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母から教わったこと。

子どもの頃に、親以外の大人から言われたことに未だに怯えている。

急ぎ足で横断歩道を渡っているときに、友達のお父さんから
「歩行者優先なんだから、もっとゆっくり堂々と歩きなさい」と言われたのを毎回思い出す。怒り口調だったわけではないけど、親以外の人から注意されたのが初めてで(たぶん)、それが怖かったのだと思う。誰からでも怒られる可能性があるということに気づいてしまった。

その人はいつも堂々としているかっこいい大人に見えた。だから真似しようとしたけど、私には車を待たせた状態でゆっくり歩くことはできない。でもなんとなくいつも「急いでごめんなさい」とも思っている。

「またトイレ!さっき行ったばかりなのに。落ち着きがないのね」という言葉にも怯えている。これは幼稚園の先生に言われた。未だにトイレに行くときに思い出して「ごめんなさい」と思っている。

落ちこんで、自信をなくしそうなときに思い出して辛くなってしまう言葉もある。あれはたしか小学5年生くらいの頃。母親と出かけて、バスのなかで同じマンションに住む人(母親より少し歳上くらいの女性)に偶然会ったときの会話。

その人「娘さん、おいくつになったんですか?」
母「いま小学5年生です」
その人「あら5年生ですか。まだ3年生くらいかと思った」
母「(少し笑いながら)背が小さいからね」
その人「いえいえ。そうじゃなくて、精神的に幼いから」
母 (少し笑うだけ)

私は傷つきながら、ずっとだまっていた。あとで母親に打ち明けることもできなかった。今となっっては素直に言っておけばよかったとも思う。

「私は幼いの?どうすればいいの?」と、聞きたかった。

もしくは「失礼なことを言いますね」と、その人のことを怒って欲しかった。

それかせめて「人のことをあんな風に言うことはおかしいことなんだよ。落ち込む必要はないからね」と、私に教えて欲しかった。

そんなふうに、思い出すと心のなかで母親を少し責めた。

だけど、このときの母親の態度こそ、私がなりたい人間の態度だったのだということに最近ようやく気づいた。

…最近ようやく?じゃないな。いま、ここに書きながら気づいたんだ。

"嫌なことを言われてもふふっと笑っておしまい"

私の母はマイペースで、いつも自分の好きなことに夢中で、人に流されず、サラッとした人づき合いができ、まわりの人から愛されている。人間関係に悩んで愚痴を言っていたような記憶が全くない。

私は母から「人から嫌なことを言われたときにどうすればいいか」をちゃんと教わっていたんだ。だから、もうあのときの母親を責めるのはやめよう。私もお母さんみたいに、ふふっと笑ってすませられる人間になろう。

今日は会えないけど、母に似合いそうな花を買ってきて、飾った。

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