【日曜興奮更新】サンドウィッチ

神田へ、朝6時を目指して向かう。

錦糸町から電車に乗ったのは、最近始めた喫茶店で朝の仕込みをするためだった。


5時35分。
店の前には今日も片山さんという男の先輩が体操座りをしてマスクの隙間からタバコを吸っていた。ハンチングを目深にかぶり、鍵をジャラジャラ振ってみせ、「はやく来すぎ。」と言うのだった。

喫茶店の制服を買うお金もない学生の私は、店長に5,000円を渡され水道橋で買ってきた白いTシャツを着ている。

「なんで白いTシャツなの?」

「何買えばいいか分からなくて。」

「うち、ポロシャツなんだよ。」

「え。」

「今日はサンドウィッチの作り方、教えるわ。」

集合時間も制服も間違って働く。夢の東京生活。鍵がうまく開かなくて貧乏ゆすりをしている片山さんの後頭部の白髪を見ていたら、この職場は恋愛というかトキメキみたいなものは期待できないと思った。

よく冷えて寂しい店内は、2回カチカチさせたら点く蛍光灯で少しだけ暖かくなった。


6時10分。
遅れてやってきたのは、大学2年生のリナさん。

「おまえ、遅いよ。何してんだ。こっち、新しい子。」

「どうも。よろしくお願いします。」

「どこの大学?」

「いや、神田の専門学校です。」

「ふーん。よろしく。」

赤いメッシュが大きく入ったリナさんはDIORのショップバックから自前のウィッグを出し、サッと被って手を洗う。

私も倣って洗っていると、大量のパンが業者から運ばれてきた。

伝票に「名前を書いて」と言われて、私の責任で書いていいのか分からないけど、ここから仕事って始まると思った。


「じゃあ、サンドウィッチ作ってみて。俺、見てるから。」

はじめから教えてくれないのってアリなのか。どこかのお店で食べたことがあるし、簡単だろうと具材を乗せていく。わざとハムがはみ出るようにしてみて、ここで“出来るやつ感“を出して行こう。

片山さんは舌打ちをしてハムを中に押し込んだ。

「なにもかも違う。褒めるところがあると言えば、なにもかも違うってところかな。」

「ちょっとー。やめてくださいよ。早く教えてください。」

「ねぇ、2人とも。7時にサラリーマンが買いに来るんだから早くして。」

片山さんは結局教えてくれず、10個のサンドウィッチを作った。


6時45分。
150円のホットコーヒーを求めて並ぶサラリーマン達が来た。

「なんでこんな時間にわざわざ来るんですかね。」

寒い中、手をこすりながら安いコーヒーを求める気持ちが分からないので二人に質問した。

リナさんは言った。

「会社に行く前の楽しみを見つけてしまったんじゃない。」

片山さんはこう言った。

「俺が豆から挽いてるからに決まってんだろ。」


入り口のカーテンから顔を覗かせると、早く開けろと口パクでサラリーマン達に急かされたので、仕方なく「営業中」の札を出すと、笑顔になったのがおかしかった。

150円、150円の連続よ。

レシピを間違えて作った特製のサンドウィッチは開店15分で売り切れてしまった。


1ヶ月後。
私はサンドウィッチを完璧に作れるようになっていた。レシピは片山さんを捕まえては少しずつ聞いて、正解を自分のものにしていった。


リナさんがいない日曜日。
片山さんと一緒に朝からサンドウィッチを作った。彼は「おれ、いま追われてるんだ。」と告白してきた。

「誰にですか。」

「ヤクザ1組、半グレ2組。」

「おもしろいですね。」

「お前信じてねーな。」

パフェに使うチョコをパキパキ割って話半分に聞いていると、肩を掴まれて「朝のバッドニュースと思って聞いてくれ。」と45歳に頼まれた。 

そのニュースによれば、彼は元大型クラブの支配人であった。熊本出身で、身体は昔から丈夫で黒帯の負け知らず。医者を目指して上京し、最初に行ったクラブで黒服の人と喧嘩になり、勝ってしまって、なぜかそのまま黒服になったという。

