にも思ったが、本当に今の漫画家の、今のアニメ界の先駆者で、すごい!すごい!が、真っ先に感じてでた言葉だった。

彼の生い立ちや、幼少期の作品をじっくり順を追って見ていくと、だんだんと彼の心の葛藤や、悩みや、苦しみが少しだが汲み取れる気がしてきた。

二人の漫画家は、子供の頃のイジメが根っこにあって漫画をかきはじめていた。漫画の世界を頭の中で繰り広げながら現実の辛い状況から逃れていたみたいだった。
そりゃ二人とも小さい頃から絵の才能はズバ抜けていたが、友達と仲良く外で遊びまわる子供だったらもしかしたら違う仕事に就いたのかもしれないとふと思った。

そして二人ともあの戦争の体験者で、それぞれが戦争の漫画を描いていたが、ただ違うのは、水木しげる氏の方が凄まじい戦争の体験をしていたことだと思った。片腕なくしてるんだからね。手塚治虫氏も辛く悲しい体験をしていたが、やはり最前線のジャングルで敵と死からの恐怖をずっと味わった水木しげる氏とは違うなぁと思った。

手塚治虫氏は、戦争が終わった喜びと復興していく日本の明るい未来に目を向けていたんだろう。だから、アトムとか、ワンダースリーとかメルモちゃんとかファンタジックな、SF的な作品に広がっていったけど、水木しげる氏は、眠るとずっとうなされていたらしく、ジャングルで生い茂る木々や、息苦しい空気や彼に見えていたかもしれない得体の知れないものにずーっまとわり憑かれていたのかもしれない。彼の作品には、オドロオドロしいものを見るから。

そんなことを思いながら進んでいくと、撮影OKのブースに入り、またまたうわーってなった。

実際の仕事場のデスクです。近づいて見ていいので興奮気味にスマホを取り出しパシャパシャ撮った。

帽子まであるし。
ペンは、長いのが邪魔だから全て折って使っていたと書いてあったら、まさにそれが置かれていた。

ペン先は何を使っていたんだろう?

こんな感じ。
ペン先に興味を持っなんて漫画家でもない私だけど実は、ただ単に文房具好きなのだ。(笑)

手塚治虫氏のすごいところは日本で初めてアニメーションを作ったというのは誰しも知っていると思うがそうなる行程や、作業の様も事細かく説明されていたから、またまたスゲ〜スゲ〜の連発だった。

アニメーションにはめちゃくちゃ行程と人手がかかっていて当時のアニメ番組を再放送ながら見ていた私は、驚きしかなかった。

今は簡単にコンピュータでできるから、その凄さは是非、展示会に来て感じてください。

とにかく、はじめに言っていた田川市美術館さん、ごめんなさいと謝ります。いや〜600円の入場料では安すぎます。
見応えありました。

お近くに手塚治虫展が来たら是非是非見に行ってください。そして手塚治虫氏の息遣いを感じてください。

#手塚治虫 #アトム #手塚治虫展 #漫画家 #田川市美術館

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