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風を連れてくる人 #シロクマ文芸部

風薫る…子?
芸能人・・さては女スパイ??
なーんて、5月生まれでしょ。

俺は会社勤めをしながら
英会話教室に通っている。
授業でたまたま隣になった女子大生に
こんな風に声をかけたのが始まりだった。

俺のおちゃらけは大はずれ。
すべっちゃった。
「風薫子は本名です。でも、5月生まれではありません。」
…って、ごめん。

まあ、風が薫るから5月生まれだろうって
勝手なイメージだよな。
何度も言われてるんだろう、悪いことをした。

「私が生まれたとき、金木犀の香りが病室に満ちてたんですって。」

ああ、それで薫子さん。
静かな物言いの人だ。

週に1度、同じ教室で会う薫子さんと、
少しずつ話をするようになった。

「Hey! Guys!」
先生の一声がかかると薫子さんはガンガン会話に入っていく。
それどころか授業を引っ張っていってる感がある。
それでいて話し方は静か。
彼女の英語は心地よい風を
教室に呼び込む。

薫子さんは授業以外ではいつも1人でいる。
来るのも1人、帰りも1人だ。
帰りに1杯、は無理でも食事、いやコーヒーぐらいは
誘ってもいいんじゃないか。
でも教室を出るとすぐ彼女を見失う。

1杯どう?どころかお茶に誘うこともなく
日々は過ぎていく。
俺の語学力より彼女への想いの方が
めきめき成長していく。
なにやってんだ俺。

教室から駅に向かう途中にある
小さな居酒屋に寄った。
気まぐれにふらりと。
生1杯で帰るつもりで。

オーダーを取りに来たのは薫子さんだった。
へ?って顔している俺に
「変ですか?居酒屋のバイトなんて」
・・と言って、うつむき加減でオーダーをとる。
不機嫌?
いや、少し怒っているようにも見えた。

他のテーブルでてきぱきと接客をする彼女。
授業のあと姿がぱっと見えなくなるのは、
ここに来ていたからなのか。

彼女はバイトをしていることも場所も知られたくなかったかもしれない。
俺は本当に生1杯だけで店を出た。

あの居酒屋に行ったのは偶然だ。
なのに自分の「あわよくば」なんて下心が
あらわなってしまったような気がする。
何を話しても「あわよくば」がついてまわってしまう。
そりゃ期待していなかったわけじゃない。
バイト先の居酒屋だって堂々と客として行けばいいのに、
ダメだ俺。

話すことが減っていってる気がする。
避けられてるわけじゃないし、避けてるつもりもないけれど。
一番言いたいことは一番言えない。
そんなの授業のフレーズにも出て来ない。
練習したところで、ほいっと出てくる言葉じゃない。

薫子さんは変わらず積極的に授業に絡んでいく。
彼女が呼び込む薫る風にあてられながら、
俺はいくつかの季節をぽやんと過ごしてしまった。

英会話教室のコースもそろそろ修了だという頃。
教室に向かう俺の
真正面から薫子さんが歩いてくる。

「こんばんは」
自然と挨拶が出た。
今日はうまく話ができそうな気がする。
彼女が話を続けた。
「私、留学できることになって。メルボルンに行くんです。」

へ?って顔をまたしてしまった。
オーストラリアなら季節が逆だ。
いや、そんなことじゃないだろ、言うべきことは。

「スパイ活動じゃないですよ」
茶目っ気たっぷりで彼女は笑った。

なんか久しぶりだこの感覚。
初めて話をしたときのことを
覚えていてくれたんだ。

1人舞い上がってしまい、気づいたら
俺、もう1年ここで勉強するよ、って口走ってた。
あれ?そんな風に考えていたっけ?

「お互い元気で頑張りましょう」
そう言って彼女は授業は受けずそのままビルを出た。

薫子さんが教室に来なくなり、
クラスメイトも変わった。
そんなある日、
事務局員から呼び止められ、
水色の封筒を手渡された。
差出人はKaoruko Kaze。
俺の住所がわからないので教室宛てに出したのだそうだ。

英会話のテキストと束ねられたエアメール。
「君が好き」
言えなくて正解だったかな。
良く晴れている。
こんな日は思い切り窓を開けよう。
俺の部屋には南半球から風が届いている。

#シロクマ文芸部
お題「風薫る」

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