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学びの履歴「わたしのほぐしかた」~#1 クルト・レヴィン "場"の理論 編

今日はちょっと真面目に。Angelaです。
9月で青山学院大学のワークショップデザイナー育成プログラム(以下、WSD)がひと段落し、修了証も届き(そして無事に助成金も振り込まれ笑)、次は何を学ぼうかな、というモードになっていました。

そもそも、WSDに入ったのも、もやっとした「コミュニケーション」とか「研修設計」というものを理論的に学んだ上で、自分の中で言語化していきたいという思いがあったから。

そんな時に、ちょっと未知で、でもなんだか絶対自分に関係ありそうなものを見つけてしまいました。プログラムについてはこちらをご覧ください。

第1回目のテーマは「場の中で科学する」

第1回目のテーマは「場」。クルト・レヴィンの「社会科学における場の理論」が課題図書でした。初回からこんなに読み応えある(日本語なのにわからない)本が選ばれるとは思っておらず、また全然読み終わらない。前日に3時間かけて完読。参加者の皆さんも言っていましたが「読んだというより、文字を追った」そんな感覚でした。

ここからはほぐされていく私の備忘録です

誰にでもわかるように書いていないし、正しいかも甚だ不安です。悪しからず。


クルト・レヴィンって誰?

社会心理学の父と呼ばれる、1890年にドイツで生まれたユダヤ人心理学者。第一次世界大戦に徴兵され戻ったのちに、医学や生物学、哲学、そして心理学など、幅広く学んだ方です。
ナチスが政権を取ったことから、アメリカに亡命し研究を続けてきました。このような経験、時代背景はレヴィンの研究成果に大きな影響を及ぼしたのだろうと、レヴィンの功績や書籍から感じ取れました。

レヴィンの功績

ゲシュタルト心理学の確立

それまでの心理学は「精神分析」「行動心理学」といったような、個人に焦点を当てたものが主流でした。しかし、レヴィンはそこに「集団の中で何が起きているのか」という観点を持ち込んでいます。

アクションリサーチという手法

それまで心理学の実験は、特別な実験室という環境の中で行われることが普通でした。しかし、その非日常状態から、うまく実験の成果が得られていなかったのではないか、実際に使える理論が生まれるのか…という疑問が生まれます。
レヴィンは、アクションリサーチという

実践→研究→実践

これを繰り返す手法を提唱します。レヴィンの言葉である

よい理論ほど実際に役に立つものはない

という言葉にも表れている気がします。

レヴィンの訴える「場」の理論

「場」とは何か

8 ゲシュタルト心理学で、行動や反応のしかたに直接影響し関係する環境や条件。「—の心理学」

9 物理学で、そのものの力が周囲に及んでいると考えられる空間。電磁場・重力場など。
Weblio 「場」
場とは、人々がそこに参加し、意識・無意識のうちに相互に観察し、コミュニケーションを行い、相互に理解し、相互にはたらきかけ合い、相互に心理的刺激をする、その状況の枠組みのことである。
伊丹敬之『場の論理とマネジメント』東京経済新報社2012 p.42

同時性

場ができるとエネルギーが生まれ、「場」は常に変化する。また、同時性のみが効果を持つ。それは過去からの影響を受けない。

B=f(P,E)

B…behavior:行動(意図的活動、願望、思考、会話、言動、夢、努力…)
P…Personality:人間性(性格、態度…)
E…Environment:環境(社会的状況、他人の行動…)

つまりこれは「行動は、人間性と環境の相互作用で決まる(どちらか一つでは決まらない)」ということを言っています。

読んでみたわたしの空想、グループでの議論

  • 同時性ってなんだろう?人は過去から影響を受けないことなんてあるのか?ただ「集団」というところにだけフォーカスすると少ししっくり来る。卒業写真を撮る時の「このメンバーで集まれるのも今日が最後かもしれない」の感覚に近いだろうか?(例え下手すぎる)

    • 対話していた時にも「現在」や「同時」という、時間の捉え方については話題になった。「今・ココを生きる」という感覚。

    • 一瞬…って言うためにも0.2秒くらい必要で、言っているうちに一瞬は終わっている。「今」ってなんだろう。小学生の時に父から聞いた「一次元と二次元の違い」についての話を思い出した。一次元とは、原理的には直線しか存在しない空間。しかし、ボールペンで点を1つ打っただけで、そこには面積が存在してしまう。結果、二次元になる。だから紙上に一次元って表現的ないねって話。小学生に何を言うてるんだ我が父は。

    • 「今・ココを生きる」ことしか設計されていない言語の話になった。ピダハン語だ。将来という概念がないから、「自殺」が理解できないという。未来を憂いて不安になることが概念としてないのだ。そうなると価値を保存する概念も消滅するので、貨幣の存在も揺らぐ。この話どこで聞いたんだっけ?と思ったら、ゆる言語学ラジオだった。

  • B=f(P,E)の納得感

    • 私はわりと自己責任論が強めな思考をしている(それは時に自分を苦しめるのですが)。だから「環境が悪いなら自分で変えればええやん」と思ってしまい、このEnvironmentという要素を軽視していたし、EnvironmentはPersonalityの下にあるのではないかと思うくらいだった。

    • ちなみにレヴィンは、自己責任論強すぎはダメよ、と言っていたとか?

    • ただ、グループで会話していて「コロナという外部環境で人はどうなったか」を深めていた時に、納得感が出てきた。全ての人に同じ外部要因であるEnvironmentがぶつかってきたのに、アウトプットされる行動は大きく異なる。例えば、コロナ禍でどう新しいコミュニティに飛び込むか、など。そうなると、同じ外部要因でも人間性によって異なる結果が生まれるよな〜B=f(P,E)だよな〜、となった。

結論:正しく理解できたかはわからないけど、頭の中は掻き回された。入門書から入ってまた戻ってきたい

これが「ほぐす」ということなのだろうか…?
ほぐす学びの旅は12月まで続きます。

おまけ

この日はずっと考え事が止まらなくて、2時間ほど海でぼーっとしてしまいました。おしまい。


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