博士課程を諦めた話・修士課程を終えて


結論から言うと、自分が博士課程を乗り越えられる自信が欠如していたことが主な理由だった。その他にも経済的な事情があったが、修士課程を経験して研究の厳しさを実感したことも影響している。(と思う)
 
「研究者」という存在には以前から憧れがあった。未知の領域を探求し、科学の進歩に貢献したいという思いが自分にはあった。中学生の頃から、ノーベル賞受賞者や大発見を果たした博士たちのインタビューを見て、「研究者」になることを夢見た。
 
学業やスポーツで1番になりたいという強い意欲はあったが、高校はある程度の高校へ進学した。しかし、どんなに努力しても1番になれず、そのまま地元の大学へ進学した。家計の都合から浪人や私立大学への進学は選択肢に無かった。後で振り返れば、経済的な理由を理由にして自分を正当化したかったのかもしれない。
 
元々は教師や医療関係の職業を目指していたが、大学まで自分の中にある野望であった研究者になるというものから、地元の医療系大学へ進学した。大学1回生の時から大学院進学を考え、教員や両親に伝えた。しかし、医療系では国家資格を取得し病院で技術を磨くことが一般的のため、両親からは大学院進学を認められなかったため、学費をアルバイトで稼いでなんとか納得させ、大学院に進学した。
 
大学での学外実習で死ぬほど担当に理不尽な怒られ方をしたり、空気のような扱いをされたりして現実を知った。何よりも許せなかったことが、ある実習先の方に、就職先の話になった際に自分は大学院にいって研究をしてみたいです!といった際に近くにいたお局のような人にこの職業で大学院に行っても無駄だから、さっさと就職して技術みがきなよ、はっきり言って無駄。と言われたことだ。実際、就職先としては医療系から少し離れた所に就職した。これが自分なりの抵抗だった。

学外実習が終わり、卒業研究に取り組む段階になると、自分は一番研究が出来るという研究室に入った。しかし、その研究室は大学内で評判の良いとは言えず、むしろ「ブラック研究室」と呼ばれていた。しかし、興味のある研究テーマであったため、それを理由にその研究室を選びました。卒業研究の期間中は、指導教員も優しく、実験作業を楽しむことができた。

4回生では、国家試験と大学院入試の勉強もあったが、研究をしながら反応時間に国家試験と大学院入試を勉強してなんとか勉強時間を確保していた。
大学院入試に合格し、国家試験が終わった次の日から本格的に大学院生活が始まった。私の研究室には博士課程の先輩はおらず、修士2年生の先輩が1人だけでした。同期もおらず、私を含めて2人だけの小規模な研究室でした。先輩は非常に厳しく、常に怒られながら実験を行っていました。正直なところ、研究自体は楽しいものの、怒られ続ける状況に心が折れそうになりました。大学院1年の夏には、大学院を辞めるかどうかも考えた。しかし、研究が辛くてやめるわけでなく人間関係で辞めるのは馬鹿らしかったため根性で乗り切った。(今思えばとんでもない研究量を1人でやっていてさらに自分の指導もしていいただいていたため、先輩も追い込まれていて余裕がなかったのだろうと思う。)

修士1回生の時は特に問題なく進級した。実験量も適度で、朝8時から夜7時には実験が終わり、夜8時には大学を出ることができた。

大学院に入学した当初は博士課程進学を考えていた。しかし、研究を進めていく中で、何も成果を残せていなかった。学会発表もせず、論文の見込みもなかった。このままで博士課程に進学してもいいのか、自問した。当然、博士課程に進みたい気持ちはあった、しかし、自らの能力に自信が持てなくなっていた。博士課程進学に関してはDC1の申請も考えたが、その時点では大学内でストレートに博士課程に進学した人がおらず、博士課程を考えるといいながら、私は早く卒業したいという気持ちがあった。そして悩んだ末、博士課程を諦めることを決意し、就職活動を開始した。

先輩が卒業し、修士2回生に進むと、状況は一変した。研究テーマの引継ぎなどを含めて3つのテーマを同時に進め、実験量も1回生時の3倍に増加した。修士1回生の後輩も加わったが、彼も1人だけであり、研究室は引き続き2人で研究を進めた。朝7時に実験を開始し、10分の待ち時間などで後輩に買ってきてもらった安い惣菜を食べ、すぐに戻り、夜8時に実験を終え、実験ノートやデータ解析に取り組んで、夜10時から11時に大学を出るという日々が続いた。この頃から、研究が楽しいというよりも、義務的なものとなっていた。また、研究室の人員不足から、私は試薬の管理や抗体の調達なども担当し、就職活動も並行して行わなければならなかった。時には実験の都合で就職活動の説明会などをキャンセルすることもあった。

第一志望の企業からの内定を得ることはできませんでしたが、いくつかの企業から内定をもらい、修士2年の夏から研究に専念しました。修士論文の準備に加えて、学会発表の追加実験や他のテーマの研究も進める必要があったため、夏や秋は修論の研究には充てられなかった。学会発表では、論文に使うデータという事で公表できず、ネガティブデータしか出せず、つまらない内容での発表となった。11月に入り、修論の研究に取り組まなければ間に合わない状況になり、休みなく研究に取り組み、11月から1月まで週末や正月も含めて休むことなく研究を行った。そして修論を提出し、発表を終えた後は一段落し、修士論文という節目で私は完全に満足してしまった。

私の研究室は人員不足で1人当たりの研究量があまりに多すぎた気がした。更に大学院2年になると先輩はこんだけやっていたぞ、なんで研究しないんだと圧を多くかけられて、この2年間は生まれてきた中で一番精神と体を壊した。

当然、修士課程で得られたものもたくさんある。確実に身についたのはメンタルだった。どれだけ怒られても、詰められても負けないメンタルを身に着けた(気がする…)。あとは相手に自分の意見を伝える能力だ。これらは大学院へ行って良かったと思える点でもある。

大学院2回生は本当に色々あった。両親が倒れ、お金が無く、もやしを食べて研究をしたり、交通事故にあったりと、激動と言えるのでは?という1年だった。

これから修士課程に進学する人に伝えたいことは、研究室選びによっては大きく人生が変わる可能性があるので慎重に選ばないといけない。しかし、自分で選んだ選択を後悔せず前を向いて必死に取り組むことも大事なのでは、なんて個人的には思う。自分も大学院に進学して後悔はあったかもしれないが、必死に取り組んだ。

これから博士課程に進学する方々には本当に尊敬しかない。私のように博士課程を諦めず信念をもって突き進む「研究者」とはまさにこのような方々なのだと思う。そして大学教員はとんでもない天才たちだなと修士を体験して痛感した。

少なくとも大学院へ行って良かったと個人的には思う。就職も数社企業に内定をもらえたのも修士だからだと思う。キャリアアップとしての手段でも大学院へ行く理由はあるかもしれない。

だらだらと話してきたが、別に自分の研究室にクレームをつけたいとかは一切ない。ただの自語りで個人的な見解だ。当然他の大学院の人々の方がもっと大変だと思う。実際、SNSなどで見かける他の修士や博士の方々は多くの学会発表や、論文投稿、日を超えた研究に取り組んでおり、自分はまだまだだなと感じた。しかし、当時は、自分も負けてはいられないというやる気にもつながった。(大学が閉まる夜間や教員が不在な時間帯は研究ができないため、日にちを超えた研究に憧れを抱いていた。)

ともあれ研究者という夢は心半ばで潰えたが、いい経験だった。ここで私の研究は終わり。さよなら研究。
長文で拙い文章になってしまいましたが、お許しください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?