【キミの女装の中心線#01】本屋で働くキミの、はじめての女装
キミは、なんのために口紅を塗りますか?
私はというと、ここ数年コロナ禍でマスクをしなきゃいけないし、誰に見せるんだろうって思うことがあった。
人間として性欲が盛んだった去年の夏は、キスして数時間揉みくちゃになれば口紅の役目は無くなって、それ以外は自分のためにきれいに塗ることなんて考えていなかった。一瞬の鳥の求愛ダンスみたいな、そういうのに近かったのかもしれない。デパートにリップの新作を見に行くようなことも少なくなった。
去年の末、ひょんなことから新宿にあるゴールデン街の飲み屋で働くことになった。新宿は人の多さはもちろん、色んな人がいる。記憶のこびりつき方が、他の街よりも濃いと思うのは私だけだろうか。特段、この街に飲みに通っていたわけではないけれど、おそらく自分にとって異文化が沢山あることは映画や小説で知っていた。そのどれもを体験して腹落ちしている訳ではない。分からないのに、理解者みたいな動きをするのも違うと思っている。
初めて店に立った時、ある女性のお客さんがやってきた。
彼女は、ゴールデン街の近くの女装サロンRAARで「女装をしたい男性」を対象にメイクやドレスアップをする仕事していると言った。
「女装?そこで綺麗になった後、彼らはどうするんですか?」
「スタジオで本格的な撮影をしたり、そのまま街に出て楽しんでる方もいます」
「なるほど。いわゆるゲイの方や、ニューハーフの方とかも女装男子の中に含まれますか?」
「女装のはっきりした定義は難しいですが、中にはストレートの男性として女性を好きな方もいるんですよ。うちのお客様は殆どこのタイプですね。」
「え、わからなくなってきました」
冷蔵庫からソーダ水を出して飲み、頭の整理をする。上京してかなり経つが、女装した方と話したことはない。電車の中で時々見かけるような気もする。しかし彼女のサロンに通うお客さんは多く、週末だけ女装をする方もいるという。週末だけ変身するルーティーン、私の中にはない。
少し焼酎を入れすぎたグラスを渡すと、彼女は言った。
「色々分からないですよね。お姉さん、去年本を出されたんですよね。Twitterで見ました。あ、よかったらうちのサロンのお客さんを取材してみませんか。面白い方、沢山いらっしゃるんです」
これまでの人生で考え込んで返事したものは上手くいかない場合が多かったが、この時わたしは即答したのだった。
「やります」
「早い!やりましょう」
このスピード感はゴールデン街特有の空気を借りたものと信じたい。
続けて、また新しいお客さんが入ってきて、彼女の横に座った。
私は彼女から女装についてのよもやま話を聞きながら、次々とドリンクを作る。氷をかち割って適当な数をグラスに入れた。新しいお客さんは男性で、興味津々に我々の話を聞いていた。小さな飲みの席では、知らない横の席の人の話に巻き込まれていくことがある。発展と言っていいのか、交差して練り上がっていく時もある。
「僕、女装に興味あるんですよ」
今日はなんて日なんだろう。
「お兄さん、女装しませんか」
「え、やります」
「ここで出会ったのも偶然。私がキミの初めてを見届けます」
ノー努力でポンポンと決まる話は、何かから応援されているに違いない。連絡先を交換して、日程を決めていく。平日の昼間になった。彼の仕事は都内の書店で働く、書店員だという。私は去年本を出したばかりの作家の卵である。書店と聞くだけでちゃんと緊張が走る。昔のように楽しく書店に行けない。自分の本が置いてあるかどうか恐る恐る聞いたら置いていると言ってくれたので、LINEで最敬礼をしているキャラクターのスタンプを送信した。ここからは慎重に行こう。
当日。
女装サロンRAALは、雑居ビルの中にあった。ここにめくるめく知らない世界があるのだ。中は撮影スポットとメイク室に分かれていて、ギャル系の服から萌え系、地雷系のアイテムがズラっと並んでいた。最近は目元の赤みを強くした地雷系女子になりたい人が増えているという。焼酎のストロング缶も棚に並んでて、これも撮影時に口元に添えて使用するらしい。
彼はすでにメイク室で座っていた。書店員と聞いて色んな複雑な気持ちを抱えながら、彼の姿を撮った。
こんな時、なんて声をかけたらいいのか分からない。そういえば他人がメイクしている姿を改まって見たことがない。無言で拍手をしてみた。彼は顔のそれぞれのパーツが大きく、化粧映えしそうだ。
このサロンでは衣装やアクセサリーの貸し出しもある。どんな衣装がいいか、次々と試着して決めていく。繊細なネックレスを付けられて恥ずかしそうに笑う彼を、オーナーと一緒に褒めた。
「私、外に出てますね。先にデート先のカフェで待っています」
「了解です」
カフェで待つと言ったが、なんだか緊張してしまって新宿三丁目の道をぐるぐると歩いた。手汗を太ももの生地で拭う。なんで私の方が緊張しているのだろう。近くの花園神社にも寄って、気持ちを鎮める。
「私、やってやります」
神様も困惑するお願いをして、やっとカフェに向かった。そこは世界中のお茶が飲める場所で、いつか行ってみたいと思っていたのでジィッとメニューを読み込み決めた。銀色の大きなポットと美しいカップが運ばれてきて、自分で頼んだのにお姫様扱いをされている気分になる。
お茶って、やっぱりリラックスできるな。
彼から「もうすぐ着きます」とメッセージが来た。
緊張が戻ってきて、ポットを傾けては飲み、を繰り返す。
