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シン・コンセプトが降ってきた

正直に言おう。ずっと、コンセプトを活用できずにいた。


コンセプト、ファッションに繋がらない問題

今までのコンセプトは、教室で爆誕した「湘南 愛の文筆家」。一つ一つのワードには納得感しかない。私にとって一番大切な価値観は「愛」。職業形態ーー大げさに言うと "生きざま"ーー は、文章を書くこと以外考えられない。「湘南」はどこよりも気に入っている土地だし、人物像の解像度も上げてくれそう。

なのに。


実は私、「愛の文筆家のファッション」が全くイメージできなかった!


「文筆家」という言葉で私が想起するのが年配の男性(しかもなぜかモノクロのイメージ。湘南の文筆家・開高健に引っ張られすぎ?)だったせいかもしれない。それなら例えば現実的に、令和の若手〜同年代の作家さんの人物像やファッションについて調べてみる手はあった気がする。でも、なぜか全く興味が湧かなかった。

さらに「愛の」が曲者。コンセプトの修飾語はできるだけ短くしたかった私(その方がカッコいい覚えやすいから)。教室で「愛の」にたどり着いた時はめっぽう感動したのだけど、ちょっと待て。「愛のファッション」て何よ? なんぼなんでも概念が広すぎる。ファッション初心者が服選びの参考にする単語ではなかったね…。

それからしばらくして、修飾語の部分に関しては暫定解が見つかった。スギサキさんのカラーレッスンをきっかけに浮かんだキーワードだ。

「シャープでヌケてるエレガンス」。キレイめだけどエッジが効いている。どこか尖っていながらも親しみは持てる。そんな感覚を表す言葉。これが自分の中でかなりしっくり来て、以来自問自答はめっぽう捗った。後におかわりレッスンで、自分の色選びの感覚がまさにこれだったことが明らかになり、一人密かに膝を打った。

じゃあシン・コンセプト、「シャープでヌケててエレガントな文筆家」で良くない?って言いたいところなんだけど、言えなかった。ここで唐突に引き合いに出してしまうのがこちら。かっこよすぎやしませんか、おだまきさんのコンセプト。

短くビシッとしてて、端的に本質を突いていて。しかもお会いしてみたらご本人、「悪い先生」そのものだった(注:いい意味です)。ファッションはもちろんのこと、佇まいや空気感、発言、行動…とにかく全てが「悪い先生」、というかもう、これはもはや「おだまきさん」としか言いようがないのだけど。

翻って私。仮に「シャープでヌケててエレガントな文筆家」にすると、人物がどんな格好をしているのかは何となくイメージできるものの、何を食べて何を喋ってどう行動するのか、つまり人となりはイマイチよくわからない。おだまきさんとお話しして、「シャープで〜」に対して感じていた物足りなさの正体が分かった。

これはあくまで私の好みだけれど、職業にかかる修飾語は、内面と外見の要素をまるっと全て内包していてほしい。できることなら端的に、それでいてその一語からブワッと世界観が広がっていくようなーーそう、おだまきさんの「悪い」みたいなーーそんな形容詞にたどり着けたら!

おだまきさんにお会いしたことでそんな思いが芽生えたものの、しかし何一つ思い浮かぶことはなく、ただ日々は過ぎていった。

職業、「文筆家」じゃなかった

転機が訪れたのはゴールデンウィーク。よく晴れた暑い夏のようなある日、家族でアスレチックに出かけた時のこと。夫が運転する車の後部座席に座り、疲れて寝てしまった娘の隣で聞くともなしにFMを耳にしながら、ぼんやりと窓の外に流れる景色を見ていた。ら、突然閃いた。

どうしてそう思ったのかはわからない。FMで何をしゃべっていたのかも全く覚えていない。ただ唐突にそう思ったから、忘れないように慌ててXで呟いた。

ああ、そうか。私、文筆家っていう言葉があんまりしっくりきてなかったのか。時間が経ってからじわじわとそのことに思い至って、後追いで合点がいった。

文章を書く、と言っても幅広い。私が書くのはフィクションかノンフィクションかで言えば、ノンフィクション。自分のことか他人のことか、なら自分のこと。一般的に、自らの経験をベースに綴られた文章はエッセイとか随筆と呼ばれる。で、教室では「エッセイスト」は何だかピンとこないという理由で「文筆家」を選んだ。

それ以外の言葉を探すなんて、思いつきもしなかった。

あくまで私の個人的な感覚なんだけど、「文筆家」って職業人的な色合いが強い気がするし、オノマトペで言うと「サラサラ」書いてるイメージがある。でも私の書くものや書き方って、むしろ「サラサラ」じゃなくて「ゴリゴリ」なんだよな。そう呟いてみたら、「わかります」「筆圧!」と複数の方からリプをいただいた😂

対する「物書き」は、もっと無骨なイメージ。書いたものが金になろうとならなかろうと、ただ書きたい・書かずにいられないから書く、みたいな。まさしく「ゴリゴリ」。筆圧も字のクセもなんだか強そうだし、書き方も生き方も決してスマートじゃなさそう。職業人というよりは職人みたいな感じで…、あー…、はい…


私、「文筆家」ってガラじゃないです。圧倒的に「物書き」です。


今まで全く気がつかなかったけど、もしかしたら「文筆家」という言葉が自分にはまってなかったから、それ以上のイメージが全く膨らまなかったのかもしれない。一方の「物書き」には「これだ!」という感覚がある。なのでワードを差し替えてみたら、じゃあ一体どんな物書きなんだろう?と心が一気に動き始めた。