黒服から支配人になるまでのストーリーは、簡単だった。女達にモテ、男達にもモテ、しかるべき時に暴力が振るうことが出来ると、のし上がれるんだと簡単に言った。

しかし20数年が経ったある日。
穏やかで煌めいた夜、支配人室に彼を貶めようとした集団が入ってきて殴られ鼻血が出たのに、数十分後には自分以外が床に倒れていたらしい。

椅子の下に隠した3千万をバックに入れて、神田に逃げて来た、とサンドウィッチ3個を作り終えた私に言った。

「はぁ。なんで神田なんですか。」

「俺って、神田にいそうにないだろ。」

「たしかに本の街にはいない顔してますよね。」

「そう。でも医者を目指してた頃に通っていた街に帰ってきた。普段もマスクと帽子で顔を隠す生活よ。」

3千万があっても、家にいるよりは神田にいる方が安全なのかなぁと不思議な気持ちになるけれど、こんなエピソードが聞けるのは東京っぽいのかもと嬉しくなった。

陳列棚にパンを並べながら、ふと「でも、いま追っ手が店に来て襲撃されたとしたら、私も一緒にかくまってると思われて、あの世行き。」と怖くもなった。



リナさんが感傷的になっていた火曜日。
フルメイクバッチリで出勤した酒くさい彼女は、少し涙を浮かべてクマが出来ていないかを気にしていた。

「ミスコンがあってさ。」

朝の仕込みが終わり、防犯カメラに移らない店の隅っこで店のオレンジジュースをがぶ飲みしながらこっちに向かって大きな声で言う。

「わたし、東大行きたかったのに落ちちゃってさー、よく分からない埼玉のキャンパスにいんの。もう最悪。ミスコンで目立ってメディアとかに出たらきっと、きっとさ、東大に行った人よりも先に行けると思うんだよね。」

彼女はモデル並みの顔立ちをしていて、スタイルも抜群であった。中学生の頃から吸っていたタバコで歯の色が神田の古本みたいになってる以外は、完璧であった。

「だから今日から、というか昨日から髪も染め直してメイクもして、頑張る。」

「きっとリナさんなら行けますよ。」

「ありがとう。わたし、間に合うと思う。遅くない、全部が今年のための布石だったんだよ。」

ホワイトニングの予約だけ、早めにした方がいいんじゃないかとは言えない自分がいた。


3人が揃って働いた金曜日。
片山さんは舌打ちが止まらない。リナさんと根本的に相性がわるい。まだリナさんは来ていない。ガラスを叩く音がした。ブラジャーが半分出て満面の笑みのリナさんが、M字バングのホストらしい男を引きずって「早く開けろ」と急かした。

片山さんがホストの顔面を叩いて、道の向こうの生ゴミの塊の上に投げ捨てた。

私はサンドウィッチを作る手が止まって、ただ見ていた。

泣くリナさん。

片山さんは「サラリーマンが来る!手元を止めるな。」とホストをもう一発ビンタしながら叫んだ。

店の時計は6時45分。

サラリーマンが来る前に、リナさんにポロシャツを着せてカウンターに立ってもらう。

心臓の鼓動が早くなり手が震え、私たちは何も間に合ってない中、3人で並んで、150円のコーヒーを売り始める。

サンドウィッチは動揺のレシピで出来上がり、それを買っていくサラリーマンの後ろ姿が大きく見えた。

そして、みんなが普通に過ごす日常に、おそらく不幸である2人に挟まれて、上達しては元に戻るサンドウィッチを作り続けることを1年半選んだ。

片山さんは書き置きを残してマレーシアに飛んだ。

リナさんは、怒らせてはいけない集団を怒らせて大阪に飛ばされた。

2人とも飛ぶ前日はタバコを吸って余裕で「明日も、同じことやろうね。」って言ってくれたのに、私だけが神田に残って血尿が出る中、深夜MacBookのキーボードを叩く仕事についた。

飛ぶ前の顔、さよならするときの顔、笑顔であればあるほど、その帰り道が怖い。

同じ日は永遠に続かず、自分だけがここにい続けることの不安を抱え、私も何かから飛ぶ日が来ることを願いたい。

思いっきり次の執筆をたのしみます