入り口からゆっくり彼が入ってきたのを感じて顔を向けると、女の顔をしていた。パンプスを履き慣れていないせいか、すり足でこちらに向かってくる。慎重な人だ。
真正面の席に着くなり、ポーズを決めてくれた。気持ちは高揚しているようだ。つけまつ毛は綺麗に目のカーブに沿って付いていて、口紅は本来の口元より小さく引かれていて、上品なラインだ。
「あの、お綺麗です」
「ありがとうございます。さっき街を1人で歩いたんですけど、意外とジロジロ見られなくて驚きました」
「メイクもバッチリですし、よく見ないと分からないかもしれないです。初女装、いかがですか」
「なんか気合い入りますね。なんだろう、この感じ。あとメイクされると大切にされてるなって感動しちゃいました。スポンジで顔をトントンされてる時、心地よかったです」
「エステ行ったあと、そんな感じあるかも。今回は肩が透けた衣装で、何を意識して選んだんですか」
「高円寺にいそうな雰囲気、かな。」
「私、高円寺に住んでましたけどちょっと違うかな。どちらかというと西荻窪にいそうな気がします」
「高円寺とそんな違いあるんですか」
女装をしている彼から、男性の声がすることに少し慣れない。でも、変身前より所作がなめらかになっているのは気のせいだろうか。
そして彼も紅茶を頼み、カップに口を付けて置いた。
「あっ」
「どうされましたか」
「見てください、カップに僕の口紅が付きました。これ、よく見るやつだ」
「え、本当だ。こういうのは新鮮に感じますか」
「だって普段塗るにしても透明な薬用リップですし。あと、さっき無意識に目をこすったらアイラインが滲んだんですよ」
私は女性としてメイクしてきたけど、こういうのってメイクしたての時に経験したよなと記憶が蘇る。今日、彼は初めて色の付いた口紅を引いたのだ。
「メイク初心者あるあるですよね。顔を触りがち。そうだ、あなた書店員さんなんですよね」
「です。あ、待ってください。僕、せっかく女装してるし、エリって呼んでもらえますか。」
「エリちゃん。なぜエリ?」
「強そうな女が好きなので。エリって社会のいろんなことに負けない気がします。あと、お互いタメ口で行きましょう」
「分かったよエリちゃん。今日は本屋の仕事はお休みなの?」
「うん」
「エリちゃんは本が好きなの?」
「好き。僕ね、すごく飽きっぽくて色んな仕事を経験してきたの。バーテンダー、居酒屋の店員、塾の講師にヒモ。」
「ヒモって仕事に入るの?」
「生活を支えてもらう代わりに、相手の求めるものに24時間100%応えるスタイルだったからプライド持ってやってたよ」
「ヒモのプライド?それだけを3時間聞きたいよ。でもなぜそこから書店員に行くの」
エリちゃんは残り少ない紅茶を飲み干し、軽く瞬きをして、こう言った。
「ある日、自宅で介護してた親父が死んだのね。ずっと弱ってる姿を見てて、もう長くないだろうと分かってたし、自分は自分のペースで30年間好きに生きてきたつもりだったんだけど」
「父親の存在は大きかった?」
「うん。死んでから、あれ僕って本当にやりたいことをやってきていないと気づいたんだよね。どこかで無意識に親父の目を気にして生きていたんだなと。その時に、僕がずっとやりたかったことって昔から好きな本に関わることだなと思ったのよ」
「読書だけは飽きずに続けていた?」
「うん、それで都内の書店の面接を片っ端から受けていったんだ。あと僕ね、B'zのファンなんです。昔、好きすぎてホットパンツを真似して履いて音楽イベントしたこともあるくらいのファンです。いま働いているところの店長もB'zファンでビビッと来た」
「B'z!」
「書店の棚づくりもすごく面白い。担当の配置やポップの作り方で、売れ行きも違うし。僕のこだわりは色んなジャンルの本をミックスして置く。それぞれの分野を好きな人が同じ棚に集まってくるし、それにね、お目当ての本の横にある今まで触れたことがない分野の出会いにも繋がんのよ」
「熱い口調だ」
「すいません。今、女装してること忘れて完全に書店員モードでした」
「私も忘れてたよ」
私はその後お手洗いに行き、洗面台の鏡を見ると自分のメイクの薄さに気づいた。昔はまつげエクステもしてたのに、最近はビューラーで上げることもしてなかったな。鼻の毛穴も気になってきた。自分のために手をかけて綺麗にすると、エリちゃんのような満たされた表情になるのかもしれない。
エリちゃんと外に出て、一緒に沢山写真を撮った。
「可愛いポーズしたくなっちゃいました」と言いながらポーズをとって待っている姿がすでに可愛い。昼のゴールデン街にも寄った。開いている店は少ない。夜は常連達と観光客が往来し、はしごしている。いつも知っている場所と表情が違う飲み屋街は、2人だけの世界のようだ。もうすぐ解散ということが寂しくなる。これは女友達が出来た感覚に近い。
知らない酔った女の子が、とある店から出てきて一緒にポーズを取ってくれた。「試験の時間に間に合わなかった」と半泣きだったので、2人で慰めた。
ねぇ、女装に触れるのが初めて同士でも距離が縮むんだね。また、夜のゴールデン街で会おう。そして帰りに伊勢丹寄って帰ろう。それに関係ないけどジムも行こう。私もスイッチを入れたくなってきた。
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次回は女装歴8年、麗しのスーパーロングヘアの男子に出会います。おたのしみに。
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思いっきり次の執筆をたのしみます