シャネルを着た悪魔(ではない)

そして翌日。何かのスイッチが入ったのか、今度は突然「なりたい」に出会ってしまった。それは行きつけの近所の美容院で差し出された雑誌、STORY 6月号。

いつもはカットやブローの最中に雑誌を読むことはほぼないのだけど、これはなぜか気になった。何の気なしにパラパラめくっていたら、このページでぴたりと手が止まった。

マディソンブルーの代表取締役・中山まりこさんがたどり着かれたという「最高のスタイル」。60歳の記念にあつらえたオートクチュールのシャネルジャケットに、デニムのAラインミニスカート(シャネルJKに合わせるために作られた自ブランド品!)と古着のミッキーTシャツ、無造作にじゃら付けされたジュエリー。


かっ………っっっこ良すぎない………?


衝撃で、しばらく動けなかった。目が離せなかった。フリーズしている私に気づいた担当さんも私の手元を覗き込んだ瞬間、同じように言葉を失っていた。しばしの空白の後、絞り出すように「良すぎますよね…」と言ったら、「ですね…」と返してくれた。世代を問わず通用する本物の迫力(担当さんは私の1回り以上年下)。

シャネルのツイードジャケットは、私の妄想クローゼットのど真ん中に燦然と輝く逸品。60歳でさらりとあれを着こなせるようになりたい、というのが私の夢だ。そうしたら、現実にいらっしゃったではないか!60歳でそのジャケットをまさに「自分のスタイル」にしている方が!!

服は買って終わりではない、というのがここ最近の学びだ。

自問自答1年目は、服を「選んで買う」ことに注力していた。2年目に入って気づき出したのは、「選んだ服をどう着るか」。服をただそのまま着ただけではスタイルは完成しない。服を選び抜いてみたことによって、そのことに思い至った。あきやさんの2冊目にもあったように、まさに「買ってからも試着」なのだと実感する。

それは裏を返せば、どんな服でも自分らしく着こなすことは可能、ということでもある。意欲と試行錯誤とアイディアさえあれば、冒険アイテムでも凡庸アイテムでも工夫次第で自分のスタイルに落とし込むことはできるはずだ。何を選ぶかより、どう着るか。そういう次元もあることが、最近うっすらとわかるようになった。

ミッキーTとデニムにシャネルJKを合わせるのは、中山さんならではだろう。オーセンティック、エネルギッシュ、ロック、カリスマ、気品、チャーミング、余裕。写真を見ているだけでもそんな言葉が浮かんでくる。「シャネルJKを着ている中山さん」ではなくて「中山さんが着ているのがシャネルJK」。これぞ着こなしだ。

サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

雨ニモマケズ

あぁっ!! もしかして「なりたい」ってそういうことですか、あきやさんっ?!(どうした落ち着け)

実際、ここからググッと一気に自問自答が加速した。ビジュアルの力は大きい。

シン・コンセプト誕生

衝撃の出会いから数日後、思いついたシン・コンセプトがこちら。

自由で円熟した物書き

中山さんを目指すわけではもちろんないけれど、この写真に漂う「良さ」の本質は一体何だろう、としばらく考えていて思いついた言葉が「円熟」

良いことも悪いことも、思うようになることもならないことも、嬉しかったことも絶望したことも、とにかく全ての経験を糧にしてきた人が持つ独特のまろやかさ。最初は「成熟」かなと思ったけれど、年月によって角が取れた丸みだったり、澱やカビも風味の一部にしている感じがより出るのは「円熟」かな、と思い直した。

そうは言っても、今の私が「円熟」を目指すなんて、おこがましいにも程がある。それに「円熟」は、間違っても自称するものではないだろう。実際に「円熟期にある」と言われるような各界の著名人の方々だって、おそらくご自分では「なんの、まだまだ私なんぞ」とおっしゃるような気がする。

じゃあ、「円熟」にちょっと軽やかさを足してみようか。それで思いついたのが、こちら。

拾い画で失礼します

コムデギャルソンの川久保玲さんのキーワード、「自由」

それは、今まであまりピンと来なかったけれど、最近やたら気になり始めた言葉。自問自答を始めてからいろんなブランドに出会い、あきやさんやたくさんのガールズさん達と交流させていただいて、「冷えて固まったはちみつ」が少しずつ緩み始めた。だから、「自由」に惹かれ始めたのかもしれない。


「円熟」を選ぶのも自由、選ばないのも自由。

「物書き」であることにこだわるもよし、書かなくてもよし。自由。

ファッションだってキメてみてもいい、ゆるゆるだっていい。それも自由。

あってもいい、なくてもいい。全部、全部自由。


「自由」を足してみたら、コンセプトの世界観に風が吹き抜ける感じがした。

「自由で円熟した物書き」。

60歳、いや、生涯かけたって到底辿り着けやしない境地かもしれない。だけど、いいじゃない。だって自由なんだもの! そもそも、目指すのも目指さないのも自由(自由の濫用)。そういう雰囲気も含めて、心の底からいいなと思う。それは決して「今の自分のままじゃダメだから」とか、私が恐れていたそんな感覚ではない。

サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

再掲

うん。シン・コンセプトはこれで行ってみようと思う。「自由で円熟した物書き」だったら、シャネルジャケットには一体何を合わせるだろうか。これ以上ないくらい難しいけれど、とっても楽しい課題だ。60歳までに答えが見つかるといいな! あと、迷ってたギャルソンのリュックは堂々とお迎えしようと思います😆


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