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私は私が日記を書いていることを秘密にしている 2024.02.12

朝7時半起床。連休最終日。朝から洗濯を済ませる。朝ごはんにカレーパン。10時過ぎに家を出てあべのアポロシネマ。三宅唱監督「夜明けのすべて」を観に行く。

すごい映画だった。カットのひとつひとつが美しく、それでいて作為を感じないのだが、どれもが奇跡のようなショットなのだ。ひたすらにスクリーンに身を委ねて、肩の力を抜いて、三宅唱の作り上げた映画世界に浸ればいいのだ。
映画を見ていると、つい先の展開を予想してしまう。悲劇的なシーンや、人間同士の不和の影に怯える。安心してほしいのだが、この映画ではそうした予感は当たらない。そしてそれが決して不自然ではない形で、世界のあり方の一つとして提示される。
もっと色んなことを信じてもいい。それは世界だったり、人だったり、物語だったりする。劇的なものがなくても、不協和音を奏でなくても、ここまで世界をクリアに、美しく描くことができる。映画が提示する物語の世界をもう少し信じていようと思えるのだ。
本当に素晴らしかった。

昼はあべのベルタの地下でダルバートセット。
満腹になる。

それから家に帰ってしばらく映画の余韻に浸ってから夕方再び外出。梅田ラテラルで、古賀及子さんと藤本和剛さんのトークイベント。古賀さんのイベント2日目で、テーマは日記だ。偉大な日記の大先輩のトーク、聞くしかない、ということで張り切って出発して最前列に座る。

目から鱗の話ばかりだった。
藤本さんの「日記をリーダブルにするには自我を薄めなくてはならない」という言葉が印象的で、自我を全面に出しすぎないように、時間を混ぜたり情景描写に託したり、日時や天気をフックにしたりというテクニカルな日記論は自分が意識していない部分ばかりだった。
古賀さんの話では「私は私が日記を書いていることを秘密にしている」という言葉がすごかった。日記の中にいる私と、書いている私は別で、日記の中の私は日記に書かれていることを知らない……という体で書いているそうだ。古賀さんはこの認知能力がすごすぎて、「私が見ている家族の景色があって、子供たちが見ている世界もあって、それぞれが固有のもの。私の見ている景色というのがそもそも創作的でフィクションなもの」というのもめちゃくちゃ納得できる話だった。
大先輩2人から刺激を受けまくる痺れるような2時間。

トークイベントの中で藤本さんがくどうれいんさんの言葉を引用して、日記は強烈なエピソードや感情がなくてもいいむしろそうしたものを排除したい、というようなことを紹介していた。
今日見た「夜明けのすべて」がまさしく、感情を激しく揺さぶるような「強い話」を描かない物語だったので、いいなと思った。

終演後、藤本さんと、藤本さんの同僚のIさんと3人で飲みに行く。ラテラルの近くの鍋料理のお店へ。酒を飲みながら高知の話、酒の話、創作の話、映画や音楽の話で盛り上がる。閉店時間ギリギリまで飲む。めちゃくちゃ楽しかった。

家に帰ると日付が変わる前。軽く飲み直してから寝る。

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